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お題【深海から見た星空】
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「ね、お父さん、本当に見に来ないの? 綺麗だよ!」
私は娘に悟られぬよう体の震えをぐっとこらえて平静を装う。
「ああ、お父さん明日早いからね。もう寝なきゃ」
「ちぇー。ママー! 一緒に見よー!」
娘はベランダへと戻ってゆく。
今日はここ数年で最も見事な流星群を鑑賞できるでしょうと朝からニュースでやっていたっけ。
うちはマンションの上層階なので空がよく見える。
本当は空に近いこんな高さはイヤだったのだが、妻にこの眺めがどうしても良いからと押し切られて……ああ、ダメだ。空から意識を離そう。違うことを考えなきゃ。
私は自分の震えを抑え込もうと布団の中で小さく丸くなった……しかしもう遅かったようだ。星という言葉を思い浮かべただけであの記憶が甦ってしまう。
瞼の内側の暗闇の中……白い点がちらちらと見え始めた。まずい。これはマリンスノー……私は記憶の中へ、いやおうがなしに潜ってゆく。
あの夏の昼下がり、私は深海生物を研究する駆け出しの海洋学者で……師事していた教授が、深海探査機を所持する民間機関との合同調査をしていた関係で東京湾に居た。
一度くらいは自分の目で直に見てみなさいと教授にうながされ探査機へと乗り込むと、隣では先輩が計器類のチェックをしている。
「記録係、頼むぞ」
「はい」
探査機はゆっくりと海底めがけ沈んでゆく。
周囲の色が水色から青へ、群青へ、どんどんと濃くなるにつれ、闇が海の色ばかりか私の心の中をも次第に重く塗り潰そうとする。
ここで探査機が壊れたら、戻れないかもしれない。不安に引っ張られるようにして私はふと上を見上げた。
圧倒的な量の水が太陽の光を阻み、気がつけば辺りは夜よりも真っ暗だった。
私は手持ちの強力なマグライトを頭上に向けて点けてみた。頭上のささやかな空間に海中懸濁物が……一般にマリンスノーと呼ばれているものがちらりちらりと次々に現れては消える。
遠いものはそれこそ星のように視界に在り続けて。私にはそれが雪ではなく星に見えたのだ。
流れ星の途切れない星空。
わずかな間だが、私は研究のことなど忘れて見とれてしまった。プライベートプラネタリウムと呼んでもよいくらいのその光景に。
それがいけなかったのかな。やがてその星空にひときわ大きな流れ星が見えたのだ。
海流にでも流されているのだろうか、それはどんどん近づいてくる。
目を反らすことが出来なかった……それが人の形をしていると、気付いてしまったから。髪の毛の長い……おそらく女性。白いワンピースを着ているのだろうか。そんな人の形が時折くるりと力なく回りながら近づいてくる。
怖いのに、目を離すのはもっと怖いような気がして、ずっとそれを目で追い続けている私は、その人と、目が合った……ような気がした。
口も目もぽかんと開き、スローモーションのように視界を横切って……急にガクンと体が揺れた。
「馬鹿野郎、早く言えよ!」
隣から先輩の怒鳴り声が聞こえた。潜水艇が加速したのだった。しばらく移動した後、視界には再び小さな星空だけの世界が戻ってくる。
「……ふぅ。スクリューに巻き込まずに済んでよかったよ」
「あ……あ……」
体がいつの間にか震えていて、声もまだ出なかった。
「すごいな。噂には聞いていたけど、俺も見るの初めてだよ。持っていってあげれば遺族さんも喜ぶかもだが、生憎とそこまでできる性能はないんだ。
「……え……と……あれは、その……」
「死体だよ。でも良かったな。落ちるときで。落ちてしばらくすると腐敗で発生したガスがたまって浮いてくるんだよ。研究員仲間に写真で見せられたことあったけど……あっちはもっとしんどいぞ」
そんなことを言いながらも先輩は笑っていたが、私はとてもじゃないがそんな心境になどなれなかった。
無事に海の上までそして陸まで戻っても尚、あの時に見たアレを頭の中から追い出すことが出来なくて。いつしか私は職を変え、海のみならず、夜にさえも……特に星の見える夜には近づかない生活をするようになっていた。
布団をがばっとはいで勢いよく上半身を起こす。
目を閉じた暗闇の向こうから、アレがまた近づいてくるような気がしたのだ。
とりあえず気分を変えよう。テレビでも見て気持ちを落ち着けよう……と、リビングに向かった私を、妻と娘とが呼びとめた。
「おいおい。父さんは見ないって言っただろう?」
つとめて「普通」を保つ。声が少し上ずったが、気付かれてはいないだろうか。
「えー! 飲み物持ってきてくれるくらいいいじゃない!」
「あったかいのがいい!」
やれやれ……まあ気分転換にはなるか。私は冷蔵庫からウーロン茶を取り出すとマグカップへ注ぎ入れ電子レンジで温めた。
すぐに飲めるくらいの温度に温まったマグカップを両手に持ち、こぼさないよう静かにベランダまで歩く。
「ほら、持って来たよ」
「あ、ありがとー!」
二人がこちらへ振り返ったちょうどその時、妻と娘の背後、ベランダの柵の向こう側を何か大きなモノが流れ落ちた。
一瞬のことだというのに私はそのモノと目が合ってしまう。しかも酷いことに見覚えがある。おそらくこのマンションの住人……ああでも良かった。妻も娘も、あれを見ないですんだのだから。
