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#19 家族だから

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 そのつかんだ俺の手を引き寄せるようにしてルブルム先輩の顔が近づいてきた。
 角度的に双子満月の光は幌で覆われた荷台にまで及んではいないのだが、それでも人工の灯りがない夜にしては明るいのと目が慣れてきたのもあり、ルブルム先輩の綺麗な顔がよく見える。
 額も鼻もくっつきそうなくらいの、瞬きをする度にまつ毛同士が触れ合ってしまいそうなこの距離感。
 顔の近さだけじゃなく、ケティとキスしたときのことを思い出しちゃったのもあって緊張が酷い。

「私もリテルからたくさん学びたい。だから先輩はいらない」

 小さな声。
 顔を近づけたのはマドハトを起こさないようにと、そもそもマドハトのイビキでうるさいから――と自分に言い聞かせても鼓動が早まるのを感じる。それに合わせて偽装の渦イルージオも。

「わ、わかりました。ルブルム……」

 なんとなく言葉に詰まって気持ちがモゾモゾする。緊張以外にも。
 ルブルム先――ルブルムとは、会ってからまだ半日も経っていないとはいえ、先輩と呼んでいた存在からいきなり先輩を取ってくれって言われても、なかなかすぐにできるものでもない。

「言葉使いも、一緒がいい」

 一緒がいいと言ったルブルムの表情に、なぜかアルブムの表情を思い出す。そうか。精神的にも俺の方がお兄ちゃんなんだっけか。

「わかった。気をつける」

「あと……ありがとう」

「いえ――いや、こちらこそありがとう」

「もう一つ、ありがとう」

「もう一つ?」

 最初の方のは、敬語をやめたことだとして、もう一つはなんだろう。

「アルブムのこと。アルブムは自分の獣種のことを気にしていた。以前、私がカエルレウム様に聞いたのだ。どうしてアルブムの獣種が違うのかと。ホムンクルス作成のために元にした精液が異なる相手だったからその反映だとカエルレウム様は答えてくれたが、アルブムは泣いてしまった。自分だけ仲間外れだと――私がアルブムを傷つけた。それからずっと私はアルブムの笑顔を見ていない――さっき、リテルがアルブムを笑顔にするまでは」

 ……風呂場でのことか。
 アルブムが偽装の渦イルージオ猿種マンッに寄せていたから、俺がおそろいだねと言ったやつか。あのときはドッヂのことを思い出していたから――でも「ずっと」見ていないってのは、何か深い理由があるのかな。
 だって俺は二人が似ているな、姉妹みたいだなって感じたから――あー、あのときか。パイアから助けてもらった後、治療してもらっていた俺の股間をまじまじと見つめていたときだ。
 二人して好奇心旺盛な表情でじっと俺の股間を……。
 思い返してみると、確かにそれ以外のときはルブルムはずっと無表情気味だったし、アルブムは――んー。そう言われてみると。
 その時はたいして気にしていなかったけど、アルブムはちょいちょいルブルムの方を見ていた。そして見た直後はだいたい表情を固くしていた。

「あのさ、ルブルム……間違ってたらごめんな。笑顔を見ていないのはアルブムもなんだと思うんだ。ルブルムの方もずっとアルブムに笑顔を見せてなかったんじゃないかな?」

 丈侍じょうじに言われたことがあったんだよな。としてるが家族に疎まれているって言ったとき「でも利照だって家族を疎ましく思ってんだろ?」って。それじゃ距離はずっと縮まらないって。
 そのときは「縮まらなくていいよ。あんな家族」って答えたけどさ、「それじゃ疲れちゃわないか」って返された。大人だなって嫌味を返したら、丈侍は苦笑いした。そして自身が弟の昏陽くれひとケンカしたときに親父さんに言われた言葉だと白状したんだよな。

「私は、アルブムを傷つけた。だから笑ってはいけない」

 ルブルムは無表情を装ってはいるが、うっすらと涙が滲んでいる。

「そんなことはないよ」

 丈侍経由の丈侍の親父さん語録は俺の中に他にも残っている。
 手は二人いないとつなげない、とか、二人いて片方が一人ぼっちになるということは必然的にもう片方も一人ぼっちにさせている、とか、自分が謝らないうちは相手が謝らないことを決して責めてはならない、とか。

