お題ショートショート【一話完結短編集】

だんぞう

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お題【もう一つのトイレ】

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 安井君がずっと学校を休んでいる。
 もう二週間にもなる。
 安井君は中学受験もしないで地元の公立中に行くみたいだから、のんきにしているのかもだけど、僕は二週間も休むとか怖くてできない。
 ただでさえ、転校のせいで勉強が遅れているっていうのに。

 安井君の家は僕の家の斜め向かいで、家が近いってだけでいつも僕が大事なプリントを持って行かされる。
 幼馴染ってわけじゃない。僕はここに去年引っ越してきただけだから。
 たいして仲良くもないのに、持って行かされるんだ。
 それが地味に面倒。

 あとさ、安井君の家に行くのが嫌な理由は他にもある。
 安井君のお母さんはプリントのお礼にいつもジュースを勧めてくれるんだけど、それ飲むとすごいトイレに行きたくなるんだ。尿意が刺激されるっていうやつ?
 パックの見た目も味も、よくある普通のリンゴジュースなんだけどね。

 その尿意は、いつもうちまでダッシュしてトイレに駆けこんで乗り切っている。
 自分の家がすぐ近くにあるのに、プリント届けに来たついでにトイレ借りてくんだぜーみたいな噂を立てられても嫌だし。

 そういえばトイレの話で思い出した。今朝、お隣に、朝から業者っぽい人達が押しかけていた。
 学校に行く途中、ワゴン車からトイレを運びだしているのが見えたんだ。
 ワゴン車の中で梱包を解いて、むき出しになった便器とかタンクとか、あとは大きな板みたいなのをお隣に運びこんでいた。業者の人たちはみんな黒い作業着で、なんだか陰気臭かった。

 学校についてから思い出したけれど、安井君が学校休みはじめてすぐくらいにあの業者、朝から安井君の家の前に停まってたな。
 新築からそんなに経ってないはずなのに、トイレ故障しまくりなのかな。

 うちやお隣や安井君の家は、昔は一軒の大きなお屋敷だった。
 その敷地が8つに分けられて、8軒の家が建った。
 同じ業者が建てたのだから、8軒のうち2軒もトイレ工事しなきゃいけないのは、その業者が欠陥住宅作ったとしか考えられない。
 残りの家のトイレも絶対に危ないよね……つまりうちのトイレも。

 翌朝。
 またあの黒い服の業者が来ていた。今度は通りから一番奥の家。
 欠陥住宅予想当たってんじゃないの?
 その日は一日、トイレのことばっかり考えていた。
 だからかもしれないけれど、放課後、学校をまだ出る前だってのにトイレ行きたくなってきた。しかも大きい方だから立ちションとかでごまかせない。幸い今日は塾がないからまっすぐ家に帰れるし、なんとかなるか。

 学校や塾で大きいのするのって、なんか許されない雰囲気あるよね。なんだろうな、あの大をしたらいけない空気。

 僕は校門を出て、家に向かって静かに歩き始める。走ったらヤバい気がする。出来るだけ静かに。出来るだけ……そんなピンチの時に限って声をかけてくるこの声……担任の高田先生だ。

「お、いい所に居た。これさ、安井の家に持ってってくれる?」

 なんか茶色い封筒を渡された。学校のマークとかが入っているやつ。これ、皆に配るプリントじゃないだろ。そしたら僕に頼むんじゃなく、先生が先生の責任で持って行くべきなんじゃないの。
 そんなんだから生徒の人気ないんだよ……だいたい、学校出てから渡すってなんだよ。
 自分で行けよ。
 もしかして安井君が学校休んでいる原因って、高田先生なんじゃないの?
 それで顔を合わせづらいのかもしれないよな……先生への悪口を考えているうちに、家の前まで到着した。

 まず最初にするのはうちでトイレ。それから安井君の家に封筒を届けること。
 計画は完璧なはずだった。ママが便秘になってさえいなければ。
 よりによってなんで今、トイレこもってんの!

