23 / 127
お題【カセットテープ】
しおりを挟む
妻子が家を出て行った。
すっきりとした家の中を見て、まだどこか現実感のなかった「離婚」というものがようやくリアルな身近として感じられる。
もともと広い家ではなかったけれど、こうして見ると彼女らが持って行った家財がジグソーパズルのいくつものピースだったかのように、俺の日常のあちこちから抜け落ちた空虚感がハンパない。
リビングの片隅には余ったダンボールやガムテープが無造作に残されている。
このダンボールなんて組み立ててあるのに……忘れ物なのかな……いやいや。彼女がここに戻ってくることはもうないんだ。
忘れ物を取りになんて来ない……なんだよ、俺の方だけ未練たらたらじゃないか。
寂しい薄笑いを浮かべながらバラそうと持ち上げたダンボールの中に一本のカセットテープが紛れ込んでいた。
忘れ物かも、もしかしたら俺へのメッセージかもと、考え始めた俺に、自分の中の古い記憶がツッコミを入れる。「違うだろ」と。
陽に焼けて少しくすんだプラスチックケース。カセットテープに直接貼られたいくつかのシールは小学生の頃好きだったマンガのキャラクター。
たぶん、このマンガが連載されていた雑誌についていた付録か何かだろう。
懐かしいな。
幼い頃、じいちゃんがカラオケの練習にと使っていた小さなカセットデッキを借りて、俺も歌とかテレビ番組の音とか、いろいろ録らせてもらったっけ。
こういうのって引っ越しの度に処分するか迷うんだけれど、なんか捨てられずに持ってきちゃうんだよな。
でも普段はどこにしまったかも覚えてなくて、こうして引っ越しやら大掃除やらでもしないと出て来なくて……。
今のこのなんとも言えない心の穴を埋めるのには、過去を……妻子に出会うよりも前の過去を膨らませて埋めるしかないかもしれない、なんて考える。
とは言え、この家にはカセットデッキなんてなかったよな……。
「ただいま」
玄関のドアを開けるとき、つい癖で声を出してしまう。
でもこの癖、恥ずかしいからもうやめないとな。
靴箱の上に置かれている時計を見ると、まだお昼。
カセットテープを見つけてからまだ三時間と経っていないのに外出し、電車に乗り、大きな電気屋へと行き、カセットデッキを買い、帰宅したというこの自分の異常な行動力に驚いた。
彼女らが居た頃は仕事休みの日なんて外に出たいって気持ちには全くならなかったのに。
こんなことなら外に遊びに行きたがる彼女らのリクエストに応えてあげれば良かった……なんていまさらだけどな。
カセットデッキの梱包を外していると腹が鳴った。
そうか、お昼だったっけ。
職場では昼休みのチャイムが、自宅では妻の声が食事の合図だったから、俺が自発的にご飯の準備をすることなんてなかったんだな。
あらためて失くしたものの大きさを知る……と言いつつも、くよくよしててもご飯はでてきませんっと。
唯一残った大物家電、冷蔵庫を開ける。
中には何回か分のおかずが小分けにして準備されていた。
なんか急に泣けてくる。
あ、そうか。さっき電子レンジも買ってくればよかったのに……心の中で自分にそんなツッコミを入れながら、冷たいハンバーグを口に放り込んだ。
その冷たさが、心に沁みる。
冷たいのに、暖かい。
その暖かさも、心に沁みる。
ついぞ口にしなかった「ありがとう」を、俺はあえて声に出した。
ダメだ。
もう限界だ。
今日は特に打たれ弱い。
気分を変えよう……俺はカセットデッキにあのテープをセットすると、再生ボタンを押した。
「……あったまてーかてーか!」
アニメの主題歌を歌っているこの声は、幼い頃の俺か。ひとしきり歌い終わると拍手の音が聞こえる。
「わぁ、おじょうず!」
この声は母親かな。とにかく俺は調子に乗って、当時観ていた番組の主題歌を一人リサイタル。
一曲終わるたびに拍手とほめちぎりとが聞こえ、俺の恥ずかしそうな「えへへ」という照れ声がそれに応える。
ああ、この「えへへ」って笑い方、妻が連れて行ってしまった恵莉奈とおんなじ照れ笑いじゃないか。親子だなぁ……なんて考えてまた涙がにじむ。
「大丈夫よ」
テープの中の母親が急にそんなことを言うもんだから、びっくりした。
「私がついてるから!」
あれ、うちの母親、こんな殊勝なこと言うタイプだったっけ。そうやってその声に意識を集中させると、どうにも母親の声とは違うという気がしてならない。
「あなたへの理解がない妻も娘も追い出したし、また二人きりになれ」
反射的に再生を止めた。
なんだ今の。
幻聴か?
