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第2部 萌未の手記

議員秘書を落とすミッション

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 ハザマの世界──

 もしそんなものがあるとすれば、あたしは間違いなくそこに迷い込んでいたと思う。



 涼平りょうへいと一夜を共にした次の日、あたしたちは一緒に大学へ向かったのだったが、昼食を取ろうと訪れたオープンテラスのあるレストランで、拓也たくや美伽みかが寄り添って食事をしているのを見た。


 この時、あたし復讐への意欲をはっきりと自覚した。




 その夜、若名わかなから帰ったあたしを拓也はリビングで待ち構えていた。話がしたいとメールを受けていたので、あたしの方も一応拓也の言い分を聞こうと拓也の家に帰った。

「一昨日、店に出来島さんが行っていたね。彼とどんな話をしたんだい?」

 開口一番そう聞かれ、あたしはテーブルにバッグを投げ出し、拓也の前にどっかりと腰を下ろす。


「そんなの言う必要ないでしょ?あんたこそ何よ、大学まで乗り込んで未来の奥さんとラブラブしてて。よろしいですなあ?」
「それで…社長が僕と美伽の婚約の話をしたから君は帰って来なかったのかい?」

 違うわよ…!

 でもそう思わせといてもいっか。

 あの話で気分悪くなったのは確かだもの。

「だったら何よ?婚約止める?」

 今度は深いため息をつく。そういえばあたしと住むようになってから、拓也の楽しそうな顔を見たことないな…そこはちょっと申し訳ない気がした。

「前にも言ったように、僕と美伽の婚約は単純な話じゃないんだ」
「意思とは関係なく婚約するわけ?何でよ、その話、詳しく聞かせてよ」
「それは…」
「ほら!拓也やって肝心な話になると口をつぐむやない!だったらあたしもあんたが聞くことに答える義務なんてない」

 あたしの言葉で拓也がテーブルに手を伸ばして顔を埋める仕草を何度見たことか…。

 だがこの日、拓也は決定的なことを口にした。

「もし婚約を無しにすると、美伽に危害が及ぶかもしれないんだ……」


 その言葉に、あたしはあんぐりと口を開けて拓也の顔を見つめる。

 そっか……

 拓也は結局、美伽のことを想って行動してるんだね、納得。

 いいよ、それで。

 それはあなたの生き方なのだから…。

 だったらあたしの行動にはもう、金輪際口を挟まないで。



 あたしはこれらの言葉を頭に過ぎらせ、その全てを飲み込んだ。



「寝る」


 ただそう一言だけ言って、二階に上がる。拓也が何かを言いかけたが、足早にその場を離れた。


 優しい拓也のことだ、きっとあたしのことも心配してくれてはいるんだと思う。

 でも、大丈夫よ。

 心配しないで。

 あたしのいつも冷静な、お・に・い・ちゃん!







 そしてその数時間後の昼に、早速出来島できしまから電話がかかってきた。

『やっと出ていただけましたね。それでは早速ですが、榎田えのきだ議員と接触する方法について説明します。といっても、あなたには直接榎田に会っていただく訳ではありません。榎田の秘書である小山内おさないに接触して欲しいのです』
「おさない…さん…ですか?」
『そうです。小山内は榎田が議員当選した当初から秘書をやっている人物で、今は榎田の金庫番というポジションにいます。その彼を何とかあなたの力で落としていただきたい』
「落とす…?」
『そうです。あなたに惚れさせるということです。方法や手段は問いません。そして、榎田の重要な情報について口を割らせるのです。決して簡単なミッションではありませんが、私はあなたの腕を信用します。あなたならきっと彼を落とせるでしょう』

 ホント、簡単に言ってくれる…

 女に惚れたくらいでそんな重要な情報を簡単に口を割るかなあ?

『これはあなたに取っても有益なミッションになると私は思っています。何故なら、小山内はずっと榎田に寄り添っています。あなたが知りたい情報もきっと知っているでしょう』

 あたしの知りたい情報、それは誰が志保姉の死に関与しているか、ということ。もしその秘書が知っているというなら、確かに有益だ。

「分かりました。で、具体的にどうしたらいいですか?」
『小山内は毎週木曜の午前中は池橋いけはし市にある榎田の選挙事務所に顔を出して住民の陳情を聞いています。そこに顔を出して直接彼に会ってみて下さい。小山内の写真は隆二りゅうじに持たせます。明日がちょうどその木曜ですから、ぜひ下見も兼ねて赴いてみて下さい。小山内は若い頃から議員秘書一辺倒でやってきた男です。女の方はからっきしだと聞きます。きっとあなたの魅力にハマりますよ。事が進展したらまた次の指示を出します。では、朗報を期待していますよ』

 出来島はそう一方的に要件を伝えると電話を切った。ほんと、まるで悪の幹部が戦闘員に司令しているようだ。


 こうして第5のターゲットである榎田を落とすべく、ミッションが開始された。




 榎田えのきだの事務所は池橋いけはし駅を北に道路を渡った所から北へ伸びる商店街のアーケードの中程にあった。

 シャッターの閉まった店がちらほらある中でその一角だけはデカデカと笑っている榎田議員の写真とカラフルな文字が散りばめられたのぼりや看板が周りの雰囲気と一線を画して浮き立っていた。

