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#11 君の名は
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怪我をしている人――その印象から、俺が一人だったなら、迂闊にも近寄っていたと思う。
実際、俺は弓を降ろし、よく見極めようと一歩踏み出した。魔物に襲われた人かもしれないと。そして瞬時に悟った。ソレは断じて怪我をした人などではないと。
俯せで這ってくる人のように見えたソレは、俺が踏み出したと同時に凄まじい勢いで近づいてきた。決して俯せの人間には出せないスピードで、まるでホラー映画に出てきそうな悍ましさで、トカゲのように腹を地面から少しだけ浮かせた状態で、肘と膝とで器用に地面を叩きながら。
とっさに弓を構え直し、その動きの先に向かって矢を射掛けた。しかしソレは、驚くことにそこから素早く高く跳躍した。
次の矢をつがえるどころじゃない。弓を自分の顔の前に掲げて防御するので精一杯。横からルブルムさんが鋭い突きを放ってくれていなければ、ソレの攻撃は俺に直撃していただろう。
だがソレは空中で身を捩り、ルブルムさんの突きを躱し、俺のすぐ近くへと着地する。
俺は二の矢をつがえて即座に射る。リテルが体の反応が良かったおかげか、矢はソレのふくらはぎ部分へと刺さる――だがソレは少しも怯まず、すぐさま再び跳びかかってきた。三の矢が間に合わない――と思ったそのとき、ルブルムさんの短槍が、そいつの腹部に今度は深々と突き刺さった。
甲高い悲鳴が聞こえた。耳の奥にねじ込んでくるような、身がすくむほどの気持ち悪い声――ソレの威嚇の声なのか?
ソレは地面に着地すると、這いつくばったままの姿で不自然な動きと速度とで飛ぶように後退る――と思ったら立ち止まった。そいつの逃げようとした先に、いつの間にか鹿の王様が身構えていた。
ルブルムさんはその隙を逃さず、もう一本の短槍を構えながら追いつきソレを地面へと貫き留めた。ソレは怯まず頭を振ってルブルムさんの脚へ喰らいつこうとする。ルブルムさんは身を翻しながら跳んで距離を取る。着地と同時に、先程地面へと刺されたもう一本の短槍を手に取った。
俺は射線に鹿の王様が入らないよう移動しつつ、ソレの頭部へと狙いを定める。
「殺さずに捕獲しますかっ?」
念のために尋ねてみる。リテルの知識の中には、魔物は討伐の対象という以外に特に情報はないのだが、ここは魔女様が管理する森だから。
「退治するつもりで来た。このアルティバティラエの捕食対象は人だ。瘴気もまだ帯びているから遠隔攻撃は心強い」
カエルレウム様の返答を受け、ソレの頭部へと矢を放つ。本来ならば人の頭部を射るだなんて行為、とてもじゃないができやしない。リテルはそれなりに鳥獣を射殺してはいるが、人を殺した経験はないし。
でも先程までは四つん這いの人にしか見えなかったソレ――アルティバティラエは、今はホラー系シューティングゲームの気持ち悪いクリーチャーにしか感じられない。
俺の矢がアルティバティラエの頭部へと深く突き刺さったにも関わらず、暴れる勢いは全く衰えていないことで逆にホッとする――こいつは人ではないと。
「疑似頭部に脳はない。ルブルム、首の付け根から斜めに槍を差し込み、掻き回せ」
ルブルムさんがカエルレウム様の指示通りに突き刺した槍を回すと、アルティバティラエはようやく動きを止めた。
「アルティバティラエは二足歩行の生物に擬態する魔物だが、動きを見ての通り体の作りは四足での行動に適している。出身は地界で、ゴブリンに擬態していた報告もある。怪我をしているように見える半裸に近い者が這いつくばっていたら、まず様子を見ようと近づくだろう。そこを奇襲で飛びつき、喉笛を噛み千切って獲物を無力化しようとする。アルティバティラエの俊敏性や跳躍力は、そこいらの獣よりも優れているので注意が必要だ」
マジか。
あのとき茂みから現れたのが片腕ゴブリンじゃなく、アルティバティラエだったとしたら、俺はカエルレウム様の塔にたどり着く前に命を落としていた恐れもあるのか。今頃になって背筋が凍る。
