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お題【マネキン達の賭け事】
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生まれて初めて、人の腕が千切れる音を聞いた。
その音から少し遅れて、コースケさんが呻き声のような絶叫をあげたように、僕らの動きも、少し遅れた。
多分、ほんの数秒。
だけどそのわずかな間に、マネキンたちはゾンビみたいに、コースケさんに群がっていた。
「こっち」
女の子の、小さな声だった。
我に帰った僕は慌てて声のした方を見る。
さっき上るのをやめた二階の端から、女の子の顔が覗いていた。
再びコースケさんへ視線を戻すと、マネキンたちの隙間から不自然な位置にコースケさんの手足がはみ出ているのが見える。
僕の背後から足音が遠ざかる。
振り返ると、雪アザラシさんが二階へとつながる朽ちかけた階段に向かって走り始めていた。
もう一度振り返り、コースケさんの向こう、入り口付近を確認する。
また何体か増えてる……まだ増えるのか。
マネキンたちは初期のゾンビ映画みたいに動きは遅いから、逃げ切れるはずだった。
でも、あんなに力が強いなんて……あの数を避けきれるのか……でも、どのみち車まで戻れても、車の鍵はコースケさんが持っていて、今はとてもじゃないけど近寄れない。
カン、カン、カ、カン、カン、カ、カン、と、階段を登り始める音。
何体かがこちらへ体を向けたから、僕もとりあえず階段へと走った。
足をかけて改めて思い知る、腐食で穴だらけの階段の頼りなさ。
触れただけで面白いくらいに揺れる手すりの先は、階段の途中で階段から外れて宙ぶらりん状態。
手すりから離した掌がこんなにも赤く見えるのは錆のせいなのか、それとも破れた壁から差し込む夕陽のせいか。
ガタン、ガタ、とぎこちない物音が足音みたいに近づいてくる。
もう二階へと登りきっている雪アザラシさんの背中を追いかけて、僕も階段を駆け上がった。
二階へ登りきって、すぐに階下を確認する。
マネキンたちのぎこちない動きは、数段登っては転げて床へ落ちる繰り返し。
さっきの女の子がここに避難していたということは、あいつらはここまで上がってこれないのだろうか。
だとしたら、僕らがこの廃工場へ来てしばらくの間みたいに動かなくなるタイミングを待って、車の鍵を取り戻して……コースケさんの体はどこだ?
コースケさんがさっき群がられていた場所は血溜まりがあるだけで、今は誰も、何も居ない。
風の谷の奈良鹿さんみたいにどこかへ連れ去られたのだろうか。
階段下のマネキンたちの数も、さっきコースケさんに群がっていた数よりも少ないし……。
「あの」
女の子の声にぎょっとして振り向く。
さっき二階から覗いていた子。
夏だっていうのにダウンコートみたいなのを羽織って……そのダウンも、靴も、もう片方の裸足も赤茶けた、乾いた血の色……いや、この子も、悲惨な中を生き延びた人なんだろう。
「声をかけてくれてありがとう」
お礼を言いながらも、先に登ってきたはずの雪アザラシさんを探す……が、姿は見えない。
二階部分にも色々と背の高い箱が置いてある。
どこかへ隠れちゃってるのだろうか。
「ありがとう」
女の子もお礼を返してくれる。
この子はどんな想いでこんな場所にずっと隠れていたのだろうか。
早く車の鍵を取り戻して、三人でここを脱出して……いや、先に警察に電話……なんでこんな状況になるまで思いつかなかったんだ僕らは……ポケットからスマホを取り出して電話をかけようとしたら、女の子の少し汚れた手が、僕のスマホ画面を覆った。
「ちょっと待っててね、警察に電話するから」
女の子の手を振り払おうとして、視界の端に入った女の子の下半身。
ダウンコートの前がはだけていて、右足の靴と靴下以外何も履いていない……何も、下着も。
「ご、ごめん、見るつもりじゃ」
視線を階段の下へと逸らす。
マネキンが、増えてる……階段の下でぎこちない動きでうまく登れない連中は相変わらずだけど、その後ろに何人か……嘘だろ?
マネキンたちに混ざって、風の谷の奈良鹿さんが……いや、どれだ?
