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第2部 萌未の手記

藤原美伽

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 藤原ふじわら美伽みかと始めて同じクラスになったのは、小学三年生の時だった。小学校の二年間を同じクラスで過ごし、その後また中学三年生で同じクラスになった。

 奇しくも涼平りょうへいと同じクラスだった年に偶然美伽も一緒だったわけだが、別段それは珍しいことでも何でもない。あたしが住んでいた校区に大きな団地が出来、それに合わせて小学校と中学校が新設された。その小中学校の生徒はほとんど団地に住む子で埋まり、クラスも小学校で一学年二クラス、中学校でも四、五クラスと小規模なものだった。なので、一度クラスメイトと離れてもまた同じクラスになることは確率的に珍しいことでも何でもなかったのだ。



 あたしとしては、涼平と同じクラスになることは大、大、大歓迎ですごく嬉しいことだったけれど、それに反し、美伽のことは大嫌いで、中学でまた同じクラスになったことは喜ばしいことではなかった。

 そして、今でも最大の不幸だったと思っている───。




 あたしは幼い頃、感情の乏しい子どもだった。当時スナックで働いていた母さんは日々の生活で手一杯で、あたしの存在はほとんど放置していた。身なりも汚く、何日も同じ服で登校するなんてこともしょっちゅうだった。クラスの子たちはそんな汚いあたしのことを敬遠し、鼻息の荒い男の子たちなんかにイジメられたりもした。でもそんなことには慣れっこで、大人になった今でもその当時のことがトラウマになっているなんてことはない。あたしは一人遊びが大好きだったし、別段寂しいとも思っていなかった。


 だけど美伽は…美伽だけは周囲の子どもたちとは違って何かとあたしに纏わりついてきた。あたしはそれが鬱陶しく、また怖かった。

 美伽はあたしとは正反対の存在で、毎日カラフルで綺麗な服を着ていたし、いつもキラキラとした笑顔を周りに振りまいていた。彼女はクラスで人気者だったし、そんな彼女が何かとあたしに構うことにクラスの子たちは怪訝な顔をしていた。

 地中の虫に光を浴びせたら逃げ出すように、あたしには彼女の存在が嫌でしようがなかった。今から考えても、彼女さえ放っておいてくれたら、あたしは注目されずにもう少し平穏に過ごせたのではないかと思ってしまう。彼女に悪意があったのかどうかは分からない。だが、彼女がなぜあたしのことを必要以上に構うのか分からなくて怖かったし、あたしへのイジメも彼女のせいで加熱していたのではないかと思ってしまう。



 イジメに関して言えば、あたしは志保姉しほねえと出会ったことで強くなった。家に帰れば絶対的な味方である志保姉がいてくれる…そのことで学校で起こるどんな嫌なことにも耐えられた。

 六年生になり、あたしは学習発表会でヒロインを演じ、今まで浴びたことのないスポットライトを浴びた。あたしは心底地中の虫のようにジメジメと湿った場所に居心地の良さを感じる質だったので、志保姉と出会えなかったらそんな日の当たる場所へは一生近づかなかっただろう。ただ志保姉に近づきたい、その一心で舞台に立った。結果、あたしはそれまで感じたことのない達成感を味わった。だけどその一方で、クラスでのイジメはまた加熱した。本来ヒロインを演じるはずだった子は交通事故で不運にも舞台に上がれなかったのだが、そのやり場のない怒りをあたしに向けた。あたしはクラスの女の子たちから完全に無視され、男の子たちからは事あるごとにイジられた。


(あんたには人には無い強さがあるんだよ。だから、自信持ちなさい。そして、どんなことがあっても、私はあんたの味方だからね」


 それでも、志保姉の言葉はあたしを強くしてくれた。中学校に上がっても小学校を同じくした子たちからの無視は続いていたが、そんなことくらいで動じない強さが身についていた。

 そんなあたしの周りには、いつしか同じはみ出しもんが集まってきた。あたしのことを慕うギャル友たちに囲まれるようになり、孤独感は次第に薄らいでいった。

 クラスではそれがかえって浮いてしまう要因になっていたのだけど………



 そして中学三年生になり、この年、あたしは本格的に美伽のことが嫌いになった。

 美伽の方はというと、あたしと同じクラスになったことを喜び、相変わらず空気を読まずにあたしに纏わりついてきた。美伽には小学生の時の煌めきに女性的な可憐さが加わり、クラスのアイドル的な存在になっていた。なので、学校では極力存在感を消して地味にしていたあたしはまた悪目立ちし、クラスのほとんどの女子たちからは輪をかけて嫌われる存在になっていった。



 それでも、あたしには志保姉がいたし、この年には同じ教室に涼平がいた。それだけで十分幸せだった。

 だけど、始終涼平を追っていたあたしの目線に、美伽は気付いた。涼平はお手製の立体パズルをクラスで流行らせていたのだが、美伽はあたしの手を強引に彼の元へと引いていき、他のクラスメイトが並ぶのを押し退けてあたしにそのパズルを借りさせた。

 久し振りに、涼平と話した。あたしが母さんの再婚で絹川きぬかわから大塚おおつかへと姓が変わっていたからか、分厚い黒縁眼鏡をかけるようになっていたからか、彼はあたしのことを小学校の同級生とは気づかないようだったが、他の生徒たちと別け隔てなく接してくれたのは嬉しかった。し、この時ばかりは美伽に感謝した。