「傷口に見えるのは血液に似た体液を体外へ排出するための器官であり、一見ボロ布をまとっているように見えるこの白い部分も、疑似頭部に生やしている部分と同様にアルティバティラエの体毛だ。疑似頭部と呼びはしているが、人の部位でいえば唇みたいなものだ。脳はこの一見して肩甲骨に見える骨の下でさらに頭蓋骨に覆われている。アルティバティラエは左右の脳がそれぞれ独立した頭蓋骨に覆われている。片方が行動を、片方が擬態を制御していると言われている。脳と神経をつなぐための穴が首の方向に向いているため、アルティバティラエを倒すには首側から脳を破壊するか、もしくは大槌などで肩甲骨の上から叩いて砕くのが有効だ」
酷い初見殺し。たちが悪い魔物だな。
「あの、カエルレウム様。先程、瘴気とおっしゃいましたが、瘴気を感知する魔法ってあるのでしょうか?」
リテルの瘴気に関する知識は、魔物は瘴気というのを帯びていることがある。そして瘴気は目に見えない。瘴気をまとった魔物に近づくと、酔っ払う……村で子供たちが教えられるのはそのくらい。
「『魔力感知』だな。瘴気により酔いどれ症状が出ている場合、本来の寿命の渦が揺らいでいる」
あっ。今の戦闘中、『魔力感知』を全く行っていなかった。
『魔力感知』重要過ぎるじゃないか。
「寿命の渦は魂に付随するんでしたよね……ということは、瘴気による酔いは、酒による肉体的な酔いとは違って、精神的な酔いなのでしょうか?」
「いや、寿命の渦は魂の側に付随はするものの、本質的には魂と肉体とを結びつけるものであり、肉体の影響も当然受ける。瘴気は水に溶けやすいというのは聞いたことあるか? 水に溶ける性質を持つ以上は、精神的なものではなく、肉体同様に物質的な存在であると予想される」
「水に溶けやすいというのは初めて知りました。ありがとうございます」
と言った途端、カエルレウム様がふっと笑った。
もういい加減暗くなってきた森の黄昏。通常視界ではほとんど何も見えなくなりつつあるが、今の「ふっ」のときだけは優しい笑顔が見えた気がした。
「リテルは質問が多いな。ルブルムとよく似ている」
カエルレウム様の声は心なしか嬉しそうに感じた。
「さて。このアルティバティラエの酔いどれ具合からすると、お客さんになったのは三日ほど前かな。ストウ村に死体が運び込まれたカリカンジャロスと同時期に渡ってきた可能性が高そうだ。他にもまだ居るかもしれない」
異門が一時的に開いたタイミングで、何体かの魔物がこちらの世界へ渡ってきたということか。
緊張感が戻ってくる。一匹倒したつもりで油断しきっていたような気がする――紳士は油断すべからず――マクミラ師匠の教えを心の中で復唱する。
カエルレウム様のご指示で、アルティバティラエに刺さっていない二本の短槍で簡単な穴を掘り、アルティバティラエの死体をそこへ埋めることに。この場所は水源から距離があるので、地中に埋めても問題がないとのこと。
瘴気を洗い流せるだけの水がここでは確保できないため、アルティバティラエに刺さった矢の分の鏃は回収を諦めた。
死体を穴へと放り込み、土をかぶせる。矢は一本だけ回収できたので残り六本。短槍は二本。まだ魔物がうろついているかもしれないという中で心細さはあるものの、俺たちは再び鹿の王様の背中に乗せていただいた。
鹿の王様の背に揺られている間、カエルレウム様は瘴気の感知に関することを教えてくださった。
魔法代償の消費なしに瘴気を感知できるのは『魔力感知』だけど、『魔力感知』の範囲には限りがある。なので寄らずの森のあちこちにゴーレムを配置し、そのゴーレムを中継することにより塔に居ながらにして森のあちこちで『魔力感知』を行っているのと同等の効果を得ているのだと。
あと、ゴーレムというのは、物質に対し、魂ではなく魔法や魔術を宿らせたものを総称して使う言葉らしい。
この森に配置しているゴーレムは素材に石を使っているそうだが、俺のイメージしているいわゆるゲームに登場するような人型のゴーレムではないようだ。人の形に似せた場合は、維持消費命が余計にかかるのに対し、顔を刻めば視覚や聴覚なども共用できるらしく、ウェブカメラっぽい運用もできるみたいだ。
