【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

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第3部 他殺か心中か

西天満署の名物

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 ポンポンと肩を叩かれ、デスクに突っ伏していた頭を起こし、柳沢やなぎさわは腕に垂れていたよだれを拭いた。

「時間やで。そろそろ行こか」

 時計を見ると9時50分、捜査会議まで後10分に迫っていた。大きく伸びをし、起こしてくれた丸山まるやま主任の後に続く。四階の大会議室前には「大川カップル車両入水事件捜査本部」と書かれた縦長の紙が白いプラスティックの板に貼られて扉横に立て掛けてあり、柳沢はしばしそのパソコンから起こして拡大コピーしたのであろう達筆な毛筆字を眺めた。

「ねえ丸さん、こういう事件の戒名って誰が考えるんすかねえ?」

 丸山も立ち止まってバーコード頭を掻きながら戒名に目を走らせる。

「そら、上の人の誰かやろ。ゴーサイン出すのは署長ちゃうか?」
「ふーん…何か、カップルてダサないすか?」
「こういうもんはな、読んで分かったらそれでええねん。分かり易さが大事なんや」
「そんなもんなんですかねぇ…」

 捜査員たちは事件名を戒名と言うが、それにも違和感を覚える。人が死んだときにつけられる仏の名前である戒名がどうして事件の名前になるのだろう、と。




 会議室に入ると、横長の会議用折り畳み式机が数十脚並び、それぞれ決められた位置に捜査員たちが座る。慌ただしく入ってくる刑事たちの人数を見て、柳沢は圧倒された。

「多くないですか?この会議の人数…」
「ああ、今回はな、本部から組対四課も出張でばってくるらしいわ」 

 組対四課…正式名称は大阪府警本部暴力団組織犯罪対策部第四課、暴力団が関与している事件を扱う部署で、通称マル暴と言われたりする。会議室を見渡すと、捜査一課とは明らかに風貌の違う厳つい面々が上座に向かって左側に陣取っていた。

「え⁉組対が出てくるってことはこの事件、暴力団が絡んでるってことですか?」
「それはまだ分からんけどな、可能性は高いらしいで」





 所定の位置に座り、上座を伺う。府警本部から出張ってきた捜査一課管理官を真ん中に、捜査一課長、組対四課長、天満署長、副署長などが両横を固め、白い壁を背に座っている。我らが強行犯係姫野ひめの係長の顔も、その一番端に天満署暴力犯係係長と並んで見えた。手を振りたい衝動に駆られたが、止めておく。

 捜査員の席はまず正面向かって右側の前に府警本部から出張ってきた捜査一課が陣取り、その後方に天満署強行犯係が並ぶ。左手も同じように前から府警本部の組対四課、そして天満署暴力犯係が後に続く。総勢60から70名の大捜査本部だ。捜査会議自体をあまり経験していなかった柳沢のテンションは次第に上がってきた。

「一課と四課の合同会議ってよくあるんすか?」

 横に座る丸山主任に小声で聞く。

「いや、俺も初めてやなあ、こんな規模の会議は。まさかこんな大事おおごとになるとはなあ」 

 あの早朝の霊安室に暴力犯係の岩隈いわくま班長がいたのを思い出した。ということは、亡くなった男性の方が暴力団と何らかの関わりがあるということか。あの時、遺体確認に連れて入った椎原しいはらがまさかの名前を口にした。もし我々の推察通り亡くなった女性が絹川きぬかわ萌未めぐみであったなら倉持くらもち検視官の言うように心中という線が濃厚だっただろう。しかし、椎原の口から出たのは藤原ふじわら美伽みかという全く予期しない名前で、男性の方の宮本みやもと拓也たくやとは婚約していたという。婚約者が心中なんてあり得ない。姫野係長はすかさず司法解剖を請求した。心中事件として処理したかった倉持検視官も、苦虫を噛み潰したような顔で了承していた。




「それでは、大川カップル車両入水事件の捜査会議を始めます。まずは臨場した西天満にしてんま署から臨場時の実況報告をお願いします」

 司会の管理官が会議開始の宣言をすると、姫野係長が受け継ぐ。

「では、柳沢巡査長、お願いします」


 ひいぃ!


 いきなり名前を告げられ、柳沢の喉奥から変な高音の声が出た。普通ここは酒である丸さんでしょ?と、隣りの丸山にすがるように目を走らせると、早く立て、というように丸山は顎を前へとしゃくる。これはイジメだ。訴えたら絶対勝つやつだ。心の中でそんな怨言を吐きながら、柳沢は恐る恐る立ち上がり、震える手で手帳を開いた。

「あー、ええと、だ、第一発見者は…」

 聞こえへんぞ!という野次が飛ぶ。

「柳沢!しっかりせえ!」

 上段の姫野係長から激が飛び、彼はハイッと背筋を伸ばした。そしてひとつ、深呼吸をする。

「えー、第一発見者は梅山トメ68歳で毎朝やっているように大川おおかわ沿いの公園でウォーキングをしていたところ、ドボンという大きな水音がし、音がした河面を見ると車両が沈みかけており、通報したとのことです。そこで我々が一早く駆けつけ……」


