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お題【オギソ】
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うちの中学の近くを、そこそこ大きな川が流れている。
河原も広く、雑草がもりもりと茂り、立派な鉄道橋もある。
この鉄道橋はうちの中学の屋上から見えるはずなのだけど、屋上フェンスのそちら側はなぜか一面に不透明なプラスチックの板が取り付けてあり、現在は見ることができない。
川の土手はジョギングコースとして整備されていて、運動部もよく土手をジョギングしているが、橋脚に近づくと折り返す。
運動部の友達が言ってたのだが、顧問からそう指導されているらしい。
というのも、あの橋脚部分で昔、うちの中学の生徒が死んだ、という噂があるからだ。
橋脚は分厚いコンクリート造りで、こちら側の土手から川向こうまで五本建っている。
その一番こちら側の橋脚がオギソだ。
オギソだけは、他の橋脚とは異なり、コの字型の金属の梯子みたいなのがいくつも打ち込まれている。
タラップとかいう名前らしい。
地上から鉄道橋まで登れるようになっているのだ。
そのタラップの一番上あたりに、赤いペンキで乱暴な字が書かれている。
それが「オ、ギ、ソ」と読めるせいで、この橋脚だけ「オギソ橋脚」とか「オギソ」とか呼ばれている。
死んだ生徒は、オギソに登って死んだらしいが、落ちたのか、それとも鉄橋で轢かれたのか、別の死に方なのか、よくわからない。
この街ではタブーとされているみたいで、大人は誰もその話をしようとしないのだ。
どこの町にもこうしたタブーの一つや二つ、あると思う。
うちの近所ではオギソがそうだったってだけ。
ただ、それだけ。
僕らはオギソ近くの中学校で、オギソに近づかないよう過ごし、そのまま卒業した。
僕は高校入学のタイミングで遠くの町へと引っ越し、このままオギソのことなんて忘れるはずだった。
だけど卒業式の夜、幼馴染のハムチがとんでもないことを言い出したんだ。
「なあ、肝試し行かないか? ニッシーと今ちゃんと四人で」
このへんで肝試しと言ったらオギソしかない。
僕が引っ越す前の思い出作りで、小中一緒の悪友四人組で最後に一発かましてやろうっていう話だった。
僕らはもともと、卒業式の夜は今ちゃんの家でお泊まり会をする予定だった。
その今ちゃんの家からオギソまで歩いて十分もしない。
ハムチがその計画をニッシーに伝えると、ニッシーは二つ返事で「いいぜ」と眼鏡をクイっと直した。
だけど今ちゃんには夕飯が終わり、皆がお風呂から出るまで黙っていた。
「え? 今から?」
思っていた通り、今ちゃんはお決まりのセリフを言う。
今ちゃんはなんというか腰が重くって、何か提案してもすぐに「今から?」って聞き返してくる。
本名は今川だし、もう「今」っていうために生まれて来た感じ。
「俺はいいぜ」
ニッシーが枕元に置いた眼鏡をすっとかけ、僕の顔を見る。
ハムチも、首を横に振っている今ちゃんも僕の顔をじっと見ている。
僕は計画通り、ちょっとタメを作る。
でも、心の底にはオギソじゃないイベントの方がいいなという想いもあったのは事実だ。答えるのを、本当に迷っていたんだ。
「なぁ、俺たちは中学を卒業した。もうガキじゃねぇんだぜ。それに四人で居られるのは、もうあとほんの少しだけなんだし……思い出作ろうぜ!」
ハムチが熱い説得をかます。
思い出、か。
僕はその言葉に背中を押された気がした。
「思い出に、なるよな、きっと」
僕がそう言うと、ハムチが今ちゃんの背中を叩きながら「絶対なるぜ!」と嬉しそうに言い、そのままさっさと着替え始めてしまう。
僕とニッシーも後を追うように着替え始める。
「今ちゃん、パジャマのまま行くの? それもカッコイイけど、汚れそうだぜ」
ニッシーにそう言われて、今ちゃんもようやく立ち上がった。
「オレ、まだ行くとか決めてないから」
そう言いつつも懐中電灯を探している今ちゃんは、やっぱり僕らの仲間だ。
「あのタラップを登り切ったあたりに字が書かれているの、知っているだろ?」
もうすっかり着替え終わったハムチが、持ち物の最終確認をしながら僕らに言った。
「双眼鏡でガチに見た事あるぜ。『オ、ギ、ソ』だろ?」
ニッシーも準備が整ったようだ。
「それ。でもさ、『オ』と『ギソ』の間、妙に空いてねぇ?」
「そう言われれば……」
僕も着替え終わった。
口では彼らに合わせたが、実は僕自身がオギソを見たのはもう二年以上前だから……本当はほとんど覚えていない。
「俺はさ、あそこに書かれている字が消されているって聞いたんだ。死んじゃったうちの生徒も、それを確かめようとしたっていう噂だぜ」
どうやらハムチはどこからか情報を入手してきているようだ。
「『オ』じゃねぇの? オオグソ。大きなウンコ」
「『グ』じゃないでしょ。『ギ』だってば。適当なこと言うと呪われちゃうよ?」
ニッシーの下品なジョークを、今ちゃんが心配する。
呪いというものがあるとして、その射程距離ってどのくらいなんだろう。
歩いて十分の場所でオギソをバカにすることは、なんだかよくない、と感じるのは僕も今ちゃんと同じだ。
「俺、その消された字があるのかどうかを、確かめたいんだ」
「おおーっ!」
ハムチの熱意に、今ちゃんのスイッチが入ったようで歓声を上げる。僕とニッシーもその歓声に合流する。
「ちょっとー! あまり大きな声出したらだめよー! もう夜遅いんだからねー!」
階下から今ちゃんのお母さんの声がした。
僕らは声をひそめ、ハムチの計画を確認する。
「でもさ、オギソの下あたりって、フェンスで覆われてなかったっけ?」
「下から行けば、な」
「下がダメなら上……って、まさか線路?」
