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#85 入隊
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あっという間だった。
モクタトルに起こされたときにはもう昼で、トゥイードル濁爵領都ギルフォドに到着していた。
正確には、ギルフォドの南門の手前。
そして物凄く囲まれていた。
しかも続々と人が詰めかけてきている。わざわざ門から出て。
確か一般領民が門の外に出るにはそれなりの手続きが必要なはず。薬草採取や狩人、木こりなど。
それでもこれだけの人が門の外へ溢れて出ている、というのは、それほどまでにグリュプスは珍しいからだろう。
もしもストウ村に来ていたら、俺も間違いなく見に出ていただろう。
「お兄ちゃーんっ!」
トリニティから降りた俺に駆け寄ってくる一人の少女。レムだ。
「見つけたよ! ラビツ!」
レムが走ってきた方向を見ると、メリアンとラビツ一行が南門のところで揃って立っている。
ああ、確かにリテルの記憶にあるラビツの顔だ。
ようやく長い旅が終わるのか。
胸に込み上げてくる熱いものは、やり遂げた嬉しさと名残惜しい寂しさとが半々。
「グリュプスが飛んできたって街中で盛り上がっててね、グリュプスを使い魔にしているのはコーカ・スレースのモクタトル様だけだから! それで見に来たら、まさかのお兄ちゃんとルブルムが乗ってるでしょ! すごいすごい! お兄ちゃん、モクタトル様ともお知り合いだったの?」
「いやいや、寄らずの森の魔女様のお力です」
モクタトルとルブルムの関係については他の人には言わないようにと空の上で釘を刺されていた。
ホムンクルスのことを言っていないレムには当然、後からでも言うつもりはない――これは信頼しているとかしていないとかとは別問題だから。
しかし、レムすら名前を知っているモクタトル様――モクタトルご本人から敬称はいらないと言われているが、周囲が様付けで呼んでいる中で呼び捨てはちょっとキツイ。
一応、俺もここでは「モクタトル様」と呼ばせてもらうと、ルブルムも俺に倣った。
あくまでも仲がいいのはモクタトル様と俺たちの師匠、という体で。
「じゃあ早速、魔術師組合に行こうか」
モクタトルが魔術師組合を勧めたのは、そこには外に声が漏れない密談室というのがあるからだと言う。
しかも密談室は、モクタトルの属するコーカ・スレースの魔法研究所が開発した魔法品を使用しているらしい。
コーカ・スレースは王都キャンロルからほど近い古い遺跡の跡地に造られた研究都市で、魔術師たちが集って日夜、魔法や魔術、魔法品の開発に勤しんでいるという。
そこに行ったら、俺とリテルとを切り離すことができる研究とか見つけられないかな。
まだ先だと思っていた旅の終わりがもう目前で、なのにその次へ進むための準備がまるで済んでなくて。
溜息を呑み込みながら密談室の席へと着いた。
モクタトルとルブルム、俺、メリアン、ラビツ、そしてラビツの仲間たち。
ラビツはアルブムと同じ鼠種の兎亜種。
もっとチャラい印象があったけど、メリアンやモクタトルの前だからか、神妙な面持ちをしている。
赤毛の猫種先祖返りは「流水」ロブスト。
ロブストと異父兄弟である猿種は「流星」パンス。
もう一人の猿種は「夜爪」のオール。
この四人は全員が二つ名持ち。本物のヴォールパール自警団だ。
ラビツを含めた全員が、引き締まった筋肉と只者じゃない雰囲気とに包まれている。
四人とも、決してイケメンという感じではないが、なんというか渋さというか、頼りがいというか、隙がないというか、メリアンと同じ強者感があり、大人の色気みたいなのを男の俺でも感じてしまう。
ちなみにレムとトリニティは、魔術師組合の外でお留守番。
早速、呪詛のことも含め、モクタトルが説明する。
ラビツたちが呪詛を広めるきっかけになったこと、実際にストウ村と各地の娼婦を中心に広めてしまっていること、それを公にしたくはないクスフォード虹爵様のご意向、呪詛を上書き無効化する呪詛の準備ができたこと、その新しい呪詛と共に今まで回ってきた各地を逆に辿り、同じ娼婦に呪詛を上書き感染させてほしいこと、帰りの費用については支援の用意があること、この一件については他言無用であること、それが守られる限り、呪詛を広めてしまった罪については不問にすること。
「どうだい?」
モクタトルが尋ねると、真剣な表情で話を聞いていたラビツが答えた。
「とてもありがたい申し出だ……しかし、遅かった」
遅かった?
何が遅かった?
「傭兵契約、今朝にもうしちゃったんだと」
メリアンが代わりに答えた。
傭兵契約――ってことは、解除に寿命を提出しなきゃいけないってやつか。
「ふーむ。それはまずいなぁ。君らが触れた娼婦は君らじゃないとわからないし、早めに上書き伝染させないと、想定以上に広まってしまうかもしれないし……契約の破棄はできないかい?」
モクタトルが尋ねると、ラビツが眉尻を下げながら腕をまくる。
太く引き締まった二の腕には、見るからに魔法品っぽい腕輪が装着されている。
「できなくはないが、自己都合の除隊は罰としての寿命提出量がそこそこ多い。期間も三ヶ月契約だし」
「三ヶ月?」
メリアンがラビツを睨む。
「一ヶ月の予定じゃなかったか?」
「ま、待ってくれメリアン。ラビツを責めないでやってくれ。ラビツがお前に贈ろうとしていた武器がな」
「流水」ロブストが横から口を挟む。
「ロブスト、言うなむぐっ」
それを遮ろうとしたラビツの口を、「流星」パンスが塞ぐ。
「ラビツよ。お前がメリアンを驚かせたい気持ちはわかる。でもよ、今はそうも言ってらんないだろうよ」
「夜爪」オールが答える。
「見つけちまったんだよ。あのカシナトの業物をな。で、急遽買う予定だったものをそっちに変えちゃってな。金額的には俺たち四人で三ヶ月ってとこでね。もう手付は払ってあって、取り置きしてもらっている状態だ。式を延期してでもそれだけのモノを贈りたいってラビツが言いやがってな。まぁ、俺たちもメリアンには幾度となく背中を預けてきた。メリアンのためだったらタダ働きしてやるよっつうことになったんだ……それがまさか、な」
ロブストが、悪さをしたときの猫っぽい表情で溜息をつく。
その猫耳も申し訳なさげに伏せている。
ルブルムがなぜ武器を質問すると、メリアンやラビツたちの故郷では、結婚の正式な申し込みをするときには包丁などの刃物を贈る風習があり、メリアンは傭兵なのでとびっきりの武器にしようってことになったのだと解説してくれた。
「この腕輪さえなんとかできればなぁ。実績紋は実際にはまだ更新されてないし」
「そうなのか?」
モクタトルの目の奥が光った気がした。
「ああ。実は本契約はまだ済んでいないから。今頃、入隊試験をやっているはずなんだが、俺たちは免除って言われてね」
眉間にシワを寄せながらそう言ったのは、「夜爪」オール。
実績紋は入隊確定のタイミングと、除隊のタイミングとで更新される。
もちろん、所属中の活躍は都度、更新されるようだが。
そしてラビツたち四人が着けている腕輪は、試験免除の証なのだそうだ。
入隊試験は、貴族の子女など一部の者は免除となる。
だが試験免除者の中には、入隊直前にごねて入隊を拒もうとする輩も出るらしく、実績紋の記載と引き換えにしなければ外れない仕様になっているのだそうだ。
「入隊試験免除たぁ、随分と名前が売れちまってんだねぇ」
メリアンが溜息をつく。
「ああ、名前を告げたら、試験免除ですって言われてね」
もしも入隊試験を受けられる場合なら、試験でわざと落ちるという手もあった、ということなのだろう。
こういうのも有名税というものだろうか。
「ふぅむ。それは、受付係が名前だけ聞いてヴォールパール自警団だって勘違いしている可能性があるってことだな?」
モクタトルが悪そうな顔をする。
「いやいや、契約の腕輪は入隊情報で実績紋を上書くのが解除条件だから……外さなきゃ街の外にだって出られやしない」
オールは口をへの字に曲げた。
「どれどれ」
モクタトルはオールの腕輪に触れ、魔法代償を集中する――と、外れた。
そしてまたオールの手首へと戻す。
まさか、この腕輪もコーカ・スレースの魔導研究所で開発されたもの?
