【完結】北新地物語─まるで異世界のような不夜街で彼女が死んだわけ─

大杉巨樹

文字の大きさ
上 下
98 / 208
第2部 萌未の手記

蛇の穴

しおりを挟む
 あたしも中学の時に親父狩りなんかをやっていたので、香里奈かりなに説教臭いことを言う資格はない。そろそろ本題に入ろうと、聞きたかった話の口火を切った。

「お店のホステスさんはどうなんですか?あたしが聞いたのは、香里奈さんが綺羅きらママの欲しい口座を持ってるホステスさんを風俗に落としてるって話やったんですが」

 そう聞いた瞬間、香里奈の目から鈍い光が放たれるのをあたしは見逃さなかった。香里奈はそれを隠すようにまたハンカチで目を覆い、テーブルに突っ伏した。

「知らない!私、綺羅ママの言うようにやっただけやから!何にも知らない!」

 香里奈の声が店に響き、マスターと目が合ったが、大丈夫、と手のひらで合図を送った。

「知らない、て、どういうこと?綺羅ママはどんな指示を出したの?」

 毛先をウェービーにしている香里奈の髪が拍動に合わせて上下している。香里奈は突っ伏している腕の奥から、くぐもった声で答えた。

「ミナミのね、レガシーって店に誘ってって。仲良くなって。それだけよ。ホントに、それ以外のことは何も知らないの」

 つまり、そこまでターゲットを運ぶのが香里奈の役目で、そこからはその筋の人が出てきて事を運ぶってことか…

「ね、詩音しおんって人は?綺羅ママのターゲットになってた?」
「詩音…さん?」

 香里奈はガバっと顔を上げ、しばらくあたしを見つめた。そして、

「知らない。詩音さんは私じゃない」

 と言った。

「私じゃない?てことは…ターゲットにはなってたってこと?」
「確かに詩音さんが綺羅ママと口座で揉めてたのは知ってるけど、私は関係ない。ホントよ」

 真意を測ろうと香里奈の目の奥を探ったが、一点を見据えたその瞳は微動だにしていなかった。

「でもどうして?萌未ちゃんが詩音さんのことを気にするの?」

 姉だから。

 そう告白するには早計な気がした。

「亡くなった人がいるって聞いて、それが綺羅ママや香里奈さんのせいだとしたら酷い話やと思ったものですから」
「そう…。詩音さんは自殺したそうね。でもその原因は私知らない。店で話したこともほとんど無いのよ。ホントよ」

 嘘をついているようには見えない。
 だが、相手は役者だ。
 信じていいものかどうか…

 思案しながらカシスウーロンを口に含んでいると、香里奈が覗き込んできた。

「萌未ちゃん、ここまで聞いて私のこと軽蔑したでしょ?やっぱり店から追い出したい?」
「香里奈さんのやってることはいけないことやと思います。でも、それをどうこう言う資格はあたしにはありません。あたしはただ、お店のホステスさんが危険にさらされてるんやとしたら、許せないって思うんです」
「そうよね…でもね、私、若名わかなが好きなの。辞めたくない。だから、もう綺羅ママの言うことは聞かない」
「でもそれじゃ、綺羅ママのバックの彼氏が黙っていないんじゃ…?」
「そう…なの。でも私、戦ってみる。そのために勇気が欲しい。萌未ちゃん、応援してくれない?あ、何をしてくれってわけやないの。私と時々こうやって飲みに行ったりして、話を聞いてくれない?それだけで私、力になると思うの。どう?お願い!」

 あたしの前で手を合わせる香里奈を見ていると、この人も被害者と言えないことはない、と、思えてくる。

「あ…あたしでよければ…」
「ほんと!?やっぱり萌未ちゃんって私の思った通りの人!よかったぁ、思い切って話してみて!」

 香里奈は花を咲かせたような笑顔になる。

「萌未ちゃん、シャンパンで乾杯しようよ!お近づきの記念に!マスター、ベルある?」
「え、ベルなんてもったいないよ」
「いいのいいの。萌未ちゃん、マスターにお礼で来たんでしょ?私が奢っちゃう!」