「もう少し待てば終電も終わるだろ。オギソに一番近い踏切まで、ここから五分もかからない。オギソまで直接行くよか遠回りだけど、登らないでいいんだぜ。安全だろ?」
今思えば、鉄道橋を歩くというのは絶対安全ではないのだけど、その時の僕らは超絶攻略ルートを見つけた気になってしまっていた。
こうやって何かに挑戦するってのは熱くなる。
今ちゃんだっていつの間にかテンションが上がっている。
街のタブーが明らかになるかもしれないという期待と、卒業式の夜という特別な背景もあり、僕らはいつしか恐怖を忘れていた。
それぞれが懐中電灯と、証拠写真を撮るためのカメラやら携帯電話やらを持ち、近所のコンビニへ行くと嘘をついて今ちゃんの家を抜け出した。
僕がもうすぐ引っ越すことは今ちゃんの家族も知っているから、大目に見てもらえたってのはあるかもしれない。
今ちゃんの家を出た僕らは早速、踏切へと向かった。
「草木も眠る丑三つ時って言うけどさ、実際は踏切も眠る丑三つ時だよな」
ニッシーが嬉しそうに踏切の降りていないバーをバンバンと叩く。
「おい、声大きいって! 通報されたらアウトだぜ」
「だな。ごめん」
ジャラ、ジャラ。
ハムチの計画通り線路を歩き始めたけれど、レールは思ったよりも幅が狭く、歩けないことはないけれどバランスを取らなきゃいけないから歩くスピードが極端に落ちる。
レールを止めている枕木と枕木との間には大き目の砂利が敷き詰められていて、歩きにくくはあったし、音も出たけれど、レールの上よりかは随分とマシだった。
ジャラ、ジャラ。
砂利の音が通報につながるんじゃないかとハラハラしながらも、僕らは鉄道橋の方へと急ぐ。
「歩いちゃいけないところを歩いている」という冒険感覚が、たまらなく僕らを駆り立てた。
進むにつれ、線路の両脇にコンクリ壁が出来始める。
壁の高さは僕らの背よりは若干低かったので、線路の標高が上がり、近隣住宅の二階の窓やベランダが目線と同じ高さになったあたりでは、僕らは中腰でかがみながら歩き続けた。
「見ろよ」
ハムチが前方を指差す。
線路の両脇のコンクリ壁が突如として終わり、そこから先は東京タワーみたいな鉄の骨組みだけの鉄道橋が始まっている。
ここまでは線路の高さが上がっても、砂利の上を歩いているせいか地上との陸続き感があった。
しかし鉄道橋手前からは砂利がなくなり、枕木の下は抜け、先の見通せない真っ暗な闇だけになる。
コンクリ壁の途切れた場所から周囲を見てみると、二階建て住宅の屋根すらも見下ろせる高さだ。
「ここまで来たんだな」
ハムチがボソッと呟く。
踏切からオギソまで予想では十分ちょいくらいのはずだったが、時計を見ると三十分はかかっている。
体感ではもっと時間をかけたような、長い冒険を一つ終わらせたような、疲労感と達成感をもう感じていた。
「さ、オギソに近づこうぜ」
そうだ。終わったどころか、まだメインイベントにたどり着く前なんだよね。僕らは、鉄道橋へと足を踏み入れた。
鉄道橋の線路脇には、線路よりも一段低くなっている通路みたいなものがあり、そこには手すりもついている。僕らはその通路へと降り、手すりにしがみつく。
「冷てぇ」
今ちゃんの声に誰も反応しない。
気持ちは同じなのだが、足元の景色に圧倒されて声を出せないでいたのだ。
通路の床は、格子状の金属で金網床になっている。
金網床の隙間は、携帯電話を落としてもなんとか通過せずに済みそうだけど、持ってきた懐中電灯……細身のLEDライトや、家の鍵なんかは、落としたらもう二度と取り戻せない気がするくらいの粗さ。
しかも三月の冷たい風が足下から吹き付けてくる。
さっきまでは歩き続けていたこともあって感じなかった寒さが、つま先からじわじわと僕らの熱を奪ってゆく。
奪われるのは体の熱だけじゃない。
僕の気持ちはだんだんと帰りたい気持ちへと傾きつつあった。
「なあ、あれじゃないか?」
腰が引け始めていた僕らとは対照的に、ハムチはオギソの字をずっと探していた。
「本当だ。オギソ、見えるな」
ニッシーも照らした場所を、僕と今ちゃんの懐中電灯が後追いする。冒険の本来の目的地に、僕らはようやく到着したのだ。
半分といえどもやり遂げたという想いが、熱を失いかけていた僕の心に、再び火を点す。
「おい、あれ……」
ニッシーがオギソではなく、僕らの居る金網通路の先の辺りを照らしている。
そこにはマンホールくらいの大きさの四角いフレームが見えた。
ハムチを先頭に近づいて行くと、それは床下につながる扉のようなものだった。
この金網通路の床下はというと、また別の通路が見える。
一段下の床下通路もまた造りは金網床で、ただ、この通路とは直角に鉄道橋の真ん中の方へ伸びていた。
「オギソの近くに行くための通路じゃねぇか?」
四人とも一瞬、無言になった。
他の三人はともかく僕は、鍵かかってるといいなとか、オギソの近くに行くのはやっぱり嫌だなとか、ハムチやニッシーには聞かれたくない想いを抱えていた。
「開けてみようか」
そうだよな。
ハムチはそう言うと思った。
……タタン、タタンタタン、タタンタタン……。
「あれ? 何か聞こえない?」
今ちゃんがキョロキョロしはじめた。
……タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン……。
確かに何か聞こえる。それもだんだん音が大きくなってゆく。
「あっ」
ニッシーが鉄道橋の向こう側を指差す。
小さな灯りの点った何かが、こちらへ近づいて来るのが見えた。
「ヤバい、灯り消せ!」
懐中電灯を消しつつ、腕時計を見る。
2時12分。
終電なんか絶対に終わっているはずの時間だ。
……タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン……ガシャン!
