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お題【魔女のボケ】
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私がこのお屋敷に貰われてきたのはまだ小学生の頃だった。
両親を早くに亡くした私を引き取ってくれていた叔母夫婦の家では「躾」という名目の虐待が日常的に行われていて、今のこのお屋敷にもらわれるのだと分かった時、嬉しさのあまり腰が抜けてしばらく立ち上がれなかったほど。
このお屋敷では、私は「娘」として育てられた。殴られることもなく罵られることもなく、美味しい食事を日に三回もいただくことができ、学校に行かせてもらうことも出来、しかも家に帰ってからの時間を好きに使うことができたのだ。
自由な時間だなんて!
夢のような暮らしだった。
ああでもたった一つだけ、庭の一角にある樹々のお世話だけは毎朝欠かさずにするということだけはルールとして定められていて、雨が降ろうが雪が降ろうが嵐がやってこようが、樹々の一つ一つに手を当ててお祈りを捧げなければいけなかった。
ただ、それ以前の地獄のような生活の中でやらなくてはいけなかった多くの事柄に比べればごくごく楽なものだったし、そもそもこの樹々に私が助けられたことを思い返すと面倒のめの字さえ感じることはなかった。
そう。私はこの樹に助けられた。
あの日、言いつけられたお買い物の途中、このお屋敷の前で泣いていた私。
重すぎる荷物と、当時小学二年生だった私の短い手の長さとで、スーパーのビニール袋は地面にこすりつけられ破けてしまって。
そんな私に声をかけてくれたのが、今の「母」だった。どうしたのとたずねてくれた彼女に私は事情を説明した。すると、代わりになる袋をあげるからちょっと待っていてねとか言われて……この知らない人が、私をさらってくれればいいのにとか子供心に本当に考えながら待っていた。
彼女は美しい女性だった。あんな綺麗な人が悪いことをするはずがないとも思っていた。叔母夫婦はいつも怒鳴っていて、物語の中の鬼のように見えていたし。
彼女はすぐに戻ってきた。良い匂いのする軽い袋を私へと差し出し、がんばりやさんにプレゼントするなんて言い出した。そんな優しさをそれまで知らなかった私は泣き出し、そして、自分が唯一持っている財産……言葉を、自分の知っている限りの言葉を総動員してお礼を言った。
彼女のことだけじゃなく、彼女のお屋敷、そして美しい模様の柵ごしに見える素晴らしい庭園の美しさを賛美した。
「おにわの木もすごくきれいです。とくに赤い花の木がすごくきれい」
私は確かそんなようなことを言ったと思う。
すると彼女は突然、私の手をぎゅっと握りしめ「もっと近くで見てよいのよ」と言った。
ちょっと前まではこの人にさらわれたいなんて妄想していた私だったけれど、さすがにそこまではという意識はちゃんとあって、一度は首を横に振った。けれど、彼女がふわりと微笑むと不思議なことにそれが一番良いような気がしてきて……私は彼女のあとについてお屋敷へと足を踏み入れてしまった。
そのことを後悔はしていない。
その後、彼女はすぐに叔母夫婦への連絡やら手続きもしてくれたみたいで、ほどなくして私は彼女の「娘」となったのだ。
この屋敷での生活は何もかもが素晴らしくて、とりわけ彼女の……「母」の美貌が群を抜いて素晴らしかった。
まじまじと見つめると言葉を失うほど。
その美しさに惹かれた者達が毎日のように「母」への贈り物を持って訪れた。それが私にとって誇りであったのは、小さい頃だけ。
年齢を重ね、思春期になると「母」のその美しさが私を苦しめるようになっていった。
家へ連れてきた人は男女問わず「母」に夢中になり、その中には私の初恋の人も、そして初めてできた恋人さえも含まれていた。
お屋敷での生活に不満などなかった私だったが、この「母」の下では女としての幸せは決して得られないと気づいてしまったのだ。
私は秘密の口座を作り、お屋敷の物をこっそりと売ってはそこへ貯め込んだ。
二十歳になったらこの家を出て行こう、そう決めて。
「母」に感謝はしていた。あの地獄のような日々から救い出してくれて、何不自由ない暮らしをさせてくれて……でも、付き合う男たちが片っ端から母に夢中になってゆく日々はまたある意味別の地獄だった。
表面上は「娘」として変わらぬ日々を演じながら、まもなくやってくる巣立ちの日に向けて湧き上がる高揚感を必死に抑え、そしてとうとう新しい人生の門出を翌日にと控えた夜のこと。
明日、私は二十歳になる。
なんだか興奮して眠れない。
私の中に不思議な力が育っているみたいに。
ああ、新しい生活。これから私は一人で生きてゆく。きっと今よりずっと大変だろうけれど、でも普通に恋をして普通に結婚して普通に……。
コンコン。
心臓が飛び出るかと思った。
「は、はい」
「大事な話があるの。今すぐ来て頂戴」
「母」だった。
まさか計画がバレていた?