「あー、なるほど。そういうことなら、ラビツ、ロブスト、パンス、オールという名前の四人が揃っていれば、なんとかなるってことだな? 乗った」
メリアンも手をポンと打つ。
「そ、そんな簡単にごまかせるんですか?」
思わず口を挟んでしまう。
「まぁ、素性を隠したまま傭兵するなんて珍しくもないからな。本名じゃなくとも怒られやしない。部隊に同じ名前の奴が居たとき、部隊長の独断で違う名前なりあだ名なりを与えられることもあるくらいだし。実際、あたしらも名前よりも二つ名で呼ばれることの方が多いよ……もっとも、そういうのは戦場で敵方への威嚇が目的なんだけどな」
となると、メリアンと俺と、ルブルムとレムってこと?
部屋の中を見回す俺の視線に気づいたモクタトルが口を開く。
「なぁ、契約紋の最終更新はいつまでだ?」
「日没だ……試験に受かってから準備をする奴も居るからな」
ようやくラビツが会話に復帰する。
「ふぅむ。あの馬車、普通のよりも早かったな。彼らは夕方前に着けるかな? ……というのも、ルブルムにはクスフォード虹爵様への報告しに帰るという大事な任務があるのだ」
あー、そうなりますよね。
となるとマドハトか――マドハトの体はそんなに強くはないが、大丈夫かな。
「いろいろ迷惑かけたな……いや、まだかけることになるのか、すまない」
ラビツが立ち上がるのと同時、ロブスト、パンス、オールも立ち上がり、四人で俺たちに向かって目線を外した丁寧なお辞儀をした。
モクタトルがラビツたちに近づき、一人ずつゆっくりめの握手をしながら立たせて回る。
呪詛を上書きする解呪の呪詛が、ようやくラビツたちに届いた。
あの日、ケティから呪詛を移されてから十五日、十進だと十七日が経った。
長かったようであっという間だったようにも感じる。
そうだよ。
一つ、忘れちゃいけないことがあった――例え現在のラビツたちが紳士っぽい振る舞いをしていたとしても。
ケティとリテルのためにも。
「ラビツ……ケティから伝言がある」
俺はラビツの頬めがけて思いっきり拳を振り抜いた。
ラビツはいったん避けかけたが、すぐに頬をその場に留める。
頬骨に当たったのか、拳が少し痛い。
人の顔を殴るだなんて、利照時代とリテルの記憶も含めたとしても人生初めてのこと。
「あれは本当に悪かった」
ラビツはケティの唇を無理やり奪ったことについて、改めて謝罪した。
「その言葉、ケティに伝えておきます」
ケティと、俺の中のリテルは、これでちょっとは溜飲を下げてくれただろうか。
ラビツたちのおごりで豪華な昼飯をいただきながら、俺とレムは傭兵についての基礎知識や、入隊試験が実施される場合の対策などを学んだ。
今回の作戦で行くとなると、急遽、入隊試験を受けさせられる可能性もあるということで。
食後の腹ごなしも兼ね、模擬戦めいたこともする。
マンクソム砦でヒューリとケンカしたときに実験したあの技を本格的に練習させてもらったりもした。
実際には帰ることが決まっているルブルムも、興味津々で一緒に学んだ。
これから三ヶ月の傭兵生活。
隣国ギルフォルドとの緊張が高まっているとはいえ、実際の戦闘に参加するような事態にはまずならないだろう、と言われはしたが、傭兵――俺が傭兵か。
まだ実感が湧かない。
ちなみに、わざと試験に落ちるのは、実績紋に「そういう実力」として記録されてしまうため、やめた方がいいとのこと。
マドハトたちが到着したのは午後、日が傾き始めてから。
幸い、日没にはまだ少し間がある。
事情を軽く説明すると、マドハトは尻尾を振って快諾した――しかし、ロッキンさんがまた真面目ぶりを発揮する。
「レムペーさん、あなたはだめです。私とあなた、そしてエクシさんは、あくまでもルブルムさんの護衛ですから。名無し森砦までは一緒に帰らないといけません」
「一人居ればいいじゃない! エクシさんだって、一人なんだし!」
おいおいレム、その言い方は、とたしなめる前に、ロッキンさんが鋭く言い返した。
「それは、レムペーさんが死亡した扱いになるってことですよ? 生きていることが発覚すれば、脱走兵として処理されてしまいます」
「でも私が居なかったら人数足りなくなっちゃうじゃない……」
「兄貴ぃ、何もめてるんでやす?」
突然、山羊種の男が一人、会話に参加してきた。
見覚えがある。
ニュナムの手前でウォッタやカーンさんたちを襲った四人組山羊種の一人だ。
「……お前、ニュナムに居たはずじゃ……」
「兄貴ぃ、やだなぁ。お前じゃなくファウンでさぁ。兄貴ほどお強い人だ、きっと戦いの場を求めているんでしょう。だとしたらあっしがお手伝いをせねばっつって追いかけてきたんでやす。戦争の噂が立っている今、行き先はマンクソム砦じゃなくギルフォドだろうと、あっしの勘がですねっ!」
なるほど。俺たちがマンクソム砦に寄ったがために追いつかれたのか。
それに戦争の噂――「実際の戦闘に参加するような事態にはまずならない」んじゃなかったのか?
「知り合いか? 頭数的にはちょうどいいじゃないか」
モクタトルが安堵の表情を浮かべる。
「いや、こいつは知り合いではなく、移動中に捕まえた犯罪者で」
「いやいやいや兄貴ぃ、それは言いっこなしですぜ。罪の分はちゃんと寿命で払ったし、それにあの小さな子……メドちゃんだったけかな、あっしが連れ出さなきゃ、とっくにルージャグの腹の中ですって……それにそもそも、あっしはあの三人とは違いやすぜ? あっちは元々連れ合い、こっちはアイシスの酒場でばったり会って同じ山羊種つうことで意気投合して道中一緒に居ただけでさぁ」
こいつが俺のように偽装の渦を使っていない限りは、寿命の渦には嘘をつくとき特有の乱れが感じられない。
「あいつらケンカっぱやいんでやすよ。あっしがあそこで人質取らなきゃ、あの子ら全員皆殺しになりかねなかったんでさぁ。死んだのが一人だけで済んだのはあっしのおかげでやすからね? カーンちゃんだって、察して自分から股を開いたんでやすよ。でもあっしはメドちゃんを人質取るフリしてずっと守ってたんで、腰振ったりはしてないんでやす。あっしは悪人じゃあないでやすよ」
このドヤ顔。
しかも自分から悪人じゃないと言うこの根性。
ただ、こいつが本当に嘘をついていないのなら、恩を返させて貸し借りゼロにしてから縁を切るって手もあるのかも。
なんかいまいち胡散臭いんだが、現状、こいつが仲間として振る舞ってくれれば、ルブルムとラビツたちが帰途につけるのも事実だし。
「あんた、ファウンだっけ? 腕の方はどうなんだい?」
「まぁ、それなりに。ちょっと前に仕事を失くしちまって。しばらく傭兵でもしようかと元々ここを目指してたくらいでさぁ」
「俺が見てやる。武器も同じようだからな」
オールが短剣を抜いたかと思うとファウンへと踏み込み、鋭い突きを放つ。
「わっ、わっ、わっ、突然ですかい?」
おどけながらもファウンはちゃんと全て避ける。
ヴォールパール自警団の「夜爪」オールが、手加減しているだろうとはいえ放ったあれだけの攻撃を、ちゃんと見て避けている実力はなかなかのものなんだろう。
「ファウンと言ったな。お前はこれからの三ヶ月、オールと名乗っていいぞ」
「またまたぁ、買いかぶり過ぎでさぁ。ヴォールパール自警団の夜爪と同じ名前だなんて!」
ファウンの一言に皆が笑う。
「え、俺なんか言っちゃいましたか?」みたいな表情のファウン以外は。
さっきまで張っていた場の空気が一気に和らいだ。
仕方ない。
ファウンに借りを返させてみようか。
その足で入隊受付まで行った。
メリアン、マドハト、ファウン、俺の四人で。
もちろん、契約の腕輪はモクタトルに付け替えてもらっている。
「あれ? ……なんか雰囲気が……」
受付の人は、そばかすの印象的な河馬種のお姉さん。