ガシャンという音はすぐ近くで響いた。
ハムチが床下扉を開けた音だった。
なんで鍵かけておかないんだよ、という気持ちは、ここに逃げ込めば近づいて来るあのナニカからは逃げられるかも、という気持ちに、一瞬にして塗りつぶされる。
「そっか。下の通路に隠れるんだね」
僕が言うよりも早く、ハムチは下の通路に飛び降りていた。
床下通路までは一応、金属製の梯子のようなものが設置されている。
床下通路の床も金網床になっていて、真下……かなり距離がある地面がすごくよく見える。
その距離を認識した途端、自然と足がすくんだ。ニッシーは飛び降りたりせずに梯子を使って降りる。
……タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン……。
僕もすぐに続いて、梯子を下りて床下通路へ。
……タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン……。
続けて今ちゃんも……焦って梯子に足をかけ損なって滑り落ちそうになったのを、僕とニッシーとで慌てて支えた。
「今ちゃん、閉め忘れてる!」
扉を閉めるために、僕は梯子に足をかけて登ろうとした……その時。
タタンタタン、タタンタタン、キィーーー。
あの音はすぐ近くで止まった。すぐ近くで……。
ガシャン、ガシャン、ガシャン。
金網通路に誰かが降りた足音。
ヤバい。
今さらここで閉じでもすぐバレるよね。
もう、間に合わない……ああ、こういう時、どうして目を閉じてしまうんだろう。
思考の速度だけが上がって行く。
でも目を閉じていたからこそ、僕にはその声がはっきりと聞こえたのかもしれない。
「誰か居るのかっ? 前にかがむな! 絶対に前かがみになるなよ!」
男の声だった。
何を言っているんだろう。
前にかがむなって?
ただ、その声には、怒りとか脅しというより、心配している気配がとても強く感じられた。
ガシャン、ガシャン。
「何人か、居るんだろ? 怒らないから、危険だから、早くそこから出ておいで……僕たちは保線作業員なんだ。焦らずに、何かを落としても決して拾ったりしないで……ね、本当に危険だから」
この人たちは何で「危険」というフレーズを何度も口にするんだろう。
本当に鉄道関係の人なんだろうか。
僕と、少なくとも今ちゃんは、その作業員の人にばかり気を取られていた。ニッシーが叫ぶまでは。
「ハムチッ!」
驚きと悲痛に満ちた声だった。
「動かないでっ!」
あの扉から、作業員服の大人が慌てて降りて来た。
僕や今ちゃんの横をすり抜けて、通路の奥へと走る。
そして、通路にしゃがみ込もうとしていたニッシーをぐいっと抱きしめて無理やり立たせた。
「下を見ないで! 急いで上の通路に戻って!」
作業員の人は、妙に背中をそらせた変なスクワット体勢のまま、床へ腰だけ落とし、何かを拾っている。
でも僕は見てしまったんだ。
この床下通路の床のさらに下、地面を。
その地面には……さっきまでこの通路に居たはずのハムチが、なぜか居た。
オギソを取り囲むように設置されたフェンスの内側に、背中をくの字に曲げた姿勢のハムチが、エビみたいに横たわっているんだ。
多分ハムチのであろう懐中電灯が、ハムチ自身を照らしている。
草むらに落ちたからか、血なんか見えなかった……遠いのに、やけにくっきりと見えたんだ。
そのくせ、物理的な距離以上に、やけに遠く感じられて。
作業員の人がもう一人降りてきて、今ちゃんや僕を上の金網通路へと送り出す。
そしてどこかへ電話をしている。
ニッシーと一緒に居る作業員の人は、ニッシーを連れてすぐに上がってきた。
遠くにサイレンの音を聞きながら、僕らは線路点検用の特別車両へと乗せられた。
その後はあまりよく覚えていない。
自分の親にひっぱたかれるまでは、地面に足が着いているのを実感できないような、現実感を喪失したままの世界に、ぼーっと浮かんでいた。
ハムチは、本当に遠くに行ってしまった。
あとでニッシーに教えてもらった話だと、僕らが床下通路へ降りるのにもたもたしているわずかな間に、ハムチは「オギソ」近くまで走って行ったみたい。
床下通路の終点、タラップの始まりの場所からは、「オギソ」がとても近く、ハムチは何枚も撮影していたらしい。
ハムチが撮っていた写真のおかげで、「オ」と「ギソ」の間に「ジ」という字が消されていた事や、「オギソ」の右側にも「ウ」とい字が消されていたことを発見した。
「オギソ」は「オジギソウ」だったんだ。
そういえば今ちゃんが、作業員の人にどうして「前にかがむな」と言ったのかを聞いていた。
理由まではわからないけれど、あの場所はよく事故が起こる場所で、鉄道会社の人が三人も亡くなっていて、しかもそのどれもが、前かがみにしゃがんだり腰を曲げたりしたあと、バランスを崩して転落死していたんだって。
その三人のうちの一人が、地元出身……つまり僕らの中学の先輩にあたる人らしく……それが、あの噂のもとになっているのかもしれない。