腕にざわざわと鳥肌が広がる。自分の心に空いた穴に、ナニカが潜んでいるような気がして、背中がぶるりと震えた。
<終>
すっきりとした家の中を見て、まだどこか現実感のなかった「離婚」というものがようやくリアルな身近として感じられる。
もともと広い家ではなかったけれど、こうして見ると彼女らが持って行った家財がジグソーパズルのいくつものピースだったかのように、俺の日常のあちこちから抜け落ちた空虚感がハンパない。
リビングの片隅には余ったダンボールやガムテープが無造作に残されている。
このダンボールなんて組み立ててあるのに……忘れ物なのかな……いやいや。彼女がここに戻ってくることはもうないんだ。
忘れ物を取りになんて来ない……なんだよ、俺の方だけ未練たらたらじゃないか。
寂しい薄笑いを浮かべながらバラそうと持ち上げたダンボールの中に一本のカセットテープが紛れ込んでいた。
忘れ物かも、もしかしたら俺へのメッセージかもと、考え始めた俺に、自分の中の古い記憶がツッコミを入れる。「違うだろ」と。
陽に焼けて少しくすんだプラスチックケース。カセットテープに直接貼られたいくつかのシールは小学生の頃好きだったマンガのキャラクター。
たぶん、このマンガが連載されていた雑誌についていた付録か何かだろう。
懐かしいな。
幼い頃、じいちゃんがカラオケの練習にと使っていた小さなカセットデッキを借りて、俺も歌とかテレビ番組の音とか、いろいろ録らせてもらったっけ。
こういうのって引っ越しの度に処分するか迷うんだけれど、なんか捨てられずに持ってきちゃうんだよな。
でも普段はどこにしまったかも覚えてなくて、こうして引っ越しやら大掃除やらでもしないと出て来なくて……。
今のこのなんとも言えない心の穴を埋めるのには、過去を……妻子に出会うよりも前の過去を膨らませて埋めるしかないかもしれない、なんて考える。
とは言え、この家にはカセットデッキなんてなかったよな……。
「ただいま」
玄関のドアを開けるとき、つい癖で声を出してしまう。
でもこの癖、恥ずかしいからもうやめないとな。
靴箱の上に置かれている時計を見ると、まだお昼。
カセットテープを見つけてからまだ三時間と経っていないのに外出し、電車に乗り、大きな電気屋へと行き、カセットデッキを買い、帰宅したというこの自分の異常な行動力に驚いた。
彼女らが居た頃は仕事休みの日なんて外に出たいって気持ちには全くならなかったのに。
こんなことなら外に遊びに行きたがる彼女らのリクエストに応えてあげれば良かった……なんていまさらだけどな。
カセットデッキの梱包を外していると腹が鳴った。
そうか、お昼だったっけ。
職場では昼休みのチャイムが、自宅では妻の声が食事の合図だったから、俺が自発的にご飯の準備をすることなんてなかったんだな。
あらためて失くしたものの大きさを知る……と言いつつも、くよくよしててもご飯はでてきませんっと。
唯一残った大物家電、冷蔵庫を開ける。
中には何回か分のおかずが小分けにして準備されていた。
なんか急に泣けてくる。
あ、そうか。さっき電子レンジも買ってくればよかったのに……心の中で自分にそんなツッコミを入れながら、冷たいハンバーグを口に放り込んだ。
その冷たさが、心に沁みる。
冷たいのに、暖かい。
その暖かさも、心に沁みる。
ついぞ口にしなかった「ありがとう」を、俺はあえて声に出した。
ダメだ。
もう限界だ。
今日は特に打たれ弱い。
気分を変えよう……俺はカセットデッキにあのテープをセットすると、再生ボタンを押した。
「……あったまてーかてーか!」
アニメの主題歌を歌っているこの声は、幼い頃の俺か。ひとしきり歌い終わると拍手の音が聞こえる。
「わぁ、おじょうず!」
この声は母親かな。とにかく俺は調子に乗って、当時観ていた番組の主題歌を一人リサイタル。
一曲終わるたびに拍手とほめちぎりとが聞こえ、俺の恥ずかしそうな「えへへ」という照れ声がそれに応える。
ああ、この「えへへ」って笑い方、妻が連れて行ってしまった恵莉奈とおんなじ照れ笑いじゃないか。親子だなぁ……なんて考えてまた涙がにじむ。
「大丈夫よ」
テープの中の母親が急にそんなことを言うもんだから、びっくりした。
「私がついてるから!」
あれ、うちの母親、こんな殊勝なこと言うタイプだったっけ。そうやってその声に意識を集中させると、どうにも母親の声とは違うという気がしてならない。
「あなたへの理解がない妻も娘も追い出したし、また二人きりになれ」
反射的に再生を止めた。
なんだ今の。
幻聴か?
腕にざわざわと鳥肌が広がる。自分の心に空いた穴に、ナニカが潜んでいるような気がして、背中がぶるりと震えた。
<終>
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
保健室の秘密...
とんすけ
大衆娯楽
僕のクラスには、保健室に登校している「吉田さん」という女の子がいた。
吉田さんは目が大きくてとても可愛らしく、いつも艶々な髪をなびかせていた。
吉田さんはクラスにあまりなじめておらず、朝のHRが終わると帰りの時間まで保健室で過ごしていた。
僕は吉田さんと話したことはなかったけれど、大人っぽさと綺麗な容姿を持つ吉田さんに密かに惹かれていた。
そんな吉田さんには、ある噂があった。
「授業中に保健室に行けば、性処理をしてくれる子がいる」
それが吉田さんだと、男子の間で噂になっていた。
後悔と快感の中で
なつき
エッセイ・ノンフィクション
後悔してる私
快感に溺れてしまってる私
なつきの体験談かも知れないです
もしもあの人達がこれを読んだらどうしよう
もっと後悔して
もっと溺れてしまうかも
※感想を聞かせてもらえたらうれしいです
今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
【短編】怖い話のけいじばん【体験談】
松本うみ(意味怖ちゃん)
ホラー
1分で読める、様々な怖い体験談が書き込まれていく掲示板です。全て1話で完結するように書き込むので、どこから読み始めても大丈夫。
スキマ時間にも読める、シンプルなプチホラーとしてどうぞ。
獣人の里の仕置き小屋
真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。
獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。
今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。
仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる