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第1部 高級クラブのお仕事
想い人の死
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部屋に帰ってから約2時間後のことだった。
疲れて眠りに就いた涼平は、すぐに玄関のチャイムの音で目を覚まされた。
オートロック式のこのマンションは、来客の場合、インターホンがまず鳴らないといけないので、いきなりドアから訪れる、しかもあり得ない時間帯の訪問に、身をすくめた。
すると、
ドンドンドンドン!
と、こちらの応答を待つ間もなく、ドアが叩かれる。
その叩く勢いに、ドアの向こうにいるのが、喜ぶべき者でないことが推察される。
おそるおそるドアに近づくと、鍵穴に鍵が差し込まれ、ロックが外された。
(ええ!?萌未か!?)
そう思ったのも束の間、開かれたドアの向こうには、グレーとベージュのコートを着た男2人と、ガウン姿の初老の男が立っていた。
涼平もびっくりしたが、向こう側の人たちもなぜか、ドアの前に立っていた涼平を見て驚いたていた。
お互いしばらく固まっていたが、やがて一人の男がスーツから取り出した手帳を見せてきた。
警察手帳…!
「ここは絹川萌未さんの部屋ですよね?」
ドラマでよく見るようなシチュエーションだが、相手が警察官であることに安堵すると同時に、その口をついて出た言葉に眉を潜める。
「あの、萌未の部屋っていうか、彼女のお姉さんの部屋ですが……もし萌未を訪ねて来られたんだったら、彼女は今いません」
何故こんな時間にここに来たのかという不安もあったが、取り敢えず自分に言えることを告げる。
「失礼ですが、あなたは?」
「え……」
鍵を持つ初老の男性はどうやらこのマンションの管理人のようだ。
あとの二人は、制服を着ていないので、私服警官と思われる。
だとすると…?
これから言われることが、ただ単に深夜に帰ってきてうるさいなどという近隣の苦情程度のことでないことが分かる。
刑事たちの深刻な顔に、どう答えていいのか言葉が詰まった。
「何か身分を証明出来る物、お持ちですか?」
グレーのコートを着た、年配の刑事が訝しむような口調で聞く。その重々しい雰囲気に息を飲む。
「あの…何があったんでしょうか!?」
「それは、あなたの身分の確認が出来てから、お話します」
免許証も学生証も持ってなかったので、仕方なく店の名刺をスーツから出して渡した。
すると、二人の目が明らかに見開き、顔を見合わせた。
「椎原…涼平さん…でよろしかったですね?」
「はい…」
「絹川さんとはどういうご関係でしょうか?」
「あの…萌未からこの部屋を借りて住んでいます」
家賃を払ってなかったので借りるという表現は適切ではなかったが、取り敢えず簡潔に言わなければ不信感を拭えない気がしてそう答えた。
「そうですか…ということは、萌未さんとお付き合いをされている?」
その問いに、涼平は居心地の悪さを感じながらも頷く。取り敢えず何があったか知りたかったし、そのためにはやはり説得力のある答えを示すことが必要に思われた。すると刑事は再び顔を見合わせ、お互い頷き合うと、今度はベージュのコートの比較的若い方の刑事が口を開く。
「実は、この部屋に住む絹川さんと思われる遺体が先ほど大川から上がりまして、それで私たちがやってきたんです」
一瞬、目の前が真っ白になった。
言葉一つ一つの意味は分かるが、言葉の全体を把握するのに、涼平の脳の回路は通常の思考の何倍もの時間を要した。
「あの…どういうことでしょうか…?」
「車で男性と二人で川に突っ込まれたんです。残念ですが、お二人の死亡が確認されています」
刑事の淡々とした言葉を聞きながら、身体が小刻みに震え出した。
「そ、それってつまり…」
「事故とはまだ断定出来ません。心中、あるいは無理心中の可能性も状況から高いですね。もしくは…」
涼平の言葉の先を読んで答えた若い方の刑事を、もう一人のグレーコートの刑事が、おい、と制する。そして、
「お察しします。ですが実はご遺体の身元がはっきりと確認できていない状態でして…できれば、ご遺体を確認していただきたいのですが…」
と厳粛な顔で言った。
心中もしくは無理心中…
男性と二人で…
刑事の言葉を反芻するが、実感として捉えられない。
何かの間違い…
涼平の脳が行き着いた場所はそこだった。
身元が確認できていないのだとしたら萌未であるはずがない。
ひょっとして、まだ会ったことのない萌未のお姉さん………!?
