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第2部 萌未の手記

見失った青春

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 あたしと宮本みやもとはしばらく睨み合った。夜中の部屋に静寂が満ち、空調の音だけがサァーッと鳴っていた。

「ねえ、めぐちゃん、あなた、何かやりたいことはないの?」

 やがてなっちゃんが静寂を破る。

志保姉しほねえの…かたき討ち」

 あたしは宮本から目を離さないで、そう言った。なっちゃんが深いため息をつく。

「もう、いい加減にしなさい!その気持ちはね、拓也たくやも、そして本当に志保が殺されたんだったらこの私も、同じよ。でも今はどうしょうもないでしょう?拓也もじっくり時間をかけて証拠を集めていってるんやない。その努力を無駄にするの?それって結局、志保を死に追いやった相手の思うつぼにならない?」
「じゃあ…あたしには…何にもできない…て…言うの…?」

 あたしの心は志保姉が死んだ日以来ずっと張り詰めている。結局そんな気持ちなんて誰にも分からない…そんな思いと同時に、涙が溢れてきた。宮本はそんなあたしから目線を外すと、静かに息を吐き、

萌未めぐみちゃんにも手伝ってもらうことはあるかもしれない。でも、それは今じゃない。今はじっと待っててくれないか?僕はきっと君の満足する結果を持って来るし、その時は必ず君にも助けてもらうから」

 と言って深々と頭を下げた。

「めぐちゃん、思い出して。私たち、ホステスを食い物にする綺羅きらママたちを懲らしめること出来たわよね?みんなでやれば、きっとまた上手くやれる。私たちはチームよ。そして、今は拓也のターンなの。今は静かに見守ってあげましょ?」

 なっちゃんの優しく諭す言葉が、今は痛かった。

「ほら、涙拭いて」

 なっちゃんがティッシュケースから取ったティッシュで涙を拭ってくれる。

「ほーら、いい子でちゅねー。お鼻もかみましょ。ほら、チーンして」

 チーン

 向かいで宮本がプッと笑う。

「にゃにが可笑しいのよ?」

 完全に鼻声な自分の声にあたしも笑ってしまった。

「いや、ごめんごめん。君は志保に取って本当に可愛い大切な妹さんだったんだなって思って」
「そうね、そして私たちの可愛い妹よ。めぐちゃん、水商売だけやるんやなくて、昼間何かやってみなさいよ。例えば…やりたいこと見つけて学校に行くとか。ずっと一人でいるから寂しい思いに沈み込むのよ。前にも言ったけど、一緒に暮らさない?ご飯くらい作ってあげるよ。学校行って、好きなことやって。どお?」

 今さら、学校?

 あたしの脳裏に、一人の男の子の顔が過った。

「あたし…行くんなら大学…行きたい」
「大学ぅ?どこか行きたいとこあるの?」
「うん。神戸の…国立の…」
「神戸?まーたすごいこと言うのね」
「いや、いいんじゃないかな?高卒検定受けて。僕でよければ家庭教師やってあげるよ」

 思いつきで言ってみたが、意外にこれはいい案かもしれない。宮本の提案に、あたしは顔を上げた。

「本当!?あたし、じゃあ大学受験目指してみようかなあ?」

 宮本はにっこり笑い、しっかりと頷いた。




 まさか本当に大学生になるなんて、この時は思っていなかった。

 あたしは志保姉と生活を共にすることになり、志保姉がいない夜の間に勉強できる大阪市内の定時制高校に通いながら昼間はちょっとでも生活の足しにとアルバイトをする毎日だった。志保姉は学業に専念するように言ってくれていたが、あたしはただ志保姉と一緒に暮らせるだけで満足だったし、志保姉だけ働かせるのも嫌だった。そして、志保姉との二人だけの生活を満喫していた。

 なのに──

 志保姉は死に、あたしは一人ぼっちになった。あの日からあたしは志保姉の敵討ちだけを考えて過ごしてきた。定時制高校も辞め、新地のホステスとなった。



 今更大学に入って青春を謳歌しようなんて思わない。今だってあたしは志保姉の敵討ちを果たすことだけを目標に生きている。

 その一環として、だ。まずは宮本の持つ情報が欲しい。その為には彼の懐に入らなくてはいけない。宮本があたしの家庭教師をしてくれるというのなら、それに乗って定期的に彼とコンタクトを取れる状況に持っていき、いつか隙を突いて情報を取る……そう考えて、あたしはニヤリと顔を綻ばせた。




 かといって、本当に受験に専念する気なんてサラサラ無い。一方であたしは自分に取れる情報をさらに深めていくことを考えていた。

 そのための有力な人物が一人いる。

 綺羅ママだ。

 何とか彼女と接触し、志保姉が何を探っていたのか、聞き出せないだろうか──?






 店はカレンダーの都合上、年末年始の9連級という長い休みに突入した。

 あたしは本屋で高卒認定試験の参考書を買って解いてみたり、目標大学の赤本を眺めたりしていたが、三賀日が明けた4日には花屋で薄いピンクのスイートピーと赤いカーネーションをそれぞれ花束にしてもらい、さくらの入院する病院へ向かった。


 まずはさくらの病室へ向かう。

沙紀さき、明けましておめでとう」
「わあ~可愛い。ありがとう、めぐみん。そんで、明けましておめでとう、やね」
「どう?怪我の具合」
「うん、だいぶ和らいできたよ」
「そっか、よかった。早く退院できるといいね」
「退院かあ…」

 さくらはスイートピーの花束を枕元と窓の間にある小物入れ兼テーブルの上に置き、少し頭を伏せた。

「どうしたの?具合悪い?」
「ううん、違うん。ええとね、ええと…」

 頬は紅潮し、血色は良さそうだ。

「ん?どしたぁ?」
「沙紀ね、めぐみんやから言うんやけどね、好きな人できたかも…」
「ええっすごいやない。どんな人?」
「えーとね、沙紀を診てくれてる先生なん…」

 さくらは顔をさらに赤らめ、布団を鼻が被るまで上げた。

「そやから、もうちょっと入院してたいかなあ…って」

 あたしはさくらのすぐ横に腰を乗せ、頭をなでなでする。

「よかったやない、もお!青春しちゃって」
「えへへぇ」

 顔いっぱいに笑顔を作るさくらを見て、本当によかったな、と思う。その先生とうまくいくかどうかは分からないが、さくらがしっかりと笑顔で前を向いていることに心がほっこりした。


「あれ、萌未ちゃん、よう来てくれて」

 そうこうするうちにさくらのお母さんが戻って来た。

「母ちゃん、お花、もらったん」
「あれぇ、可愛い。花瓶借りて来な、いけんねえ」

 お母さんは買ってきたお菓子類などを小物入れに納めながら、ちらっとあたしの持っているカーネーションを見た。

「あ、これはもう一つ、病室にお見舞いしようと思ってまして…」
「ええ⁉めぐみん、ひょっとして綺羅ママんとこ行くん?」

 さくらがびっくりしたように聞く。

「そうそう、あんた、綺羅ママいうたら…」

 お母さんも曇った表現をこちらに向けた。

「なんや、沙紀がこないになった元凶の人なんですやろ?こっちに悪さして来んやろかって心配しちょるんですよ?」

 大方の事情はさくらに聞いて知っているんだろう、まあ母親としては当然の心配か…だが綺羅ママにしてみればさくらは全く意中の外にいる人間のはずだから、無用の心配だと思う。

「大丈夫ですよ。沙紀ちゃんはあたしを庇ってくれただけで、綺羅ママとは何の怨恨も無いはずですから」
「そうですか?ならいいんやけんど…私な、看護師さんに聞きましてん。何や、お見舞いに来る人も全然おらんと、一日中ずっと黙っちょるまんまやて。何や気味悪うて」
「そうですか…お見舞いに誰も…?」

 仮にも大型店のママを張ってた人だ。見舞いくらい来るホステスはいないのだろうか…?

 それと、彼氏だというヤクザ。

 働けなくなればお払い箱なのか?

「もし別の病院やったら行かないと思いますけど、ついでなので…」

 お母さんは怪訝な顔であたしを見たが、あたしはそれ以上何も言わずに誤魔化した。

「ほうですか?そうそう、そういえば店長さんもそんなこと言ってはりましたなあ。ほんでうちにもオーナーママさんからようさんお見舞い金もうて。沙紀はいいお店に働かせてもうちょったんですなあ」

 黒田くろだ店長も二つの病室を見舞ったんだ。たくさんの見舞金…百合子ゆりこママの気遣いなのだろう。さすがは老舗のオーナーママだ。

 店ではすぐに口座表を張り出すくらい割り切った対応だったけど…




 さくらの病室に来るといつもほっこりさせられる。あたしはしばらくさくらとお母さんの3人で談笑してから、気を引き締めて綺羅ママの病室へ向かった。


(一日中ずっと黙っちょるまんまやて。何や気味悪うて) 


 気は重かったが、今日は話を聞かなければ……。




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