「オジギソウ」というラクガキは、いつ誰が書いたのか分からないけれど、鉄道橋が出来てそんなに経たないうちにはもう書かれていたみたい。
二人目の被害者が出たあと、何者かによって「オジギシヌ」に書き換えられていて、それはあまりにもあまりだということで、ラクガキ自体を消す作業をしている途中、転落死したのが三人目の人なんだそうだ。
それで消す作業は中断されて、あんな中途半端な文字の残り方をしたということ。
どれも二十年以上前の話なんだって。
今回、四人目の被害者が出た事で、「オギソ」のラクガキは完全に消されてしまった。
消す作業中に五人目の被害者が出なかったのは、本当になによりなこと。
これで僕らみたいなバカな挑戦者が出てくることはなくなるだろう。
実際に事件に関わってみると、「オギソ」の真実を知っている人たちがどうして口を閉ざしていたのか、僕らは理解することができた。
「誰かが死んだ」の「誰か」は、噂の中では名前の無い誰かなんだけど、当事者にとっては、名前を知っている、そして時にはかけがえのない特定の個人なんだってこと。
僕らは元クラスメイトとかに事件のことをいろいろ聞かれたりもしたけれど、悲しくて、苦しくて、悔しくて、恥ずかしくて、やるせなくて、そしてハムチが居ないという事実をちゃんと消化できなくて、何も話すことができなかった。
後味の悪い別れを経て、僕は遠くの街へと引っ越し、新しい高校生活の中で少しずつ、心のカサブタを厚くしていった。
年賀状を書くよと言っていたニッシーや今ちゃんとも、なんとなく気まずくなって連絡を取らないまま。
高校では何の事件も起こさずに卒業し、僕は大学生になった。
大学生になったけれど、傷が癒えたわけではなかった。
「オギソ」の文字はもうとっくに消されているけれど、僕の記憶の中ではまだ当時のままの存在感を保っている。
封印したつもりでも、日常のなんでもないことの中に急に現れて、僕の動きを強張らせる。
時間だって、そんな簡単に癒しちゃくれない。
僕の人生は、ハムチがいなくなってからの時間よりも、ハムチ達と一緒に過ごした時間の方がまだずっとずっと長いのだから。
今日も、日常の中、「オギソ」は突然に現れた。
一般教養枠で何の気なしに取った考古学の講義中のこと。
耳馴染みのある地名が僕の耳に飛び込んできた。中学卒業まで住んでいた、あの町の名前だ。
講師の先生は、「古墳だと認識されないまま崩してしまったら、中からいろいろ出土して古墳だと発覚した例」として、あの町の名前を出したのだ。
近くの川に鉄道橋をかけるとき、盛り土のために近所の丘を削ったのだが、かなり削ったあとで石室が見つかり、古墳だったのが判明したという事件が、昭和の時代にあったのだ。
「ちなみに」
先生はおもむろに、黒板に絵を描き始めた。体がエビみたいに曲がった人の絵だった。
「これが、埋葬されていた人ね。深々とお辞儀したみたいな形だから、お辞儀葬って呼ぶ研究者の方もいらっしゃる」
オジギソウ。
お辞儀葬。
突然、フラッシュバックする。
あの日のハムチの姿。
そして誰かが書いたというラクガキのこと。
あのラクガキを書いたヤツは、何をしたかったんだろうか。
警告してくれていたのだろうか。
だとしても、被害者のうちの少なくとも二人は、あのラクガキのせいで……。
警告というよりは呪詛にも感じられるけど、もしかしたら、あのラクガキのおかげで、もっと多く死んでしまっていたかもしれない人たちがオギソに近寄らずに助かっていたのかもしれない、とも。
どちらかはわからないし、もっと違う理由かもしれない。
例え理由がわかったところで、ハムチがもう戻って来ることはない。
過去に埋もれた事実が明らかになることはあっても、過去の人になってしまった命は決して戻ってこない。
僕の大切な仲間は、もう戻ってこないんだ。
自然にこぼれてきた涙を、周囲の人に見つからないよう、そっとぬぐった。
<終>
河原も広く、雑草がもりもりと茂り、立派な鉄道橋もある。
この鉄道橋はうちの中学の屋上から見えるはずなのだけど、屋上フェンスのそちら側はなぜか一面に不透明なプラスチックの板が取り付けてあり、現在は見ることができない。
川の土手はジョギングコースとして整備されていて、運動部もよく土手をジョギングしているが、橋脚に近づくと折り返す。
運動部の友達が言ってたのだが、顧問からそう指導されているらしい。
というのも、あの橋脚部分で昔、うちの中学の生徒が死んだ、という噂があるからだ。
橋脚は分厚いコンクリート造りで、こちら側の土手から川向こうまで五本建っている。
その一番こちら側の橋脚がオギソだ。
オギソだけは、他の橋脚とは異なり、コの字型の金属の梯子みたいなのがいくつも打ち込まれている。
タラップとかいう名前らしい。
地上から鉄道橋まで登れるようになっているのだ。
そのタラップの一番上あたりに、赤いペンキで乱暴な字が書かれている。
それが「オ、ギ、ソ」と読めるせいで、この橋脚だけ「オギソ橋脚」とか「オギソ」とか呼ばれている。