耳をくるくると動かしている。
「あー、見た目が変わる魔法をかけてもらってたのを忘れてたよ。今はもう効果時間が切れているから……」
メリアンが用意していた答えをそれとなく呟く。
「まさか、試験免除を狙ってのことでしたか? だとしたら、知りませんよ? 強い人ってことでタール大隊長のとこに配属が決まっちゃってますから……あの方の期待を裏切ったら、どんな仕打ちを受けることやら」
「タール大隊長? もしかして、漆黒の風か?」
メリアンが聞き返す。
「ご存知ないまま入隊ですか……本当に知りませんからね。自らつかまえた毒虫ですからね。ハイ。この巻物に四人分の紹介状が書かれています。まずは魔術師組合へ言ってこの巻物を見せてから実績紋を更新してください。巻物は返してもらってから傭兵部隊の隊舎へ移動してください。外区画の北東付近です。入り口入ってすぐの受付に巻物を渡してくださいね」
自らつかまえた毒虫っていうのは、こちらの諺で、要するに自業自得ってことだ。
入隊試験は免除のままだったのでそれはそれで助かるけれど、「漆黒の風」を二つ名に持つ大隊長か。怖そうだな。
傭兵生活への不安あれこれと渡された巻物とを抱えつつ日没前に魔術師組合へと急ぐ。
そして、なんとか四人とも無事に入隊が果たされた。
傭兵部隊の隊舎へと移動する前に、南門までルブルムたちを見送りに行く。
任期満了まで三ヶ月もあるし、ショゴちゃんはルブルムに使ってもらうことにした。
「お兄ちゃん!」
別れを惜しむレムが抱きついてくる。
「絶対に、死なないでね」
「うん。頑張るよ」
と答えつつも、妹、妹、妹と頭の中で念じる俺。
呪詛が消えて健全となったこの身だからなのかレムからも甘い香りを感じるし、その甘さになんかムズムズする。
抱き合うとはいっても互いに革鎧を着ているから別に胸が当たるとかはないのに、なんだか心の腰が引けてしまう。
「リテル!」
ルブルムも加わり、二人は名残惜しげにそれぞれの両手を俺の右手と左手とに絡みつけてくる。
そんなことだけでやけに股間が――待て、俺。
思い出せ、今朝やらかしてしまった人生最悪の大失態を。
こんな衆人環視のなか、あんなことをしてしまったらもう生きていけない。割りとマジで。
本当に心から紳士たれ、俺。
そうだ。気持ちを萎えさせれば――ふと浮かんだのは元の世界の姉さんのあの、見下すような不快感を露わにした表情。
ああ、凹むけど股間は落ち着いてくれる。
「お兄ちゃん、何を考えてるの?」
不自然さを見抜く女の勘か――レムはこういうとこ鋭いんだよな。
よく見ればルブルムも不安そうな表情をしている。
ああ、そうだよな。
俺、バカだな。
二人がこんなに心配してくれているのに、俺は何と戦っているんだっていうね。
今、二人に向き合わないでどうするんだよ。
傭兵というのは、死ぬかもしれない仕事だということ。
そして殺す覚悟もしなくちゃいけない仕事でもある。
「ごめん。不安にさせて」
改めてルブルムとレムとを抱き寄せる。
ぎゅっと抱きしめる。
胸の奥底から二人への想いが溢れてくる。
「俺は大丈夫。必ず生きて、また二人に会いに戻るから」
言い終えたときだった。
ルブルムが、背伸びをして俺の唇に唇を重ねた。
口を塞がれたせいなのか、なぜか目から勝手にこぼれるものがある。
なんで、溢れてくるのが止まらないんだろう。
ルブルムの唇が離れたあと、レムの唇も勢いよく飛んでくる。
俺がうっかり口を開けたせいでレムとは歯がぶつかってしまう。
「ごめ」
言いかけた俺の手をルブルムが下へ引っ張る。
ああ、そうか。膝を少し曲げてかがむと、今度はレムの唇の柔らさかだけが俺の唇を覆った。
家族の、という言い訳はちょっとできなさげな長いキス。
レムの顔が離れるとすぐにルブルムが二回目のキス。
このキスは、股間よりも心が震えた。
キスを終えたあと、唇だけ涼しさを深く感じる。
なんだろう。この余計に寂しくなった感じは。
二人をもう一度抱きしめる。
「行くね」
「またね」
「絶対にまただよ」
二人が離れると、ほんの今さっきまで二人が触れていた部分がやけに寒く感じる。
ルブルムもレムも、涙を流しながら無理して笑顔を作っていた。
俺も、笑顔を作った。
ちょっと不満げなモクタトルとマドハト以外は皆、笑顔――というか盛大にニヤニヤしていた。
「メリアン」
ラビツがメリアンに近づき、濃厚なキスをする。
対抗しているのか絶対に俺たちのより長いキス。
「償ったら、真っ先に揉みにくるから」
「バカだな」
メリアンもまんざらじゃないといった顔で再び濃厚なキスをする。
「馬がだいぶ弱っていたから、元気なのに交換してもらってきたよ。この費用も俺たち持ちでいいからな」
こんなときでもしっかり仕事をしていたオール。
さすがヴォールパール自警団。
「では、行こうかね。トリニティはこの馬車を追いかけてきてくれ」
モクタトルが仕切り、ショゴちゃんが出発した。
街の外には街灯などない。
ショゴちゃんは夕闇の向こうへあっという間に消えた。
「元気だしな!」
メリアンが俺の背中を勢いよく叩く。
俺たちは気持ちを切り替え、傭兵部隊の隊舎へと向かった――いや、これは嘘だ。
ルブルムとの、レムとの、キスの感触がまだ唇から消えないで残っている。
そこから気持ちを取り戻せないまま、歩き出す。
「君らか、あのヴォールパール自警団を名乗ったという命知らずは」
傭兵部隊の隊舎の入口前に仁王立ちしている羊種の女性が居た。
美人だけど鼻梁には目につく一文字の傷があり、全体的にがっしりとした体型。もちろん筋肉で。
「ヴォールパール自警団は名乗っちゃいないさ。そっちが勝手に勘違いしたんだろう?」
メリアンが挑発的なことを言う。
「……ったく……あんたほどの実力なら名前を偽る必要もないだろうよ、噛み千切る壁」
メリアンの素性が名乗らずにバレてるってことは、この人はかつて戦場でメリアンと会ったことがあるということか。
「私はこの第一傭兵大隊の万年副長プルマだ。戦術的には私に従ってもらうことになるし、部隊参加者の実績紋の情報を魔術師組合から教えてもらえる程度の権限は持っている。まだ見せろって申請出してないが、本物のメリアンだよな?」
プルマはいきなり踏み込み、高めの右ハイキックをメリアンに放つ――だが一瞬の後、メリアンはプルマの左ローキックを右足の裏でガードしていた。
ヤバい。
このレベルが必要とされるってこと?
寿命の渦に乱れはなかったから、動きへの意志を反映させない、ある種の偽装の渦なのだろう――とにかく最初のキックは囮で、二発目の本命ローをメリアンは見抜いて最小限の動きで止めたってことか?
かろうじて見えはしたが、俺だったらあの動きについていけなかっただろう。
メリアンといい、傭兵団といい、戦場に生きる人々のレベルの高さを改めて感じる。
「うはぁ!」
突然、プルマの声のトーンが変わった。
ローキックの足を戻し、今度は両手をワキワキさせている。
「アレを軽くいなすか。これがレーオ様の片腕と言われた本物の噛み千切る壁の実力か! な、なぁ、メリアンの筋肉、触って良いか?」
明らかに鼻息が荒いプルマの背後に、いつの間にかファウンが立っている。
こいつも寿命の渦をわずかな間だけ消しての移動だったよな?
想像以上に実力のあるヤツだということは、ますます油断できないってことか。
ファウンの申し出はとても有り難くはあったのだが、神経はすり減るの確定だな、こりゃ。
「副長殿。まずは部屋ぁ、教えておくんなましよ」
「ほう。その動き、するとお前がルージャグ討伐でメリアンの補佐をしたって奴か?」
実績紋の情報を見てもいないのに伝わっているということは、ルージャグ討伐がそんな大事だったってこと?