 カウンターの端から、マスターが笑顔を向ける。

「はーい、もったいないベルエポック、ありますよ~」

 マスターがベルエポックを持ってきて用意をしている間、あたしは一旦情報を整理しようとトイレに立った。そして席に戻ると、マスターと3人で乾杯した。

「いやあ~べっぴんさん2人と一緒にこんな高級シャンパン飲めて、僕はもう明日死んでもいいなあ~」

 マスターの大袈裟なおべんちゃらを、頭の隅で聞いていた。









 それから約一時間後───

 あたしはワンボックス車のバックドア前のスペースに放り込まれ、走り出した車の振動に揺れていた。

「お嬢、遅かったですね」
「あ~~かったるかった!ハルト、ちゃんと店にいる?」
「はあ、いてはると思いますよ」
「思います、て何やのよ。今日のは上玉やからね、いてもらわんと困るわ」

 シュボっという音と共に煙草の煙が鼻につく。

「あ~だる!おばはんは?もう上がったん?」
「いえ、ママは今日はまだ送ってません」
「ふーん。アフター中かな。ええ気なもんやわ。私ばっかりこんな汚れ仕事させて」
「ママには無理でしょ?お嬢みたいなべっぴんさんやないと。あんな厚化粧のおばはん、誰が信用しますかいな」
「それもそうやわね」

 低い男のものと香里奈の二人の笑い声。おばはん、とは綺羅ママか。どうやらこのバンで香里奈と綺羅ママはいつも送迎されているようだ。

 10分ほど走り、車は止まった。後部ドアが開き、男の太い腕があたしを担ぐ。

 エレベーターと思われる浮遊感があり、扉が開く音。

「お嬢、お帰りなさい!」

 数人の男の声。と同時に、ニコチンとアルコールの混じった刺激臭が鼻を突く。あたしはソファと思われるところに寝かされる。起こさないようにしているためか、扱いは丁寧だった。

 店で待機していたと思われる男の嬌声が降ってくる。

「おお!これが?なかなかええやないか!」
「でしょ?3千はいけるんちゃう?私さあ、欲しいバッグがあるんやけど」
「またかいな。まあ任せとけ。これなら星本ほしもとさんにも喜んでもらえる」
「じゃあハルト、後は頼むわね。こいつは絶対に帰さんとってや。何やったら雄琴おごと送る前に廻してもいいわよ?」
「ああ、せやな。ここでしっかり調教してから渡すんも悪くないかもな」

 下卑た笑いが胸焼けを起こさせる。

「私さあ、こいつにはめっちゃ腹立ってんねんから。私もボロボロになるとこ見てみたいわ」
「いや、ボロボロにしてもうたら金にならんがな。まあ、お前の気がすむ程度には可愛がったろか」
「そうや、録画して送ってよ!」
「ああ、任せとけ」
「じゃ、楽しみにしてるわね」

 ガタン、と扉が動く音がして、お疲れ様でした、という男たちの声が響く。

 そろそろかな…?
 こいつらの話をこのまま聞き続けるのはそろそろ耐え難い。あたしは喉の奥から呻き声を出し、頭をもたげた。

「う、んん…」
「お、気がついたか?」

 まず目についたのは趣味の悪いソファの赤い色と、あたしを覗き込む目つきの悪いにやけた男の顔。その後ろには3人ほどの黒服の男たちがまちまちにボックス席に座っている。

「ここは…どこですか?」
「どこて、レガシーですよ。ミナミのホストクラブの。俺はそこのホストのハルト。この店を仕切ってるもんです」

 ハルトと名乗った男は片膝をつき、キザったらしく手を差し伸べてきた。あたしはその手を取って起き上がる。

「どうしてここへ?あたし、新地のバーで飲んでたんですけど…?」
「あれ?覚えてない?香里奈さんと来られてドンチャン騒ぎしてましたよ?」
「そう…?で、香里奈さんは?」
「あなたが寝てしまわれたんで先に帰られました」
「そうですか…じゃあ、あたしも帰ります」
「分かりました。おーい、お会計!」

 はい、と一人がカウンターに回り、何かを書き込んでいる。カウンターの前には3つほどのボックスがあり、それぞれ赤いライトに照らされて、毒々しい雰囲気を醸し出していた。