従うかどうか正直迷う。でもここで決意をゆるがせたら私はきっとあのいつまでもあの美しいままの「母」の下で、寂しい想いをしながら生きていかなければならなくなるに違いない。
だから、決行した。
「母」の部屋へは行かず、こっそりとお屋敷を抜け出したのだ。
私の元彼から連絡があったのはその翌日の深夜過ぎのことだった。
とりあえずネットカフェに泊まり込んでいた私の携帯電話にメッセージが届いたのだ。
『明日は日曜だけどさ、なんか予定とかある?』
私のことを命がけで愛してくれると言ったからこそ大切なものを捧げた男からの、軽い口調のメッセージ。
「母」に会うまでは毎日私へかまってくれていたのに、「母」を一目見た途端に夢中になり、私からの全ての連絡に返事を返さなくなった男。
こいつのことなんて思い出したくもなかったのだけれど、この機会にと男への腹立たしさをそのまま返信した。
『私の母に夢中になって私を振ったクセに』
すぐに返事が来た。それも電話で。
その電話につい出てしまったのは、やはり一人になったことへの不安や寂しさがあったからかもしれない。でも、彼の言い訳がどうにも噛み合わない。彼は私の母に会ったことなど覚えていないと言い出して。その時はむかついたまま電話を切って、電源まで落としてしまったけれど、翌朝になって胸騒ぎを覚えた私はお屋敷へとこっそり戻ってみた。
「え?」
あの立派だったお屋敷は朽ち果て、庭も荒れてボロボロ。
どう見ても廃墟だった。あれから何十年と経っているかのように。
ここ、場所を間違ったりはしていないよね?
いいえ、間違えてなんかいない。十年以上は住んでいた場所なんだし。気づいたら私はその廃墟の中へと踏み出していた。
鍵がかかっていないどころか、扉や床板ですら朽ちてボロボロになっている。
「母」の部屋……一階の一番奥の部屋へ、私はまっすぐに向かった。私がここを抜け出したのは一昨日のことのはず。どうして……心の中のざわめきに気を向けると、あちこち傷んで穴の空いた床に足を取られそうになる。
やっとの思いで「母」の部屋までたどりついた私は、全てがセピア色に退色した調度品の中でたった一つだけ真新しい白……「母」の鏡台の上に置かれた封筒を見つけた。
私の名前が「母」の字で記されていたその封筒の端を震える指で破った私は、中から三枚の便箋を取り出し、次々と読んだ。
そこには「母」が魔女であったこと、庭の木瓜がその魔力の源であること、純白の木瓜には魔女の素質がある者にだけ赤く見える魔法がかけられていること、素質のある者を「娘」として受け入れた場合、その者が二十歳になるまで、そして最低十年以上は木瓜の世話をさせることで魔力の引き継ぎを行うための素地を育てられること、魔法の恩恵を得るには木瓜の世話を一日でも欠かしてはいけないこと、そして、魔女の力を引き渡す日に母たる魔女は地に還ってしまうことが書かれていた。
私は泣きながら庭へと急ぐ。
にわかには受け入れられないことが書いてある。
それを全て信じたわけじゃないけれど、いつも世話をしていた木瓜の樹が気になって全力で走った。
何度もつまずきながら、すり傷を作りながらようやくたどり着いた木瓜の樹の前で、私は足がもつれて転び、そして力なく地面に突っ伏した。立ち枯れていた木瓜の樹の根元の盛り土からは、かすかに「母」の甘い香りがした。
涙が止まらなかった。
<終>
両親を早くに亡くした私を引き取ってくれていた叔母夫婦の家では「躾」という名目の虐待が日常的に行われていて、今のこのお屋敷にもらわれるのだと分かった時、嬉しさのあまり腰が抜けてしばらく立ち上がれなかったほど。
このお屋敷では、私は「娘」として育てられた。殴られることもなく罵られることもなく、美味しい食事を日に三回もいただくことができ、学校に行かせてもらうことも出来、しかも家に帰ってからの時間を好きに使うことができたのだ。
自由な時間だなんて!