風の谷の奈良鹿さんの頭をしているのに体は剥き出しのマネキン、風の谷の奈良鹿さんのシャツを来て上半身の体型は全く一緒なのに手足がマネキン、風の谷の奈良鹿さんのズボンを右脚だけ履いたマネキン、左脚と。
そこまで確認したとき、スマホを持つ手首をつかまれた。
冷たい、とても冷たい手だった。
その手は女の子の手。
女の子をもう一度見る。
さっきは目を逸らしてしまってしっかり見えなかったダウンコートの内側は、よく見ると、右足の膝のところに大きな傷口がある……そこで脚の太さが変わっている。
いや、そんな些細なことよりも、女の子の裸の下半身に乗っかっているのが、マネキンの胴体。
そして、胴体の上、首のところからまた人の頭。
「あと、胴体だけなの」
よく考えたらさっきからずっと表情を変えない女の子の、抑揚もない同じトーンの声。
女の子の手は、物凄い力で振りほどけない……必死にもがいていたら、僕のスマホが階下へと落ちた。
「どうして」
思わず悲痛な声が出た。
それは問いではなかったのに、女の子は答えた。
「賭けなの。誰が最初に、人間になれるか」
「まだ、わからないよ。私の方が早いかもだし」
女の子の後ろから、雪アザラシさんの頭をつけたナニカが女の子の肩に手をかけた。
そいつも、胴体の胸部分だけがマネキンだった。
階段からは、コースケさんの上半身をしたマネキン頭のやつが、器用に登ってきているのが見えた。
<終>
その音から少し遅れて、コースケさんが呻き声のような絶叫をあげたように、僕らの動きも、少し遅れた。
多分、ほんの数秒。
だけどそのわずかな間に、マネキンたちはゾンビみたいに、コースケさんに群がっていた。
「こっち」
女の子の、小さな声だった。
我に帰った僕は慌てて声のした方を見る。
さっき上るのをやめた二階の端から、女の子の顔が覗いていた。
再びコースケさんへ視線を戻すと、マネキンたちの隙間から不自然な位置にコースケさんの手足がはみ出ているのが見える。
僕の背後から足音が遠ざかる。
振り返ると、雪アザラシさんが二階へとつながる朽ちかけた階段に向かって走り始めていた。
もう一度振り返り、コースケさんの向こう、入り口付近を確認する。
また何体か増えてる……まだ増えるのか。
マネキンたちは初期のゾンビ映画みたいに動きは遅いから、逃げ切れるはずだった。
でも、あんなに力が強いなんて……あの数を避けきれるのか……でも、どのみち車まで戻れても、車の鍵はコースケさんが持っていて、今はとてもじゃないけど近寄れない。
カン、カン、カ、カン、カン、カ、カン、と、階段を登り始める音。
何体かがこちらへ体を向けたから、僕もとりあえず階段へと走った。
足をかけて改めて思い知る、腐食で穴だらけの階段の頼りなさ。
触れただけで面白いくらいに揺れる手すりの先は、階段の途中で階段から外れて宙ぶらりん状態。
手すりから離した掌がこんなにも赤く見えるのは錆のせいなのか、それとも破れた壁から差し込む夕陽のせいか。
ガタン、ガタ、とぎこちない物音が足音みたいに近づいてくる。
もう二階へと登りきっている雪アザラシさんの背中を追いかけて、僕も階段を駆け上がった。
二階へ登りきって、すぐに階下を確認する。
マネキンたちのぎこちない動きは、数段登っては転げて床へ落ちる繰り返し。
さっきの女の子がここに避難していたということは、あいつらはここまで上がってこれないのだろうか。
だとしたら、僕らがこの廃工場へ来てしばらくの間みたいに動かなくなるタイミングを待って、車の鍵を取り戻して……コースケさんの体はどこだ?
コースケさんがさっき群がられていた場所は血溜まりがあるだけで、今は誰も、何も居ない。
風の谷の奈良鹿さんみたいにどこかへ連れ去られたのだろうか。
階段下のマネキンたちの数も、さっきコースケさんに群がっていた数よりも少ないし……。
「あの」
女の子の声にぎょっとして振り向く。
さっき二階から覗いていた子。
夏だっていうのにダウンコートみたいなのを羽織って……そのダウンも、靴も、もう片方の裸足も赤茶けた、乾いた血の色……いや、この子も、悲惨な中を生き延びた人なんだろう。
「声をかけてくれてありがとう」
お礼を言いながらも、先に登ってきたはずの雪アザラシさんを探す……が、姿は見えない。
二階部分にも色々と背の高い箱が置いてある。
どこかへ隠れちゃってるのだろうか。
「ありがとう」
女の子もお礼を返してくれる。
この子はどんな想いでこんな場所にずっと隠れていたのだろうか。
早く車の鍵を取り戻して、三人でここを脱出して……いや、先に警察に電話……なんでこんな状況になるまで思いつかなかったんだ僕らは……ポケットからスマホを取り出して電話をかけようとしたら、女の子の少し汚れた手が、僕のスマホ画面を覆った。
「ちょっと待っててね、警察に電話するから」
女の子の手を振り払おうとして、視界の端に入った女の子の下半身。
ダウンコートの前がはだけていて、右足の靴と靴下以外何も履いていない……何も、下着も。
「ご、ごめん、見るつもりじゃ」
視線を階段の下へと逸らす。
マネキンが、増えてる……階段の下でぎこちない動きでうまく登れない連中は相変わらずだけど、その後ろに何人か……嘘だろ?
マネキンたちに混ざって、風の谷の奈良鹿さんが……いや、どれだ?
風の谷の奈良鹿さんの頭をしているのに体は剥き出しのマネキン、風の谷の奈良鹿さんのシャツを来て上半身の体型は全く一緒なのに手足がマネキン、風の谷の奈良鹿さんのズボンを右脚だけ履いたマネキン、左脚と。
そこまで確認したとき、スマホを持つ手首をつかまれた。
冷たい、とても冷たい手だった。
その手は女の子の手。
女の子をもう一度見る。
さっきは目を逸らしてしまってしっかり見えなかったダウンコートの内側は、よく見ると、右足の膝のところに大きな傷口がある……そこで脚の太さが変わっている。
いや、そんな些細なことよりも、女の子の裸の下半身に乗っかっているのが、マネキンの胴体。
そして、胴体の上、首のところからまた人の頭。
「あと、胴体だけなの」
よく考えたらさっきからずっと表情を変えない女の子の、抑揚もない同じトーンの声。
女の子の手は、物凄い力で振りほどけない……必死にもがいていたら、僕のスマホが階下へと落ちた。
「どうして」
思わず悲痛な声が出た。
それは問いではなかったのに、女の子は答えた。
「賭けなの。誰が最初に、人間になれるか」
「まだ、わからないよ。私の方が早いかもだし」
女の子の後ろから、雪アザラシさんの頭をつけたナニカが女の子の肩に手をかけた。
そいつも、胴体の胸部分だけがマネキンだった。
階段からは、コースケさんの上半身をしたマネキン頭のやつが、器用に登ってきているのが見えた。
<終>
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