「ルブルムがアルブムが笑顔じゃないなってずっと気にしてたように、アルブムもルブルムが笑顔じゃないなってずっと気にしていたんじゃないかな。二人して俺の股間を見てたときは二人して興味津々な表情だったし、なんなら楽しそうだったし」

 ルブルムはちょっと驚いた目をして、俺の手を離し、その手を俺の腰紐へと伸ばした。

「もう一度見せて」

「ちょ、ちょっと待て」

「わかった。待つ」

「そういう意味じゃない。二人とも何か――互いの表情以外に集中しているときは素の表情だったって伝えたかっただけ。だからここで俺の股間を見ても何の解決にもならないんだよ。ルブルムはアルブムが笑顔じゃないから笑顔になれなくて、アルブムもルブルムが笑顔じゃないから笑顔になれなくて、二人して互いの笑顔でいられない理由を交互に作ってたんじゃないかって。二人いて、片方が一人ぼっちになっちゃったら、もう片方も一人ぼっちになっちゃうだろ?」

「……私は、アルブムを傷つけたことを反省していたつもりで、アルブムを一人ぼっちにしていた?」

 ルブルムの瞳に大粒の涙があふれ出す。
 前を向いて欲しくて言ったのに、自分を責める方向にいってしまうのか――えーと。

「ルブルム、大事なのは失敗した過去や今を引きずることじゃない。失敗ってのは誰だってする。大事なのは失敗したあとどうするかだ。その失敗から学んだことを未来の成功につなげることができれば、それはいい失敗になる」

 さっきのは丈侍の親父さんの、そしてこれはマクミラ師匠の受け売り。
 弓で獲物を射って外したとき、当たらなかったことを嘆くよりも、即座に次の矢をつがえて次を見つめること。失敗は、次にもっと上手に行うための準備だってこと。リテルが習った教えを、俺はルブルムに伝えた。

「私はまた、失敗のところで思考を停止してしまっていたんだな。私は本当に」

「よく気づけたじゃないか。これでルブルムは前へ進んでいける」

 ルブルムの自虐の言葉を遮って、ルブルムの手を探して今度は俺が両手で包み込む。
 カエルレウム師匠に任されたから、だけじゃない。前の世界の、実家にいたときの自分とも重なったから。

 才能がないからとピアノやバイオリンをやめさせられたとき、まだ丈侍と知り合う前だった俺は、学校から帰ってから一人で暇を持て余していた。
 姉さんや英志はお稽古ごと、父さんは仕事で、母さんは公演やら取材やら練習やらでなんだかんだ家に居ない。
 家族がまだ誰も帰っていない自宅で一人、テレビをつけてぼんやり観ていた。何をしていいのかわからなかったから。時間が過ぎていくのを感じるためにずっと動いている何かを見ていたかったから。
 そのテレビが突然消された。
 振り返ったら姉さんが軽蔑の眼差しで俺を見下ろしていた。

『お母さまの期待を裏切っておいて、どうして笑っていられるの?』

 それからずいぶん長いこと、俺は家族の前で笑わないように努めていた。
 最初は当てつけのつもりで無表情のフリだけだったはずなのに、いつの間にか仮面みたいなその我慢が、顔に貼り付いて取れなくなっていた。
 そればかりか自分の中に申し訳ない気持ちがどんどん膨らんできて、気がついたら毎日、自分の才能のなさを責めるようになっていた。
 苦しい、本当にしんどい日々だった。
 俺が幕道家のみなと出会って前へ進めるようになったように、俺もルブルムの背中を押してあげたい。

「怖い。アルブム本人はそう思っていないかもしれない。私はアルブムに嫌われて」

「ない!」

 ちょっと声が大きくなったのか、マドハトのイビキがンガッと一瞬途切れた。
 少し間を置いて再開したイビキに隠れて、俺は再びルブルムに告げる。

「思い出してみて。俺がおそろいだねって言った時、アルブムは喜んだ。アルブムは、カエルレウム師匠やルブルムとおそろいだと言われたことを喜んだんだよ。嫌いな人とおそろいで喜ぶ人なんている? 間違いないよ。アルブムはルブルムのことも大好きだよ」