夢のような暮らしだった。
ああでもたった一つだけ、庭の一角にある樹々のお世話だけは毎朝欠かさずにするということだけはルールとして定められていて、雨が降ろうが雪が降ろうが嵐がやってこようが、樹々の一つ一つに手を当ててお祈りを捧げなければいけなかった。
ただ、それ以前の地獄のような生活の中でやらなくてはいけなかった多くの事柄に比べればごくごく楽なものだったし、そもそもこの樹々に私が助けられたことを思い返すと面倒のめの字さえ感じることはなかった。
そう。私はこの樹に助けられた。
あの日、言いつけられたお買い物の途中、このお屋敷の前で泣いていた私。
重すぎる荷物と、当時小学二年生だった私の短い手の長さとで、スーパーのビニール袋は地面にこすりつけられ破けてしまって。
そんな私に声をかけてくれたのが、今の「母」だった。どうしたのとたずねてくれた彼女に私は事情を説明した。すると、代わりになる袋をあげるからちょっと待っていてねとか言われて……この知らない人が、私をさらってくれればいいのにとか子供心に本当に考えながら待っていた。
彼女は美しい女性だった。あんな綺麗な人が悪いことをするはずがないとも思っていた。叔母夫婦はいつも怒鳴っていて、物語の中の鬼のように見えていたし。
彼女はすぐに戻ってきた。良い匂いのする軽い袋を私へと差し出し、がんばりやさんにプレゼントするなんて言い出した。そんな優しさをそれまで知らなかった私は泣き出し、そして、自分が唯一持っている財産……言葉を、自分の知っている限りの言葉を総動員してお礼を言った。
彼女のことだけじゃなく、彼女のお屋敷、そして美しい模様の柵ごしに見える素晴らしい庭園の美しさを賛美した。
「おにわの木もすごくきれいです。とくに赤い花の木がすごくきれい」
私は確かそんなようなことを言ったと思う。
すると彼女は突然、私の手をぎゅっと握りしめ「もっと近くで見てよいのよ」と言った。
ちょっと前まではこの人にさらわれたいなんて妄想していた私だったけれど、さすがにそこまではという意識はちゃんとあって、一度は首を横に振った。けれど、彼女がふわりと微笑むと不思議なことにそれが一番良いような気がしてきて……私は彼女のあとについてお屋敷へと足を踏み入れてしまった。
そのことを後悔はしていない。
その後、彼女はすぐに叔母夫婦への連絡やら手続きもしてくれたみたいで、ほどなくして私は彼女の「娘」となったのだ。
この屋敷での生活は何もかもが素晴らしくて、とりわけ彼女の……「母」の美貌が群を抜いて素晴らしかった。
まじまじと見つめると言葉を失うほど。
その美しさに惹かれた者達が毎日のように「母」への贈り物を持って訪れた。それが私にとって誇りであったのは、小さい頃だけ。
年齢を重ね、思春期になると「母」のその美しさが私を苦しめるようになっていった。
家へ連れてきた人は男女問わず「母」に夢中になり、その中には私の初恋の人も、そして初めてできた恋人さえも含まれていた。
お屋敷での生活に不満などなかった私だったが、この「母」の下では女としての幸せは決して得られないと気づいてしまったのだ。
私は秘密の口座を作り、お屋敷の物をこっそりと売ってはそこへ貯め込んだ。
二十歳になったらこの家を出て行こう、そう決めて。
「母」に感謝はしていた。あの地獄のような日々から救い出してくれて、何不自由ない暮らしをさせてくれて……でも、付き合う男たちが片っ端から母に夢中になってゆく日々はまたある意味別の地獄だった。
表面上は「娘」として変わらぬ日々を演じながら、まもなくやってくる巣立ちの日に向けて湧き上がる高揚感を必死に抑え、そしてとうとう新しい人生の門出を翌日にと控えた夜のこと。
明日、私は二十歳になる。
なんだか興奮して眠れない。
私の中に不思議な力が育っているみたいに。
ああ、新しい生活。これから私は一人で生きてゆく。きっと今よりずっと大変だろうけれど、でも普通に恋をして普通に結婚して普通に……。
コンコン。
心臓が飛び出るかと思った。
「は、はい」
「大事な話があるの。今すぐ来て頂戴」
「母」だった。
まさか計画がバレていた?
