お題ショートショート【一話完結短編集】

だんぞう

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お題【お休みなさいを言う前に】

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 30分前のアラームが鳴った。
 もうこんな時間か。
 私はいそいで準備を済ませると、その時が来るのを待つ。
 時間がぴったり決まっているわけじゃない。だいたいこの時間……ああ、この待っている時間がとても心臓に悪い。

 キィ……。

 廊下の向こうのドアが開く音。

 ガサ、ガサ。

 廊下に敷いたビニルシートの上を歩いてきている音。

 ガサ、ガサ。

 もうそろそろか。
 私は丈夫なラップを、顔を覆えるくらい引き出すと、それを自分の顔へ、仮面のように貼り付けた。その上から眼鏡を付ける。これはラップが落ちないようにするため。それから素早く使い捨てポリ手袋をはめる。
 ちょうどその時、眼鏡のフレームに、彼女の姿が見えた。

 上下ピンクのトレーナーを着た、5歳の少女ゾンビ。
 生前は私の娘だったナオミ。

 ガサ、ガサ、ガサ。

 ナオミは部屋の中へと入ってくる。もちろんこの部屋の床にもビニルシートを敷いてある。
 そして私のすぐ目の前まできて、立ち止まる。

 こぽ、ゴポこぽ。

 ゾンビはしゃべることが出来ない。でも、なんて言っているつもりなのかは、私にもわかる。

「お休みなさいを言う前に」

 彼女がかつてしゃべっていた言葉を、私は口にし、そして顎のラップが剥がれないよう押さえながら、彼女の額におやすみのキスをした。

 こぽポ。

「おやすみ」

 私はポリ手袋をはめたまま、彼女の頭を撫でる。
 彼女は土気色の顔を無表情に保ったままゆっくりと回れ右して、ゆらり、ゆらりと、今来た道を戻ってゆく。

 ガサ、ガサ、ガサ、ガサ……キィ。

 彼女が自室に戻ったのを耳で確認し、私は急いで床を除菌ティッシュで拭く。さっき彼女が口を開いた時、こぼれ落ちた液体、あれに素肌が触れただけでも、感染してゾンビになる恐れがあるからだ。
 眼鏡も除菌ティッシュで吹き、ラップを剥がし、最後にポリ手袋を内側からめくるように脱いで、それら全てをビニール袋に二重に入れて棄てる。
 世界的に大流行したあの殺人ウイルスのおかげというのも変だけど、人類はゾンビウイルスに対し、かなりの初期段階から対策することに成功した。

 だからこそ……危険なゾンビではあるが、私同様、今でも一緒に暮らしている人は少なくない。
 それは、ゾンビが基本、人を襲わないからだ。

 ゾンビは、生前に最もよく繰り返していた行為を繰り返す。偉い学者さんは「群れから追い出されないよう群れの一員として擬態し、その群れの仲間へ感染させようとするからじゃないか」と言っていた。
 生前、他人をよく攻撃するタイプの人は当然、ゾンビになってからも人を襲う。もちろん、うちのナオミはそんな外道ゾンビではない。

 昼間はずっとソファに寝転がってタブレットを眺め、寝る前のこの時間におやすみのキスをせがみに来る。
 それだけ。
 暴れるわけでもなければ、人を襲うわけでもない。生前の彼女と同じ様に、ほぼ同じ姿で、そこに存在し続けている。
 見た目はちょっとアレだけど……ゾンビになっても、私の可愛い愛娘のまま、変わらない。

 時々、実はまだ生きているんじゃないかと思うこともある。
 腐敗臭だって想像以上にしない。群れに混ざるため、肉体の腐敗は信じられないほど緩やかだという。

 ただいつか、ナオミには外へ出たがる時が訪れるはず。
 偉い学者さんが言っていた。肉体の腐敗により移動できる能力を失う前に、ゾンビは今いる場所を離れて遠くへと旅立つ、と。群れへの感染から、遠く離れた新しい場所への感染へと切り替えるらしい。
 そして旅を続け、さらに腐敗が進行し、とうとう動けなくなったゾンビは、周囲を感染させるべく勢いよく弾けるのだという。そんなゾンビの自爆は、こんなビニルシートやラップや手袋程度で防げるレベルじゃないそうで、その前にゾンビ処理隊に捕獲され、ゾンビ専用施設で燃やされるという。
 ゾンビの旅立ちが、いつなのかわからない。ゾンビによって個人差があるらしいから。

 生きていたって、子はいずれ、親の元を離れてゆくんだ。
 今はそう思うことにしている。
 ナオミがゾンビになって半年。
 まだ半年なのか、もう半年なのかはわからないけれど、あともう少しだけ、私の娘としてここに居てほしい。

 明日もまた、お休みなさいを言う前に。
 私の可愛い娘にキスできますように。



<終>
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