 そのとき、リテルのお父さんの言葉がふと脳裏に浮かんで、続けた。

「大丈夫。家族じゃないか」

 ドッヂとソンが生まれたとき、リテルの父さんがリテルたちに言ってくれた言葉。

『ドッヂはいずれ自分が先祖返りだということを気にする日が来るかもしれない。家族と自分だけ見た目が違うことを。だから今日、たった今から、私たち家族は、お互いがお互いを愛していることを、常に伝える努力をしよう。いざとなったときに、とってもつけたような言葉で慰めてもそれは助けにはなりにくい。常に愛され続けてきたという実感があればこそ、危機的状況の中でも真っ直ぐに信じてもらえる言葉もあると私は思うのだ……だから、母さん、こんなに元気な双子を産んでくれてありがとう。愛しているよ』

 としてる自身の家族はボロボロでも、俺は丈侍の家族の暖かさを、リテルの家族の暖かさを知っている。
 家族というのは血のつながりというよりは、心のつながりだということを知っている。そうだよ。俺とハッタは家族だった。人と犬だって家族になれるんだ。心さえつながっていれば。

「俺はね、家族というのはね、心のつながりだと思っている。カエルレウム師匠とルブルムとアルブムは家族なんだから、きっと大丈夫。ルブルム。帰ったら、ルブルムがアルブムをどのくらい大切に思っているかを、たくさん伝えるといい。想いは伝えなければ、すれ違ってしまったときに気づけないこともある。二人で、気持ちを伝えあいながら、一緒に笑顔になってほしい」

 ルブルムはつまらせた言葉を涙へと変えて、無言で何度も首を左右に振った。
 これは肯定の意味。

「リテルはすごい。いろんなことを知っている。これからもたくさんのことを教えてほしい」

「うん。俺にできる限り、なんでも」

「頼りにしている」

 恥ずかしいけど嬉しかった。もしかしてとしてる、誰かに頼りにされるのって初めてなのでは。英志は俺よりも出来が良かったし。

「あと、私はリテルが大好きだ。リテルも私の家族だよね?」

「うん?」

 不意打ちについ変な相槌を打ってしまったが、ようやく瞼を閉じたルブルムの安心した表情を見て、俺は言葉を何も継げなかった。





● 主な登場者

有主ありす利照としてる/リテル
 猿種マンッ、十五歳。リテルの体と記憶、利照としてるの自意識と記憶とを持つ。
 リテルの想いをケティに伝えた後、盛り上がっている途中で呪詛に感染。寄らずの森の魔女様から魔法を習い始めた。

・ケティ
 リテルの幼馴染の女子。猿種マンッ、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
 リテルとは両想い。熱を出したリテルを一晩中看病してくれていた。リテルが腰紐を失くしたのを目ざとく見つけた。

・ラビツ
 久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。

・マドハト
 ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、とうとう犬種アヌビスッの体を取り戻した。
 リテルに恩を感じついてきている。元の世界で飼っていたコーギーのハッタに似ている。イビキの主張が強め。

・ルブルム
 魔女様の弟子である赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種マンッ
 槍を使った戦闘も得意で、知的好奇心も旺盛。「自分はホムンクルスだから」を言い訳にしがち。

・アルブム
 魔女様の弟子である白髪に銀の瞳の少女。鼠種ラタトスクッの兎亜種。
 外見はリテルよりも二、三歳若い。知的好奇心が旺盛。

・カエルレウム
 寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種マンッ
 ルブルムとアルブムをホムンクルスとして生み出し、リテルの魔法の師匠となった。ゴブリンに呪詛を与えた張本人。

・テイラさん
 村長の息子。定期的に領都フォーリーを訪れている。猿種マンッ
 リテルたちをフォーリーまで送るために馬車を出してくれた。

・テニール兄貴
 ストウ村の門番。犬種アヌビスッの男性。傭兵経験があり、リテルにとって素手や武器での近接戦闘を教えてくれる兄貴分。
 馬車の護衛として同乗している。