死んだ生徒は、オギソに登って死んだらしいが、落ちたのか、それとも鉄橋で轢かれたのか、別の死に方なのか、よくわからない。
この街ではタブーとされているみたいで、大人は誰もその話をしようとしないのだ。
どこの町にもこうしたタブーの一つや二つ、あると思う。
うちの近所ではオギソがそうだったってだけ。
ただ、それだけ。
僕らはオギソ近くの中学校で、オギソに近づかないよう過ごし、そのまま卒業した。
僕は高校入学のタイミングで遠くの町へと引っ越し、このままオギソのことなんて忘れるはずだった。
だけど卒業式の夜、幼馴染のハムチがとんでもないことを言い出したんだ。
「なあ、肝試し行かないか? ニッシーと今ちゃんと四人で」
このへんで肝試しと言ったらオギソしかない。
僕が引っ越す前の思い出作りで、小中一緒の悪友四人組で最後に一発かましてやろうっていう話だった。
僕らはもともと、卒業式の夜は今ちゃんの家でお泊まり会をする予定だった。
その今ちゃんの家からオギソまで歩いて十分もしない。
ハムチがその計画をニッシーに伝えると、ニッシーは二つ返事で「いいぜ」と眼鏡をクイっと直した。
だけど今ちゃんには夕飯が終わり、皆がお風呂から出るまで黙っていた。
「え? 今から?」
思っていた通り、今ちゃんはお決まりのセリフを言う。
今ちゃんはなんというか腰が重くって、何か提案してもすぐに「今から?」って聞き返してくる。
本名は今川だし、もう「今」っていうために生まれて来た感じ。
「俺はいいぜ」
ニッシーが枕元に置いた眼鏡をすっとかけ、僕の顔を見る。
ハムチも、首を横に振っている今ちゃんも僕の顔をじっと見ている。
僕は計画通り、ちょっとタメを作る。
でも、心の底にはオギソじゃないイベントの方がいいなという想いもあったのは事実だ。答えるのを、本当に迷っていたんだ。
「なぁ、俺たちは中学を卒業した。もうガキじゃねぇんだぜ。それに四人で居られるのは、もうあとほんの少しだけなんだし……思い出作ろうぜ!」
ハムチが熱い説得をかます。
思い出、か。
僕はその言葉に背中を押された気がした。
「思い出に、なるよな、きっと」
僕がそう言うと、ハムチが今ちゃんの背中を叩きながら「絶対なるぜ!」と嬉しそうに言い、そのままさっさと着替え始めてしまう。
僕とニッシーも後を追うように着替え始める。
「今ちゃん、パジャマのまま行くの? それもカッコイイけど、汚れそうだぜ」
ニッシーにそう言われて、今ちゃんもようやく立ち上がった。
「オレ、まだ行くとか決めてないから」
そう言いつつも懐中電灯を探している今ちゃんは、やっぱり僕らの仲間だ。
「あのタラップを登り切ったあたりに字が書かれているの、知っているだろ?」
もうすっかり着替え終わったハムチが、持ち物の最終確認をしながら僕らに言った。
「双眼鏡でガチに見た事あるぜ。『オ、ギ、ソ』だろ?」
ニッシーも準備が整ったようだ。
「それ。でもさ、『オ』と『ギソ』の間、妙に空いてねぇ?」
「そう言われれば……」
僕も着替え終わった。
口では彼らに合わせたが、実は僕自身がオギソを見たのはもう二年以上前だから……本当はほとんど覚えていない。
「俺はさ、あそこに書かれている字が消されているって聞いたんだ。死んじゃったうちの生徒も、それを確かめようとしたっていう噂だぜ」
どうやらハムチはどこからか情報を入手してきているようだ。
「『オ』じゃねぇの? オオグソ。大きなウンコ」
「『グ』じゃないでしょ。『ギ』だってば。適当なこと言うと呪われちゃうよ?」
ニッシーの下品なジョークを、今ちゃんが心配する。
呪いというものがあるとして、その射程距離ってどのくらいなんだろう。
歩いて十分の場所でオギソをバカにすることは、なんだかよくない、と感じるのは僕も今ちゃんと同じだ。
「俺、その消された字があるのかどうかを、確かめたいんだ」
「おおーっ!」
ハムチの熱意に、今ちゃんのスイッチが入ったようで歓声を上げる。僕とニッシーもその歓声に合流する。
「ちょっとー! あまり大きな声出したらだめよー! もう夜遅いんだからねー!」
階下から今ちゃんのお母さんの声がした。
僕らは声をひそめ、ハムチの計画を確認する。
「でもさ、オギソの下あたりって、フェンスで覆われてなかったっけ?」
「下から行けば、な」
「下がダメなら上……って、まさか線路?」
「もう少し待てば終電も終わるだろ。オギソに一番近い踏切まで、ここから五分もかからない。オギソまで直接行くよか遠回りだけど、登らないでいいんだぜ。安全だろ?」
今思えば、鉄道橋を歩くというのは絶対安全ではないのだけど、その時の僕らは超絶攻略ルートを見つけた気になってしまっていた。
こうやって何かに挑戦するってのは熱くなる。
今ちゃんだっていつの間にかテンションが上がっている。
街のタブーが明らかになるかもしれないという期待と、卒業式の夜という特別な背景もあり、僕らはいつしか恐怖を忘れていた。
それぞれが懐中電灯と、証拠写真を撮るためのカメラやら携帯電話やらを持ち、近所のコンビニへ行くと嘘をついて今ちゃんの家を抜け出した。
僕がもうすぐ引っ越すことは今ちゃんの家族も知っているから、大目に見てもらえたってのはあるかもしれない。
今ちゃんの家を出た僕らは早速、踏切へと向かった。
「草木も眠る丑三つ時って言うけどさ、実際は踏切も眠る丑三つ時だよな」
ニッシーが嬉しそうに踏切の降りていないバーをバンバンと叩く。
「おい、声大きいって! 通報されたらアウトだぜ」
「だな。ごめん」
ジャラ、ジャラ。
ハムチの計画通り線路を歩き始めたけれど、レールは思ったよりも幅が狭く、歩けないことはないけれどバランスを取らなきゃいけないから歩くスピードが極端に落ちる。
レールを止めている枕木と枕木との間には大き目の砂利が敷き詰められていて、歩きにくくはあったし、音も出たけれど、レールの上よりかは随分とマシだった。
ジャラ、ジャラ。
砂利の音が通報につながるんじゃないかとハラハラしながらも、僕らは鉄道橋の方へと急ぐ。
「歩いちゃいけないところを歩いている」という冒険感覚が、たまらなく僕らを駆り立てた。
進むにつれ、線路の両脇にコンクリ壁が出来始める。
壁の高さは僕らの背よりは若干低かったので、線路の標高が上がり、近隣住宅の二階の窓やベランダが目線と同じ高さになったあたりでは、僕らは中腰でかがみながら歩き続けた。
「見ろよ」
ハムチが前方を指差す。
線路の両脇のコンクリ壁が突如として終わり、そこから先は東京タワーみたいな鉄の骨組みだけの鉄道橋が始まっている。
ここまでは線路の高さが上がっても、砂利の上を歩いているせいか地上との陸続き感があった。
しかし鉄道橋手前からは砂利がなくなり、枕木の下は抜け、先の見通せない真っ暗な闇だけになる。
コンクリ壁の途切れた場所から周囲を見てみると、二階建て住宅の屋根すらも見下ろせる高さだ。
「ここまで来たんだな」
ハムチがボソッと呟く。
踏切からオギソまで予想では十分ちょいくらいのはずだったが、時計を見ると三十分はかかっている。
体感ではもっと時間をかけたような、長い冒険を一つ終わらせたような、疲労感と達成感をもう感じていた。
「さ、オギソに近づこうぜ」
そうだ。終わったどころか、まだメインイベントにたどり着く前なんだよね。僕らは、鉄道橋へと足を踏み入れた。
鉄道橋の線路脇には、線路よりも一段低くなっている通路みたいなものがあり、そこには手すりもついている。僕らはその通路へと降り、手すりにしがみつく。
「冷てぇ」
今ちゃんの声に誰も反応しない。
気持ちは同じなのだが、足元の景色に圧倒されて声を出せないでいたのだ。
通路の床は、格子状の金属で金網床になっている。
金網床の隙間は、携帯電話を落としてもなんとか通過せずに済みそうだけど、持ってきた懐中電灯……細身のLEDライトや、家の鍵なんかは、落としたらもう二度と取り戻せない気がするくらいの粗さ。
しかも三月の冷たい風が足下から吹き付けてくる。
さっきまでは歩き続けていたこともあって感じなかった寒さが、つま先からじわじわと僕らの熱を奪ってゆく。
奪われるのは体の熱だけじゃない。
僕の気持ちはだんだんと帰りたい気持ちへと傾きつつあった。
「なあ、あれじゃないか?」
腰が引け始めていた僕らとは対照的に、ハムチはオギソの字をずっと探していた。
「本当だ。オギソ、見えるな」
ニッシーも照らした場所を、僕と今ちゃんの懐中電灯が後追いする。冒険の本来の目的地に、僕らはようやく到着したのだ。
半分といえどもやり遂げたという想いが、熱を失いかけていた僕の心に、再び火を点す。
「おい、あれ……」
ニッシーがオギソではなく、僕らの居る金網通路の先の辺りを照らしている。
そこにはマンホールくらいの大きさの四角いフレームが見えた。
ハムチを先頭に近づいて行くと、それは床下につながる扉のようなものだった。
この金網通路の床下はというと、また別の通路が見える。
一段下の床下通路もまた造りは金網床で、ただ、この通路とは直角に鉄道橋の真ん中の方へ伸びていた。
「オギソの近くに行くための通路じゃねぇか?」
四人とも一瞬、無言になった。
他の三人はともかく僕は、鍵かかってるといいなとか、オギソの近くに行くのはやっぱり嫌だなとか、ハムチやニッシーには聞かれたくない想いを抱えていた。
「開けてみようか」
そうだよな。
ハムチはそう言うと思った。
……タタン、タタンタタン、タタンタタン……。
「あれ? 何か聞こえない?」
今ちゃんがキョロキョロしはじめた。
……タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン……。
確かに何か聞こえる。それもだんだん音が大きくなってゆく。
「あっ」
ニッシーが鉄道橋の向こう側を指差す。
小さな灯りの点った何かが、こちらへ近づいて来るのが見えた。
「ヤバい、灯り消せ!」
懐中電灯を消しつつ、腕時計を見る。
2時12分。
終電なんか絶対に終わっているはずの時間だ。
……タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン……ガシャン!
ガシャンという音はすぐ近くで響いた。
ハムチが床下扉を開けた音だった。
なんで鍵かけておかないんだよ、という気持ちは、ここに逃げ込めば近づいて来るあのナニカからは逃げられるかも、という気持ちに、一瞬にして塗りつぶされる。
「そっか。下の通路に隠れるんだね」
僕が言うよりも早く、ハムチは下の通路に飛び降りていた。
床下通路までは一応、金属製の梯子のようなものが設置されている。
床下通路の床も金網床になっていて、真下……かなり距離がある地面がすごくよく見える。
その距離を認識した途端、自然と足がすくんだ。ニッシーは飛び降りたりせずに梯子を使って降りる。
……タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン……。
僕もすぐに続いて、梯子を下りて床下通路へ。
……タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン、タタンタタン……。
続けて今ちゃんも……焦って梯子に足をかけ損なって滑り落ちそうになったのを、僕とニッシーとで慌てて支えた。
「今ちゃん、閉め忘れてる!」
扉を閉めるために、僕は梯子に足をかけて登ろうとした……その時。
タタンタタン、タタンタタン、キィーーー。
あの音はすぐ近くで止まった。すぐ近くで……。
ガシャン、ガシャン、ガシャン。
金網通路に誰かが降りた足音。
ヤバい。
今さらここで閉じでもすぐバレるよね。
もう、間に合わない……ああ、こういう時、どうして目を閉じてしまうんだろう。
思考の速度だけが上がって行く。
でも目を閉じていたからこそ、僕にはその声がはっきりと聞こえたのかもしれない。
「誰か居るのかっ? 前にかがむな! 絶対に前かがみになるなよ!」
男の声だった。
何を言っているんだろう。
前にかがむなって?
ただ、その声には、怒りとか脅しというより、心配している気配がとても強く感じられた。
ガシャン、ガシャン。
「何人か、居るんだろ? 怒らないから、危険だから、早くそこから出ておいで……僕たちは保線作業員なんだ。焦らずに、何かを落としても決して拾ったりしないで……ね、本当に危険だから」
この人たちは何で「危険」というフレーズを何度も口にするんだろう。
本当に鉄道関係の人なんだろうか。
僕と、少なくとも今ちゃんは、その作業員の人にばかり気を取られていた。ニッシーが叫ぶまでは。
「ハムチッ!」
驚きと悲痛に満ちた声だった。
「動かないでっ!」
あの扉から、作業員服の大人が慌てて降りて来た。
僕や今ちゃんの横をすり抜けて、通路の奥へと走る。
そして、通路にしゃがみ込もうとしていたニッシーをぐいっと抱きしめて無理やり立たせた。
「下を見ないで! 急いで上の通路に戻って!」
作業員の人は、妙に背中をそらせた変なスクワット体勢のまま、床へ腰だけ落とし、何かを拾っている。
でも僕は見てしまったんだ。
この床下通路の床のさらに下、地面を。
その地面には……さっきまでこの通路に居たはずのハムチが、なぜか居た。
オギソを取り囲むように設置されたフェンスの内側に、背中をくの字に曲げた姿勢のハムチが、エビみたいに横たわっているんだ。
多分ハムチのであろう懐中電灯が、ハムチ自身を照らしている。
草むらに落ちたからか、血なんか見えなかった……遠いのに、やけにくっきりと見えたんだ。
そのくせ、物理的な距離以上に、やけに遠く感じられて。
作業員の人がもう一人降りてきて、今ちゃんや僕を上の金網通路へと送り出す。
そしてどこかへ電話をしている。
ニッシーと一緒に居る作業員の人は、ニッシーを連れてすぐに上がってきた。
遠くにサイレンの音を聞きながら、僕らは線路点検用の特別車両へと乗せられた。
その後はあまりよく覚えていない。
自分の親にひっぱたかれるまでは、地面に足が着いているのを実感できないような、現実感を喪失したままの世界に、ぼーっと浮かんでいた。
ハムチは、本当に遠くに行ってしまった。
あとでニッシーに教えてもらった話だと、僕らが床下通路へ降りるのにもたもたしているわずかな間に、ハムチは「オギソ」近くまで走って行ったみたい。
床下通路の終点、タラップの始まりの場所からは、「オギソ」がとても近く、ハムチは何枚も撮影していたらしい。
ハムチが撮っていた写真のおかげで、「オ」と「ギソ」の間に「ジ」という字が消されていた事や、「オギソ」の右側にも「ウ」とい字が消されていたことを発見した。
「オギソ」は「オジギソウ」だったんだ。