「いえいえ、ルージャグ討伐はそちらにおわします兄貴でさぁ!」
ファウンは嬉しそうに俺を指した。
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ。魔術師見習い。
ゴブリン用呪詛と『虫の牙』の呪詛と二つの呪詛に感染。レムールのポーとも契約。とうとう殺人を経験。
・幕道丈侍
小三から高一までずっと同じクラスの、元の世界で唯一仲が良かった友達。交換ノベルゲームをしていた。
彼の弟、昏陽に両親も含めた家族四人全員が眼鏡使用者。一緒にTRPGでも遊んでいた。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。フォーリーから合流したがリテルたちの足を引っ張りたくないと引き返した。ディナ先輩への荷物を託してある。
・ラビツ
イケメンではないが大人の色気があり強者感を出している鼠種の兎亜種。
高名な傭兵集団「ヴォールパール自警団」に所属する傭兵。二つ名は「胸漁り」。戯れにケティの唇を奪った。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、今は犬種の体を取り戻している。
元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。ゴブリン魔法を使える。最近は魔法や人生に真剣に取り組み始めた。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
魔法も戦闘もレベルが高く、知的好奇心も旺盛。親しい人を傷つけてしまっていると自分を責めがち。
・アルブム
魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。『解呪の呪詛』を作成中。
・ディナ
カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌い。壮絶な過去がある。
アールヴを母に持ち、猿種を父に持つ。精霊と契約している。トシテルをようやく信用してくれた。
・ウェス
ディナに仕えており、御者の他、幅広く仕事をこなす。肌は浅黒く、ショートカットのお姉さん。蝙蝠種。
魔法を使えないときのためにと麻痺毒の入った金属製の筒をくれた。
・『虫の牙』所持者
キカイー白爵の館に居た警備兵と思われる人物。
呪詛の傷を与えるの魔法武器『虫の牙』を所持し、ディナに呪詛の傷を付けた。フラマの父の仇でもありそう。
・メリアン
ディナ先輩が手配した護衛。リテルたちを鍛える依頼も同時に受けている。ラビツとは傭兵仲間で婚約者。
ものすごい筋肉と角と副乳とを持つ牛種の半返りの女傭兵。知識も豊富で頼れる。二つ名は「噛み千切る壁」。
・エクシ(クッサンドラ)
ゴド村で中身がゴブリンなマドハトの面倒をよく見てくれた犬種の先祖返り。ポメラニアン顔。
クスフォード領兵であり、偵察兵。若干だが魔法を使える。マドハトの『取り替え子』により現在、エクシの体に入っている。
・レム
爬虫種。胸が大きい。バータフラ世代の五人目の生き残り。不本意ながら盗賊団に加担していた。
同じく仕方なく加担していたミンを殺したウォルラースを憎んでいる。トシテルの心の妹。現在、護衛として同行。
・ウォルラース
キカイーがディナたちに興味を示すよう唆した張本人。過去にディナを拉致しようとした。金のためならば平気で人を殺す。
ダイクの作った盗賊団に一枚噛んだが、逃走。海象種の半返り。
・ロッキン
名無し森砦の守備隊第二隊副隊長であり勲爵。フライ濁爵の三男。
現在は護衛として同行。婚約者のためにヴィルジナリスの誓いを立てている。世界図書館に務めるのが夢。
・ナイト
初老の馬種。地球では親の工場で働いていた日本人、喜多山馬吉。
2016年、四十五歳の誕生日にこちらへ転生してきた。今は発明家として過ごしているが、ナイト商会のトップである。
・ダイン兄貴
ストウ村を六年前に出た、ケティの兄。リテルより七歳年上。犬種。
フォーリーでの鍛冶屋修行では物足りず、一昨年からマンクソム砦で修行している。
・ヒューリ
タレ目の犬種。筋肉自慢。元「ヴォールパール自警団」と偽り娼館街でモテていたが、本物が現れたことで嘘が発覚。マンクソム砦でルブルムたちへ絡んできた。ダインとは娼館通い仲間。
・モクタトル
カエルレウムを尊敬する魔術師。ホムンクルスの材料となる精を提供したため、ルブルムを娘のように大切にしている。
スキンヘッドの精悍な中年男性で、眉毛は赤い猿種。なぜか亀の甲羅のようなものを背負っている。
・トリニティ
モクタトルと使い魔契約をしているグリュプス。人なら三人くらい乗せて飛べる。
・ロブスト
「ヴォールパール自警団」に属する赤毛の猫種先祖返り。二つ名は「流水」。
・パンス
「ヴォールパール自警団」に属する猿種。二つ名は「流星」。ロブストと異父兄弟。
・オール
「ヴォールパール自警団」に属する猿種。二つ名は「夜爪」。細かい所まで気が回る。
・ファウン
ルージャグから逃げたクーラ村の子供たちを襲った山羊種三人組といっとき行動を共にしていた山羊種。
リテルを兄貴と呼び、ギルフォドまで追いかけてきた。偽ヴォールパール自警団作戦に参加。
・プルマ
第一傭兵大隊の万年副長である羊種の女性。全体的にがっしりとした筋肉体型で拳で会話する主義。
美人だが鼻梁には目につく一文字の傷がある。
・レムール
レムールは単数形で、複数形はレムルースとなる。地界に生息する、肉体を持たず精神だけの種族。
自身の能力を提供することにより肉体を持つ生命体と共生する。『虫の牙』による呪詛傷は、強制召喚されたレムールだった。
・ショゴウキ号
ナイト(キタヤマ)がリテルに貸してくれた特別な馬車。「ショゴちゃん」と呼ばれる。
板バネのサスペンション、藁クッション付き椅子、つり革、床下隠し収納等々便利機能の他、魔法的機能まで搭載。
・ドラコ
古い表現ではドラコーン。魔術師や王侯貴族に大人気の、いわゆるドラゴン。その卵を現在、リテルが所持。
卵は手のひらよりちょっと大きいくらいで、孵化に必要な魔法代償を与えられるまで、石のような状態を維持する。
・グリュプス
鷲の上半身にライオンの下半身が付いた魔獣。体毛は朝日を浴びると美しく金色に輝く。嘴は鋭く曲がり、鷲頭には普通の鷲とは異なり耳羽のような耳が付いている。トリニティはモクタトルが使い魔契約したグリュプス。
■ はみ出しコラム【リテルの旅路】
リテルの住んでいたストウ村から、ラビツに出会ったギルフォドまでが、どのくらいの距離かを単純な図にしてみました。
矢印一つ(↑)が馬車で一日分(日中のみの移動)の距離です。
また、「:」は馬車で半日分の距離です。
ギルフォド(トゥイードル濁爵領都)※1
↑
共同夜営地:ギルフォド一・マンクソム一・ニュナム三 ※2
↑
共同夜営地:マンクソム一・ギルフォド二・ニュナム二 ※2
↑
共同夜営地:ニュナム一・マンクソム二・ギルフォド三
↑
ニュナム(ライストチャーチ白爵領都)※3
↑
共同夜営地:ニュナム一・アイシス四 ※4
↑
共同夜営地:ニュナム二・アイシス三
↑
共同夜営地:アイシス二・ニュナム三
↑
共同夜営地:アイシス一・ニュナム四 ※5
↑
アイシス(ボートー紅爵領都) ※6
↑
共同夜営地:アイシス一・フォーリー二・キャンロル四 ※7
↑
名無し森砦(王国直轄地)
↑
フォーリー(クスフォード虹爵領都)※8
↑
:
ストウ村 ※8
※1 ゴルドアワ(ルイース紅爵領)まで馬車で一日半、
ゴルドアワからアンダグラ(ルイース紅爵領都)まで馬車で三日。
※2 マンクソム砦(王国直轄地)まで馬車で一日、
マンクソム砦からジャ・バ・オ・クー危険な洞窟まで徒歩で一日半。
※3 ホースー(フライ濁爵領都)まで馬車で三日、
ホースーからアンダグラ(ルイース紅爵領都)まで馬車で三日。
※4 クーラ村(ライストチャーチ白爵領)まで馬車で一日。
※5 クラースト村(ボートー紅爵領)まで馬車で一日。
クラースト村はレムの故郷であり、ミュリエルの転生地。
※6 温泉を擁する「湖の向こう砦」まで小舟で半日。
※7 イルラン砦(王国直轄地)まで、馬車で一日、
イルラン砦から王都キャンロルまで、馬車で三日。
王都キャンロルからコーカ・スレース(王国直轄地)まで、馬車で半日。
