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#9 魔物が現れた

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「魂に付随する。減った寿命ごと移る。寿命の渦コスモスは肉体よりも魂に近いのだ」

 カエルレウム様はゴブリンをチラ見する。そういや寿命が伸びるんだっけ――ということは、ゴブリンはもともと寿命自体があまりないってことなのか。
 片腕のゴブリンはニコニコしながら俺を見つめている。

「消費した寿命はもう戻らない。寿命の渦コスモスの形を変えることはできても、本質は変えられないのだ。いったん死をもって新しい生を待つしかないのだ」

 この世界ホルトゥスには輪廻転生の考え方があるのか?
 そのことをカエルレウム様に尋ねようとして、言葉につまる。輪廻転生に相当する単語を、リテルは知らない。

「……えっと、死んで新たに生まれたとき、前の記憶というのは……」

「ああ、それは今なお多くの魔術師が試している。肉体が滅びたが寿命が残っている魂は幽霊の状態で残る。その状態では新しい記憶が定着しづらく、生前の記憶も徐々に薄れてゆく。強い意志や衝動で、複雑ではない記憶ならば長持ちさせることはできるようだが」

 幽霊!
 アンデッド系のモンスターかな?

「その手の記録をもとにした現在の有力な仮説はこうだ。記憶を維持できる機能は本来は肉体に備わったもので、魂は付随した寿命の渦コスモスから少しずつ消費命パーを消費し続けることで『記憶の維持』という魔法を発動し続けているようなものなのだと。そして新しい生とは、残り全ての寿命を使い切ることで発動する魔法ではないのだろうかと。ある意味、私は死が楽しみなのだ。それは体験できねば知ることが出来ぬゆえにな。だが残念ながら、その瞬間に私の魂は記憶を失う。実に残念だ」

 カエルレウム様は眉間にシワを寄せられた。
 死そのものよりも得た知識がそのまま失われることの方が惜しいだなんて、俺はそんな魔術師の思考領域へ到達できるのだろうか。

「知識は次の生に持ち越せない。だからこそ人は知識を他者に伝えるのだ。書物で、口伝で。私が君たちに知識を遺すのは、私の生を世界に刻み込むためでもあるのだ。だからリテル、君が魔法を学びたいと言ったその姿勢は、私を喜ばせている。さあ! 次は『発火』をもう一度だ!」

「はい!」

 カエルレウム様の笑顔は尊い。としてるが魔法を学ぶことは、俺が魔術特異症となった原因やその対処法に近づくため。ひいてはそれがリテルへ体を返すことへとつながるはずなんだ。
 だから今は魔法に集中して、頑張ろう。

「今度は、要求に対して消費命パーを渡さずに留めてみろ。使ったことがある魔法については魔法代償プレチウムの要求が出現した瞬間に魔法を中断し、実際には発動をさせなかったとしても、練習になる。この訓練をしておけば発動に補助を必要としなくなるし、『魔力感知』の操作能力も向上するし、新しい魔法を作る時に予想以上の魔法代償プレチウムを要求されても踏みとどまることができるようになる」

 それ絶対に磨いておきたい技術。訓練大事だな。
 それはそうと発動の補助って何だろう?

「発動の補助というのは……」

「リテルは『発火』と発声しているだろう。特定の発声なり動作なりを伴うと精神を集中しやすいというのは、統計的に確かだとされている。だがあくまでも最初のうちだけだ。声や身振りがないと発動できないままでは選択肢から奇襲が消える」

 なるほど。呪文詠唱というのは補助なのか。熟練すれば無詠唱発動。それに新しい魔法を作るとか。ああ気持ちがアガる。
 カエルレウム様が俺の手に治ったばかりの手を重ねてくださる。今度こそは怪我をさせない――意識を集中して。

「『発火』!」

 発生した魔法代償プレチウムの要求に、抗って消費命パーを――思ったより引っ張る力が強い! ヤバい!
 すると俺に触れているカエルレウム様の手に、消費命パーの集中を感じた。その消費命パーが、消費されるというより、俺の中に入ってきたというか、なんか不思議な感覚――そしてそれが理解できる。『魔法打消』という魔法だと。さっきは慌てていてちゃんと理解できていなかったが、暴発しかけた『発火』を途中で散らしたのも、今のと同じ『魔法打消』だった。

