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第2部 萌未の手記

志保姉

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 そんな訳で玲緒れおはあたしが若名わかなで働く前からあたしのことを知っていたわけだけど、きっとあたしが整形してるから分からなかったのだろう。

 整形前のあたしのことを知ってるのはトラとなっちゃんだけ。

 あ、隆二りゅうじも知ってるか……。


 トラはまあ、あたしの整形費用を出してくれた金主なんで当然として、なっちゃんはあたしと黒田くろだ店長を繋げてくれた人で、この二人は整形前のあたしを知るだけじゃなく、あたしが若名に入った目的も知っている。

 いや、正確に言うと、あたしが宮本みやもと拓也たくやを狙っていることは知らない。そこまで知ると、宮本と幼馴染の二人はきっとあたしに協力してくれなかっただろう。

 あたしは自殺と断定された志保姉しほねえが実は殺されたと思っていて、その犯人を探すために若名に潜入した…二人はあたしがそう描いた絵を知っているのだ。

 トラは志保姉のことは知らないと思う。なっちゃんは同僚ホステスとして志保姉と親しくしていて、その延長線上であたしとも仲良くしてくれた。そして志保姉が亡くなって、なっちゃんはあたしの他殺説を半信半疑で聞いていたけど、あたしが泣いて訴えたので、その後のこともあたしが納得いくようにと、あたしの協力をしてくれている。あたしはなっちゃんに整形前のことは内緒にしてくれと頼んでいたので、玲緒にもそれは伏せてくれている。

 まさかあたしが虎視眈々と宮本や玲緒を狙ってるなんてことまでは知らないけれど──




 そう、志保姉はクラブ若名で働いてたんだ。源氏名は詩音しおん。志保姉は、当時高校生だったあたしの学費を払うために、昼間はOLをしながら、夜は新地で働いてくれていた。もちろんそんなのあたしは望んじゃいなかった。けど、いろんなことがあったあげく、志保姉はあたしに真っ当に生きることを望み、あたしはそれを約束したんだ。



 ホントに、いろんなことがあった………




 喧騒。
 子どもたちの黄色い声。
 乗り物の機械音。
 そこから切り取られた仏頂面の女の子。
 それがあたし。

 その日、あたしは母さんに連れられて遊園地にいた。久し振りのお出かけだったから嬉しかった。
 でも現地で見知らぬ男と引き合わされ、あたしのテンションは地に落ちた。母は当時付き合っていた大塚おおつかとあたしを引き合わせようと、その日のことを計画していたのだ。

 (母さんにはめられた!)

 そう思ったあたしはその日ずっと機嫌が悪かった。ジェットコースターに乗っても、お伽の国に行っても、愛らしい動物を見ても、あたしは始終膨れっ面だった。

「可愛いお顔が台無しよ?」

 そう言って一緒に来ていた大塚の娘がずっとあたしに付き添って遊んでくれた。


 それが、志保姉との初めての出会いだった。


 あたしが中学に上がる年の春、母は再婚し、あたしは母の絹川きぬかわ姓から志保姉と同じ大塚姓になった。あたしが中学に上がるまで待っていてくれたのだ。いろいろと心情的に難しい子だったあたしに配慮してくれたんだと思う。あたしより四つ年上の志保姉が高校三年の年だった。


 でもあたしはこの再婚を喜んだ。だって憧れの志保姉と一緒に住めるようになるから。といってもあたしはそれまでも大塚の家にほとんど住むようにして頻繁にお泊りしてたので再婚したからって大きな違いはなかったのだけど、志保姉と同じ姓になることで堂々と妹を名乗れるのが嬉しかったし、その再婚を期に母がスナックを畳んでくれたのも嬉しかった。あのスナックの二階に住んでた頃は嫌な思い出しかなかったから……。


 志保姉はチンチクリンのあたしと違って優等生で、スポーツも万能だし勉強もできる。志保姉の父親、大塚のお父さんは母のスナックの客で、店で母のことを見初めて再婚に至ったわけだけど、大塚の家もスナック兼住居だったうちの家と近く、志保姉とあたしは一緒の小学校だった。

 志保姉と出会った小学二年生の秋、演劇部は学習発表会の日に毎年恒例で講堂で劇を披露するのだが、志保姉は演劇部に所属していて、その年の演目、ロミオとジュリエットのヒロイン、ジュリエット役だった。当時志保姉と出会ったばかりだったあたしは、そのジュリエットの神々しさに魅力された。そして志保姉は、あたしの憧れとなった。