実は名無し森砦へダイクの後任として赴任したチャルズ紫爵をキャンロルからイルラン砦までおよそ一日半で運んだのがモクタトルとグリュプスのトリニティ。
モクタトルはイルラン砦でチャルズを降ろして一泊の後、カエルレウムに会うべく寄らずの森へ。
※8 ゴド村まで馬車で一日。
ゴド村は、マドハトとクッサンドラの故郷。
モクタトルに起こされたときにはもう昼で、トゥイードル濁爵領都ギルフォドに到着していた。
正確には、ギルフォドの南門の手前。
そして物凄く囲まれていた。
しかも続々と人が詰めかけてきている。わざわざ門から出て。
確か一般領民が門の外に出るにはそれなりの手続きが必要なはず。薬草採取や狩人、木こりなど。
それでもこれだけの人が門の外へ溢れて出ている、というのは、それほどまでにグリュプスは珍しいからだろう。
もしもストウ村に来ていたら、俺も間違いなく見に出ていただろう。
「お兄ちゃーんっ!」
トリニティから降りた俺に駆け寄ってくる一人の少女。レムだ。
「見つけたよ! ラビツ!」
レムが走ってきた方向を見ると、メリアンとラビツ一行が南門のところで揃って立っている。
ああ、確かにリテルの記憶にあるラビツの顔だ。
ようやく長い旅が終わるのか。
胸に込み上げてくる熱いものは、やり遂げた嬉しさと名残惜しい寂しさとが半々。
「グリュプスが飛んできたって街中で盛り上がっててね、グリュプスを使い魔にしているのはコーカ・スレースのモクタトル様だけだから! それで見に来たら、まさかのお兄ちゃんとルブルムが乗ってるでしょ! すごいすごい! お兄ちゃん、モクタトル様ともお知り合いだったの?」
「いやいや、寄らずの森の魔女様のお力です」
モクタトルとルブルムの関係については他の人には言わないようにと空の上で釘を刺されていた。
ホムンクルスのことを言っていないレムには当然、後からでも言うつもりはない――これは信頼しているとかしていないとかとは別問題だから。
しかし、レムすら名前を知っているモクタトル様――モクタトルご本人から敬称はいらないと言われているが、周囲が様付けで呼んでいる中で呼び捨てはちょっとキツイ。
一応、俺もここでは「モクタトル様」と呼ばせてもらうと、ルブルムも俺に倣った。
あくまでも仲がいいのはモクタトル様と俺たちの師匠、という体で。
「じゃあ早速、魔術師組合に行こうか」
モクタトルが魔術師組合を勧めたのは、そこには外に声が漏れない密談室というのがあるからだと言う。
しかも密談室は、モクタトルの属するコーカ・スレースの魔法研究所が開発した魔法品を使用しているらしい。
コーカ・スレースは王都キャンロルからほど近い古い遺跡の跡地に造られた研究都市で、魔術師たちが集って日夜、魔法や魔術、魔法品の開発に勤しんでいるという。
そこに行ったら、俺とリテルとを切り離すことができる研究とか見つけられないかな。
まだ先だと思っていた旅の終わりがもう目前で、なのにその次へ進むための準備がまるで済んでなくて。
溜息を呑み込みながら密談室の席へと着いた。
モクタトルとルブルム、俺、メリアン、ラビツ、そしてラビツの仲間たち。
ラビツはアルブムと同じ鼠種の兎亜種。
もっとチャラい印象があったけど、メリアンやモクタトルの前だからか、神妙な面持ちをしている。
赤毛の猫種先祖返りは「流水」ロブスト。
ロブストと異父兄弟である猿種は「流星」パンス。
もう一人の猿種は「夜爪」のオール。
この四人は全員が二つ名持ち。本物のヴォールパール自警団だ。
ラビツを含めた全員が、引き締まった筋肉と只者じゃない雰囲気とに包まれている。
四人とも、決してイケメンという感じではないが、なんというか渋さというか、頼りがいというか、隙がないというか、メリアンと同じ強者感があり、大人の色気みたいなのを男の俺でも感じてしまう。
ちなみにレムとトリニティは、魔術師組合の外でお留守番。
早速、呪詛のことも含め、モクタトルが説明する。
ラビツたちが呪詛を広めるきっかけになったこと、実際にストウ村と各地の娼婦を中心に広めてしまっていること、それを公にしたくはないクスフォード虹爵様のご意向、呪詛を上書き無効化する呪詛の準備ができたこと、その新しい呪詛と共に今まで回ってきた各地を逆に辿り、同じ娼婦に呪詛を上書き感染させてほしいこと、帰りの費用については支援の用意があること、この一件については他言無用であること、それが守られる限り、呪詛を広めてしまった罪については不問にすること。
「どうだい?」
モクタトルが尋ねると、真剣な表情で話を聞いていたラビツが答えた。
「とてもありがたい申し出だ……しかし、遅かった」
遅かった?
何が遅かった?
「傭兵契約、今朝にもうしちゃったんだと」
メリアンが代わりに答えた。
傭兵契約――ってことは、解除に寿命を提出しなきゃいけないってやつか。
「ふーむ。それはまずいなぁ。君らが触れた娼婦は君らじゃないとわからないし、早めに上書き伝染させないと、想定以上に広まってしまうかもしれないし……契約の破棄はできないかい?」
モクタトルが尋ねると、ラビツが眉尻を下げながら腕をまくる。
太く引き締まった二の腕には、見るからに魔法品っぽい腕輪が装着されている。
「できなくはないが、自己都合の除隊は罰としての寿命提出量がそこそこ多い。期間も三ヶ月契約だし」
「三ヶ月?」
メリアンがラビツを睨む。
「一ヶ月の予定じゃなかったか?」
「ま、待ってくれメリアン。ラビツを責めないでやってくれ。ラビツがお前に贈ろうとしていた武器がな」
「流水」ロブストが横から口を挟む。
「ロブスト、言うなむぐっ」
それを遮ろうとしたラビツの口を、「流星」パンスが塞ぐ。
「ラビツよ。お前がメリアンを驚かせたい気持ちはわかる。でもよ、今はそうも言ってらんないだろうよ」
「夜爪」オールが答える。
「見つけちまったんだよ。あのカシナトの業物をな。で、急遽買う予定だったものをそっちに変えちゃってな。金額的には俺たち四人で三ヶ月ってとこでね。もう手付は払ってあって、取り置きしてもらっている状態だ。式を延期してでもそれだけのモノを贈りたいってラビツが言いやがってな。まぁ、俺たちもメリアンには幾度となく背中を預けてきた。メリアンのためだったらタダ働きしてやるよっつうことになったんだ……それがまさか、な」
ロブストが、悪さをしたときの猫っぽい表情で溜息をつく。
その猫耳も申し訳なさげに伏せている。
ルブルムがなぜ武器を質問すると、メリアンやラビツたちの故郷では、結婚の正式な申し込みをするときには包丁などの刃物を贈る風習があり、メリアンは傭兵なのでとびっきりの武器にしようってことになったのだと解説してくれた。
「この腕輪さえなんとかできればなぁ。実績紋は実際にはまだ更新されてないし」
「そうなのか?」
モクタトルの目の奥が光った気がした。
「ああ。実は本契約はまだ済んでいないから。今頃、入隊試験をやっているはずなんだが、俺たちは免除って言われてね」
眉間にシワを寄せながらそう言ったのは、「夜爪」オール。
実績紋は入隊確定のタイミングと、除隊のタイミングとで更新される。
もちろん、所属中の活躍は都度、更新されるようだが。
そしてラビツたち四人が着けている腕輪は、試験免除の証なのだそうだ。
入隊試験は、貴族の子女など一部の者は免除となる。
だが試験免除者の中には、入隊直前にごねて入隊を拒もうとする輩も出るらしく、実績紋の記載と引き換えにしなければ外れない仕様になっているのだそうだ。
「入隊試験免除たぁ、随分と名前が売れちまってんだねぇ」
メリアンが溜息をつく。
「ああ、名前を告げたら、試験免除ですって言われてね」
もしも入隊試験を受けられる場合なら、試験でわざと落ちるという手もあった、ということなのだろう。
こういうのも有名税というものだろうか。
「ふぅむ。それは、受付係が名前だけ聞いてヴォールパール自警団だって勘違いしている可能性があるってことだな?」
モクタトルが悪そうな顔をする。
「いやいや、契約の腕輪は入隊情報で実績紋を上書くのが解除条件だから……外さなきゃ街の外にだって出られやしない」
オールは口をへの字に曲げた。
「どれどれ」
モクタトルはオールの腕輪に触れ、魔法代償を集中する――と、外れた。
そしてまたオールの手首へと戻す。
まさか、この腕輪もコーカ・スレースの魔導研究所で開発されたもの?