「また発動しそうだったから、『魔法打消』で発動を阻害させてもらった」

「言われた通りに出来ず、すみません」

 補助の詠唱まで伴ったというのに。ところがカエルレウム様は吹き出した。笑顔だ。

「リテル、なぜ謝る。できないから練習しているのだろう? ルブルムよりはずっと上達が早いぞ?」

 褒められるのに慣れてなくて恥ずかしい。それにそんな言われ方したら、魔法については先輩のルブルムさんに、嫌な顔されるんじゃないだろうか……と、チラ見する。ルブルムさんと目が合う。
 反応は思ってたんと違ってた。
 心なしかルブルムさんの目もキラキラしているように感じる。少なくとも敵意や軽蔑の類いはなさげで胸をなでおろす。
 そんな俺の手を、カエルレウム様がぎゅっと握りしめて上下に振っている。満面の笑顔で。美人の笑顔がとても眩しい。

「すごいぞリテル! 空気を一つのものとしてとらえるのではなく、複数の集合体としてとらえ、それぞれの空気と空気の塊同士を摩擦させて熱を発生させる思考か。木と木を擦り合わせて発火させる道具は見たことがあるが、その思考を空気に応用するとは……しかも空気中の燃焼要素のみを対象としたな? そんな発想は、文献に残る進歩の魔術師マヨラナ以来だぞ!」

 ああこれが地球の知識マウントってやつか。実際には俺がすごいわけじゃないし、褒められることに対して申し訳なさを感じるが、カエルレウム様が喜んでくれるのは素直に嬉しいな。
 あと過去に文献残したって人も転生者だったのかな。マヨラナって外国の人っぽい名前だな。その人は、地球に戻れたのかな。それにこの世界ホルトゥスには、転生者の記録って残っているのかな。帰れる方法、いや、少なくとも俺の魂が消滅せずにリテルの体から出てゆく方法ってあるのかな。

「あの、」

 転生について聞こうとした呼びかけは、大きな音に遮られた。
 吠え声? というよりは、時代劇の法螺貝に似た音?

「すまない。魔物が現れた。急行する。ルブルム用意しろ。リテルは……」

「俺にできることがあるなら手伝います」

 森の恵みをもらう者は、森を守る義務がある――マクミラ師匠の言葉だ。

「はい! リテルさまが行くなら僕も行くです!」

 今までずっと大人しく座っていたゴブリンが元気よく片腕を挙げ、肘から先がないのを確認すると反対の方の腕を挙げなおした。
 それを見たカエルレウム様は、奥の扉を開けると上の方を見ながら大声を出した。

「アルブム! 鹿の王だ!」

 アルブムさん? もう一人居るのかな? ルブルムさんと似ている名前の印象。
 直後、あの法螺貝みたいなのがもう一度響いた。さっきとは若干音色が違う気がする。この塔の上の方で吹いたのかな?
 そして、勢いよく足音が降りてきた――その足音の主は一階まで降りてきたのだろう。扉の隙間から、顔が見えた。
 可愛らしい兎耳の少女。もしゃもしゃの白い髪はくせっ毛で、瞳は銀色。見た感じリテルより二、三歳下だろうか。
 カエルレウム様とルブルムさんは猿種マンッだが、この少女、アルブムさんは鼠種ラタトスクッの兎亜種だ。

 目が合った瞬間、アルブムさんは奥の部屋に見えるテーブルの影へさっと隠れた。テーブルの上から兎耳だけがちょこんとはみ出している。
 カエルレウム様はその部屋へと入り、階段横の大きなクローゼットの扉を開く。

「アルブム。出かけてくる。戸締まりを頼む」

「ぁぃ」

 耳がくるんと回り、小さな声がなんとか聞こえた。その横で、カエルレウム様はおもむろに服を脱ぎ始めた。
 俺は慌てて目を逸らし、そしてゴブリンと目が合った。
 ゴブリンは満面の笑みでピョンピョン跳ね始める。この姿、なんだか散歩前のハッタみたいだな。

 ハッタは、英志ひでし――弟が拾ってきたコーギー。
 でも英志は習い事で忙しくてほとんど世話が出来ず、結果的に散歩も餌やりも全部俺がやってあげてたってのに、それなのに英志のやつ、あの頃くらいからだよな、姉さんみたいに嫌味を言うようになったのって。
 あの家で、俺にとって家族って呼べた存在は、ハッタだけだったのかもなぁ。

