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第3部 他殺か心中か

不幸の連鎖

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 大力だいりきは思った以上に恐い男だった。フジケン興業はその社名にこそ健吾けんごの名前を冠しているが、ほぼ大力がワンマンで隆盛させたようなものだった。だが大力は表と裏の世界の違いをよくわきまえていた。日本社会はよく建前を重んじる。大力はフジケン興業がゼネコンとして池橋いけはし市の代表的な企業に名を連ねるようになる頃には、神代じんだい組直参大力会の組長という裏の世界で押しも押されぬ存在となっていた。そんな大力が表立って動くと、住民から反対運動が起こる可能性もある。

 大力は自分が裏の世界で君臨する代わりに、健吾を表の顔に据えながら、その地盤を着々と固めた。榎田えのきだが池橋市のおおやけの代表になると、健吾と姻戚関係を結ばせることで、公私が裏で結託することで発生する利権を確固たるものとした。そうして大力は池橋に裏の院政を敷いた。


 そんな大力が特に力を注いだのは、都市計画に関連づけた大型多棟型マンションの建設だった。マンション候補地の地上げを着々と進め、時には間に公的資金を投入し、マネーロンダリングならぬ土地ロンダリングのようなこともしながら所有地を増やしていった。


 ある日、新地の料亭に現金で1億持って来いという指示が大力から入った。榎田に献金する為に用意した一部をそのままケースに入れ、健吾が直接持って来いという。指示通り、アタッシュケースに1億を詰めて指定された料亭へ向かった。 1億円はだいたい10キロで、ケースの重さも加わってなかなか重かったが、指定された料亭の座敷に運ぶと、そこにはすでに大力と榎田、それに篠原しのはらがいた。篠原は大力会の若頭で、池橋市の地上げの陣頭指揮を取っていた人物だ。

「ご足労かけましたな。ささ、現金はそこの棚に置いて下さい」

 大力が示した所にはまるでひな壇のように赤い布を敷いた棚が作られており、健吾がそこにケースを置くと篠原がそれを開けて中の現金をアングルを調整しながらピラミッド型に積み上げた。そして篠原は何と、ハンディカメラでその現金を撮りだしたのだ。

「ほんならまずは乾杯しましょうや」  

 大力にそう促され、オレは棚の向かいに用意された円卓に着く。榎田、大力、そして健吾が等間隔に座り、篠原は棚の反対側に立って、現金がしっかりと入るように三人を映していた。

 これはヤバい…

 健吾の脳裏に、危機感が募った。

「いやあ、大力さんも人が悪いですな。現ナマを肴に酒を飲むなんて」

 榎田もこれがどういう事態か分かっているはずなのに、ヘラヘラと酒の入ったグラスを掲げている。

「まあたまにはいいじゃありませんか。藤原ふじわらさんから先生に献上された金を拝みながらこうやってみんなで酒を酌み交わしたかったんです。私達の同盟に乾杯です」

 大力は同盟などと口にしたが、これは間違いなく健吾や榎田が反目しないようにする為の脅し材料にする魂胆だと察した。結局大力は、誰のことも信用していなかったのだ。イザという時のために恐怖政治を敷く、最終的にはそれが大力のやり方なのだった。



 だがそんな大力に思わぬ伏兵が現れる。大型マンション建設候補地の西の一角に横長のアパートが二棟あり、そこの住人が団結して立ち退きを拒否したのだ。手荒なやり方で地上げを進めていた篠原も、その住人たちの団結力の強さには手こずっているようだった。四十ほどあるその家々は一様に貧困で、一軒一軒は取るに足らない存在だったが、彼らのバックには人権擁護団体があり、さらにその背後には左翼を隠れ蓑にした反社会的勢力が控えているのだった。さすがの大力といえども、迂闊に手出し出来ない状況だった。

 健吾にはその状況を具体的にどう打破したのか分からない。おそらく、裏の勢力同士の何らかの談合があったのは間違いないなかった。アパートの住人たちは涼宮すずみやという篤志家とくしかを中心に団結していたが、後ろ盾がいなくなるともろかった。

 ある夏の日、涼宮の娘が入水自殺をして亡くなったのを皮切りに、傷心の涼宮が引っ越していくと後は砂上の城のようにボロボロと崩れ去っていった。さらにはなかなか土地を売ろうとしなかった大家も自殺し、そのアパートの土地は大力の手中に落ちた。二人の連続する自殺が、健吾には偶発的に起こったとは考えられなかった。大力…もしくは彼の手の者が手引きした…それは火を見るより明らかだった。




 ああ──!


