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第3部 他殺か心中か

不遇な子らの結びつき

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 古橋ふるはし…それは池橋いけはし市の同和地区を表す言葉だ。元々はその地区の地名で、県境を流れる稲野いなの川を渡る橋の元にあったからそういう地名が付けられたのだが、同和政策の名の元に、その地名が差別を喚起させるということで地名を変え、周囲の町に溶け込ませた。だが古墳時代から培われてきた差別意識はそんな小手先の施策で消えるはずもなく、古橋という言葉は脈々と受け継がれ、その地域に生まれ育った者を侮蔑する意を込めて「あいつは古橋のもんだ」などと今だに使われ続けている。

 外からの風が冷たく吹き荒ぶほど、内にいる者は肩を寄せ合って必死で暖を取ろうとする。古橋のもんというレッテルは、その土地の結びつきを強めてきた。芳山よしやまは生活苦に陥って生きることもままならなくなった子どもたちを守るために同和地区内に児童養護施設を作ったのだったが、その施設を出た子どもたちは、自分が同和地区出身だということを隠すようになった者を除いて、大人になってもちょこちょこ遊びに来たり、行事などの折に献金してくれたりと、施設との繋がりを大切にしてくれていた。


「おじいちゃんが今日、うちを連れて来た理由が分かったよ」


 大力の病室を辞し、帰りのタクシーの車内で、真奈美まなみは隣りの芳山に笑みを向けた。真奈美は富士子ふじこが持たせてくれた大量の焼き菓子をほくほく顔で膝の上に抱えていたが、それも施設の子らに分け与えるつもりなのだろう。芳山は眩しいものを見るように目を細めて真奈美の方に向いた。

「分かったって、何が分かったんや?」
「うん…おじいちゃんがあのおじちゃんに開放したってくれって頼んだのって、ショウにぃやキュウにぃのことでしょ?」

 その真奈美の言葉を聞き、ああ、この子はちゃんと分かっていてくれるなと思った。少し頭が弱いのではと誤解されることもあるが、この子はちゃんと、人として大切な豊かな心を育み備えている…そのことが芳山には誇らしく思えた。真奈美に柔らかい笑みを返す一方で、彼女の言う二人の施設出身の子どもたちの顔を浮かべて胃の奥に痛みを感じた。


(もう、手遅れかもしれんけどな……)


 その二人の子どもたちのうち、一人は直接大力だいりきから預かった子どもだった。その子がまだ乳飲み子の頃、大力がさかんに池橋市で仕掛けていた地上げの犠牲になり、土地を取り上げられて生活が立ち行かなくなった両親は、取り上げられた土地に子どもだけを残して心中した。一体どんな心境で子どもを置き去りにしたのか…それはその土地を手に入れた者への当てつけだったのかもしれないが、いずれにしてもまともな心境ではなかったのだろう。大力はその子を抱え、芳山の元へやって来た。大力はその子を自分の子として認知し、施設に破格の支援金を出して芳山にその子の育成を頼んだ。芳山はその行為を大力の贖罪だと捉えたが、大力がやがて小学生になったその子を京極きょうごくジムというボクシングジムに通わせろと言い出した当たりから雲行きが怪しくなった。後々に芳山の独自の情報網から分かったことだが、どうもそのジムは大力お抱えの暗殺部隊を養成する足がかりにしている、いわば影の軍団のアジトのような場所だった。大力は社会的に恵まれない貧困家庭の子どもを見つけてはジムに通わせ、ハングリー精神を培った上で自分との絆を深め、ゆくゆくは自分の道具として役に立つように育て上げていたのだ。

 元々血の繋がりなど無かった子らに、大力は全く情を持たなかったのかと聞かれれば、芳山には正直、分からないとしか言いようがない。だが人の本音は本人が意識する以上にその身体に現れる。大力は神崎かんざき一虎かずとらが意識不明となると同時に、自らの意識も失った。それはきっと、一虎が大力と血の繋がった子であり、子どもたちの中でも目をかけていた存在だったために、一虎が再起不能に思える状態に陥ったことで大力の心身にも影響が出た結果だと芳山には思えた。そしてその推測は、さっき病室で大力の肉という肉が削げ落とされた風貌を見たことによって確信に変わった。大力からはすでに死臭が漂っているような気がが、それは今日、一虎の葬儀が執り行われていることと無関係ではないだろう。その確信と同時に、田岡たおか志四雄ししおが大力の落とし種でないことも確信できた。ボクサーを引退し、裏社会に関わることになった彼の不遇を悲しむ姿勢を、大力からは感じられなかったのだ。



 ふと、横に座る真奈美がモジモジと肩を揺らしているのに気づいた。

「ん?何や?しょんべんか?」
「違う!あのね、このまま真っ直ぐ帰るんやのうて、美伽みかちゃんのお葬式にちょっとでも顔出されへんかなあ~って思って」
「何でや?あっちのお嬢さんとはそんなに親しくなかったって言ってたやないか?」
「う~ん…そやねんけど、さっきおじいちゃん、あの怖いおっちゃんにこれから起こることをちゃんと前もって教えてあげてたでしょ?美伽ちゃんのお父さんにも、うちらの作戦を前もって教えてあげといた方がいいんちゃうかな~って思ってん」