 やがてあたしの前に伝票が差し出される。

「ありがとうございました。これがお勘定です」

 伝票に書かれた数字を見る。

 一、十、百、千、万…

「さ、三百万円ですか!?」
「ええ、何せ、高いワインを何本も飲まれましたから」

 ハルトが指さした先のカウンター上には何本かの銘柄のよく分からないワインのボトルが並んでいた。

 いや、あたしは来てすぐに起き上がったんだけど?
 ……とは言わず、あたしは泣きそうな顔になる。

「え…そんな金額、払えません!」
「困るなあ、そういうこと言ってもらっちゃ。ちゃんと払ってもらわないと」
「そんなこと言われてもそんな額、持ち合わせありません」
「そうですか。いやね、俺らも鬼やないですから。お姉さん、べっぴんさんやから体で払ってもらうっていう手もありますよ?どうです?」 

 ハルトの顔が歪む。
 後ろの男たちの顔もにやけて歪んでいる。

「そんな…これって、ボッタクリってやつですよね?警察呼びますよ?」
「おーっと、そうきますか。俺ら鬼やないって言いましたけどね、そんな態度に出られちゃあ、黙って帰すわけにはいかへんなあ!おい!お前ら!」

 ハルトが凄むと同時に、男たちが立ち上がる。

 あたしは…

 両手で顔を覆い、肩を震わせた。

「泣いたってあかんで。まあそう恐がらんでええ。大人しくしとったら優しくしたるから」

 うう…

 ふふっ

 う…ふふ…ふふふふふ…

「何やこいつ、頭おかしなったんか?」

 あーっはっはっはーっ

 そして、あたしはこらえきれずに爆笑。

 それを見て、男たちは怯んで後ずさりした。

「まるで安っぽいVシネマね。あたし、こんな安っぽいタイトルぜーったい借りない!」
「はあ⁉お前、何言うとんねん。立場分かってるんか?」

 ハルトはあたしの顔をまじまじと見つめる。そして、しばしの静寂が店を包む。


 シーン…


 え?

 ちょっと…


「まあええ、やってまえ!」

 男たちが下卑た笑いを帯びたまま、再びあたしに近づく。ハルトの手があたしの胸元に伸びる。


 いや、ちょっと、待って…

 こんなはずじゃなかったのに──!!




しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

母からの電話

naomikoryo
ミステリー
東京の静かな夜、30歳の男性ヒロシは、突然亡き母からの電話を受け取る。 母は数年前に他界したはずなのに、その声ははっきりとスマートフォンから聞こえてきた。 最初は信じられないヒロシだが、母の声が語る言葉には深い意味があり、彼は次第にその真実に引き寄せられていく。 母が命を懸けて守ろうとしていた秘密、そしてヒロシが知らなかった母の仕事。 それを追い求める中で、彼は恐ろしい陰謀と向き合わなければならない。 彼の未来を決定づける「最後の電話」に込められた母の思いとは一体何なのか? 真実と向き合うため、ヒロシはどんな犠牲を払う覚悟を決めるのか。 最後の母の電話と、選択の連続が織り成すサスペンスフルな物語。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

強制憑依アプリを使ってみた。

本田 壱好
ミステリー
十八年間モテた試しが無かった俺こと童定春はある日、幼馴染の藍良舞に告白される。 校内一の人気を誇る藍良が俺に告白⁈ これは何かのドッキリか?突然のことに俺は返事が出来なかった。 不幸は続くと言うが、その日は不幸の始まりとなるキッカケが多くあったのだと今となっては思う。 その日の夜、小学生の頃の友人、鴨居常叶から当然連絡が掛かってきたのも、そのキッカケの一つだ。 話の内容は、強制憑依アプリという怪しげなアプリの話であり、それをインストールして欲しいと言われる。 頼まれたら断れない性格の俺は、送られてきたサイトに飛んで、その強制憑依アプリをインストールした。 まさかそれが、運命を大きく変える出来事に発展するなんて‥。当時の俺は、まだ知る由もなかった。

泉田高校放課後事件禄

野村だんだら
ミステリー
連作短編形式の長編小説。人の死なないミステリです。 田舎にある泉田高校を舞台に、ちょっとした事件や謎を主人公の稲富くんが解き明かしていきます。 【第32回前期ファンタジア大賞一次選考通過作品を手直しした物になります】

処理中です...