 健吾の喉奥から嘆息の声が漏れる。


 もしタイムマシンがあり、三十五年前に戻れるなら、大力という男には深入りするなと自分に忠告しに行くだろう。思えば自分の今の不幸は、あの男と関わった時から始まっていたのだ──




 最後まで立ち退きを反対していた住人の住むアパートは、大塚おおつか不動産の持ち物だった。社長の大塚のことは健吾もよく知っていた。洋子ようこに言い寄っていたからだ。


 健吾が洋子に用意した店舗付きの家で、洋子はスナックを営業していた。おそらくそこで大塚と知り合ったのだろう、大塚の嫁もすでに他界していて、二人は結婚を意識する仲になっていた。そしてある日、洋子は健吾の家に訪れた。そこで嫁の美沙子みさことどんな会話がなされたか知らない。洋子の訪問の目的は、大塚と暮らしていくから今後は生活の支援はいらない、そんな主旨だったらしいが、そこで美沙子は健吾と洋子の間に子どもがいることを知ってしまった。

 その日、仕事から帰った健吾を美沙子は散々なじった。そしてそれ以降、決して良好と言えなかった健吾と美沙子の仲はさらに冷え切ったものになっていった。美沙子は健吾に汚物を見るような目を向け、健吾に取って家の中はさらに息苦しいものとなった。そして健吾は、そういう時にはいつも寄り添ってくれた洋子の側に大塚がいることを疎ましく思い、心の底で大塚を憎んだ。

 なので、大塚が自殺したと聞いた時は正直嬉しかった。

 ──が、それは大きな間違いだった。今の健吾には分かる。この時もし、洋子が幸せに暮らしていてくれたなら、今の健吾の不幸も起こらなかった。



 全ては繋がっていたのだ───。





 妻の存在が息苦しくなった健吾に取って、唯一娘の美伽だけが心の拠り所だった。あれは美伽が10歳になった時の父親参観だった。周りの平均的な父親の年齢からは一回り以上も離れている健吾はそういったところに顔を出すのは遠慮していたが、その時は美伽にせがまれて出席した。授業は国語で、教師は子どもたちに父親に向けた作文を読ませた。

 美伽の番になり、すくっと席を立つと、姿勢よく堂々とした口調で読み出した。美しい子に育ったなと誇らしく思った。


『わたしのお父さんは会社の社長をしています。いつも、夜遅くに疲れた顔で帰ってきて、ご飯も食べずにお口を開けてソファーで寝てしまいます。わたしは、社長さんって大変なんだなと思い、いつも毛布をかけてあげます。
 この前はお口からよだれがたれていたので、ティッシュでふいてあげると、何をまちがえたのか、わたしの手をお口の中に入れて食べそうになりました。

 そんなお父さんですが、わたしが小さいときに、動物園につれて行ってくれたことがあります。カバさんがいて、お父さんみたい、て言うと、笑って頭をなでてくれました。

 わたしは、そんなやさしいお父さんが大好きです』


 周りからは笑いが起こっていたが、健吾は肩を震わせて泣いていた。きっと美伽はこれを自分に聞かせたかったのだろう。美伽は読み終えるとチラッと後ろを振り向き、健吾の姿を認めると真っ直ぐに伸びた黒髪を揺らして顔を傾げ、にっこりと笑った。

 ああ、天使がここにいる、健吾はそう思った。






 だが、美伽は失われてしまった───





 あの日の幸せも、今の不幸も、全て繋がっている。大塚の死を娘の志保しほが不審に思い、健吾の周りを嗅ぎ回るようになった。そしてそこにもう一人、涼宮の娘の死を不審に思ったいた宮本みやもと拓也たくやが加わった。宮本はフジケン興業の不正を突き止め、その証拠を健吾に突き出した。




 工務店の一人親方を始めるのに弁護士や医者のような資格はいらない。それでも健吾は木造建築士や電気工事士などの資格を専門学校でコツコツと勉強して取ったが、学歴コンプレックスはずっと持っていた。なので娘には一流大学の家庭教師を付けた。それが、宮本だった。宮本はフジケン興業の不正を暴くために、藤原家に近づいてきたのだった。


 だが、宮本はただ会社を糾弾するだけではなく、正しい方向に軌道修正するべきだと訴えた。やがて健吾はその熱意に絆され、宮本の考えに同調するようになった。



 そして思った。今こそ、大力と手を切るべき時なのではないか──と。



 それが出来るなら、健吾に取っても願ってもないことだった。やがて美伽も宮本のことを男として好きになり、健吾も二人の結婚を願い、婚約を認めた。宮本の清廉潔白な力が新生フジケン興業には必要だった。



 ───のだったが────



 美伽と宮本の命は河の底に沈んだ。


 これも、大力の仕業だ──健吾は悟った。


 あの男と関わった日から、この不幸は始まっていたのだと───




「残った娘さんに、出来るだけ財産を残してやりなさい。それが、あんたさんに出来る唯一の償いやで」



 横から老人の声が聞こえ、また思考に沈んでいた健吾の意識が現実に帰る。そうだ、自分は娘を亡くした悲しみに囚われ、ふらふらと河川敷までやって来て、芳山よしやまと出会ったのだった。


 健吾は虚ろな目で芳山を見返す。


「あんたさんは娘の一人を亡くしただけやない。もうすぐ全ての財産も失うやろ。その前に、ちょっとでも隠し財産を作って、もう一人の娘に残してあげなさい」


 健吾は自分に話し続ける老人の唇を見つめるが、その言葉は頭の中に浸透してはいかなかった。




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