「あー、なるほど。そういうことなら、ラビツ、ロブスト、パンス、オールという名前の四人が揃っていれば、なんとかなるってことだな? 乗った」
メリアンも手をポンと打つ。
「そ、そんな簡単にごまかせるんですか?」
思わず口を挟んでしまう。
「まぁ、素性を隠したまま傭兵するなんて珍しくもないからな。本名じゃなくとも怒られやしない。部隊に同じ名前の奴が居たとき、部隊長の独断で違う名前なりあだ名なりを与えられることもあるくらいだし。実際、あたしらも名前よりも二つ名で呼ばれることの方が多いよ……もっとも、そういうのは戦場で敵方への威嚇が目的なんだけどな」
となると、メリアンと俺と、ルブルムとレムってこと?
部屋の中を見回す俺の視線に気づいたモクタトルが口を開く。
「なぁ、契約紋の最終更新はいつまでだ?」
「日没だ……試験に受かってから準備をする奴も居るからな」
ようやくラビツが会話に復帰する。
「ふぅむ。あの馬車、普通のよりも早かったな。彼らは夕方前に着けるかな? ……というのも、ルブルムにはクスフォード虹爵様への報告しに帰るという大事な任務があるのだ」
あー、そうなりますよね。
となるとマドハトか――マドハトの体はそんなに強くはないが、大丈夫かな。
「いろいろ迷惑かけたな……いや、まだかけることになるのか、すまない」
ラビツが立ち上がるのと同時、ロブスト、パンス、オールも立ち上がり、四人で俺たちに向かって目線を外した丁寧なお辞儀をした。
モクタトルがラビツたちに近づき、一人ずつゆっくりめの握手をしながら立たせて回る。
呪詛を上書きする解呪の呪詛が、ようやくラビツたちに届いた。
あの日、ケティから呪詛を移されてから十五日、十進だと十七日が経った。
長かったようであっという間だったようにも感じる。
そうだよ。
一つ、忘れちゃいけないことがあった――例え現在のラビツたちが紳士っぽい振る舞いをしていたとしても。
ケティとリテルのためにも。
「ラビツ……ケティから伝言がある」
俺はラビツの頬めがけて思いっきり拳を振り抜いた。
ラビツはいったん避けかけたが、すぐに頬をその場に留める。
頬骨に当たったのか、拳が少し痛い。
人の顔を殴るだなんて、利照時代とリテルの記憶も含めたとしても人生初めてのこと。
「あれは本当に悪かった」
ラビツはケティの唇を無理やり奪ったことについて、改めて謝罪した。
「その言葉、ケティに伝えておきます」
ケティと、俺の中のリテルは、これでちょっとは溜飲を下げてくれただろうか。
ラビツたちのおごりで豪華な昼飯をいただきながら、俺とレムは傭兵についての基礎知識や、入隊試験が実施される場合の対策などを学んだ。
今回の作戦で行くとなると、急遽、入隊試験を受けさせられる可能性もあるということで。
食後の腹ごなしも兼ね、模擬戦めいたこともする。
マンクソム砦でヒューリとケンカしたときに実験したあの技を本格的に練習させてもらったりもした。
実際には帰ることが決まっているルブルムも、興味津々で一緒に学んだ。
これから三ヶ月の傭兵生活。
隣国ギルフォルドとの緊張が高まっているとはいえ、実際の戦闘に参加するような事態にはまずならないだろう、と言われはしたが、傭兵――俺が傭兵か。
まだ実感が湧かない。
ちなみに、わざと試験に落ちるのは、実績紋に「そういう実力」として記録されてしまうため、やめた方がいいとのこと。
マドハトたちが到着したのは午後、日が傾き始めてから。
幸い、日没にはまだ少し間がある。
事情を軽く説明すると、マドハトは尻尾を振って快諾した――しかし、ロッキンさんがまた真面目ぶりを発揮する。
「レムペーさん、あなたはだめです。私とあなた、そしてエクシさんは、あくまでもルブルムさんの護衛ですから。名無し森砦までは一緒に帰らないといけません」
「一人居ればいいじゃない! エクシさんだって、一人なんだし!」
おいおいレム、その言い方は、とたしなめる前に、ロッキンさんが鋭く言い返した。
「それは、レムペーさんが死亡した扱いになるってことですよ? 生きていることが発覚すれば、脱走兵として処理されてしまいます」
「でも私が居なかったら人数足りなくなっちゃうじゃない……」
「兄貴ぃ、何もめてるんでやす?」
突然、山羊種の男が一人、会話に参加してきた。
見覚えがある。
ニュナムの手前でウォッタやカーンさんたちを襲った四人組山羊種の一人だ。
「……お前、ニュナムに居たはずじゃ……」
「兄貴ぃ、やだなぁ。お前じゃなくファウンでさぁ。兄貴ほどお強い人だ、きっと戦いの場を求めているんでしょう。だとしたらあっしがお手伝いをせねばっつって追いかけてきたんでやす。戦争の噂が立っている今、行き先はマンクソム砦じゃなくギルフォドだろうと、あっしの勘がですねっ!」
なるほど。俺たちがマンクソム砦に寄ったがために追いつかれたのか。
それに戦争の噂――「実際の戦闘に参加するような事態にはまずならない」んじゃなかったのか?
「知り合いか? 頭数的にはちょうどいいじゃないか」
モクタトルが安堵の表情を浮かべる。
「いや、こいつは知り合いではなく、移動中に捕まえた犯罪者で」
「いやいやいや兄貴ぃ、それは言いっこなしですぜ。罪の分はちゃんと寿命で払ったし、それにあの小さな子……メドちゃんだったけかな、あっしが連れ出さなきゃ、とっくにルージャグの腹の中ですって……それにそもそも、あっしはあの三人とは違いやすぜ? あっちは元々連れ合い、こっちはアイシスの酒場でばったり会って同じ山羊種つうことで意気投合して道中一緒に居ただけでさぁ」
こいつが俺のように偽装の渦を使っていない限りは、寿命の渦には嘘をつくとき特有の乱れが感じられない。
「あいつらケンカっぱやいんでやすよ。あっしがあそこで人質取らなきゃ、あの子ら全員皆殺しになりかねなかったんでさぁ。死んだのが一人だけで済んだのはあっしのおかげでやすからね? カーンちゃんだって、察して自分から股を開いたんでやすよ。でもあっしはメドちゃんを人質取るフリしてずっと守ってたんで、腰振ったりはしてないんでやす。あっしは悪人じゃあないでやすよ」
このドヤ顔。
しかも自分から悪人じゃないと言うこの根性。
ただ、こいつが本当に嘘をついていないのなら、恩を返させて貸し借りゼロにしてから縁を切るって手もあるのかも。
なんかいまいち胡散臭いんだが、現状、こいつが仲間として振る舞ってくれれば、ルブルムとラビツたちが帰途につけるのも事実だし。
「あんた、ファウンだっけ? 腕の方はどうなんだい?」
「まぁ、それなりに。ちょっと前に仕事を失くしちまって。しばらく傭兵でもしようかと元々ここを目指してたくらいでさぁ」
「俺が見てやる。武器も同じようだからな」
オールが短剣を抜いたかと思うとファウンへと踏み込み、鋭い突きを放つ。
「わっ、わっ、わっ、突然ですかい?」
おどけながらもファウンはちゃんと全て避ける。
ヴォールパール自警団の「夜爪」オールが、手加減しているだろうとはいえ放ったあれだけの攻撃を、ちゃんと見て避けている実力はなかなかのものなんだろう。
「ファウンと言ったな。お前はこれからの三ヶ月、オールと名乗っていいぞ」
「またまたぁ、買いかぶり過ぎでさぁ。ヴォールパール自警団の夜爪と同じ名前だなんて!」
ファウンの一言に皆が笑う。
「え、俺なんか言っちゃいましたか?」みたいな表情のファウン以外は。
さっきまで張っていた場の空気が一気に和らいだ。
仕方ない。
ファウンに借りを返させてみようか。
その足で入隊受付まで行った。
メリアン、マドハト、ファウン、俺の四人で。
もちろん、契約の腕輪はモクタトルに付け替えてもらっている。
「あれ? ……なんか雰囲気が……」
受付の人は、そばかすの印象的な河馬種のお姉さん。