幕道まくどう丈侍じょうじ
 小三から高一までずっと同じクラスの、元の世界で唯一仲が良かった友達。交換ノベルゲームをしていた。
 彼の弟、昏陽くれひと、彼の父とともにTRPGに興じることもあった。モンスター豆知識を教えてくれる。

・ハッタ
 英志が拾ってきたコーギーの仔犬だが、利照が面倒をみていたので利照にとても懐いていた。
 利照が高校へ入学する前に天へと召された。最期のときは英志と一緒に動物病院へ連れて行った。

・英志(ひでし)
 有主利照の一つ違いの弟。音楽の才能があり要領も良くイケメンで学業もスポーツも万能。
 幼い頃は仲良かったが、ハッタを拾ってきたあたりから当たりが強くなった。

・(有主利照の)姉さん
 才能がない人は努力していない人として厳しくあたる。自分に対しても厳しい。



■ はみ出しコラム【馬車】
 ホルトゥスのラトウィヂ王国においては、移動用の動物としては馬が一般的である。
 荷物を運ぶだけであれば牛やロバなども使用されるが、人を運ぶ場合は馬に荷車を引っ張らせることが多い。

荷車クールルス
 手運びの二輪車から、馬や牛やロバなどに引かせる四輪まで、荷物を運ぶ前提の荷車を荷車クールルスと呼ぶ。
 ストウ村の村長が所持しているのはその用途からは「馬車」というよりは荷車クールルスに分類される。

馬車ゥラエダ
 人が乗る前提で座席が据え付けられた荷車クールルスを特に馬車ゥラエダと呼ぶ。基本は四輪だが、四頭立ての大型の馬車ゥラエダの場合、六輪のものもある。
 都市間をつなぐ定期便馬車は馬車ゥラエダである。
 馬車ゥラエダという言葉を知らず、馬車ゥラエダ荷車クールルスと一緒くたに呼ぶものは田舎者扱いされる。

※利照はリテルの記憶から馬が引く荷車クールルスを「馬車」と解釈したが、都市間を行き来する馬車ゥラエダは辺境のストウ村へは訪れたことがないので、リテル自身も馬車ゥラエダという単語を知らない。

・牽引動物
 荷車クールルスの場合は一頭立てが多く、馬車ゥラエダは二頭立てが一般的。
 ただし機動力を必要とする場合、荷車クールルスでも二頭立て、馬車ゥラエダだと四頭立てが珍しくない。

 荷車クールルスの場合、車から前方へ突き出たながえに取り付けられたくびきを直接、牽引動物に装着する場合が多いが、馬車ゥラエダくびきを用いず、牽引動物に装着した装備とながえとを縄などで繋いで、牽引動物の動きがダイレクトに馬車へ伝わらないようにワンクッション置いている構造が主流である。

・ブレーキ
 ホルトゥスの馬車ゥラエダにはブレーキが備え付けられていることが多い。荷車クールルスの場合、一頭立てだと基本はブレーキなし。
 構造としては、御者席付近にあるブレーキレバーを引くと、車輪に対してブレーキシューが押し付けられ、摩擦で速度が遅くなるというものである。
 ホルトゥスのラトウィヂ王国においては、ゴムが存在しないため、ブレーキシューには手に入りやすい革が使用される。当然、消耗品である。

・車軸と車輪
 車軸は車体に固定され、回転しない。車輪は車軸に取り付けてあり、左右は独立して回転する。
 定期便の馬車ゥラエダには予備の車輪も積んである。

・幌
 荷車クールルスであれば、屋根や幌がついていないことの方が多い。
 ただし、ストウ村の村長が所持する荷車クールルスのように、一日以上の行程を経て街まで荷物を運ぶことがある場合は、幌がついていることもままある。
 幌の材質としては、丈夫な布や、大型動物の革などが多く、裕福な者であれば布を蝋引きして防水性を高めたりしている。

・サスペンション
 ホルトゥスの荷車クールルス馬車ゥラエダにおいては、サスペンションの類はついていないのが普通である。
 当然お尻が痛くなる。
 定期便の馬車ゥラエダでは、中に藁を詰めたクッションを座布団代わり兼、馬車の中で寝る時の枕用で、一人一つずつ支給される。
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