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お題【鳥居をくぐれば】
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この街の人は何かにつけて「鳥居をくぐれば治るのに」と言う。
気分が悪くなったとき、忘れ物が多くなったとき、体調を崩したとき、事故に遭ったとき、周りで人が死んだとき。
引っ越してきたばかりの頃はその万能使いっぷりに怪しい宗教でもはびこっているのかと不安になったほど。
だけどまあ地元の神社を大切にする人が多いのは良いことだし、気にするのはやめた。
半年も経った頃、恋人ができた。
この街で生まれ育った人。もちろん口癖は「鳥居をくぐれば」。
あるデートのとき、彼女の身に些細なことだがちょっとしたプチ不幸が続いて、デートの行き先が急遽、件の鳥居へと変更になった。
僕も興味がないわけじゃなかったのでそのプランを受け入れ、彼女の鳥居参りへとついて行くことに。
「ねぇ。なんで神社へ行く、じゃなくて鳥居へ行く、なの?」
「鳥居へ行く、じゃないよ。鳥居をくぐるの」
「神社には?」
「行く人もいる。だけど大抵の人はくぐったら終わり。お年寄りはほぼほぼ鳥居だけ。鳥居の向こうの石段、古いし急だし登りにくいから」
「へー」
神社にお参りじゃなく、鳥居をくぐるだけってのがよくわからない。
例えば御本尊が公開禁止の寺社だと、御本尊の手前に拝むようのレプリカ的なものが置かれているって話は聞いたことがある。
その鳥居が御本尊代わりってことはあるのかもしれないが、でも、だとしたら、階段登りにくいからって理由は余計だと思うんだ。
「着いたよ。頭につけてるもの全部取って。帽子も眼鏡もマスクも補聴器もダメ。カツラだって取るんだから」
幸い、指定されたモノで付けていたのはマスクだけ。
僕は言われた通りにマスクを外す。彼女はマスクばかりかピアスまで外してバッグにしまっている。
「コンタクトは?」
「鳥居をくぐるときは目をつぶっているからコンタクトは大丈夫らしいよ」
「ふーん。で、鳥居ってこれ?」
入り口入ってすぐの大きな鳥居を指差すと、彼女は無言で首を振って否定する。
「入ったら、声を出すのもダメだから。でね、最初に説明しておくと、この先の鳥居なの。その真下で立ち止まってね、目を閉じって心のなかで『お祓いください』と唱えるのね。肩が軽くなるまでずっと」
「肩、軽くなるんだ?」
「なるよ。で、帰りは鳥居をくぐっちゃダメなの」
「決まりごとが多いんだな」
「よく効くってことは、そういうことなの」
わかったようなわからないようなことを言われて、納得はできなかったがルールは理解した。
住宅街とは思えない鬱蒼と茂った小山の中へと伸びている参道を、黙って彼女について行く。
玉砂利の中央に、大蛇の背のように揺らぎながら続く石畳を歩く。
手水もなく、雰囲気としては登山道の入り口に近い。
というのも道の両側の樹々が覆いかぶさるように枝葉を伸ばしていて、先が見通せないのだ。
その状態で数分歩いたかな。
急に視界が開けた。
ここからは石畳がまっすぐになり、数段のみの階段を経て、石造りの古そうな鳥居が見えた。
あれが万能の鳥居とやらか。
背筋がゾクリとして、そのせいか彼女から少しだけ遅れた。
彼女はもう鳥居の真下に着き、そこで手を合わせている。
ふいに、黒いモヤのようなものが上から下りてきた。
つい、目がそれを、それを伸ばしてきた元を辿った。
「!」
思わず声が出そうになった――のを、必死にこらえる。
注意されていたからではなく、声をあげることに対して本能的に危機感を覚えたから。
鳥居の上には、真っ黒い大きな猿だと感じる影がしがみついていて、やけに長く伸びる手で彼女の頭部を撫で回しているのだ。
黒い手は一頻り彼女を撫で回すと、その後彼女の頭に黒いモノを刺した。
形的にはタンポポの綿毛と茎。真っ黒だけど。
刺すとはいっても、その様子まるで生花のようだった。
彼女が祈りをやめて頭をあげると、その黒い綿毛のようなモノは霞んで消えた。眩しいものを見た直後に目に焼き付いた残像が消えるように、じわりと。
鳥居の外側を回って戻ってきた彼女は笑顔で神社の入り口を指さした。
僕もくぐれというサインでなくて心底ホッとした。
僕は鳥居に近づくことなく、その神社の境内を後にした。
それ以来、僕は街のあちこちで黒いモノが視えるようになった。
そいつらはクラゲのように街の中をたゆたっていて、人が近づくとふわりと寄ってゆく。
すると寄られた人の頭からはあの黒綿毛のようなモノがぴょこんと飛び出し、黒いモノはそれに飛びつき、黒綿毛と一緒にその人の頭の中へ吸い込まれる。
そんな目に遭った人は皆一様に具合を悪くしたり不運が続いたりして、そして必ず「鳥居をくぐれば治るよ」と言い出す。
僕はその街を出た。
彼女も誘ったのだが、地元愛とやらを理由に街を離れることを拒んだので別れた。
