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お題【鞄】
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小学生の頃、ポケットがいつもパンパンな子が居た。
彼は鞄を持ち歩くのをとにかく嫌がり、ポケットに入れるとかベルトに挿すとか、そういう手ぶらスタイルで通そうとするのだ。
山岸さんを見ていると、その遠い昔の友達である彼を思い出す。
地元の老人会でバスツアーがあり、紅葉とワインとを堪能した帰りのバスで山岸さんと席が隣同士になったので、古い友達を思い出すという話をしてみた。
山岸さんは今日も手ぶらだったからだ。
すると滅多に笑わない山岸さんが、笑顔を浮かべながらこう言った。
「鞄がね、怖いんですよっ」
山岸さんは明らかに酔っているようだ。バスにではなく、ワインに。
「鞄が? 怖い?」
私が山岸さんへと聞き返すと、変な答えが返ってきた。
「刑事でも怖いもんはあるんですよっ」
「刑事って、山岸さんは若い頃刑事さんやってたんですか」
「そーおですっ」
そして訥々と、昔話を語り始めた。
県警本部の地下に、いろんな種類の鞄ばかりが置いてある部屋があるという。
そこはベテランの刑事しか入ってはいけない場所で、厳重に幾つもの鍵がかけられていたという。
あるとき、とある銀行頭取のご子息誘拐事件が起きて、身代金を要求されたとき、先輩刑事が若き山岸さんをその鞄部屋へと連れて行ったそうだ。
しかも重たいクーラーボックスを持たされて。
『山岸、お前にもそろそろこの部屋のことを教えておかないとな』
先輩刑事はそう言って、鞄部屋に置いてあるいくつもの鞄の中からボストンバッグを一つ選ぶ。
その鞄の選別中に、山岸さんは、鞄部屋の奥に扉がまだ一つあることに気づいた。
『奥はどこにつながっているんですか?』
山岸さんがそう聞くと、先輩は苦笑いしながら『超法規的措置だよ』と答えた。
それから続けて。
『持ってきたクーラーボックス、開けて準備しておけ。俺がこの扉の鍵を開けたらすぐ、俺が手を伸ばしやすい位置にクーラーボックスの中身を持ってこい』
山岸さんは理由がわからないまま、先輩刑事の言う通りにした。
けっこう重たかったクーラーボックスの中身は、どう見ても生肉だった。
先輩刑事は奥の扉の鍵を開けると、そっと扉を開き、部屋の中へと警戒しながら入って行く。山岸さんも先輩刑事に続いたそうだ。
奥の部屋はコンクリートの打ちっぱなしの狭い小部屋で、中央に犬小屋くらいの大きさの檻があり、檻の中にジェラルミンケースが置かれている他は何もない部屋だった。
先輩刑事はバーベキューで使うような金属製の長いトングで生肉をつかむと、ゆっくりと檻の上部へ近づけ、檻の隙間から中へと静かに下ろしていく。
次の瞬間、山岸さんは目を疑った。
ジェラルミンケースがガバッと大きく開くと、その生肉をかっさらうかのように喰らいつき、咀嚼しはじめたからだ。
「とりあえず、そのクーラーボックスの肉、全部お供えするからな」
先輩刑事がジェラルミンケースへ肉をあげ続けている、とてもシュールな光景だったそうだ。
生肉を全部あげ終えたら、先輩刑事は先ほど選んだボストンバッグを檻の前へ置き、腕時計を見た後、二人して鞄部屋から出た。
一時間後、先輩は鞄部屋へ行き、ボストンバッグを一つ持ってきた。
その間に誘拐犯から連絡が入り、指定された場所へ、そのボストンバッグを運ぶ。
それからほどなくして事件は解決した。犯人は逮捕出来なかったものの、犯人アジトに捕らえられていた子どもは無事に保護できたという。
「無事に子どもが帰ってきたのは良かったですが、逮捕できなかったのは残念でしたね」
私がそう言うと、山岸さんは眉間にシワを寄せ、小さな声で話し始めた。
「……犯人はな、逃げたんじゃなく、鞄に食われたのさ」
「食われた? ……鞄が?」
「鞄は、近くに置いてある鞄に擬態するんだよ。肉食だけど……」
その続きを聞き出す前に、バスは地元の駅前ロータリーへと戻ってきてしまった。
老人会は一本締めのあと解散し、山岸さんは手ぶらのまま、ふらつきながら帰って行く。
山岸さんのあとをつけようとした私は、急に後ろから肩をつかまれた。
「うわっ……え、三輪会長?」
老人会会長の三輪さんが、私の肩をぐっとつかんでいた。
「やめなさい。山岸さんの家までついて行った連中がもう三人も失踪している。これ以上老人会の人数が減ったら、ゲートボールの試合ができなくなるから」
私は三輪会長と共に、ふらつきながらも家路を急ぐ山岸さんの背中を見つめた。
<終>
彼は鞄を持ち歩くのをとにかく嫌がり、ポケットに入れるとかベルトに挿すとか、そういう手ぶらスタイルで通そうとするのだ。
山岸さんを見ていると、その遠い昔の友達である彼を思い出す。
地元の老人会でバスツアーがあり、紅葉とワインとを堪能した帰りのバスで山岸さんと席が隣同士になったので、古い友達を思い出すという話をしてみた。
山岸さんは今日も手ぶらだったからだ。
すると滅多に笑わない山岸さんが、笑顔を浮かべながらこう言った。
「鞄がね、怖いんですよっ」
山岸さんは明らかに酔っているようだ。バスにではなく、ワインに。
「鞄が? 怖い?」
私が山岸さんへと聞き返すと、変な答えが返ってきた。
「刑事でも怖いもんはあるんですよっ」
「刑事って、山岸さんは若い頃刑事さんやってたんですか」
「そーおですっ」
そして訥々と、昔話を語り始めた。
県警本部の地下に、いろんな種類の鞄ばかりが置いてある部屋があるという。
そこはベテランの刑事しか入ってはいけない場所で、厳重に幾つもの鍵がかけられていたという。
あるとき、とある銀行頭取のご子息誘拐事件が起きて、身代金を要求されたとき、先輩刑事が若き山岸さんをその鞄部屋へと連れて行ったそうだ。
しかも重たいクーラーボックスを持たされて。
『山岸、お前にもそろそろこの部屋のことを教えておかないとな』
先輩刑事はそう言って、鞄部屋に置いてあるいくつもの鞄の中からボストンバッグを一つ選ぶ。
その鞄の選別中に、山岸さんは、鞄部屋の奥に扉がまだ一つあることに気づいた。
『奥はどこにつながっているんですか?』
山岸さんがそう聞くと、先輩は苦笑いしながら『超法規的措置だよ』と答えた。
それから続けて。
『持ってきたクーラーボックス、開けて準備しておけ。俺がこの扉の鍵を開けたらすぐ、俺が手を伸ばしやすい位置にクーラーボックスの中身を持ってこい』
山岸さんは理由がわからないまま、先輩刑事の言う通りにした。
けっこう重たかったクーラーボックスの中身は、どう見ても生肉だった。
先輩刑事は奥の扉の鍵を開けると、そっと扉を開き、部屋の中へと警戒しながら入って行く。山岸さんも先輩刑事に続いたそうだ。
奥の部屋はコンクリートの打ちっぱなしの狭い小部屋で、中央に犬小屋くらいの大きさの檻があり、檻の中にジェラルミンケースが置かれている他は何もない部屋だった。
先輩刑事はバーベキューで使うような金属製の長いトングで生肉をつかむと、ゆっくりと檻の上部へ近づけ、檻の隙間から中へと静かに下ろしていく。
次の瞬間、山岸さんは目を疑った。
ジェラルミンケースがガバッと大きく開くと、その生肉をかっさらうかのように喰らいつき、咀嚼しはじめたからだ。
「とりあえず、そのクーラーボックスの肉、全部お供えするからな」
先輩刑事がジェラルミンケースへ肉をあげ続けている、とてもシュールな光景だったそうだ。
生肉を全部あげ終えたら、先輩刑事は先ほど選んだボストンバッグを檻の前へ置き、腕時計を見た後、二人して鞄部屋から出た。
一時間後、先輩は鞄部屋へ行き、ボストンバッグを一つ持ってきた。
その間に誘拐犯から連絡が入り、指定された場所へ、そのボストンバッグを運ぶ。
それからほどなくして事件は解決した。犯人は逮捕出来なかったものの、犯人アジトに捕らえられていた子どもは無事に保護できたという。
「無事に子どもが帰ってきたのは良かったですが、逮捕できなかったのは残念でしたね」
私がそう言うと、山岸さんは眉間にシワを寄せ、小さな声で話し始めた。
「……犯人はな、逃げたんじゃなく、鞄に食われたのさ」
「食われた? ……鞄が?」
「鞄は、近くに置いてある鞄に擬態するんだよ。肉食だけど……」
その続きを聞き出す前に、バスは地元の駅前ロータリーへと戻ってきてしまった。
老人会は一本締めのあと解散し、山岸さんは手ぶらのまま、ふらつきながら帰って行く。
山岸さんのあとをつけようとした私は、急に後ろから肩をつかまれた。
「うわっ……え、三輪会長?」
老人会会長の三輪さんが、私の肩をぐっとつかんでいた。
「やめなさい。山岸さんの家までついて行った連中がもう三人も失踪している。これ以上老人会の人数が減ったら、ゲートボールの試合ができなくなるから」
私は三輪会長と共に、ふらつきながらも家路を急ぐ山岸さんの背中を見つめた。
<終>
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