 が───


 結果、涼平は美伽のことが好きになった。

 きっかけは多分、あたしの計画からだった。よせばいいのに、あたしは涼平を眺めるだけの日々から欲を出し、涼平の心をあたしに向かせようとネットで調べた悪魔の契約なるものを実行した。涼平の誕生日にあたしの血の入ったドクロのキーホルダーをプレゼントし、その代わりに涼平のハート型パズルの一部品を持ち帰った。これで心の交換が成立し、涼平の心はあたしに釘付けになるとほくそ笑んだ。


 あの日は小雨が降っていた。パズルの部品を無くしたと嘘をついたあたしに、クラスの女子たちが噛みついた。あたしは運動場で無くしたと嘘をつき、自習時間に一人、探しに出た。そんなあたしを、涼平が目で追っているのは分かっていた。雨に濡れた見窄らしい姿を曝すことで、涼平の同情を引きたかった。我ながらあざとかったと思う。だけど気づくと、隣りに美伽の姿があり、あたしと一緒に部品を探していた。そしてあろうことか、涼平はあたしではなく、そんな美伽の姿に惚れてしまった。

 あたしはとんだピエロだった──。

 そしてその日から、美伽のことが大嫌いになった。




 この年、大塚のお父さんが亡くなり、あたしは志保姉と暮らすことになった。あたしは定時制高校に通いながらアルバイトで生活費を稼ぐ日々だったが、涼平と美伽は同じ高校に通うことになっていた。

 涼平の美伽への想いはどんどん募っていたようだったので、きっと涼平が美伽のことを追いかけたのだろうと思った。

 あたしに取ってはもうどうでもいいことだったが、美伽はなぜか、事あるごとにあたしに連絡を寄こしてきた。あたしも涼平の近況知りたさに美伽の連絡を受け、二年生時に二人がまた同じクラスになったと知った。二人が通う高校は二年から三年に上る時にクラス替えが無いということだったので、二人はまた二年間を同じクラスで過ごすということになる。ちょっと、嫉妬した。


 そして──


 志保姉が亡くなり、あたしは一人ぼっちになった。整形し、志保姉のかたき討ちに生きると決めた。



 整形して退院した日、あたしは別人のようになった顔に戸惑い、不安な心を鎮めようと、気がつくと生まれ育った池橋いけはしの街を歩いていた。志保姉を除くと唯一の心の拠り所だった涼平と会いたかったからかもしれない。

 ショーウィンドーに映ったあたしに違和感を覚えて立ち止まった。眼鏡はすでにコンタクトに変えている。パッチリした目元に可愛らしい唇。通りすがりの男性の目線がいちいちあたしと合い、美人になったんだな、と思う。けど、あたしは世の女性たちのように、幸せを求めて整形したんじゃない。あたしは、心の奥底で蠢く怨恨に身を委ねたのだ。


 無性に人恋しかった。


 あたしは美伽に電話し、駅前の喫茶店に呼び出した。

 しばらくしてやって来た美伽はあたしの顔を驚いた様子で、

「萌未……綺麗になったね…」

 と、躊躇いがちに言った。

「あんたのせいよ」
「え?わたしのせいで……綺麗になったの?」
「そうよ。正確に言うと、あんたがのうのうと幸せに生きているせいであたしがこんな顔になったのよ」

 美伽の笑顔がひきつり、あたしはちょっと胸がスッとする。

「あ、ええと…萌未めぐみ、元気でやってるの?」
「見ての通り、こんな顔になるくらい病んでるわよ」
「え、ええと……」

 いちいち困った顔をするのが、ちょっと楽しい。

「あ、ええとね、これ、見て」

 あたしのツンケンした言葉に戸惑いながら、美伽は大事そうに持ってきた筒上の画用紙をあたしの前で広げた。

 洋風の家を振り返りながら涙を流す女性の絵、その下には『人形の家』とレタリングされている。

「何よ、これ」
「これね、今度私たちのクラスでやる劇のポスター。椎原しいはらくんが描いたのよ。萌未にも見せてあげようと思って持ってきちゃった」

 あたしはその絵を見て、顔を歪めた。

「この絵の女……」
「あ、分かる?わたしなの。わたしね、主役に選ばれちゃって。萌未、見に来れない?」

 もの悲しげな女の横顔が本当によく美伽の雰囲気を捉えている。これはもうただ絵が上手いというより、涼平の美伽への想いが切実に表れていて、あたしは顔を背けた。

「行かない。あたし、あんたらのお遊戯に付き合うほど暇やないの」
「お遊戯やなんて……ひどい…」

 美伽は悲しげにポスターをまた丸めた。と、その背後のガラス越しに当の涼平の歩く姿があった。

 あたしたちは即座に喫茶店を出て涼平の跡を追った。涼平は本屋に入り、美伽をそこへ向かわせる。

 その時に美伽が取ってきた情報で、涼平が神戸国立大学を目指していることを知った。いや、正確に言うと、美伽にそう仕向けさせた。


 あの時……


 あたしには涼平と同じ大学に通うという淡い期待があったのかもしれない……


 そして、実際に涼平のクラスメイトになった今、あの中学三年生の時と同じように、あたしの前にはまた美伽の存在が立ち塞がっている。



 笑いがこみ上げてくる──



 拓也たくやと婚約?

 もし……もしフジケンが志保姉を死に追いやった元凶だと裏が取れた暁には、拓也ともどもあなたを地獄へ突き落としてあげる───。




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