その街の名前が、その地方の言葉で「生け簀」を表すと知ったのは、それから何年か経ってからだった。
<終>
気分が悪くなったとき、忘れ物が多くなったとき、体調を崩したとき、事故に遭ったとき、周りで人が死んだとき。
引っ越してきたばかりの頃はその万能使いっぷりに怪しい宗教でもはびこっているのかと不安になったほど。
だけどまあ地元の神社を大切にする人が多いのは良いことだし、気にするのはやめた。
半年も経った頃、恋人ができた。
この街で生まれ育った人。もちろん口癖は「鳥居をくぐれば」。
あるデートのとき、彼女の身に些細なことだがちょっとしたプチ不幸が続いて、デートの行き先が急遽、件の鳥居へと変更になった。
僕も興味がないわけじゃなかったのでそのプランを受け入れ、彼女の鳥居参りへとついて行くことに。
「ねぇ。なんで神社へ行く、じゃなくて鳥居へ行く、なの?」
「鳥居へ行く、じゃないよ。鳥居をくぐるの」
「神社には?」
「行く人もいる。だけど大抵の人はくぐったら終わり。お年寄りはほぼほぼ鳥居だけ。鳥居の向こうの石段、古いし急だし登りにくいから」
「へー」
神社にお参りじゃなく、鳥居をくぐるだけってのがよくわからない。
例えば御本尊が公開禁止の寺社だと、御本尊の手前に拝むようのレプリカ的なものが置かれているって話は聞いたことがある。
その鳥居が御本尊代わりってことはあるのかもしれないが、でも、だとしたら、階段登りにくいからって理由は余計だと思うんだ。
「着いたよ。頭につけてるもの全部取って。帽子も眼鏡もマスクも補聴器もダメ。カツラだって取るんだから」
幸い、指定されたモノで付けていたのはマスクだけ。
僕は言われた通りにマスクを外す。彼女はマスクばかりかピアスまで外してバッグにしまっている。
「コンタクトは?」
「鳥居をくぐるときは目をつぶっているからコンタクトは大丈夫らしいよ」
「ふーん。で、鳥居ってこれ?」
入り口入ってすぐの大きな鳥居を指差すと、彼女は無言で首を振って否定する。
「入ったら、声を出すのもダメだから。でね、最初に説明しておくと、この先の鳥居なの。その真下で立ち止まってね、目を閉じって心のなかで『お祓いください』と唱えるのね。肩が軽くなるまでずっと」
「肩、軽くなるんだ?」
「なるよ。で、帰りは鳥居をくぐっちゃダメなの」
「決まりごとが多いんだな」
「よく効くってことは、そういうことなの」
わかったようなわからないようなことを言われて、納得はできなかったがルールは理解した。
住宅街とは思えない鬱蒼と茂った小山の中へと伸びている参道を、黙って彼女について行く。
玉砂利の中央に、大蛇の背のように揺らぎながら続く石畳を歩く。
手水もなく、雰囲気としては登山道の入り口に近い。
というのも道の両側の樹々が覆いかぶさるように枝葉を伸ばしていて、先が見通せないのだ。
その状態で数分歩いたかな。
急に視界が開けた。
ここからは石畳がまっすぐになり、数段のみの階段を経て、石造りの古そうな鳥居が見えた。
あれが万能の鳥居とやらか。
背筋がゾクリとして、そのせいか彼女から少しだけ遅れた。
彼女はもう鳥居の真下に着き、そこで手を合わせている。
ふいに、黒いモヤのようなものが上から下りてきた。
つい、目がそれを、それを伸ばしてきた元を辿った。
「!」
思わず声が出そうになった――のを、必死にこらえる。
注意されていたからではなく、声をあげることに対して本能的に危機感を覚えたから。
鳥居の上には、真っ黒い大きな猿だと感じる影がしがみついていて、やけに長く伸びる手で彼女の頭部を撫で回しているのだ。
黒い手は一頻り彼女を撫で回すと、その後彼女の頭に黒いモノを刺した。
形的にはタンポポの綿毛と茎。真っ黒だけど。
刺すとはいっても、その様子まるで生花のようだった。
彼女が祈りをやめて頭をあげると、その黒い綿毛のようなモノは霞んで消えた。眩しいものを見た直後に目に焼き付いた残像が消えるように、じわりと。
鳥居の外側を回って戻ってきた彼女は笑顔で神社の入り口を指さした。
僕もくぐれというサインでなくて心底ホッとした。
僕は鳥居に近づくことなく、その神社の境内を後にした。
それ以来、僕は街のあちこちで黒いモノが視えるようになった。
そいつらはクラゲのように街の中をたゆたっていて、人が近づくとふわりと寄ってゆく。
すると寄られた人の頭からはあの黒綿毛のようなモノがぴょこんと飛び出し、黒いモノはそれに飛びつき、黒綿毛と一緒にその人の頭の中へ吸い込まれる。
そんな目に遭った人は皆一様に具合を悪くしたり不運が続いたりして、そして必ず「鳥居をくぐれば治るよ」と言い出す。
僕はその街を出た。
彼女も誘ったのだが、地元愛とやらを理由に街を離れることを拒んだので別れた。
その街の名前が、その地方の言葉で「生け簀」を表すと知ったのは、それから何年か経ってからだった。
<終>
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