 白髪交じりのグレー髪の、黒縁眼鏡の生真面目なおじいちゃん、それが小山内の印象だった。私腹を肥やす悪代官のような榎田議員の古くからの秘書と聞いていたので、もっと刺々しい人相を想像していたので、人柄の良さが滲み出ているやせ細った風貌が意外だった。

 小山内は最初からあたしに同情的だった。というのも、初接触の時に隆二も一緒にいたのだが、隆二は相変わらずギラついたスーツ姿だったので、比較的地味な姿で事務所を訪れたあたしに、ヤバいお兄さんに纏わりつかれている気の毒な女の子という認識を持ってくれたみたいだった。

 あたしはその勘違いを利用し、小山内の同情をさらに煽るような言動をし、さらに接客業で培ったおじさまを籠絡させるテクニックも駆使し、小山内をあたしに魅了させた。小山内曰くあたしは彼の初恋の人に似ているらしく、そのこともプラスに働いてくれた。


 そしてあたしは小山内をホテルに連れ込み、あわや抱かれるというすんでの所で部屋に忍び込ませていた隆二に写真を撮らせ、それをネタに脅した。小山内はあっさり自分の罪を認め、何と榎田を正体を世間に知らしめることの出来る決定的な証拠の品を提供してくれた。


 ホントを言うと、小山内があたしとホテルに入ったところで何の罪にもならない。彼は妻に先立たれて独り身だったし、あたしはすでに二十歳はたちを超えている。だけど隆二の厳つい風貌に必要以上にビビり、榎田の事務所の裏帳簿などをあっさり出してくれたのだ。


 小山内には気の毒なことをしたと思ったが、そもそも彼も悪徳議員の片棒を担いでいるのだ。そこは割り切って、裏帳簿を受け取った。




 
 拓也はあたしが出来島と手を組み、行動を起こしていることを察知し、それを危惧した。それは危険なことなんだと何度もあたしを諌めた。あたしが聞く耳を持たないでいると、酔って若名わかなに一人で来たこともあった。



 そんな拓也を見ていると、意固地に彼を拒否るのも違う気がしてきていた。だから、拓也が志保姉とよく食べに行った池橋市の牡蠣料理屋を予約し、二人でゆっくり食事をしようと誘ってきた時はそれに乗った。そして当日拓也から、今まで話してくれなかった志保姉が若で働き出した動機を聞き出した。




「志保が新地で…若名で働くと決めた理由…それは、綺羅きらママが在席していたからさ」
「え、綺羅ママ⁉」

 全く意外な名前では無かったが、志保姉が入店した先に綺羅ママがいたわけではなく、綺羅ママありきで入店していたというのはちょっと驚きだった。

「そう、綺羅ママ。誰から志保はその名前を聞いたのかは、今となっては僕にも分からないんやが、志保は自分の父親の死因が不動産絡みであることはある程度掴んでいて、そこに当時のフジケン興業の前身、藤原ふじわら建設が関わっていることも法務局を回ったりして知っていた。そしてその藤原建設に関して重要な情報を綺羅ママが持っていると睨んでいたんだ。それに若名には社長である藤原健吾けんご自身もよく飲みに行っていて、本人にも直接当たれるという算段があったんだと思う」
「で?志保姉は綺羅ママから情報は取れたの?」
「いや、僕の知る限りでは取れていないと思う。でも、君はそれがどんな情報なのか知っているんだよね?」


 おそらくそれは、あたしが入手したUBSメモリーに入っていた内容だ。フジケンと榎田、それに大力だいりきが札束を前に談合している内容………



「ね、そういえば、拓也はここで志保姉にプロポーズしたのよね?」
「プロポーズ…そんな洒落たものではなかったけど、結果的にそうなるのかな?志保も喜んでくれたしね。でも志保は当時喪中だったし、形式的な意味での喪が明けてからも志保の心の中はずっとお父さんに対して弔いの火が灯ったままやった。なので僕としては早くその喪を明けさせないといけない。そういう意味でも協力を願い出たんだ」
「で、藤原建設に入社したのよね?」
「ああ、そうだね。でも、ただ志保に協力するためというのとはちょっと違うかもしれない。僕の方にも、藤原建設には思うところがあったからね」


 拓也は拓也で、幼馴染が亡くなった死因を探るうちに藤原建設にぶち当たった。そして二人はやがて共闘し、そのうちにお互いを好きになった………


 もし………


 もし二人が過去のことなんかに囚われず、未来にのみ目を向けていれば、今頃二人は結婚し、拓也はあたしのお兄ちゃんになっていたかもしれない……



 そんなパラレルワールドの世界を思い描き、涙が出た。

「あれ?泣いてるのかい?」
「な゛い゛でな゛い゛」
「いやすごい鼻声になってるけど?」

 その店からの帰り道、家への坂を登りながら、あたしは拓也と腕組みをし、熱燗をたらふく飲んだ勢いにまかせてお兄ちゃん、お兄ちゃんと連発していた。

「本当に君は気性のコロコロ変わるお姫様だね」
「あら王子様、じゃあ今夜は一緒の布団で寝ちゃいますか?」
「いやいや、私には婚約者がおりますゆえ、今宵は一人で寝て下さい」
「ぶ~!」


 そんな軽口もこの時は叩けた。

 冬間近の冷たい風が火照った肌を冷ますと同時に、この時ばかりは心の奥の灯火までも消していくような気がしていた───。




 だが、あたしと契約した悪魔は、容赦なくあたしと関わる人間を煉獄へと引っぱっていく。

 それから間もなくして、小山内が首を吊った───。





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