従うかどうか正直迷う。でもここで決意をゆるがせたら私はきっとあのいつまでもあの美しいままの「母」の下で、寂しい想いをしながら生きていかなければならなくなるに違いない。
だから、決行した。
「母」の部屋へは行かず、こっそりとお屋敷を抜け出したのだ。
私の元彼から連絡があったのはその翌日の深夜過ぎのことだった。
とりあえずネットカフェに泊まり込んでいた私の携帯電話にメッセージが届いたのだ。
『明日は日曜だけどさ、なんか予定とかある?』
私のことを命がけで愛してくれると言ったからこそ大切なものを捧げた男からの、軽い口調のメッセージ。
「母」に会うまでは毎日私へかまってくれていたのに、「母」を一目見た途端に夢中になり、私からの全ての連絡に返事を返さなくなった男。
こいつのことなんて思い出したくもなかったのだけれど、この機会にと男への腹立たしさをそのまま返信した。
『私の母に夢中になって私を振ったクセに』
すぐに返事が来た。それも電話で。
その電話につい出てしまったのは、やはり一人になったことへの不安や寂しさがあったからかもしれない。でも、彼の言い訳がどうにも噛み合わない。彼は私の母に会ったことなど覚えていないと言い出して。その時はむかついたまま電話を切って、電源まで落としてしまったけれど、翌朝になって胸騒ぎを覚えた私はお屋敷へとこっそり戻ってみた。
「え?」
あの立派だったお屋敷は朽ち果て、庭も荒れてボロボロ。
どう見ても廃墟だった。あれから何十年と経っているかのように。
ここ、場所を間違ったりはしていないよね?
いいえ、間違えてなんかいない。十年以上は住んでいた場所なんだし。気づいたら私はその廃墟の中へと踏み出していた。
鍵がかかっていないどころか、扉や床板ですら朽ちてボロボロになっている。
「母」の部屋……一階の一番奥の部屋へ、私はまっすぐに向かった。私がここを抜け出したのは一昨日のことのはず。どうして……心の中のざわめきに気を向けると、あちこち傷んで穴の空いた床に足を取られそうになる。
やっとの思いで「母」の部屋までたどりついた私は、全てがセピア色に退色した調度品の中でたった一つだけ真新しい白……「母」の鏡台の上に置かれた封筒を見つけた。
私の名前が「母」の字で記されていたその封筒の端を震える指で破った私は、中から三枚の便箋を取り出し、次々と読んだ。
そこには「母」が魔女であったこと、庭の木瓜がその魔力の源であること、純白の木瓜には魔女の素質がある者にだけ赤く見える魔法がかけられていること、素質のある者を「娘」として受け入れた場合、その者が二十歳になるまで、そして最低十年以上は木瓜の世話をさせることで魔力の引き継ぎを行うための素地を育てられること、魔法の恩恵を得るには木瓜の世話を一日でも欠かしてはいけないこと、そして、魔女の力を引き渡す日に母たる魔女は地に還ってしまうことが書かれていた。
私は泣きながら庭へと急ぐ。
にわかには受け入れられないことが書いてある。
それを全て信じたわけじゃないけれど、いつも世話をしていた木瓜の樹が気になって全力で走った。
何度もつまずきながら、すり傷を作りながらようやくたどり着いた木瓜の樹の前で、私は足がもつれて転び、そして力なく地面に突っ伏した。立ち枯れていた木瓜の樹の根元の盛り土からは、かすかに「母」の甘い香りがした。
涙が止まらなかった。
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