<終>
私は娘に悟られぬよう体の震えをぐっとこらえて平静を装う。
「ああ、お父さん明日早いからね。もう寝なきゃ」
「ちぇー。ママー! 一緒に見よー!」
娘はベランダへと戻ってゆく。
今日はここ数年で最も見事な流星群を鑑賞できるでしょうと朝からニュースでやっていたっけ。
うちはマンションの上層階なので空がよく見える。
本当は空に近いこんな高さはイヤだったのだが、妻にこの眺めがどうしても良いからと押し切られて……ああ、ダメだ。空から意識を離そう。違うことを考えなきゃ。
私は自分の震えを抑え込もうと布団の中で小さく丸くなった……しかしもう遅かったようだ。星という言葉を思い浮かべただけであの記憶が甦ってしまう。
瞼の内側の暗闇の中……白い点がちらちらと見え始めた。まずい。これはマリンスノー……私は記憶の中へ、いやおうがなしに潜ってゆく。
あの夏の昼下がり、私は深海生物を研究する駆け出しの海洋学者で……師事していた教授が、深海探査機を所持する民間機関との合同調査をしていた関係で東京湾に居た。
一度くらいは自分の目で直に見てみなさいと教授にうながされ探査機へと乗り込むと、隣では先輩が計器類のチェックをしている。
「記録係、頼むぞ」
「はい」
探査機はゆっくりと海底めがけ沈んでゆく。
周囲の色が水色から青へ、群青へ、どんどんと濃くなるにつれ、闇が海の色ばかりか私の心の中をも次第に重く塗り潰そうとする。
ここで探査機が壊れたら、戻れないかもしれない。不安に引っ張られるようにして私はふと上を見上げた。
圧倒的な量の水が太陽の光を阻み、気がつけば辺りは夜よりも真っ暗だった。
私は手持ちの強力なマグライトを頭上に向けて点けてみた。頭上のささやかな空間に海中懸濁物が……一般にマリンスノーと呼ばれているものがちらりちらりと次々に現れては消える。
遠いものはそれこそ星のように視界に在り続けて。私にはそれが雪ではなく星に見えたのだ。
流れ星の途切れない星空。
わずかな間だが、私は研究のことなど忘れて見とれてしまった。プライベートプラネタリウムと呼んでもよいくらいのその光景に。
それがいけなかったのかな。やがてその星空にひときわ大きな流れ星が見えたのだ。
海流にでも流されているのだろうか、それはどんどん近づいてくる。
目を反らすことが出来なかった……それが人の形をしていると、気付いてしまったから。髪の毛の長い……おそらく女性。白いワンピースを着ているのだろうか。そんな人の形が時折くるりと力なく回りながら近づいてくる。
怖いのに、目を離すのはもっと怖いような気がして、ずっとそれを目で追い続けている私は、その人と、目が合った……ような気がした。
口も目もぽかんと開き、スローモーションのように視界を横切って……急にガクンと体が揺れた。
「馬鹿野郎、早く言えよ!」
隣から先輩の怒鳴り声が聞こえた。潜水艇が加速したのだった。しばらく移動した後、視界には再び小さな星空だけの世界が戻ってくる。
「……ふぅ。スクリューに巻き込まずに済んでよかったよ」
「あ……あ……」
体がいつの間にか震えていて、声もまだ出なかった。
「すごいな。噂には聞いていたけど、俺も見るの初めてだよ。持っていってあげれば遺族さんも喜ぶかもだが、生憎とそこまでできる性能はないんだ。
「……え……と……あれは、その……」
「死体だよ。でも良かったな。落ちるときで。落ちてしばらくすると腐敗で発生したガスがたまって浮いてくるんだよ。研究員仲間に写真で見せられたことあったけど……あっちはもっとしんどいぞ」
そんなことを言いながらも先輩は笑っていたが、私はとてもじゃないがそんな心境になどなれなかった。
無事に海の上までそして陸まで戻っても尚、あの時に見たアレを頭の中から追い出すことが出来なくて。いつしか私は職を変え、海のみならず、夜にさえも……特に星の見える夜には近づかない生活をするようになっていた。
布団をがばっとはいで勢いよく上半身を起こす。
目を閉じた暗闇の向こうから、アレがまた近づいてくるような気がしたのだ。
とりあえず気分を変えよう。テレビでも見て気持ちを落ち着けよう……と、リビングに向かった私を、妻と娘とが呼びとめた。
「おいおい。父さんは見ないって言っただろう?」
つとめて「普通」を保つ。声が少し上ずったが、気付かれてはいないだろうか。
「えー! 飲み物持ってきてくれるくらいいいじゃない!」
「あったかいのがいい!」
やれやれ……まあ気分転換にはなるか。私は冷蔵庫からウーロン茶を取り出すとマグカップへ注ぎ入れ電子レンジで温めた。
すぐに飲めるくらいの温度に温まったマグカップを両手に持ち、こぼさないよう静かにベランダまで歩く。
「ほら、持って来たよ」
「あ、ありがとー!」
二人がこちらへ振り返ったちょうどその時、妻と娘の背後、ベランダの柵の向こう側を何か大きなモノが流れ落ちた。
一瞬のことだというのに私はそのモノと目が合ってしまう。しかも酷いことに見覚えがある。おそらくこのマンションの住人……ああでも良かった。妻も娘も、あれを見ないですんだのだから。
<終>
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