耳をくるくると動かしている。
「あー、見た目が変わる魔法をかけてもらってたのを忘れてたよ。今はもう効果時間が切れているから……」
メリアンが用意していた答えをそれとなく呟く。
「まさか、試験免除を狙ってのことでしたか? だとしたら、知りませんよ? 強い人ってことでタール大隊長のとこに配属が決まっちゃってますから……あの方の期待を裏切ったら、どんな仕打ちを受けることやら」
「タール大隊長? もしかして、漆黒の風か?」
メリアンが聞き返す。
「ご存知ないまま入隊ですか……本当に知りませんからね。自らつかまえた毒虫ですからね。ハイ。この巻物に四人分の紹介状が書かれています。まずは魔術師組合へ言ってこの巻物を見せてから実績紋を更新してください。巻物は返してもらってから傭兵部隊の隊舎へ移動してください。外区画の北東付近です。入り口入ってすぐの受付に巻物を渡してくださいね」
自らつかまえた毒虫っていうのは、こちらの諺で、要するに自業自得ってことだ。
入隊試験は免除のままだったのでそれはそれで助かるけれど、「漆黒の風」を二つ名に持つ大隊長か。怖そうだな。
傭兵生活への不安あれこれと渡された巻物とを抱えつつ日没前に魔術師組合へと急ぐ。
そして、なんとか四人とも無事に入隊が果たされた。
傭兵部隊の隊舎へと移動する前に、南門までルブルムたちを見送りに行く。
任期満了まで三ヶ月もあるし、ショゴちゃんはルブルムに使ってもらうことにした。
「お兄ちゃん!」
別れを惜しむレムが抱きついてくる。
「絶対に、死なないでね」
「うん。頑張るよ」
と答えつつも、妹、妹、妹と頭の中で念じる俺。
呪詛が消えて健全となったこの身だからなのかレムからも甘い香りを感じるし、その甘さになんかムズムズする。
抱き合うとはいっても互いに革鎧を着ているから別に胸が当たるとかはないのに、なんだか心の腰が引けてしまう。
「リテル!」
ルブルムも加わり、二人は名残惜しげにそれぞれの両手を俺の右手と左手とに絡みつけてくる。
そんなことだけでやけに股間が――待て、俺。
思い出せ、今朝やらかしてしまった人生最悪の大失態を。
こんな衆人環視のなか、あんなことをしてしまったらもう生きていけない。割りとマジで。
本当に心から紳士たれ、俺。
そうだ。気持ちを萎えさせれば――ふと浮かんだのは元の世界の姉さんのあの、見下すような不快感を露わにした表情。
ああ、凹むけど股間は落ち着いてくれる。
「お兄ちゃん、何を考えてるの?」
不自然さを見抜く女の勘か――レムはこういうとこ鋭いんだよな。
よく見ればルブルムも不安そうな表情をしている。
ああ、そうだよな。
俺、バカだな。
二人がこんなに心配してくれているのに、俺は何と戦っているんだっていうね。
今、二人に向き合わないでどうするんだよ。
傭兵というのは、死ぬかもしれない仕事だということ。
そして殺す覚悟もしなくちゃいけない仕事でもある。
「ごめん。不安にさせて」
改めてルブルムとレムとを抱き寄せる。
ぎゅっと抱きしめる。
胸の奥底から二人への想いが溢れてくる。
「俺は大丈夫。必ず生きて、また二人に会いに戻るから」
言い終えたときだった。
ルブルムが、背伸びをして俺の唇に唇を重ねた。
口を塞がれたせいなのか、なぜか目から勝手にこぼれるものがある。
なんで、溢れてくるのが止まらないんだろう。
ルブルムの唇が離れたあと、レムの唇も勢いよく飛んでくる。
俺がうっかり口を開けたせいでレムとは歯がぶつかってしまう。
「ごめ」
言いかけた俺の手をルブルムが下へ引っ張る。
ああ、そうか。膝を少し曲げてかがむと、今度はレムの唇の柔らさかだけが俺の唇を覆った。
家族の、という言い訳はちょっとできなさげな長いキス。
レムの顔が離れるとすぐにルブルムが二回目のキス。
このキスは、股間よりも心が震えた。
キスを終えたあと、唇だけ涼しさを深く感じる。
なんだろう。この余計に寂しくなった感じは。
二人をもう一度抱きしめる。
「行くね」
「またね」
「絶対にまただよ」
二人が離れると、ほんの今さっきまで二人が触れていた部分がやけに寒く感じる。
ルブルムもレムも、涙を流しながら無理して笑顔を作っていた。
俺も、笑顔を作った。
ちょっと不満げなモクタトルとマドハト以外は皆、笑顔――というか盛大にニヤニヤしていた。
「メリアン」
ラビツがメリアンに近づき、濃厚なキスをする。
対抗しているのか絶対に俺たちのより長いキス。
「償ったら、真っ先に揉みにくるから」
「バカだな」
メリアンもまんざらじゃないといった顔で再び濃厚なキスをする。
「馬がだいぶ弱っていたから、元気なのに交換してもらってきたよ。この費用も俺たち持ちでいいからな」
こんなときでもしっかり仕事をしていたオール。
さすがヴォールパール自警団。
「では、行こうかね。トリニティはこの馬車を追いかけてきてくれ」
モクタトルが仕切り、ショゴちゃんが出発した。
街の外には街灯などない。
ショゴちゃんは夕闇の向こうへあっという間に消えた。
「元気だしな!」
メリアンが俺の背中を勢いよく叩く。
俺たちは気持ちを切り替え、傭兵部隊の隊舎へと向かった――いや、これは嘘だ。
ルブルムとの、レムとの、キスの感触がまだ唇から消えないで残っている。
そこから気持ちを取り戻せないまま、歩き出す。
「君らか、あのヴォールパール自警団を名乗ったという命知らずは」
傭兵部隊の隊舎の入口前に仁王立ちしている羊種の女性が居た。
美人だけど鼻梁には目につく一文字の傷があり、全体的にがっしりとした体型。もちろん筋肉で。
「ヴォールパール自警団は名乗っちゃいないさ。そっちが勝手に勘違いしたんだろう?」
メリアンが挑発的なことを言う。
「……ったく……あんたほどの実力なら名前を偽る必要もないだろうよ、噛み千切る壁」
メリアンの素性が名乗らずにバレてるってことは、この人はかつて戦場でメリアンと会ったことがあるということか。
「私はこの第一傭兵大隊の万年副長プルマだ。戦術的には私に従ってもらうことになるし、部隊参加者の実績紋の情報を魔術師組合から教えてもらえる程度の権限は持っている。まだ見せろって申請出してないが、本物のメリアンだよな?」
プルマはいきなり踏み込み、高めの右ハイキックをメリアンに放つ――だが一瞬の後、メリアンはプルマの左ローキックを右足の裏でガードしていた。
ヤバい。
このレベルが必要とされるってこと?
寿命の渦に乱れはなかったから、動きへの意志を反映させない、ある種の偽装の渦なのだろう――とにかく最初のキックは囮で、二発目の本命ローをメリアンは見抜いて最小限の動きで止めたってことか?
かろうじて見えはしたが、俺だったらあの動きについていけなかっただろう。
メリアンといい、傭兵団といい、戦場に生きる人々のレベルの高さを改めて感じる。
「うはぁ!」
突然、プルマの声のトーンが変わった。
ローキックの足を戻し、今度は両手をワキワキさせている。
「アレを軽くいなすか。これがレーオ様の片腕と言われた本物の噛み千切る壁の実力か! な、なぁ、メリアンの筋肉、触って良いか?」
明らかに鼻息が荒いプルマの背後に、いつの間にかファウンが立っている。
こいつも寿命の渦をわずかな間だけ消しての移動だったよな?
想像以上に実力のあるヤツだということは、ますます油断できないってことか。
ファウンの申し出はとても有り難くはあったのだが、神経はすり減るの確定だな、こりゃ。
「副長殿。まずは部屋ぁ、教えておくんなましよ」
「ほう。その動き、するとお前がルージャグ討伐でメリアンの補佐をしたって奴か?」
実績紋の情報を見てもいないのに伝わっているということは、ルージャグ討伐がそんな大事だったってこと?