「分かりました。俺でよければ確認させて下さい」
お姉さんだとしたら涼平には判断できないが、萌未ならすぐに分かる。そして何より、涼平自身がそれを直接確かめたかった。
涼平が応じると、管理人を除いて、マンションの下に停めてあったセダンに三人で乗り込み、その遺体のあるという場所へ向かった。
「男性の方の身元は確認出来ているんですか?」
車中でまず、気になっているうちの一つを聞いた。
「所持されていた免許証から宮本拓也さんだと思われますが、こちらもまだ、はっきり確認は出来ていません。その名前にお心当たりは?」
思っていた通りの名前があがり、胸が張り裂けそうになる。
(まさか…まさか…)
暖房の入った車内で、涼平はまるで冷凍庫の中にいるように震えていた。
刑事たちも、そんな涼平にそれ以上何も話しかけてこなかった。
程なく車は北新地からさほど離れていない警察署に入った。
病院ではなく、警察署に入ったことが、事の信憑性を伺わせた。
裏口と思われるドアから入り、階段を降りると、リノリウムの床を通って男たちが慌ただしく出入りしている部屋に案内された。
遺体安置室に並んだ二つの遺体…
ここに来て、初めて刑事の言った「無理心中」という言葉が現実のものとなって涼平の頭にのし掛かってきた。
と同時に、最後に萌未と会った情景がフラッシュバックした。
──そう、あのとき俺たちはお初天神にいて、曽根崎心中のことを話していたのだ。
あの日、萌未は死ぬということ、そして、「心中」「殺す」という言葉を盛んに連発していた。
だが俺にはそんな非日常的な言葉をリアルに捉えられず、その後もあの日のことがまるで異世界に迷い込んだように思えていた──
今、実際に二つの遺体に直面し、涼平の頭の中にあのときの情景が再現される。
彼女は本当にお初と徳兵衛のように「矛盾」する生き様を選んでしまったのか…
そして今、彼女の横には「彼」が横たわっているのか…
「こちらです」
そう言うと刑事は一方の顔を覆っていたベールをめくった。
涼平は胸が張り裂けそうになりながら、白い布の下に現れた顔を見た。
色味を完全に失った真っ白な顔がそこにあった。そのきめ細やかな肌の綺麗な顔は確かに涼平のよく知っている顔だった。
だが、しかし…
全く予期せぬ光景に、目を見開いた。
そして、衝撃でその場に崩れ落ちた。
「そんなあああああっ!」
涼平は、まるで月下の狼男のように、絶叫した。
そしてしばらく、嗚咽とも叫びとも取れる音を、吐き出し続けていた。
身体中の全ての体液が逆流し出したように、何かの液が口から、目から、鼻から、流れ出た。
年配の方の刑事が涼平の肩にそっと手を置く。
「絹川萌未さんで間違いないですか?」
その無機質な声に、涼平は激しく首を振った。
「ち、違います!め、めぐっうっ…萌未と違うっっ」
その声を聞いた瞬間、その部屋にザワツキが起こった。
「だ、誰ですか!?この人は誰ですか!?」
刑事の声が荒くなる。
あううっ…
名前を口にしようとすると、感情が溢れだし、言葉にならない。
そんなわけない!
何故彼女が…!?
目の前にいるのに…
この前も、そして今も…
誰かが俺に悪ふざけをしているのでは!?
全く予期せぬ事態に、しばらく涼平は押し寄せる感情を制御できず、意味不明な奇声を発し続けた。
そして、その感情の波がやっと収まり出した時、ハンカチを涼平に差し出しながら、年配の刑事がもう一度、今度は穏やかに聞いた。
「この女性をご存知なんですね?一体誰ですか?」
あんなに艶のあったストレートの黒髪が無造作に乱れ、光沢を無くし、ほつれている。
つい先程まで冷たい水の中にいたのであろうことが、髪の湿り加減で伺える。
涼平は、放心に近い状態でもう一度その命を宿さなくなった彼女の身体を見つめ、まるでロボットか何かが感情のこもらないセリフを機械的に鳴らすように、抑揚のない低いトーンでその名前を口にした。
「美伽です。藤原…美伽…」
疲れて眠りに就いた涼平は、すぐに玄関のチャイムの音で目を覚まされた。
オートロック式のこのマンションは、来客の場合、インターホンがまず鳴らないといけないので、いきなりドアから訪れる、しかもあり得ない時間帯の訪問に、身をすくめた。
すると、
ドンドンドンドン!
と、こちらの応答を待つ間もなく、ドアが叩かれる。
その叩く勢いに、ドアの向こうにいるのが、喜ぶべき者でないことが推察される。
おそるおそるドアに近づくと、鍵穴に鍵が差し込まれ、ロックが外された。
(ええ!?萌未か!?)
そう思ったのも束の間、開かれたドアの向こうには、グレーとベージュのコートを着た男2人と、ガウン姿の初老の男が立っていた。
涼平もびっくりしたが、向こう側の人たちもなぜか、ドアの前に立っていた涼平を見て驚いたていた。
お互いしばらく固まっていたが、やがて一人の男がスーツから取り出した手帳を見せてきた。
警察手帳…!
「ここは絹川萌未さんの部屋ですよね?」
ドラマでよく見るようなシチュエーションだが、相手が警察官であることに安堵すると同時に、その口をついて出た言葉に眉を潜める。
「あの、萌未の部屋っていうか、彼女のお姉さんの部屋ですが……もし萌未を訪ねて来られたんだったら、彼女は今いません」
何故こんな時間にここに来たのかという不安もあったが、取り敢えず自分に言えることを告げる。
「失礼ですが、あなたは?」
「え……」
鍵を持つ初老の男性はどうやらこのマンションの管理人のようだ。
あとの二人は、制服を着ていないので、私服警官と思われる。
だとすると…?
これから言われることが、ただ単に深夜に帰ってきてうるさいなどという近隣の苦情程度のことでないことが分かる。
刑事たちの深刻な顔に、どう答えていいのか言葉が詰まった。
「何か身分を証明出来る物、お持ちですか?」
グレーのコートを着た、年配の刑事が訝しむような口調で聞く。その重々しい雰囲気に息を飲む。
「あの…何があったんでしょうか!?」
「それは、あなたの身分の確認が出来てから、お話します」
免許証も学生証も持ってなかったので、仕方なく店の名刺をスーツから出して渡した。
すると、二人の目が明らかに見開き、顔を見合わせた。
「椎原…涼平さん…でよろしかったですね?」
「はい…」
「絹川さんとはどういうご関係でしょうか?」
「あの…萌未からこの部屋を借りて住んでいます」
家賃を払ってなかったので借りるという表現は適切ではなかったが、取り敢えず簡潔に言わなければ不信感を拭えない気がしてそう答えた。
「そうですか…ということは、萌未さんとお付き合いをされている?」
その問いに、涼平は居心地の悪さを感じながらも頷く。取り敢えず何があったか知りたかったし、そのためにはやはり説得力のある答えを示すことが必要に思われた。すると刑事は再び顔を見合わせ、お互い頷き合うと、今度はベージュのコートの比較的若い方の刑事が口を開く。
「実は、この部屋に住む絹川さんと思われる遺体が先ほど大川から上がりまして、それで私たちがやってきたんです」
一瞬、目の前が真っ白になった。
言葉一つ一つの意味は分かるが、言葉の全体を把握するのに、涼平の脳の回路は通常の思考の何倍もの時間を要した。
「あの…どういうことでしょうか…?」
「車で男性と二人で川に突っ込まれたんです。残念ですが、お二人の死亡が確認されています」
刑事の淡々とした言葉を聞きながら、身体が小刻みに震え出した。
「そ、それってつまり…」
「事故とはまだ断定出来ません。心中、あるいは無理心中の可能性も状況から高いですね。もしくは…」
涼平の言葉の先を読んで答えた若い方の刑事を、もう一人のグレーコートの刑事が、おい、と制する。そして、
「お察しします。ですが実はご遺体の身元がはっきりと確認できていない状態でして…できれば、ご遺体を確認していただきたいのですが…」
と厳粛な顔で言った。
心中もしくは無理心中…
男性と二人で…
刑事の言葉を反芻するが、実感として捉えられない。
何かの間違い…
涼平の脳が行き着いた場所はそこだった。
身元が確認できていないのだとしたら萌未であるはずがない。
ひょっとして、まだ会ったことのない萌未のお姉さん………!?
「分かりました。俺でよければ確認させて下さい」
お姉さんだとしたら涼平には判断できないが、萌未ならすぐに分かる。そして何より、涼平自身がそれを直接確かめたかった。
涼平が応じると、管理人を除いて、マンションの下に停めてあったセダンに三人で乗り込み、その遺体のあるという場所へ向かった。
「男性の方の身元は確認出来ているんですか?」
車中でまず、気になっているうちの一つを聞いた。
「所持されていた免許証から宮本拓也さんだと思われますが、こちらもまだ、はっきり確認は出来ていません。その名前にお心当たりは?」
思っていた通りの名前があがり、胸が張り裂けそうになる。
(まさか…まさか…)
暖房の入った車内で、涼平はまるで冷凍庫の中にいるように震えていた。
刑事たちも、そんな涼平にそれ以上何も話しかけてこなかった。
程なく車は北新地からさほど離れていない警察署に入った。
病院ではなく、警察署に入ったことが、事の信憑性を伺わせた。
裏口と思われるドアから入り、階段を降りると、リノリウムの床を通って男たちが慌ただしく出入りしている部屋に案内された。
遺体安置室に並んだ二つの遺体…
ここに来て、初めて刑事の言った「無理心中」という言葉が現実のものとなって涼平の頭にのし掛かってきた。
と同時に、最後に萌未と会った情景がフラッシュバックした。
──そう、あのとき俺たちはお初天神にいて、曽根崎心中のことを話していたのだ。
あの日、萌未は死ぬということ、そして、「心中」「殺す」という言葉を盛んに連発していた。
だが俺にはそんな非日常的な言葉をリアルに捉えられず、その後もあの日のことがまるで異世界に迷い込んだように思えていた──
今、実際に二つの遺体に直面し、涼平の頭の中にあのときの情景が再現される。
彼女は本当にお初と徳兵衛のように「矛盾」する生き様を選んでしまったのか…
そして今、彼女の横には「彼」が横たわっているのか…
「こちらです」
そう言うと刑事は一方の顔を覆っていたベールをめくった。
涼平は胸が張り裂けそうになりながら、白い布の下に現れた顔を見た。
色味を完全に失った真っ白な顔がそこにあった。そのきめ細やかな肌の綺麗な顔は確かに涼平のよく知っている顔だった。
だが、しかし…
全く予期せぬ光景に、目を見開いた。
そして、衝撃でその場に崩れ落ちた。
「そんなあああああっ!」
涼平は、まるで月下の狼男のように、絶叫した。
そしてしばらく、嗚咽とも叫びとも取れる音を、吐き出し続けていた。
身体中の全ての体液が逆流し出したように、何かの液が口から、目から、鼻から、流れ出た。
年配の方の刑事が涼平の肩にそっと手を置く。
「絹川萌未さんで間違いないですか?」
その無機質な声に、涼平は激しく首を振った。
「ち、違います!め、めぐっうっ…萌未と違うっっ」
その声を聞いた瞬間、その部屋にザワツキが起こった。
「だ、誰ですか!?この人は誰ですか!?」
刑事の声が荒くなる。
あううっ…
名前を口にしようとすると、感情が溢れだし、言葉にならない。
そんなわけない!
何故彼女が…!?
目の前にいるのに…
この前も、そして今も…
誰かが俺に悪ふざけをしているのでは!?
全く予期せぬ事態に、しばらく涼平は押し寄せる感情を制御できず、意味不明な奇声を発し続けた。
そして、その感情の波がやっと収まり出した時、ハンカチを涼平に差し出しながら、年配の刑事がもう一度、今度は穏やかに聞いた。
「この女性をご存知なんですね?一体誰ですか?」
あんなに艶のあったストレートの黒髪が無造作に乱れ、光沢を無くし、ほつれている。
つい先程まで冷たい水の中にいたのであろうことが、髪の湿り加減で伺える。
涼平は、放心に近い状態でもう一度その命を宿さなくなった彼女の身体を見つめ、まるでロボットか何かが感情のこもらないセリフを機械的に鳴らすように、抑揚のない低いトーンでその名前を口にした。
「美伽です。藤原…美伽…」
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