 顔面蒼白になりながら報告を終えると、丸山が口角を少し上げてポンポンと柳沢の肩を叩いた。



 その後、検視官から宮本の血液から致死量の睡眠薬成分が検出され、手に握っていた名刺は何者かによって死後握らされた可能性が高いことが報告された。


 続いて捜査一課長から被害者の身元について説明され、マイクが組対四課長に渡される。組対四課長は何故今回捜査に加わっているのかという経緯について説明した。

「捜査一課長から報告があった通り、マル害(被害者)の宮本はフジケン興業というゼネコン会社の専務でありまして、藤原美伽に至ってはその社長である藤原健吾の娘であります。このフジケン興業なんですが、我々は十数年前から前身の藤原建設を神代じんだい組直系大力会だいりきかいのフロント企業としてマークしておりまして、今回の事件は何らかの形でその周辺の暴力的組織が関わっている可能性が極めて高いと見て今回の捜査に加わっている次第であります」

 なるほど、そういう背景があるのか、と、柳沢は一報告終えてぼうっとした頭でそれを聞いていた。それから報告は組対四課に引き継がれて大力会についての説明などがなされた後、管理官へとマイクが戻る。

「という訳で、今回は一般的な殺人事件、そして暴力団が関与した事件の両面から捜査に当たることとします。一課、四課とそれぞれ捜査手法は異なると思いますが、今回はそういった垣根を超えて協力し合うように!お願いしますね」

 管理官の凛然とした言葉に、ハイッとその場の捜査員たちの野太い声が部屋いっぱいに充満した。

 そして、話題は操作手法へと移る。

「まずは現時点での重要参考人である絹川萌未の確保が最優先事項と思われますね」
「はい。私どもはそこにある程度の人員を当てたいと思います。その絹川のマンションに住んでるという椎原のコウカク(行動確認)も必要ですね」

 捜査一課長がそう言うと、捜査一課の中からハイッと声が上がり、先方で真っ直ぐな手が伸びるのが見えた。

涼宮すずみや班長、どうぞ」 
「はい。そのコウカク、うちの班にやらせて下さい」
「うん、涼宮んとこなら安心して任せられるな。あと、所轄から何人かサポートに出せますか?」

 管理官の言葉に、姫野係長が首肯する。

「では丸山班、涼宮班のサポートに回るように」 
「はい、承知しました」

 丸山班長が真っ直ぐな挙手した。






 この捜査会議の後、柳沢は姫野から大目玉を食らうことになる。

 捜査一課が絹川の捜索に全力を注ぐと言っていたのを聞き、そんなことは椎原に聞けば済むのではと、柳沢は椎原に電話を入れた。


「柳沢です。今朝は協力いただき、ありがとうございました。実は事件を捜査するに当たって絹川萌未さんの行方を探しておりまして、椎原さんが最後に絹川さんに会った日時などを教えていただきたいんですが…」
「萌未が容疑者になってるんですね?」

 椎原はこちらを訝るトーンで返す。

『いや…参考に知りたいだけで…』

 誤魔化そうとすると、椎原はこんなことを聞いてきた。

『なぜ事故ではなく、事件として捜査されるのか、はっきりした理由があるのなら、教えて下さい。でなければ、参考程度の話に友達の情報を話す気になれません』
「ええ!?いや~困ったなあ…」

 捜査上の情報を漏らすわけにはいかなかったが、どうせすぐにマスコミが嗅ぎつけて公表されるだろうと、椎原に亡くなった宮本の体内から致死量の睡眠薬が検出されたことを告げた。そして、椎原から萌未の情報が語られるのを待った。が、その願いも虚しく、椎原からは思うような情報は取れなかった。

 功を焦った自分の勇み足を悔い、この件は一応丸山主任に報告したが、すぐに姫野係長にも伝わった。

「あんた、椎原に電話したんやって?」
「は、はい…」

 やばい!と、柳沢は身を竦める。そして、いつもにも増して、姫野の怒声が飛ぶ。

「あんたはアホかああぁ!!」

 西天満署の大部屋の空気が揺れた。

「あんたは二つの大きな過ちを犯した。それが何か分かるか?」

 柳沢は項垂れ、泣きそうになりながら、分かりません、と答えた。いや、彼はもう泣いていた。

「まず一つは個人プレーをしたということや。何の為にこうやって会議してんねん!勝手な行動をすんな!」
「はいぃぃ」
「もう一つはな、そういう重要な情報の聞き込みは必ず相手の目の前で聞くんや。電話で済まそうなんて横着すんな!」
「は、はいぃ…申し訳ありません…」

 一通りの叱責が終わり、柳沢は悄然と自分の席に戻る。チクるなんてひどいですやん、と丸山を睨むと、丸山は箱ティッシュを差し出してくれる。それで目の回りを拭い、鼻をかんだ。

「何もこんな大勢の前で怒らんでもええのに…」
「もうある意味うちの強行犯係の名物やのう」

 しょぼくれた柳沢の肩をポンポンと叩き、丸山は笑った。そのやり取りもいつも通りで、ここまでが名物のワンセットなのだった。





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