「いえいえ、ルージャグ討伐はそちらにおわします兄貴でさぁ!」
ファウンは嬉しそうに俺を指した。
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ。魔術師見習い。
ゴブリン用呪詛と『虫の牙』の呪詛と二つの呪詛に感染。レムールのポーとも契約。とうとう殺人を経験。
・幕道丈侍
小三から高一までずっと同じクラスの、元の世界で唯一仲が良かった友達。交換ノベルゲームをしていた。
彼の弟、昏陽に両親も含めた家族四人全員が眼鏡使用者。一緒にTRPGでも遊んでいた。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。フォーリーから合流したがリテルたちの足を引っ張りたくないと引き返した。ディナ先輩への荷物を託してある。
・ラビツ
イケメンではないが大人の色気があり強者感を出している鼠種の兎亜種。
高名な傭兵集団「ヴォールパール自警団」に所属する傭兵。二つ名は「胸漁り」。戯れにケティの唇を奪った。
・マドハト
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、今は犬種の体を取り戻している。
元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。ゴブリン魔法を使える。最近は魔法や人生に真剣に取り組み始めた。
・ルブルム
魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
魔法も戦闘もレベルが高く、知的好奇心も旺盛。親しい人を傷つけてしまっていると自分を責めがち。
・アルブム
魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。『解呪の呪詛』を作成中。
・ディナ
カエルレウムの弟子。ルブルムの先輩にあたる。重度で極度の男嫌い。壮絶な過去がある。
アールヴを母に持ち、猿種を父に持つ。精霊と契約している。トシテルをようやく信用してくれた。
・ウェス
ディナに仕えており、御者の他、幅広く仕事をこなす。肌は浅黒く、ショートカットのお姉さん。蝙蝠種。
魔法を使えないときのためにと麻痺毒の入った金属製の筒をくれた。
・『虫の牙』所持者
キカイー白爵の館に居た警備兵と思われる人物。
呪詛の傷を与えるの魔法武器『虫の牙』を所持し、ディナに呪詛の傷を付けた。フラマの父の仇でもありそう。
・メリアン
ディナ先輩が手配した護衛。リテルたちを鍛える依頼も同時に受けている。ラビツとは傭兵仲間で婚約者。
ものすごい筋肉と角と副乳とを持つ牛種の半返りの女傭兵。知識も豊富で頼れる。二つ名は「噛み千切る壁」。
・エクシ(クッサンドラ)
ゴド村で中身がゴブリンなマドハトの面倒をよく見てくれた犬種の先祖返り。ポメラニアン顔。
クスフォード領兵であり、偵察兵。若干だが魔法を使える。マドハトの『取り替え子』により現在、エクシの体に入っている。
・レム
爬虫種。胸が大きい。バータフラ世代の五人目の生き残り。不本意ながら盗賊団に加担していた。
同じく仕方なく加担していたミンを殺したウォルラースを憎んでいる。トシテルの心の妹。現在、護衛として同行。
・ウォルラース
キカイーがディナたちに興味を示すよう唆した張本人。過去にディナを拉致しようとした。金のためならば平気で人を殺す。
ダイクの作った盗賊団に一枚噛んだが、逃走。海象種の半返り。
・ロッキン
名無し森砦の守備隊第二隊副隊長であり勲爵。フライ濁爵の三男。
現在は護衛として同行。婚約者のためにヴィルジナリスの誓いを立てている。世界図書館に務めるのが夢。
・ナイト
初老の馬種。地球では親の工場で働いていた日本人、喜多山馬吉。
2016年、四十五歳の誕生日にこちらへ転生してきた。今は発明家として過ごしているが、ナイト商会のトップである。
・ダイン兄貴
ストウ村を六年前に出た、ケティの兄。リテルより七歳年上。犬種。
フォーリーでの鍛冶屋修行では物足りず、一昨年からマンクソム砦で修行している。
・ヒューリ
タレ目の犬種。筋肉自慢。元「ヴォールパール自警団」と偽り娼館街でモテていたが、本物が現れたことで嘘が発覚。マンクソム砦でルブルムたちへ絡んできた。ダインとは娼館通い仲間。
・モクタトル
カエルレウムを尊敬する魔術師。ホムンクルスの材料となる精を提供したため、ルブルムを娘のように大切にしている。
スキンヘッドの精悍な中年男性で、眉毛は赤い猿種。なぜか亀の甲羅のようなものを背負っている。
・トリニティ
モクタトルと使い魔契約をしているグリュプス。人なら三人くらい乗せて飛べる。
・ロブスト
「ヴォールパール自警団」に属する赤毛の猫種先祖返り。二つ名は「流水」。
・パンス
「ヴォールパール自警団」に属する猿種。二つ名は「流星」。ロブストと異父兄弟。
・オール
「ヴォールパール自警団」に属する猿種。二つ名は「夜爪」。細かい所まで気が回る。
・ファウン
ルージャグから逃げたクーラ村の子供たちを襲った山羊種三人組といっとき行動を共にしていた山羊種。
リテルを兄貴と呼び、ギルフォドまで追いかけてきた。偽ヴォールパール自警団作戦に参加。
・プルマ
第一傭兵大隊の万年副長である羊種の女性。全体的にがっしりとした筋肉体型で拳で会話する主義。
美人だが鼻梁には目につく一文字の傷がある。
・レムール
レムールは単数形で、複数形はレムルースとなる。地界に生息する、肉体を持たず精神だけの種族。
自身の能力を提供することにより肉体を持つ生命体と共生する。『虫の牙』による呪詛傷は、強制召喚されたレムールだった。
・ショゴウキ号
ナイト(キタヤマ)がリテルに貸してくれた特別な馬車。「ショゴちゃん」と呼ばれる。
板バネのサスペンション、藁クッション付き椅子、つり革、床下隠し収納等々便利機能の他、魔法的機能まで搭載。
・ドラコ
古い表現ではドラコーン。魔術師や王侯貴族に大人気の、いわゆるドラゴン。その卵を現在、リテルが所持。
卵は手のひらよりちょっと大きいくらいで、孵化に必要な魔法代償を与えられるまで、石のような状態を維持する。
・グリュプス
鷲の上半身にライオンの下半身が付いた魔獣。体毛は朝日を浴びると美しく金色に輝く。嘴は鋭く曲がり、鷲頭には普通の鷲とは異なり耳羽のような耳が付いている。トリニティはモクタトルが使い魔契約したグリュプス。
■ はみ出しコラム【リテルの旅路】
リテルの住んでいたストウ村から、ラビツに出会ったギルフォドまでが、どのくらいの距離かを単純な図にしてみました。
矢印一つ(↑)が馬車で一日分(日中のみの移動)の距離です。
また、「:」は馬車で半日分の距離です。
ギルフォド(トゥイードル濁爵領都)※1
↑
共同夜営地:ギルフォド一・マンクソム一・ニュナム三 ※2
↑
共同夜営地:マンクソム一・ギルフォド二・ニュナム二 ※2
↑
共同夜営地:ニュナム一・マンクソム二・ギルフォド三
↑
ニュナム(ライストチャーチ白爵領都)※3
↑
共同夜営地:ニュナム一・アイシス四 ※4
↑
共同夜営地:ニュナム二・アイシス三
↑
共同夜営地:アイシス二・ニュナム三
↑
共同夜営地:アイシス一・ニュナム四 ※5
↑
アイシス(ボートー紅爵領都) ※6
↑
共同夜営地:アイシス一・フォーリー二・キャンロル四 ※7
↑
名無し森砦(王国直轄地)
↑
フォーリー(クスフォード虹爵領都)※8
↑
:
ストウ村 ※8
※1 ゴルドアワ(ルイース紅爵領)まで馬車で一日半、
ゴルドアワからアンダグラ(ルイース紅爵領都)まで馬車で三日。
※2 マンクソム砦(王国直轄地)まで馬車で一日、
マンクソム砦からジャ・バ・オ・クー危険な洞窟まで徒歩で一日半。
※3 ホースー(フライ濁爵領都)まで馬車で三日、
ホースーからアンダグラ(ルイース紅爵領都)まで馬車で三日。
※4 クーラ村(ライストチャーチ白爵領)まで馬車で一日。
※5 クラースト村(ボートー紅爵領)まで馬車で一日。
クラースト村はレムの故郷であり、ミュリエルの転生地。
※6 温泉を擁する「湖の向こう砦」まで小舟で半日。
※7 イルラン砦(王国直轄地)まで、馬車で一日、
イルラン砦から王都キャンロルまで、馬車で三日。
王都キャンロルからコーカ・スレース(王国直轄地)まで、馬車で半日。
実は名無し森砦へダイクの後任として赴任したチャルズ紫爵をキャンロルからイルラン砦までおよそ一日半で運んだのがモクタトルとグリュプスのトリニティ。
モクタトルはイルラン砦でチャルズを降ろして一泊の後、カエルレウムに会うべく寄らずの森へ。
※8 ゴド村まで馬車で一日。
ゴド村は、マドハトとクッサンドラの故郷。
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