 三年生になり、あたしは志保姉を真似て演劇部に入った。明と暗の対極の姉妹だと感じていたあたしに、志保姉はいつも、

「あんたはねぇ、可愛いんだから、もっと笑わなきゃだめよ」

 そう言ってあたしのくしゃくしゃな頭を撫でてくれた。夜はあたしが眠くなるまで絵本や童話を読み聞かせてくれた。あたしはどんどん、本を読むのが好きになっていった。


 チンチクリンのあたしが脚光を浴びることになったのは、あたしが六年の学習発表会の日だった。演目は『真夏の夜の夢』。二組のカップルが妖精の惚れ薬によって翻弄されるドタバタ喜劇。あたしは最初、その他大勢の役だった。

 学習発表会の一週間くらい前のある日、ヒロインのうちの一人の子が怪我で入院してしまったのだ。主役の二組のカップルのうちの一人、ハーミアという役。あたしは家でよく志保姉と学校でもらったシナリオで演劇ごっこをしていたので、ハーミアのセリフも入っていて、代役に抜擢された。あたしは志保姉と同じようにヒロインとして舞台に上がれることを喜んだ反面、あたしなんて志保姉みたいに上手くできるわけないと逃げ出したい気持ちにもなっていた。

「あんたは充分べっぴんさんよ。自信持ちなさい。それに先輩ヒロインのこの私がセコンドに付いてるのよ。思いっきり楽しんで演じてきなさい」

 自信の無かったあたしを志保姉は励まし、それからもずっと練習に付き合ってくれた。その甲斐あってあたしは当日見事に演じ切り、観に来てくれた志保姉も褒めてくれた。その日、家族四人で外食した。ドラマなんかで観る明るい家族…あたしにはそんなもの無縁だと思っていたけれど、でもそれは確かにあたしの目の前に、それはあった。

 それがあたしの記憶の中の、最後の明るい家族の情景……。



 あたしは中学生になり、志保姉は受験勉強で忙しくなった。予備校に通っていた志保姉とは家でもすれ違いの生活になり、あたしも学校の規格外の子たちと遊ぶようになった。今考えると、あれも志保姉の気を引きたいっていうお子ちゃまな狙いがあったかもしれない……。




 ある日、家に帰るとリビングから談笑している声が聞こえた。ドアを開けると四人の顔が一斉にこちらを向く。母さん、大塚、志保姉、そして、見知らぬ男…

 笑顔の消えた顔たち…

「また、こんな時間までどこに行ってたの!?」

 まず母さんの怒声。

萌未めぐみちゃんもこっちお座りよ」

 気遣う大塚のちょっと引き攣った顔。

「あんた、いっつもどこ行ってんのよ」

 志保姉の怒った顔。

 ああ、楽しい団らんを邪魔しちゃったのね…

 胸の奥がチリっと鳴って、

 痛くなって、

 あたしはそのまま扉を閉めて外に飛び出した。

 そしてトラを呼び出し、

「ね、お酒飲ませてよ」

 と、言った。

 そう、あの日だ。あたしがクラブへ行ったのは……。



 あたしが玲緒から解放されてやっと家に帰ると、志保姉は無言であたしの胸ぐらを掴み、バシン、バシン、と両頬を張った。

 そして、あたしを抱き締めて泣いた。

 あたしも釣られて、大声で泣いた。

 長い長い旅からやっと帰って来た、そんな気がした。母は大泣きし、大塚は青い顔をしていたが、志保姉はあたしのことを責めたりしなかった。

「どんなことがあっても、私はあんたの味方だからね」

 いつも言ってくれる志保姉の言葉。この日もそれを言ってくれた。あたしはそんな志保姉に申し訳なくなり、その日から親父狩りなんてことは止め、夜遊びも止めた。



 ───でも、今なら分かる。

 宮本が家に足を踏み入れた日から、大塚の家は凋落していったのだ。

 あたしの直感はよく当たる。

 それは幼い頃に身に着けた、自分を守る術だから。

 あたしは宮本に初見から感じていたんだ。この男はどこか胡散臭い、と───



 実際、それからしばらくして大塚のお父さんは亡くなり、住んでいた一戸建ての家からも追い出された。

 そのお陰で志保姉は思い通りの就職が出来なかったし、母はアルコール依存症になって施設に入院した。

 そして、志保姉も死んだ。

 自殺じゃない、殺されたんだ。


 
 だからあたしは、北新地のホステスになった。

 北新地はあたしに取って異世界のような場所だったけれど、志保姉のかたき討ちをするのだという想いが、その情念だけが、あたしを突き動かした。


 そう、あたしは、復讐鬼になったのだ───




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