 こうなったらちょっと距離あるけれど、近所の公民館か……知り合いに会う危険性もあるけれど、あそこなら……う。
 あ……そこ……まで……もつかな……帰宅したら大丈夫ってことで、心の肛門が少し緩んでるかも。
 とりあえず立ち止まってるのが一番ヤバい。歩き回っていないと……よし、先に封筒を安井君のところに届けてこよう。その間にママがトイレから出てくれれば……。

「すいませーん」

 安井君のお母さんはすぐに出てきた。うちのママも見習ってほしいよ。

「これ、高田先生からたのまれました」

 あの封筒を渡す。さあ、さっさと家に帰ろう……としたら、安井君のお母さんは僕を呼び止めた。

「あら、トイレ行きたいの? うちの使っていいわよ」

「大……丈夫です」

 大、と口にしただけで、自分の中の便意が刺激されてしまう。今、ヤバい。本当にヤバい。これは……背に腹はかえられないか……。

「……やっ……ぱり……貸してください」

 僕は安井君の家のトイレに入った。
 急いでズボンを下ろして便座に腰掛ける。
 そうそう。出す前に、大が付かないように便器の中に紙をさっと引く。
 ふぅ。
 一息ついた途端、なんかとっても寒いことに気が付いた。
 これ中途半端な便意だったら出かかったものが引っ込むんじゃないの? 少なくともママだったらトイレにこもる時間が倍になるだろう。
 いやいや、こんなことぼんやり考えている場合じゃない。
 トイレに居る時間が長いというのはイコール大きい方をしたというのを確信されてしまう。
 僕は下腹部にぎゅっと力を入れて、そしてなるべく音が出ないように出して、急いで拭いて、さっと流した。
 今トイレを出ればギリギリ小だって思ってもらえるかな。しかし寒いな、ここ。

 僕はもう一つ気付いてしまった。
 安井君の家のトイレ、妙に狭いんだ。
 奥行きがうちの半分くらいしかない。
 小学生の僕でさえ座っている時、ドアに膝がつきそうなくらい。大人の人はどうしてるんだろう。あれ……?
 僕は更に見つけてしまう。
 トイレの奥側の壁に貼ってあるポスターが揺れてるんだ。
 寒い風もこのポスターの向こうから来ているみたい。隙間風にポスター貼ってごまかしているのかな。でもバレバレだよな、これじゃ。僕は好奇心を抑えきれず、ポスターの端っこをちょっとだけめくってみた。
 穴だ。穴がある!
 この穴、便座のフタの上に乗れば顔が届かなくもないな。異様に寒い理由も知りたいし、僕はそっとフタに乗り、穴を覗いてみた。

 穴の向こうは暗かった。
 寒い風みたいなのが来ているのは確かにこの穴だってのはわかったけれど、よく……ん……目が慣れてきた。
 なんだ?
 トイレがあるぞ。
 うちと同じトイレ……どういうこと?
 もとからあったトイレの、便器ギリギリのところに壁を作って、こっち側の狭い空間に新しいトイレを増設したの?
 なんでそんなことを……。

 ふと、暗闇の中から視線を感じた。
 顔を穴から遠ざけると向こうのトイレへわずかに光が入る。そうやって薄暗がりの中に見えるトイレには、どう見ても誰もいない。それなのに、そこに、誰かが座っているような気がしてならなくて。しかも、今も視線を感じ続けている。

 僕は反射的にフタから降り、ポスターを元通りに戻してトイレを出た。

「ジュース、飲む?」

 台所の方から安井君のお母さんが、待ちぶせていたかのように顔を出す。

「いえ、帰りますっ。ありがとうございましたっ」

 この家に長くは居たくない。急いで家に帰りたい。そんな気持ちでいっぱいだった。

 安井君の家を飛び出すと、外はまだ明るかった。
 さっきまでの寒さのせいか、このやわらかい陽射しの安心感ったらない。
 とりあえず、トイレも封筒もクリアしたんだ。さっさと帰って塾の用意しないと……。

 キーッ。

 家へと戻ろうとした僕のすぐ横に、見慣れたワゴン車が停まった。
 すぐにママが家から出てくる。なんかいつもと雰囲気が違う。僕と目を合わせようとしないんだ。

「あの、こちらです。お願いします」

 黒い服の業者はぺこりと頭を下げると、大きなベニヤ板みたいなのを運び出し始めた。
 え? どういうこと? うちのトイレも半分にされちゃうってこと?
 嫌な予感しかしない。それにまだ、あの視線がずっとついてきているし。



<終>
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