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第3部 他殺か心中か

もうそんな時代やない

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 芳山よしやま勘治かんじ木内きうち真奈美まなみを伴い、大阪市北区の総合病院に入院している大力だいりき誠治せいじの病室に訪れた。ちょうど神崎かんざき一虎かずとらの告別式が始まった時間で、そちらに人員を取られてお付きの者も手薄になっているだろうとその時間を選んだのだったが、8階の個室病棟でエレベーターを降りると、扉のすぐ前にガタイのしっかりした黒スーツの男たちが二人いて、出てきた芳山たちにギロリときつい視線を向けた。芳山の腕を取る真奈美の肩がビクンと上がるのが肩越しに伝わった。

 男の一人に名前を告げると、訳知り顔で頷き、大力の病室の場所を教えてくれた。病室へ向かう回廊には高級マンションのように鳶色のカーペットが敷かれ、一歩置きに天井に据えられたシーリングライトの作る橙色の縞模様を踏んで進んでいくと、突き当りにシルバーの重々しい扉があり、その前にまた二人の黒尽くめの男が立っている。芳山たちが前まで来ると、どうやらエレベーター前とインカムでやり取りしているようで、一人の男が扉横のパネルにコードを入力し、扉を開けてくれた。扉の片側が横にスライドして開き、中に踏み入ると今度は木調のシックな扉が二つ向かい合っている。その一方にまた、二人の厳つい男が立っていた。

 これなら場所を教えてもらわなくても分かったわ、と心の中で毒づきながら男たちの前に立つと、一人が引き扉を手前に引いて開けてくれた。どうぞ、と低い声で言われ、ようやく病室の中へ入る。こんなに厳重にいかにもな男たちがいて他の病人に迷惑にならないのかと眉を潜めたが、この病院の高級個室は一泊数万、今通された最上級になると20万以上はすると聞く。そんなところに泊まる病人はもはや一般人とは言えず、もし自分が入院するなら逆にこんなに厳つい男たちがフロアーにいた方が安心かもと思い直した。

 病室も高級ホテルを思わせる豪奢な仕様で、百坪はあるのではないかという広さに病室特有の圧迫感は感じなかった。部屋に入るとまずゆったりとした円形のソファとテーブルがちょっとしたラウンジのように置かれている。真奈美はキョロキョロと見回して男たちがいないのを確認すると、わーいと顔を綻ばれてソファにどっかりと座り、二、三度腰を弾ませた。マンションのリビングとオフィスの待合室の中間くらいの雰囲気で、右奥には会議室を思わせる区画が擦りガラスで仕切られているのが見えた。左奥の扉がガチャリと開き、真奈美が慌てて立ち上がって背筋を伸ばす。出てきたのは中年の女性で、その丸い顔には柔らかい笑みを浮かべている。

「ようこそおいで下さいました。ちょうど会長は目を覚ましておられます。どうぞ」

 真奈美が芳山の腕を取り、ピッタリと体を付けてくる。やや斜め後ろに隠れるようなポジションに付いたのは芳山に寄り添うというよりも、何かあったら芳山を盾にするという意図が感じられた。ようやく病室に足を踏み入れると、まずは薬品の匂いに混じって紅茶の香りが鼻腔を掠めた。病室自体もなかり広く、ベッドの足側にはフローリングにクリーム色のレザーソファがベッドと縦列にテーブルを挟んで対面して置かれている。テーブルには紅茶と茶菓子のセットが用意され、ティーカップから上がっている湯気がさっき嗅いだ匂いの元だと分かった。ベッドの方を見ると、右手に大きな窓が開け、大阪の街並みが見下ろせた。どんよりとした曇り空だったが、昼前とあってか採光は十分だった。


 ベッドの上からは鋭い眼光が向けられている。背中をリクライニングにして座り、芳山はその眼光の主に足元から近づいた。そしてその風貌を捉え、一瞬驚いて眉を上げた。

「痩せたやろ?」

 芳山の表情を見てか、大力がしわがれた声を出す。

「いやいや、大病を患われたと聞いてましたがな、思ったよりお元気そうですよ」

 慌てて社交辞令の言葉を返したが、眼窩は窪み、頬はこけ、かつての耿然こうぜんたる面影が完全に失われていることに驚いた。被っているピンクのニット帽が枯れ木に引っかかった風船のように浮いた色彩を放っていた。大力もその芳山の目線を察したように、口の端を歪める。

「この帽子はな、娘が編んでくれたんや。薬の副作用で禿げ上がってもてな。ほんまは、鼻からもチューブ入れとるんやけどな、そんなカッコの悪い姿見せられへん、言うて、今は取ってもらってるんや」

 大力は喉の奥にタンが絡んでいるような声で言い訳気味たことを言うと、芳山の傍らで肩をすぼめて立っている真奈美に視線を向けて眉毛を寄せた。

「ああ、言うて私も年ですからな、この子に付き添ってもらってますんや」

 芳山がそう言って目尻にシワを寄せると、真奈美です、と彼女はペコンと腰を90°に折った。

「まあ、可愛い娘さんお連れでぇ。ちょうど良かった、この人甘いもん食べはらへんので、お見舞いにいただいたお菓子がたくさん余ってるんです。良かったら食べて下さいね。さあ、立ち話もなんですので、どうぞ?」