そんな話をしている間に鹿の王様は、すっかり薄暗くなってしまった森を駆け抜け、ゴド村へと到着した。
ゴド村はストウ村に一番近い隣村。羊の放牧が盛んで、犬種の割合が高いが、ストウ村からしたらほとんどが親戚みたいなものだ。確かエクシあんちゃんのお姉さんもゴド村に嫁いでいたはず。
リテルは訪れたことがなかったが、ストウ村の人や監理官さんから話をよく聞くので詳しい。今は王監さんであるアレッグさんが出向いているはず。案の定、櫓で見張りをしている門番さんに声をかけると、そのアレッグさんを呼んだ。
門が開くのを待つ間に鹿の王様の背から降りる。
東の空にはわずかに明るさが残っているが、空の大半は無数の星々に占領されている。
こんなとき丈侍だったら星座とか見つけて、地球上のどこかの地域との共通点とか発見できるんだろうな。俺が知っているのはせいぜい北斗七星くらいだし、この星だらけの空からは、例えここが日本であったとしても星座なんか見つけられる自信がない。
そんな俺の足下で、ゴブリンの落ち着きがない。
「開門する!」
門番さんの声のあと、大きくて頑丈そうな丸太の扉が軋みながら開かれた。
アレッグさんを先頭にゴド村の村長さん、何人もの大人たちが出迎えてくれた。松明を持っている人もいる。
カエルレウム様が事情を話すと、一軒の家へと案内された。リテルの家よりも二回りくらい小さな質素な家。
入ってすぐに目につく粗末な寝藁に一人の犬種が寝ていた。先祖返り――コーギー頭のその少年は、幼い頃から病弱で、月の半分くらいは臥せっているという。
俺の後ろに隠れていたゴブリンが恐る恐るその少年へと近づき、手を握る……今度は『魔力感知』を忘れないでいた俺は、ゴブリンが魔法代償を消費した直後、ゴブリンと少年の中の寿命の渦が入れ替わるのを感じた。
ゴブリンは膝から崩れ落ち、少年が目を開く。
「僕の体です! 僕の名前はマドハトです!」
コーギー顔の少年はがばっと飛び起きると、そう叫んだ。
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ。
リテルの想いをケティに伝えた後、盛り上がっている途中で呪詛に感染。寄らずの森の魔女様から魔法を習い始めた。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。熱を出したリテルを一晩中看病してくれていた。
・エクシあんちゃん
リテルの幼馴染の男子。犬種、十八歳。二年前より領都フォーリーで兵士として働いている。
イヤミが多いのが玉にキズだけど腕力はある。ケティのことを好き。姉がゴド村に嫁いでいる。
・ラビツ
久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
・マドハト
魔女様の家に向かう途中、リテルが思わず助けてしまった片腕のゴブリン。
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、とうとう犬種の体を取り戻した。
・ゴブリン
ゴド村のマドハトと魂を入れ替えられていたゴブリン。
犬種の体に宿っていたとき病弱だったのは、獣種よりもゴブリンの方が短命だったため。
・ルブルム
魔女様の弟子と思われる赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
リテルとマクミラ師匠が二人がかりで持ってきた重たい荷物を軽々と持ち上げた。槍を使った戦闘も得意。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
魔法の使い方を教えてほしいと請うたリテルへ魔法について解説し始めた。ゴブリンに呪詛を与えた張本人。
・アルブム
魔女様の弟子と思われる白髪に銀の瞳の少女。鼠種の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。
・鹿の王
手を合わせて拝みたくなるような圧倒的な荘厳さ、立派な角、存在感の大きな鹿。
リテルたち四人を乗せても軽々と森を駆け抜ける。
・アルティバティラエ
半裸に申し訳程度に白い布をまとい、怪我をした髪の長い獣種の姿に擬態して近づいてきた魔物。
