捻くれ者

藤堂Máquina

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捻くれ者2

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時期は3月の終わりだ。
チケットに書いてある情報なんてものは大してあてにはならない。
搭乗する飛行機と座席が書いてあるだけだ。
乗り継ぎの空港での搭乗時間ですら書いてない。
況してやその先の私の人生を導くものではない。
例によってメキシコ経由の殆ど最短ルートである。
成田からの搭乗である。
成田空港までの道のりの段階から列車の運休によって遠回りさせられた私だ。
私の心はこの時既に疲れていた。
普段あまり焦るようなことはないのだが、飛行機の時間に遅れるような状況になるのは避けなければならない。
流石に時間に余裕を持って出てきたものの、それでも落ち着いてはいられなかった。
勿論結果から言えばかなり余裕に到着した。
しかし実際感じることと言えば、身体的な疲労に比べても、精神的な疲弊の方が私自身に与える影響は大きく、回復に時間がかかるということだ。
成田からメキシコまでは特にこれといった出来事はなかった。
乗り継ぎに関しても、使えもしない英語で何となく通過しただけのことである。
前回違った点について語るにはメキシコからの機内について話すべきだろう。
そこにいたのは日本人の旦那さんを持つというコロンビア人の女性とその娘であった。
話すと旦那さんは今関東に住んでいるそうだ。
旦那さんに会いに時々日本を訪れるようで、今回もその復路ということらしい。
娘さんは話した感じだと高校生が大学生くらいらしく見えた。
しっかりしており、私のコロンビア入国の際にも入国審査表の記入を手助けしてくれた。
それは大いに助かったのだが、話好きの婦人に付き合うために眠ることが許されなかった。
コロンビア人の女性、特に北の方の出身であると陽気な人が多いらしい。
この人もそういう類の人なのだろうか。
そう思いながら航空機内の旅に耽っていた。
話をコロンビアに移そう。
仕事として行ったのがこの時である。
この時の到着も夜中であった。
空港自体の到着は確か23時頃であった。
そして例によって迎えに来たのは社長であった。
両替や手荷物検査などをしていたために、私が空港から出たのはもう少し後である。
社長は前回と同じように車で迎えに来て、そして私の荷物を積むと、私の滞在する家へと走らせた。
前回と違うところと言えば私のスーツケースが二つになったことくらいである。
コロンビアでの私は、日本語学校の生徒の家にホームステイすることになっていた。
「ホームステイをする」ということは聞いていたが、どこにあって、誰の家かは聞いていなかった。
正直に言えば前回来た時お世話になった家がよかった。
かなり環境が良く、お金を持っていそうだったからである。
さらに言えばそこの生徒と仲良くなっていたために気が楽だったというのもある。
しかしその期待に反して、車は違う方向へと向かっていた。
社長は車内で仕事の話を始めた。
その時聞かされたことだが、到着して3日後にもう授業があるようだった。
そして前任者はもうやめてしまったため、その人の作成した引き継ぎを見て授業をしなければならなかった。
前任が辞める前に口頭での引継ぎは必要だろう。
せめてもう一週間食い止めれば私とて授業の引継ぎができるというものだ。
しかも一クラスならまだしも、私に課されたものは四クラスであった。
私自身、日本語教授経験が完全に無い訳ではなかった。
しかし、ボランティアなどが中心で、具体的なカリキュラムのある学校においての教授経験は無い。
その上ここでの教科書は独自のものを使っているようで、日本にいる間に少し分析したものの、私の目から見ても不完全で、質問したい項目もとても多かった。
しかし、到着早々「できない」という言葉を口にする訳にもいかず、とりあえずなんとなく承諾したように振る舞った。
しかし、レベルも全く違う四クラスを3日後にしなければいけないというのは、思いの外負担になるのである。
話しているとそのうち車は止まった。
私達が到着したのは住宅街の一角にある平屋であった。
外から見ても実に立派な門であり、頑丈なそうな壁はセキュリティ面でも安全そうであった。
家の前の歩道に車を止めると、社長はインターホンを押しに外へ出た。
その間、私はトランクからスーツケースを引っ張り出していた。
自分で持ってきたものだが、客観的に見ると無駄なものの多いトランクであった。
同時に二つ持つことができない程に私の腕は細く、それだけトランクの重さもあった。
きっと私の腕を梃子にしたところでこのスーツケース二つというものは動かないだろう。
そんなことを考えながら私の腕は意外にも簡単に片方のそれを持ち上げた。
ガタガタした歩道であった。
脇には芝が生え、所々に背の低い木々が植えられていた。
それを除けば見晴らしは良く、危険なことも起こりにくいように感じた。
社長は何回かインターホンを押していたようだが、家からの反応はなかった。
そのうち彼女は携帯電話を取り出すと、家主にメッセージを送っていた。
多分10分は待たなかっただろう。
家の灯りがつくと、中から50歳手前の女性が出てきた。
どうやら元々社長の知り合いの女性らしい。
真夜中であり、多少申し訳ない時間とはいえ、事前に連絡してあったはずだからもっと早く出てきてくれればいいのにと思った。
彼女たちは目を合わせるとすぐに抱き合ってコロンビア流の挨拶を交わした。
そして私が紹介された後、家の中に招き入れられた。
入り口を入るとそこは殺風景なガレージであった。
自転車の他には数点の花瓶のようなものが置いてあるだけだったのである。
そこを抜けると実際の屋内であった。
私は持参したスリッパに履き替えると足を踏み入れた。
飛行機の中でも履いていたスリッパである。
安物ではあるが履き慣れていた。
踵を引きずって進むと一番奥の部屋に連れていかれた。
その時の私はと言うと、すっかり眠気が襲って来ており、ベッドを借りたかった。
しかし日本人の代表として招かれているだけにマナーを守る必要があると思った。
そうして社長からいくつかの注意点を聴き終えるとその日の私のすべきことは全て完了したようだった。
この国では朝にシャワーを浴びるのが普通だ。
そう言う訳で、コートを脱ぐと着替えもせずにベッドで深い眠りについた。
これはマナーに反していた可能性も否めないが、私の余裕はと言うと日本の空港に着く前に既に失われていたので許していただきたい。
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