 付き添いの女性が二人をソファへと促したが、芳山は曲がりかけの背中を伸ばし、真奈美同様に腰を直角に曲げた。

「まずは、お悔やみを。この度は誠にご愁傷さまなことで」

 顔を上げると、大力は一つ、弱々しく首肯する。

「さあさあ、立っておられると見てる方も疲れますので」

 再度女性に促され、女性が用意してくれた紅茶セットの席に向かい合って座った。ティーカップの横には、高級そうな焼き菓子がそれぞれ皿に乗せられ、それを見て真奈美が顔を綻ばした。

「遠慮なく食べてね」

 女性は真奈美にそう言うと、自分は大力の枕元に置かれた肘掛け椅子に座る。そして、

「申し訳ありません、何かあったら困りますので、私も同席させてもらいますね」

 と、芳山に断った。




 大力はこの何年か、重病を患っていると噂されていたが、ちょうど一虎が意識不明の重体になった時を同じくして昏倒し、救急車で運ばれて以来ずっと入院しているということだった。芳山が大力に近い者から聞いた話では、肺がんがすでにステージ4まで進んでいるらしい。完治の見込みはもうないとのことだった。


 芳山はまず、大力の傍らに座る女性に声をかける。

富士子ふじこさんも全然お変わりなく。私、昔ドルチェであんたの接客を何度か受けたことありますんやで」

 それを聞き、富士子は困ったように大力の顔を見る。大力は口の両端を上げた。

「もうおばはんですわ。いや、じきおばあちゃんか」

 もう、と富士子は大力の肩を軽く叩く。そこには長年連れ添った夫婦のような気安い関係性が見て取れた。



 芳山も富士子が在籍していた当時から何度もドルチェを訪れたことがあるが、富士子が新人で入店した時はその美貌に鼻の下を伸ばした。だがすぐに当時イケイケだった大力に指名されるようになり、あんな活力溢れる美男子に自分が敵うわけないとほぞを噛んだ。だがほどなくして富士子は、どちらかというと冴えない醜男によく着くようになった。あれなら勝てると自分も指名したものの、当時配置をしていた黒服になんやかやと誤魔化され、三回に一回も着けてもらえなかった。それで面白くない思いをしたものだが、今から考えると裏から大力が手を引いていたのだろう。その醜男は藤原ふじわら健吾けんごであり、それから間もなくして藤原は大力のフロント企業の社長に祭り上げられた。

 三人の間でどんなやり取りがあったかは知らないが、間もなく富士子がドルチェを辞めた時、同僚のホステスから彼女が妊娠をしていたと聞いた。はたしてその子は藤原の子だったのか大力の子だったのか……奇しくもその子は成長してプロボクサーとなり、WBAの世界チャンプに輝いたのだったが、裏の界隈では大力の落し種だと公然の噂として囁かれている。だがその子は、実は藤原の子だったと芳山は睨んでいる。彼が引退してから……いや、もっと遡って彼が中学生になって京極きょうごくジムに預けられた時から、彼に大力の裏組織に関わらせようとする意図が読み取れたからだ。そのやり口に通ずる他の子の存在を、芳山はよく知っていた。


 幾分ふくよかにはなったが、若い頃の白桃のような頬の艶は健在だ……そんな風に富士子を懐かしんで眺めていると、その横からもどかしげな言葉が発せられる。

「体調が思わしくなくてな、そろそろ要件に入ってくれんか」

 残り火のような眼光を捉え、芳山は居住まいを正す。

「今日はな、五代目の名代みょうだいで来させてもらったわけですけども、大筋は電話でお伝えした通りです。表の筋と裏の筋、大力さんにはどちらにも人を出してもらわんといけません。まず表の筋としては今頃田岡たおか君が自首してる頃やと思います。そんで裏の筋の方ですが、やはりここは篠原しのはらくらいの人間やないと通らんのと違いますやろか。そんで、大力さん、あんたには神代じんだいの直参から外れてもらいます」

 大力の目の膜が、揺らいでいく。怒りなのか、焦りなのか、はたまた後悔なのか……芳山には測りきれなかったが、やがて大力は静かに目を閉じると、

「帰ってくれ」

 と一言言った。

「それは…了承されたと受け取ってかまいませんね?でないと、五代目に報告しかねます」

 芳山が目力を強めると、大力はまなじりを開き、忌々し気に喉を絞った。

「ほんまに、総代のご意向なんやろな?六代目を狙うもんの入れ知恵やないんか?」

 それを聞き、芳山は深くため息をつく。

「大力さん、もう十分に生きましたやろ?これからのことは若いもんに譲って、余生を大切にしなさい」

 大力はフンと鼻を鳴らし、

「あんたに言われとうないわ」

 と吐き捨てて口を固く結んだ。そんな大力の態度を見て、芳山は向かいの真奈美に手を差し向ける。

「この子はな、古橋ふるはしの出ですねん」
「古橋…?」

 そのワードに、大力はピクンと眉を上げた。

「そう、古橋。でもな、もうそんな時代やない。そんな言葉も、過去のもんにしなあかんのです。この子も、他の子も、立派に生きてます。あんたは散々古橋のもんを利用してきたけど、そろそろ開放してやってくれませんか?この通りです!」

 テーブルに額が付くくらい、芳山が頭を下げた。向かいで焼菓子を頬張る手を止め、真奈美が目をぱちくりしている。

「あんたに、言われとうない」

 しわがれた声が、広い病室を駆け抜けた。




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