【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第3部 他殺か心中か

俺が首謀者です

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 式場に入ると、すでに僧侶の読経は始まっていた。神崎かんざき一虎かずとらの告別式と比べると見劣りするが、それでも会場には大勢の参列者が詰めかけ、サッと座れそうな席は見当たらない。田岡たおか志四雄ししおは仕方なく一番後ろで立ったまま列席に加わった。

 先ほどの告別式がアリーナとするとこちらはライブハウスくらいだろうか……それでもライブとしてはかなり広い会場で、祭壇は白い花々で荘厳に飾られている。祭壇の左右にも多くの献花が寄せられており、きっと立て札には錚々たる名前が連ねられているのだろう…志四雄は式場を見渡しながらそんなことを思った。

 祭壇の中央からは藤原ふじわら美伽みかの遺影が悠然とした笑顔を向けている。志四雄は初めて彼女の顔を見たが、きっと何不自由なく育ったのだろう、その気品溢れる笑顔には一つまみの苦労の跡も感じられなかった。父親の悪事を知っていたならあんなキラキラとした笑顔は作れなかっただろうなと、志四雄は口の片端を上げた。

 喪主席の一番前には健吾けんごと思われる脂肪で膨らんだ丸い背中が小刻みに震えているのが見て取れた。朗々とした読経の声に時折甲高い雑音が混ざるのは、あの震えた肩の主から泣き声が漏れているのだろう。お互い親子の名乗りなど上げていないのだからこの葬式にも顔を出す必要はなかったのだが、自分は健吾のあの情けない姿を見たかったのかもしれない…先程六紗子むさしの言葉を振り切ってまでここへやってきた理由を、志四雄はそんな風に考えた。


(あんたはずっと大力だいりきの親父さんに付き従い、散々いい目をみてきた。でもな、その裏では大勢のもんが泣いてきたんや。結局あんたは自分の人生で一番大切なもんを失ったわけやけどな、それは自業自得というもんやで)


 志四雄は娘の死を偲んで泣く後ろ姿に心の中で語りかけたが、ふとその内容に、自分が言えた義理かと自嘲の念が湧き、鼻から息を吐いた。


 志四雄はホステスだった母親の私生児として生まれたわけだが、そんな自分を卑下することなく子ども時代を送れたのは、父親と思っていた大力を誇りに思っていたからだった。だが実はその大力とは血の繋がりがなかったと母から打ち上けられ、地獄に突き落とされた気分になった。ずっと拠り所にしていたものが崩れ去った瞬間だった。それでも大力に認めて欲しくて、プロボクサーとなり、最終的にはチャンピオンの座を勝ち取った。王者となった自分を大力は労ってくれ、宿願成就した気分で舞い上がった。だが、同時にそれは空っぽの自分と向き合うことの起点でもあった。志四雄にはそれからの人生のビジョンが全く無く、一体自分は何のために生きているのか、そんな自問自答の日々が始まった。

 それからは酒と女に溺れていった。特に北新地のホステスたちが、自分の虚しさを忘れさせてくれた。そしてそんな自分に一虎は勝負を挑み、見事に打ち負かしてくれた。ああ、これが血の繋がりの違いかと、また地獄に突き落とされた気分になった。

 今目の前で周りの目も憚らず娘の死を嘆いて醜態を晒している健吾の姿が、自分の未来像に見えた。自分も今のままの人生を続けていけば、遅かれ早かれあんな醜態を晒す羽目になるだろう…この会場に来て、そんな予感が確信に変わっていった。




 志四雄が自分の人生を見直すきっかけになったのは、絹川きぬかわ萌未めぐみの誕生日パーティーに赴いた時だった。綺羅びやかな高級クラブは萌未の名で飾られた祝い花で溢れ、大勢の客たちから惜しげも無くシャンパンを振る舞われる彼女の顔は表面上は笑顔に溢れていたが、心の底から楽しんでいる風ではなかった。北新地のホステスたちはその優れた見た目に反してどこか奥底に影を宿した女が多く、それが志四雄にも心地よかったのだが、萌未の影の濃さは群を抜いているように見えた。そして彼女は、酔いが回るごとにその鬱屈とした感情を散見させ、ついにはパーティーの終盤でそれを爆発させた。あろうことか、一虎の頭の上からシャンパンを振り掛けたのだ。最初それを見た時、自分の知らないそういう祝い方があるのかと目を疑った。だが一虎の顔がみるみる赤くなるのを見て、やはりそれは常識から逸脱した不作法なことなのだと認識できた。そして気がつくと、そんな萌未に称賛と羨望の目を向けていた。


 自分の人生、好きなように生きたらええんや、そんな達観した態度を、彼女の中に見ようとしていた。萌未のことを興信所を使って調査すると、実は彼女は健吾の隠し子であることが分かった。驚くべきことに、自分の異母妹だったのだ。彼女もホステスである母親の私生児として生まれ、自分と全く同じ境遇で育った。だが実際に会った彼女はそんな血筋など全く頓着していないようで、ただ己の思うままに突き進んでいるように見えた。

 愉快だった。

 彼女の邁進はその後も志四雄を驚かせてくれた。一虎の経営する風俗店や自宅で薬物が見つかった件も、裏で彼女が暗躍していることが分かっていた。志四雄の立場としても彼女を野放しにするのは危険だったが、心のどこかで彼女を応援してもいた。虎視眈々と獲物を狙い、着実に仕留めていくその姿に嫉妬すら覚えた。



 そして萌未は、ついに大力会の根幹にまで迫ってきた。萌未は榎田えのきだの裏帳簿の存在まで嗅ぎつけ、志四雄にしてももはや彼女を野放しに出来ないところまできていた。が、さすがにそこまで来ると、彼女が一人で辿り着けたとは思えない。萌未を裏で操る存在が見え隠れしていた。そしてついに、その存在は志四雄の前にその姿を現した。野崎のざき組の若頭、出来島できしまだ。

 出来島は巧みな言葉で志四雄のコンプレックスを突き、共に次世代の神代じんだい組を担おうと持ちかけてきた。このまま大力の下でいいように使われるだけでいいのか、そう言ってこちらの野心をくすぐり、反逆心を煽る言葉には傾聴すべき利もあるように思われた。だが志四雄は即答を避け、しばらく様子見を決め込むことにした。もし本当に大力を押し退けて自分が大力会のトップに立てるなら、それも悪くはないかもしれない。そうは思ったが、出来島から発される胡散臭さは拭えなかった。とはいえ、出来島は用心深い男だ。自分が断ったとしたら、大力会に二の矢三の矢を放ってくるだろう。そして真っ先に狙われるのは出来島の思惑を知る志四雄であることは明白だった。



 出来島は大力会の内部崩壊を狙って自分に声をかけてきたわけだが、一体どこまで大力会内部に出来島の影響力が浸透しているのか、それを見極めない限り、安易に出来島に乗ることも断ることも出来ない。そんな志四雄に取っても、それまで見えていなかったものが見えるようになるきっかけを与えてくれたのが、今回の事件だった──。



 人を殺した者とそうでない者とでは身に纏わせた空気感が全く違う。特に暗殺者となって人を意図的に手に掛けた者の纏う雰囲気は、もはや人間の枠を外し、物の怪にでもなったようなどす黒いオーラを発するようになる。リングの上とはいえ、数々の死闘を演じてきた志四雄には、そういう人間から発される淀んだ空気を読み取る力が人よりも備わっていた。そしてそのことは、大力の暗殺部隊と対峙した時に大きな溝となって彼らと自分との間を隔てていた。大力は志四雄にその道を歩まそうとしたわけだが、志四雄はプロボクサーになることによってそのレールに乗らずに済んだ。それが結果として、志四雄と暗殺部隊との間に溝を作ったのだった。


 一方で、出来島からは暗殺者と同じオーラが感じられた。もし彼が大力の暗殺部隊の指揮者になったなら、自分などよりもずっと彼らの気持ちを引き付けることが出来ただろう。いや、すでに出来島はこちらの暗殺部隊の内部にまでその触手を伸ばしてきているかもしれない…志四雄はそんな考えに囚われ、漆黒の影がずっと自分の背後に張り付いているような恐怖に全身を総毛立たせた。そろそろ限界が来ているなと感じた。そもそも、自分には神代組を引っ張るどころか、大力会を束ねる力も無いように思えた。



 一虎の告別式と同様に美伽の葬儀でも、読経が済むと同時にそそくさと会場を後にした。会ったこともない妹に、どうか成仏してくれと心で願いながら、会場の外で待つ涼宮すずみやの元ヘ向かう。会場入りする前に彼が入口付近で待機しているのは確認していた。式場のヌメッとした空気で湿った肌を冷気が刺す感覚を心地よく感じながら、入る時に見たのと同じ所に停めてあるグレーのセダンの窓を叩く。車内から涼宮と、もう一人若い刑事が踊り出てきた。

「えっす!遅くなってもて。約束通り、これから出頭させてもらいます」

 志四雄のその言葉を聞き、涼宮がニッコリと微笑み、車の後部ドアを開けた。横に立つ若い刑事が怪訝な顔を傾ける。志四雄は彼にニヤッとした笑顔を向けた。

「俺が今回の事件の首謀者です」

 ええーっと、若い刑事の驚声が駐車場に響いた。




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