投獄

藤堂Máquina

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投獄

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私が刑務所の湿っぽい床に座っているのに理由など無い。
罪を犯したことも無ければ償う必要もないはずなのだ。
あの日も私はいつもと変わらない日常の中にいた。
いつものように憂鬱な目覚め、いつものように最悪な満員電車。
そうして会社に向かっていただけなのだ。
思い返せばあの日だけが最悪だった訳では無い。
違った点があったとすれば余計な正義感に身を委ねてしまったことだろう。
満員電車の人混みの隙間、ふと目を向けると誰かの手が蠢いていた。
手の先には女子学生がいる。
怯えた表情だ。
私が手を伸ばしても届く距離ではない。
今思えば近くの人に声をかければよかったのだが、知らない人に声をかけるのは気が引けたのだ。
もしかしたら本当は彼女を私が助けてヒーローになりたかったのかもしれない。
兎に角、駅に着くまでの間、私は何もできず、何もせずにいたのだ。
それまでどれほど彼女が不安だったのかは分からない。
それが引き金になっていたのかもしれない。
次の駅に着くと手の主を探しながら電車を降りた。
いや、正確には女子学生の後を追って電車を降りただけだ。
手の主は未だ電車の中にいたのかもしれないし、そそくさと逃げたのかもしれない。
開いたドアと反対側に追いやられていた私にはどうなのか分からない。
とりあえず私は女子学生に声をかけた。
彼女はホームの隅で膝をついていた。
何か声をかけねば、きっと1人で不安に違いない。
私は彼女の肩に手をかけると優しい言葉を探した。
だが、私が言葉を発する前に彼女の手は私を掴み、「痴漢」と叫んだ。
人々が注目する。
駅員が駆け寄る。
私は震え上がった。
しかしどうすることもできない。
そもそも私は悪くないのだ。
逃げる必要なんて無い。
そんなことは今考えられない。
彼女の手を振り解くと一目散に駆け出した。
駅の階段は20メートルほど先。
それまでに何人の人が私を捕まえようとするだろうか。
電車の中で痴漢に気づかないような奴らだ。
女子学生が叫んだところで私を捕まえようだなんて思わないだろう。
その予想も虚しく、私が階段に到達することはなかった。
私は数人に抑えられ、腕や足を、髪を持たれていた。
抵抗もできない、仮に出来たとしても大勢に注目されている。
すぐに捕まってしまうだろう。
そこで私は諦めた。
事実を話せばいいだけだ。
駅にはカメラもあるはずだ。
私が何もしていないのもすぐに分かってもらえるはずだ。
私は囲まれたまま事務室のようなところに連れられていった。
すぐに警察が来た。
どうしてこう、悪者のような立場になった時だけ到着は早く感じるのだろうか。
私は1人の監視役と共に個室に閉じ込められていた。
当然女子学生とは違う部屋である。
多分今頃あちらの証言を聴いているところだろう。
何を言われているかは分からないが、事実が伝わることだけを願うだけである。
どれくらいここにいただろうか。
焦っているようでどれくらい経ったのかよく分からない。
多分警察が到着してから10分も経っていないだろう。
あまりかかるようなら会社に連絡しなければならない。
少し落ち着いてきたところで警察が部屋に訪れた。
それから私は滔々と事実だけを語り続けた。
後で知った話、他の人の証言と私の証言とは食い違っていたようだ。
「他の人」と言ったのは、あの女子学生だけではなく、私を取り押さえた人々の話も含んでいる。
事情聴取の段階で私は嘘つき扱いされていたという訳だ。
私は正義を持って行動したつもりが、正義を振りかざす者たちの嘘によってピエロに仕立て上げられてしまったという訳だ。
後で裁判所で聞いた話は私の記憶とは全く違うものである。
それでも私が私の無実を証明できるだけの証拠は何もない。
こうして私は仕事も財産も失って投獄された。
女子学生からすれば誰でもよかったのかもしれない。
誰も助けてくれなかった状況だった。
誰かからお金を奪い、そして誰かを牢獄に打ち込めればそれだけでよかったのかもしれない。
白羽の矢が立っただけだ。
私は絶望の中独房に足を踏み込んだ。
やや乱暴な看守は私の背中を押し、そうして今のところにいるのだ。
少し正義を履き違えたのだ。
誰かのための正義だ。
女子学生のストレスが軽減されたなら良かったのかもしれない。
そして私を取り押さえた彼らの正義感が満たされたのなら良かったのかもしれない。
私は正義のために生贄になったのだ。
こう淡々と話すのは私がもうすっかり諦めたからである。
ほんの数ヶ月経てばここから出ることができる。
問題はその後だ。
仕事は見つかるだろうか。
家族や友人、知り合いは何と言うだろうか。
私に立場など残されているだろうか。
誰が私を見て正義を思い出すだろうか。
それまでだって私の存在は平凡で、誰が正義を考えただろうか。
ゼロがプラスに行くどころかマイナスになっただけだ。
冷たい床と灰色の壁が作り出す圧迫感。
その原因は私自身の心象が間違えなく反映されていた。
極北に1人取り残されたような虚しさはまだこれから先続くのだった。
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