そういえば今ちゃんが、作業員の人にどうして「前にかがむな」と言ったのかを聞いていた。
理由まではわからないけれど、あの場所はよく事故が起こる場所で、鉄道会社の人が三人も亡くなっていて、しかもそのどれもが、前かがみにしゃがんだり腰を曲げたりしたあと、バランスを崩して転落死していたんだって。
その三人のうちの一人が、地元出身……つまり僕らの中学の先輩にあたる人らしく……それが、あの噂のもとになっているのかもしれない。
「オジギソウ」というラクガキは、いつ誰が書いたのか分からないけれど、鉄道橋が出来てそんなに経たないうちにはもう書かれていたみたい。
二人目の被害者が出たあと、何者かによって「オジギシヌ」に書き換えられていて、それはあまりにもあまりだということで、ラクガキ自体を消す作業をしている途中、転落死したのが三人目の人なんだそうだ。
それで消す作業は中断されて、あんな中途半端な文字の残り方をしたということ。
どれも二十年以上前の話なんだって。
今回、四人目の被害者が出た事で、「オギソ」のラクガキは完全に消されてしまった。
消す作業中に五人目の被害者が出なかったのは、本当になによりなこと。
これで僕らみたいなバカな挑戦者が出てくることはなくなるだろう。
実際に事件に関わってみると、「オギソ」の真実を知っている人たちがどうして口を閉ざしていたのか、僕らは理解することができた。
「誰かが死んだ」の「誰か」は、噂の中では名前の無い誰かなんだけど、当事者にとっては、名前を知っている、そして時にはかけがえのない特定の個人なんだってこと。
僕らは元クラスメイトとかに事件のことをいろいろ聞かれたりもしたけれど、悲しくて、苦しくて、悔しくて、恥ずかしくて、やるせなくて、そしてハムチが居ないという事実をちゃんと消化できなくて、何も話すことができなかった。
後味の悪い別れを経て、僕は遠くの街へと引っ越し、新しい高校生活の中で少しずつ、心のカサブタを厚くしていった。
年賀状を書くよと言っていたニッシーや今ちゃんとも、なんとなく気まずくなって連絡を取らないまま。
高校では何の事件も起こさずに卒業し、僕は大学生になった。
大学生になったけれど、傷が癒えたわけではなかった。
「オギソ」の文字はもうとっくに消されているけれど、僕の記憶の中ではまだ当時のままの存在感を保っている。
封印したつもりでも、日常のなんでもないことの中に急に現れて、僕の動きを強張らせる。
時間だって、そんな簡単に癒しちゃくれない。
僕の人生は、ハムチがいなくなってからの時間よりも、ハムチ達と一緒に過ごした時間の方がまだずっとずっと長いのだから。
今日も、日常の中、「オギソ」は突然に現れた。
一般教養枠で何の気なしに取った考古学の講義中のこと。
耳馴染みのある地名が僕の耳に飛び込んできた。中学卒業まで住んでいた、あの町の名前だ。
講師の先生は、「古墳だと認識されないまま崩してしまったら、中からいろいろ出土して古墳だと発覚した例」として、あの町の名前を出したのだ。
近くの川に鉄道橋をかけるとき、盛り土のために近所の丘を削ったのだが、かなり削ったあとで石室が見つかり、古墳だったのが判明したという事件が、昭和の時代にあったのだ。
「ちなみに」
先生はおもむろに、黒板に絵を描き始めた。体がエビみたいに曲がった人の絵だった。
「これが、埋葬されていた人ね。深々とお辞儀したみたいな形だから、お辞儀葬って呼ぶ研究者の方もいらっしゃる」
オジギソウ。
お辞儀葬。
突然、フラッシュバックする。
あの日のハムチの姿。
そして誰かが書いたというラクガキのこと。
あのラクガキを書いたヤツは、何をしたかったんだろうか。
警告してくれていたのだろうか。
だとしても、被害者のうちの少なくとも二人は、あのラクガキのせいで……。
警告というよりは呪詛にも感じられるけど、もしかしたら、あのラクガキのおかげで、もっと多く死んでしまっていたかもしれない人たちがオギソに近寄らずに助かっていたのかもしれない、とも。
どちらかはわからないし、もっと違う理由かもしれない。
例え理由がわかったところで、ハムチがもう戻って来ることはない。
過去に埋もれた事実が明らかになることはあっても、過去の人になってしまった命は決して戻ってこない。
僕の大切な仲間は、もう戻ってこないんだ。
自然にこぼれてきた涙を、周囲の人に見つからないよう、そっとぬぐった。
<終>
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