人を捕食する。数日前、カリカンジャロスと共に異門を越えてきたっぽい。
■ はみ出しコラム【成人と半成人】
ホルトゥスにおいては、二十歳(十進数だと二十四歳)が「成人」とされる。長子以外は成人後、家に留まることを許されず、独立しなければならないとされている。
また、その半分の十歳(十進数だと十二歳)は「半成人」とされ、労働力として税金を納める必要が出てくる。
ちなみに、子供は五歳くらいから家事や家業を手伝い始めるが、十歳になるまでは税金の対象とはならない。
労働には二種類あり、家業を手伝うか、もしくは他の職業に「見習い」として参加するか、である。
家業である場合は、半成人になる以前に「見習い」同様の扱いをされることもあるが、他の職業については半成人にならないと「見習い」が許可されない場合が多い。ただし働くことができない成人や、成人の家族がいない場合はその限りではない。
・他の職業
大きく分けて二つある。組合職と、非組合職である。
前者は、特別な技術や権利が共有される職業であり(組合については次回コラムにて詳しく説明する)、親方の元もしくは師匠の下で徒弟として「見習い」に就く。後者と区別して「組合見習い」という表現も使われる。
後者については、長子以外の実家での家業「見習い」、親戚の家業「見習い」や、跡取りが居ない家族への実質的な婿・嫁・養子等も含む。
長子が実家の家業を継がず、別の職業に就くことについては、長子より下に兄弟姉妹が居る場合においては社会は寛容である。
・準成人
「見習い」となった後、平均して六年経過すると「準成人」とされ、求婚する権利が社会的に認められる。
ただし、「見習い」としての評価が高い場合、わずか三年で「準成人」として認められる場合もある。
逆にある職業に就いて六年経過してもまだ「準成人」としての評価が得られない場合、その職業からは不適合者として転職を進められることがある。
準成人となるまでは、別の職業の「見習い」へと移ることが比較的、社会的に許容されているが、一年経たずに移ることが重なった場合は、特に組合職への「見習い」は困難となる。
・見習いの税金
「見習い」を雇う側は、相手が半成人(非成人・非準成人)の場合、税金を肩代わりすることが多い。
・婚姻
成人・準成人同士であれば比較的、本人たちの意思で婚姻が認められやすい。また半成人以上ならば、両家族の親の許諾があれば婚姻が認められやすい。求婚を受ける側は半成人以上とされている。
長子の場合は、長子家族との同居が一般的である。
※ 親による子供への搾取や、婚姻における家族からの強要などが少なく、職業の自由もかなり認められている背景には、魔法の存在が大きく、誰でも自らの命を消費すれば自他の生死に関わる効果を発動できてしまうという事実が影響している。
実際、俺は弓を降ろし、よく見極めようと一歩踏み出した。魔物に襲われた人かもしれないと。そして瞬時に悟った。ソレは断じて怪我をした人などではないと。
俯せで這ってくる人のように見えたソレは、俺が踏み出したと同時に凄まじい勢いで近づいてきた。決して俯せの人間には出せないスピードで、まるでホラー映画に出てきそうな悍ましさで、トカゲのように腹を地面から少しだけ浮かせた状態で、肘と膝とで器用に地面を叩きながら。
とっさに弓を構え直し、その動きの先に向かって矢を射掛けた。しかしソレは、驚くことにそこから素早く高く跳躍した。
次の矢をつがえるどころじゃない。弓を自分の顔の前に掲げて防御するので精一杯。横からルブルムさんが鋭い突きを放ってくれていなければ、ソレの攻撃は俺に直撃していただろう。
だがソレは空中で身を捩り、ルブルムさんの突きを躱し、俺のすぐ近くへと着地する。
俺は二の矢をつがえて即座に射る。リテルが体の反応が良かったおかげか、矢はソレのふくらはぎ部分へと刺さる――だがソレは少しも怯まず、すぐさま再び跳びかかってきた。三の矢が間に合わない――と思ったそのとき、ルブルムさんの短槍が、そいつの腹部に今度は深々と突き刺さった。
甲高い悲鳴が聞こえた。耳の奥にねじ込んでくるような、身がすくむほどの気持ち悪い声――ソレの威嚇の声なのか?
ソレは地面に着地すると、這いつくばったままの姿で不自然な動きと速度とで飛ぶように後退る――と思ったら立ち止まった。そいつの逃げようとした先に、いつの間にか鹿の王様が身構えていた。
ルブルムさんはその隙を逃さず、もう一本の短槍を構えながら追いつきソレを地面へと貫き留めた。ソレは怯まず頭を振ってルブルムさんの脚へ喰らいつこうとする。ルブルムさんは身を翻しながら跳んで距離を取る。着地と同時に、先程地面へと刺されたもう一本の短槍を手に取った。
俺は射線に鹿の王様が入らないよう移動しつつ、ソレの頭部へと狙いを定める。
「殺さずに捕獲しますかっ?」
念のために尋ねてみる。リテルの知識の中には、魔物は討伐の対象という以外に特に情報はないのだが、ここは魔女様が管理する森だから。
「退治するつもりで来た。このアルティバティラエの捕食対象は人だ。瘴気もまだ帯びているから遠隔攻撃は心強い」
カエルレウム様の返答を受け、ソレの頭部へと矢を放つ。本来ならば人の頭部を射るだなんて行為、とてもじゃないができやしない。リテルはそれなりに鳥獣を射殺してはいるが、人を殺した経験はないし。
でも先程までは四つん這いの人にしか見えなかったソレ――アルティバティラエは、今はホラー系シューティングゲームの気持ち悪いクリーチャーにしか感じられない。
俺の矢がアルティバティラエの頭部へと深く突き刺さったにも関わらず、暴れる勢いは全く衰えていないことで逆にホッとする――こいつは人ではないと。
「疑似頭部に脳はない。ルブルム、首の付け根から斜めに槍を差し込み、掻き回せ」
ルブルムさんがカエルレウム様の指示通りに突き刺した槍を回すと、アルティバティラエはようやく動きを止めた。
「アルティバティラエは二足歩行の生物に擬態する魔物だが、動きを見ての通り体の作りは四足での行動に適している。出身は地界で、ゴブリンに擬態していた報告もある。怪我をしているように見える半裸に近い者が這いつくばっていたら、まず様子を見ようと近づくだろう。そこを奇襲で飛びつき、喉笛を噛み千切って獲物を無力化しようとする。アルティバティラエの俊敏性や跳躍力は、そこいらの獣よりも優れているので注意が必要だ」
マジか。
あのとき茂みから現れたのが片腕ゴブリンじゃなく、アルティバティラエだったとしたら、俺はカエルレウム様の塔にたどり着く前に命を落としていた恐れもあるのか。今頃になって背筋が凍る。
「傷口に見えるのは血液に似た体液を体外へ排出するための器官であり、一見ボロ布をまとっているように見えるこの白い部分も、疑似頭部に生やしている部分と同様にアルティバティラエの体毛だ。疑似頭部と呼びはしているが、人の部位でいえば唇みたいなものだ。脳はこの一見して肩甲骨に見える骨の下でさらに頭蓋骨に覆われている。アルティバティラエは左右の脳がそれぞれ独立した頭蓋骨に覆われている。片方が行動を、片方が擬態を制御していると言われている。脳と神経をつなぐための穴が首の方向に向いているため、アルティバティラエを倒すには首側から脳を破壊するか、もしくは大槌などで肩甲骨の上から叩いて砕くのが有効だ」
酷い初見殺し。たちが悪い魔物だな。
「あの、カエルレウム様。先程、瘴気とおっしゃいましたが、瘴気を感知する魔法ってあるのでしょうか?」
リテルの瘴気に関する知識は、魔物は瘴気というのを帯びていることがある。そして瘴気は目に見えない。瘴気をまとった魔物に近づくと、酔っ払う……村で子供たちが教えられるのはそのくらい。
「『魔力感知』だな。瘴気により酔いどれ症状が出ている場合、本来の寿命の渦が揺らいでいる」
あっ。今の戦闘中、『魔力感知』を全く行っていなかった。
『魔力感知』重要過ぎるじゃないか。
「寿命の渦は魂に付随するんでしたよね……ということは、瘴気による酔いは、酒による肉体的な酔いとは違って、精神的な酔いなのでしょうか?」
「いや、寿命の渦は魂の側に付随はするものの、本質的には魂と肉体とを結びつけるものであり、肉体の影響も当然受ける。瘴気は水に溶けやすいというのは聞いたことあるか? 水に溶ける性質を持つ以上は、精神的なものではなく、肉体同様に物質的な存在であると予想される」
「水に溶けやすいというのは初めて知りました。ありがとうございます」
と言った途端、カエルレウム様がふっと笑った。
もういい加減暗くなってきた森の黄昏。通常視界ではほとんど何も見えなくなりつつあるが、今の「ふっ」のときだけは優しい笑顔が見えた気がした。
「リテルは質問が多いな。ルブルムとよく似ている」
カエルレウム様の声は心なしか嬉しそうに感じた。
「さて。このアルティバティラエの酔いどれ具合からすると、お客さんになったのは三日ほど前かな。ストウ村に死体が運び込まれたカリカンジャロスと同時期に渡ってきた可能性が高そうだ。他にもまだ居るかもしれない」
異門が一時的に開いたタイミングで、何体かの魔物がこちらの世界へ渡ってきたということか。
緊張感が戻ってくる。一匹倒したつもりで油断しきっていたような気がする――紳士は油断すべからず――マクミラ師匠の教えを心の中で復唱する。
カエルレウム様のご指示で、アルティバティラエに刺さっていない二本の短槍で簡単な穴を掘り、アルティバティラエの死体をそこへ埋めることに。この場所は水源から距離があるので、地中に埋めても問題がないとのこと。
瘴気を洗い流せるだけの水がここでは確保できないため、アルティバティラエに刺さった矢の分の鏃は回収を諦めた。
死体を穴へと放り込み、土をかぶせる。矢は一本だけ回収できたので残り六本。短槍は二本。まだ魔物がうろついているかもしれないという中で心細さはあるものの、俺たちは再び鹿の王様の背中に乗せていただいた。
鹿の王様の背に揺られている間、カエルレウム様は瘴気の感知に関することを教えてくださった。
魔法代償の消費なしに瘴気を感知できるのは『魔力感知』だけど、『魔力感知』の範囲には限りがある。なので寄らずの森のあちこちにゴーレムを配置し、そのゴーレムを中継することにより塔に居ながらにして森のあちこちで『魔力感知』を行っているのと同等の効果を得ているのだと。
あと、ゴーレムというのは、物質に対し、魂ではなく魔法や魔術を宿らせたものを総称して使う言葉らしい。
この森に配置しているゴーレムは素材に石を使っているそうだが、俺のイメージしているいわゆるゲームに登場するような人型のゴーレムではないようだ。人の形に似せた場合は、維持消費命が余計にかかるのに対し、顔を刻めば視覚や聴覚なども共用できるらしく、ウェブカメラっぽい運用もできるみたいだ。
そんな話をしている間に鹿の王様は、すっかり薄暗くなってしまった森を駆け抜け、ゴド村へと到着した。
ゴド村はストウ村に一番近い隣村。羊の放牧が盛んで、犬種の割合が高いが、ストウ村からしたらほとんどが親戚みたいなものだ。確かエクシあんちゃんのお姉さんもゴド村に嫁いでいたはず。
リテルは訪れたことがなかったが、ストウ村の人や監理官さんから話をよく聞くので詳しい。今は王監さんであるアレッグさんが出向いているはず。案の定、櫓で見張りをしている門番さんに声をかけると、そのアレッグさんを呼んだ。
門が開くのを待つ間に鹿の王様の背から降りる。
東の空にはわずかに明るさが残っているが、空の大半は無数の星々に占領されている。
こんなとき丈侍だったら星座とか見つけて、地球上のどこかの地域との共通点とか発見できるんだろうな。俺が知っているのはせいぜい北斗七星くらいだし、この星だらけの空からは、例えここが日本であったとしても星座なんか見つけられる自信がない。
そんな俺の足下で、ゴブリンの落ち着きがない。
「開門する!」
門番さんの声のあと、大きくて頑丈そうな丸太の扉が軋みながら開かれた。
アレッグさんを先頭にゴド村の村長さん、何人もの大人たちが出迎えてくれた。松明を持っている人もいる。
カエルレウム様が事情を話すと、一軒の家へと案内された。リテルの家よりも二回りくらい小さな質素な家。
入ってすぐに目につく粗末な寝藁に一人の犬種が寝ていた。先祖返り――コーギー頭のその少年は、幼い頃から病弱で、月の半分くらいは臥せっているという。
俺の後ろに隠れていたゴブリンが恐る恐るその少年へと近づき、手を握る……今度は『魔力感知』を忘れないでいた俺は、ゴブリンが魔法代償を消費した直後、ゴブリンと少年の中の寿命の渦が入れ替わるのを感じた。
ゴブリンは膝から崩れ落ち、少年が目を開く。
「僕の体です! 僕の名前はマドハトです!」
コーギー顔の少年はがばっと飛び起きると、そう叫んだ。
● 主な登場者
・有主利照/リテル
猿種、十五歳。リテルの体と記憶、利照の自意識と記憶とを持つ。
リテルの想いをケティに伝えた後、盛り上がっている途中で呪詛に感染。寄らずの森の魔女様から魔法を習い始めた。
・ケティ
リテルの幼馴染の女子。猿種、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
リテルとは両想い。熱を出したリテルを一晩中看病してくれていた。
・エクシあんちゃん
リテルの幼馴染の男子。犬種、十八歳。二年前より領都フォーリーで兵士として働いている。
イヤミが多いのが玉にキズだけど腕力はある。ケティのことを好き。姉がゴド村に嫁いでいる。
・ラビツ
久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。
・マドハト
魔女様の家に向かう途中、リテルが思わず助けてしまった片腕のゴブリン。
ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者。ゴド村の住人で、とうとう犬種の体を取り戻した。
・ゴブリン
ゴド村のマドハトと魂を入れ替えられていたゴブリン。
犬種の体に宿っていたとき病弱だったのは、獣種よりもゴブリンの方が短命だったため。
・ルブルム
魔女様の弟子と思われる赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種。
リテルとマクミラ師匠が二人がかりで持ってきた重たい荷物を軽々と持ち上げた。槍を使った戦闘も得意。
・カエルレウム
寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種。
魔法の使い方を教えてほしいと請うたリテルへ魔法について解説し始めた。ゴブリンに呪詛を与えた張本人。
・アルブム
魔女様の弟子と思われる白髪に銀の瞳の少女。鼠種の兎亜種。
外見はリテルよりも二、三歳若い。
・鹿の王
手を合わせて拝みたくなるような圧倒的な荘厳さ、立派な角、存在感の大きな鹿。
リテルたち四人を乗せても軽々と森を駆け抜ける。
・アルティバティラエ
半裸に申し訳程度に白い布をまとい、怪我をした髪の長い獣種の姿に擬態して近づいてきた魔物。
人を捕食する。数日前、カリカンジャロスと共に異門を越えてきたっぽい。
■ はみ出しコラム【成人と半成人】
ホルトゥスにおいては、二十歳(十進数だと二十四歳)が「成人」とされる。長子以外は成人後、家に留まることを許されず、独立しなければならないとされている。
また、その半分の十歳(十進数だと十二歳)は「半成人」とされ、労働力として税金を納める必要が出てくる。
ちなみに、子供は五歳くらいから家事や家業を手伝い始めるが、十歳になるまでは税金の対象とはならない。
労働には二種類あり、家業を手伝うか、もしくは他の職業に「見習い」として参加するか、である。
家業である場合は、半成人になる以前に「見習い」同様の扱いをされることもあるが、他の職業については半成人にならないと「見習い」が許可されない場合が多い。ただし働くことができない成人や、成人の家族がいない場合はその限りではない。
・他の職業
大きく分けて二つある。組合職と、非組合職である。
前者は、特別な技術や権利が共有される職業であり(組合については次回コラムにて詳しく説明する)、親方の元もしくは師匠の下で徒弟として「見習い」に就く。後者と区別して「組合見習い」という表現も使われる。
後者については、長子以外の実家での家業「見習い」、親戚の家業「見習い」や、跡取りが居ない家族への実質的な婿・嫁・養子等も含む。
長子が実家の家業を継がず、別の職業に就くことについては、長子より下に兄弟姉妹が居る場合においては社会は寛容である。
・準成人
「見習い」となった後、平均して六年経過すると「準成人」とされ、求婚する権利が社会的に認められる。
ただし、「見習い」としての評価が高い場合、わずか三年で「準成人」として認められる場合もある。
逆にある職業に就いて六年経過してもまだ「準成人」としての評価が得られない場合、その職業からは不適合者として転職を進められることがある。
準成人となるまでは、別の職業の「見習い」へと移ることが比較的、社会的に許容されているが、一年経たずに移ることが重なった場合は、特に組合職への「見習い」は困難となる。
・見習いの税金
「見習い」を雇う側は、相手が半成人(非成人・非準成人)の場合、税金を肩代わりすることが多い。
・婚姻
成人・準成人同士であれば比較的、本人たちの意思で婚姻が認められやすい。また半成人以上ならば、両家族の親の許諾があれば婚姻が認められやすい。求婚を受ける側は半成人以上とされている。
長子の場合は、長子家族との同居が一般的である。
※ 親による子供への搾取や、婚姻における家族からの強要などが少なく、職業の自由もかなり認められている背景には、魔法の存在が大きく、誰でも自らの命を消費すれば自他の生死に関わる効果を発動できてしまうという事実が影響している。
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注意
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