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第2部 萌未の手記

寒嵐の予感

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 第9日目、あたしは夏美なつみ口座の岡村おかむら社長と食事だった。岡村社長夫妻の奥さんは元若名わかなのホステスさんで、元々その奥さんが岡村社長の口座だったのを結婚で引退したのを期になっちゃんが引き継いだ、ということだったのだが、この日はその奥さんがあたしと食事したいって言ってくれたらしく、あたしとなっちゃんと四人での食事となった。

「久しぶりやわ、この店。うちの人、全然連れて来てくれへんのやから」

 奥さんのあおいさんはそう言って横の岡村社長を睨んだ。

 鶏や鮮魚や野菜を小ぶりな紙の器に盛り、それを鍋として熱して食べるお店で、落ち着いた和風の個室に岡村夫妻が隣同士、葵さんの前になっちゃん、岡村さんの前にあたしという配置で座っていた。

「ま、まあ…おいしいよーここは…」

 岡村社長はバツが悪そうに様々な紙鍋の下に敷かれた固形燃料に着火装置で火を点けていった。

「あ、あたしがやります」

 一番若手のあたしが着火装置を取ろうとすると、岡村社長は手で制し、

萌未めぐみちゃん、この紙鍋は何で火を点けても燃えないか分かる?」

 と聞いた。

「え?えーと…分かりません」
「水の沸点は100度でしょ?で、紙が燃えるためにはそれ以上の温度が必要やから、中に出汁が入ってる間は100度を超えることはなくて燃えないんや」
「へえーじゃあ、出汁が無くなったら燃えてしまうんですね?」
「そうよー。そやから小難しいことは置いといて早く食べよ食べよ」
「おーい、カッコつけさせてくれよ。これやからお前は連れて来たないねん」

 岡村さんと葵さんのやり取りにあたしとなっちゃんは笑った。

「でもこないだご飯ご馳走になったとき、岡村さん、葵さんの自慢話ばっかりしてはりましたよ~」
「め、萌未ちゃん、そういうことは言わんでくれよ」

 岡村さんは短く刈り込んだ頭をかいた。

「あーら、そうなん?この人、うちでは全然褒めてくれへんのやから」

 そういう葵さんもまんざらでは無さそうな笑みを浮かべている。ほんわかした二人の雰囲気に、きのうの殺伐としたミナミの店での出来事が嘘のように感じられて癒やされた。

「そうそう、萌未ちゃん、綺羅きらママと争ってるんやって?」

 葵さんがふいに箸を止めて聞く。

「はい…流れでそうなってしまって…でも岡村さんやなっちゃんのお陰で何とかなりそうです」
「いや、俺なんて今日で二回目やから、大して力になってないやろ」
「いえ、それでも助かってます」
「ホントに。それにね、めぐちゃん、すごいのよ。弥生やよいママもかんなママも力貸してくれて、まだ入ったばっかりやのにすごい勢いで同伴こないてるんやから。私だけやったら、完全に負けてたわ」
「弥生ママやかんなママも?それは心強いねぇ。私もね、綺羅ママのことは嫌いやったけど、あの人の強引さは知ってるからね、心配してたんよ」
「あの、葵さんも若名で働いてるとき、綺羅ママから嫌がらせされてたんですか?」

 葵さんは岡村さんの方を向き、あれ言ったいいかな、と聞いた。

「あれな。もちろん、俺はかめへんよ」
「そう、じゃ。この人もね、実は香里奈かりなの色攻めに遇ったんよ。私が呼んでもないのに黒田くろだが席に着けてきてね、絶対、黒田と綺羅ママ、ツルンでるよね」

 なっちゃんが口を曲げてうんうん、と頷く。

「俺にプライベートで遊びに行きましょって誘ってきよったわ。もちろん俺はこいつにゾッコンやったから断ったけどね」
「ほんとにぃ?ほんまは行きたかったんちゃうの?」

 葵さんが横目で睨み、俺はあんときからお前一筋やで、と岡村さんが葵さんの肩を抱いた。

「ふぅ~暑い暑い!めぐちゃん、この店、なんか暑ない?」
「暑いですぅ~。クーラー強めにきかせてもらいましょ」
「いや、寒いからやめて。もう!この人は」

 葵さんは肩に乗った岡村さんの手を払いのけた。

「でもね、私は実はちょっと不安やったの。それで、思い切って結婚しちゃった。私らが夫婦になれたの、間接的には綺羅ママのお陰かもしれへんわね」

 葵さんがペロっと舌を出し、なっちゃんが破顔して頷く。

「私も岡村さんの口座になれたしね。ラッキー!」
「なっちゃんと葵さんって仲良しさんやったんですね」
「そうよー。夏美とはよく飲みに行ったわね。でもあんた、ある時から別の子とよく飲みに行くようになって、私ちょっと寂しかったわ」

 別の子…あたしはハッと思い当たり、隣のなっちゃんの顔を見た。

「やあだあ、知らなかった。知ってたら葵さんも誘いましたのに」
「あら、ちょくちょくはお邪魔してたわよ。私と夏美と…それに詩音しおんと。たまに紀香のりかもいたわね。懐かしいわね。みんな…」

 言いかけて葵さんは止めた。

 みんな…
 この後に続くとしたら、元気にしてるかなあ、だ。
 きっと葵さんも志保姉しほねえが亡くなったのを思い出して言葉を飲み込んだんだ。

「あの…詩音さんて亡くなられたんですよね。葵さん、何か知りませんか?」

 あたしが身を乗り出してそう聞くと、なっちゃんが目を眇めてこちらを向く。あたしがタブーの話題に切り込んだことにハラハラしているようだ。

「うん…詩音、自殺したって聞いたけど…どうなんやろうね。私が知ってるのはやっぱりフジケンさんのことかな?あの子、フジケンさんのことすごく知りたがってたみたいやったから…」

 フジケン…さん…?

 あたしの脳裏に宮本みやもとの名刺が浮かんだ。

「フジケンさんって、フジケン興業の社長の名前ですか?」
「あら、よく知ってるわね。フジケンさんは綺羅ママの古いお客さんでね、私も綺羅ママが入りたての頃に何度か着かせてもらったの。でも、私も詳しいことは分からないけど…詩音、何かフジケン社長に執着があったみたいやったわね」

 葵さんが遠い目をすると、なっちゃんがそこに割って入る。

「ねえ、めぐちゃん、亡くなった人の話はそれくらいにしない?ほら、鍋が冷めちゃう」

 目つきが鋭くなったあたしを見越して、なっちゃんは話題を止めようとした。だがあたしにしたら同伴勝負なんかより何より、こっちの方が大切な話題だ。あたしは何とかその話題を深めようとしたが、葵さんの口からはもうそれ以上のことは聞けなかった。





 店に入ってから荷物を置くために更衣室に上ると、更衣室には香里奈がいた。

 香里奈はソファに座って携帯をいじっていたが、あたしを見ると一瞬目を丸くして固まったようになった。


 ま、それはそうよね。
 あなたの計画だと、あたしは今日来てないはずだから…


「きのうはシャンパン、ご馳走さまでした」

 あたしは白々しくきのうの礼をした。

「あ、い、いいのよ、全然。じゃ」

 言ってそそくさと部屋を出ていく。よほど慌てたのか、扉に足をぶつけながら…


 ふっ
 ざまあ。


 きのう、長谷部はせべさんは下請けの社長に今日の香里奈との同伴をドタキャンするように指示した、とあたしに耳打ちした。どうやらそれは達成されたようで、ということは、あたしが今日トリプル同伴を達成したら香里奈との同伴差は無くなることになる。

 あたしはこの日、店前として弥生ママとかんなママからそれぞれ一つずつ同伴を割り当てられていた。なのでこれであたしと香里奈の同伴回数は同じになった。

 しかも、もう裏であたしに手出しは出来ない。

 さあ、どうする?
 あと1日。
 あたしはもう最終日の明日、トリプルの予定が入っている。

 勝つか、引き分けるか。


 引き分けた場合、どうなるんだろう?

 どちらにせよ、あたしは優位に立っている。

 いよいよ、綺羅ママ本人と話をつける時は近づいている………。




 最終日の第10日目、つまり、イベント2週目の金曜日、空はどんよりとした鈍色にびいろの雲で覆われていた。

 大阪ではなかなか12月に雪は降らない。ホワイトクリスマスなんて、映画やドラマでしか見たことない。

 この日も、冬らしい絨毯のような雲が垂れ込めていたが、雪が降るほどの寒さは感じられなかった。だが、これから寒嵐かんらんが起こるであろう予感が、ザワザワとざわついてあたしの心を湧き立てていた。
 





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