 作戦を前もって教える………その真奈美の表現の仕方に、芳山は口の端を上げた。作戦という言い方が幼稚に聞こえ、真奈美らしいなと可愛くも感じた。真奈美は持ち前の優しさでそんなことを思いついたのだろうが、芳山が大力にしたことは前もってする警告などという生易しいものではなく、いわばいつ死ぬともしれない大力の言質をしっかり取っておくという意味合いのものだ。今更これから起こることに伝えたところで、もう決まっている未来は変えられない。大力はある意味巻き込まれたと言えなくもないが、裏の世界ではそんな言い訳は通用しない。管理責任が問われた上で、破門されるのだ。破門は、生きている間に行わねば意味がない。死んでから通達したとことで、何の見せしめにもならないのだ。そのことを慮って、神代じんだい組五代目は自分を大力の元によこした。組の外の者が伝えることによって様々なしがらみから起こる小競り合いを避けると同時に、直径団体から外れる者の惨めさを他に示したのだ。


「行ってもええけどな、もう式も終わりやろうし、これから納棺やなんやって立て込むやろから、藤原ふじわらとは話されへんで?それでもええか?」
「うん!いいよー!ありがと、おじいちゃん」


 にっこりと笑う真奈美に頬を綻ばせ、運転手に池橋市南東部にある葬儀会館の名前を告げ、行き先を変更させる。

 芳山は不安に駆られ、真奈美の横顔を見た。果たしてこの子はこれから起こるであろうことによってまた傷つくのではないか…そんな不安に駆られた。真奈美がショウにぃ、キュウにぃと慕う二人の今後も、修復出来ないほどにすでに決まってしまっている。二人とも、真奈美に取っては血を分けた兄…いや、ある意味それ以上の結びつきを持っている存在だ。もし二人に何かあれば、間違いなく真奈美は悲しむだろう……そのことを思うと、芳山は胸が締め付けられた。もう少し自分が事態に早く気づいていれば……そう悔やむ一方で、それが分かったいたところで自分には何もしてやれなかっただろうとも思う。後はせめて、二人が少しでも苦しまないように事が収まることを見守るのみだった。



 キュウが不動産の地上げの犠牲になった子であり、真奈美の二つ年上で施設では彼女と共に暮らした。一方、ショウの方は真奈美が施設に入る前にはとっくに施設から出ていたが、何かと訪問してきては真奈美のことを気にかけていた。



 ショウは当時まだヤクザの親分として売り出し中だった大力が抗争していた組員の子で、父親はその争いに敗れて死に、母親はそのショックでうつ病を患い、まだ乳飲み子だったショウを育てることも出来ず、芳山が施設で預かることになった。幼稚園に上がる頃には母親の元に戻したが、その母親は長い闘病の末、自らの命を絶った。そのことをどこからか聞きつけた大力はショウを自分の子として認知し、その後の生活の支援をしていたが、その扱いはキュウと同じで、最終的には彼のことを自分の暗殺部隊の一員として育て上げたと芳山は見ている。そして今回の一連の騒動の裏で彼が暗躍していることを、芳山は嗅ぎつけた。それが出来たのは、様々な数奇な運命が絡み合った結果なのだったが、奇しくもそこには真奈美も関わっていたのだ………。







 止んでいた雨が、またシトシトと降り出した。まるで池橋市から送り出される三人の死者を悼むように、冷たく、身に纏いつくような雨だった。藤原美伽の葬儀が行われる会館に着いた時には、ちょうど出棺されるところだった。せめて葬列に加わって見送ろうと近づくと、入口から出てきた藤原健吾けんごが周りを憚ることなく、泣き喚いて霊柩車に乗せられる棺の尻に取り縋って膝を付く。そのあまりの悲惨さに周囲の者がもらい泣きする中、つと、真奈美がひざまずく健吾の横に滑り出て、その傍らで膝を折る。そして健吾の耳元に顔を近づけ、何事かを囁いた。すると健吾は青褪めた顔を震わせて真奈美を凝視し、

「な、何を言うんや!俺はレイプなんかしてへん!あれは、レイプなんかやあれへん!」

 と叫んだ。その言葉の内容に、周囲の者たちは顔を歪ませ、健吾とその横の真奈美に訝しい視線を向けた。周囲の気配が変わったのを察して芳山は慌てて真奈美を連れ出そうと前へ出ると、それを目の端で捉えた真奈美はスクッと立ち上がり、素早く芳山の元に駆け寄って腕を取り、会館を後にして早足で歩いた。

「一体、何を言ったんや?」

 あんなに泣き叫んでいた健吾が急に怒り出したことが不審に思え、芳山が聞くと、真奈美は立ち止まってにっこり笑い、

「おじちゃんが萌未めぐみのお姉さんをレイプなんかするから、こんなことになったんだよって言ったの」

 と言ってペロッと舌を出した。その仕草は可愛らしかったが、芳山の背筋に冷たいものが走ったのは雨が背中に入ったためではなかった。この子は藤原を思いやってここまで来たのではない、悲しみに沈む藤原に追い打ちをかけに来たのだ───それに気付いて改めて真奈美の顔を見ると、黄色くメッシュにした髪が額から流れて頬にへばりつき、その表情はまるでいかずちを纏った異界の者のようだった。




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