「リテル、鹿の王は金属を嫌う。斧は置いていってくれ」

 ルブルムさんは粗削りな木製の短槍を四本、小脇に抱えている。
 俺は言われた通り手斧を鞘から出して壁に立てかけ、使い慣れた短剣も丸テーブルの上へと置いた。目の端でゴブリンの様子をうかがっていたが、武器へ手を出そうという気配はない。
 念のため、ゴブリンの一つだけ自由になっている手をつかむ。するとゴブリンはこれまたいっそう嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねた。

「待たせたな」

 部屋に戻ってきたカエルレウム様は着替えていた。
 髪の色と同じ鮮やかなフード付きマント、上着に長靴下、ブーツやベルトまで全て青く染められている。さっきのユルい格好と違って、ピシッとしてカッコいい。魔女様としての威厳を感じる。
 カエルレウム様が外へ出ると、ルブルムさんが俺の方を見て「外へ」と小さな声で言う。ゴブリンの手をつかんだまま俺も外へ出ると、そこに居た大きな影に思わず「うわ」と声を出してしまった。

 一頭の大きな鹿がそこに居た、いや、いらっしゃった。
 鹿の王という名前に相応しい存在感が、オレンジ色が混ざり始めた空に向かって立派な角を伸ばしている。手を合わせて拝みたくなるような圧倒的な荘厳さ。身動きすることもできず呆然と見とれている俺の前で、鹿の王……様は静かにしゃがまれた。
 鞍も何もついていない美しいその背中に、カエルレウム様は無造作にまたがられた。

「ゴブリンは私の前に。リテルは後ろからしがみつくのだ」

 ゴブリンはすぐにぴょんと飛び跳ね、カエルレウム様の前にちょこんと座る。
 俺はと言えば、鹿の王様の存在感に怖気づき、カエルレウム様の背中にしがみつくことにも何か妙な罪悪感を覚えて、足が前に出ていかない。

「魔物を追う。早く乗れ」

 そうだった。カエルレウム様にも、森にも、迷惑をかけるわけにはいかない。
 俺よ、紳士たれ――マクミラ師匠よりいただいたお言葉を胸に、俺は、カエルレウム様の後ろへとまたがった。





● 主な登場者

有主ありす利照としてる/リテル
 猿種マンッ、十五歳。リテルの体と記憶、利照としてるの自意識と記憶とを持つ。
 リテルの想いをケティに伝えた後、盛り上がっている途中で呪詛に感染。寄らずの森の魔女様から魔法を習い始めた。

・ケティ
 リテルの幼馴染の女子。猿種マンッ、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
 リテルとは両想い。熱を出したリテルを一晩中看病してくれていた。

・ラビツ
 久々に南の山を越えてストウ村を訪れた傭兵四人組の一人。ケティの唇を奪った。

・ゴブリン
 魔女様の家に向かう途中、リテルが思わず助けてしまった片腕のゴブリン。
 ゴブリン魔法『取り替え子』の被害者のようで、魂は犬種アヌビスッ。どことなく行動が犬っぽい。

・ルブルム
 魔女様の弟子と思われる赤髪の少女。整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種マンッ
 リテルとマクミラ師匠が二人がかりで持ってきた重たい荷物を軽々と持ち上げた。

・カエルレウム
 寄らずの森の魔女様。深い青のストレートロングの髪が膝くらいまである猿種マンッ
 魔法の使い方を教えてほしいと請うたリテルへ魔法について解説し始めた。ゴブリンに呪詛を与えた張本人。

・アルブム
 魔女様の弟子と思われる白髪に銀の瞳の少女。鼠種ラタトスクッの兎亜種。
 外見はリテルよりも二、三歳若い。

・鹿の王
 手を合わせて拝みたくなるような圧倒的な荘厳さ、立派な角、存在感の大きな鹿。

英志ひでし
 有主利照の実の弟。音楽の才能もある。ハッタを拾ってきたあたりから当たりが強くなった。

・ハッタ
 英志に拾われたコーギー。利照が面倒をみていた。



■ はみ出しコラム【魔術特異症】
 魂と肉体の不自然な結びつきの存在のうち、生者について「魔術特異症」という表現を使用する。
 『取り替え子』の対象(被害)者、利照/リテルのような者の他、体が弱く一日の半分以上は寝てしまう『眠り病』の患者についても、魔術特異症だという報告が上がっている。
 呪詛のように魔法を複雑に組み合わせた魔術効果の対象としたとき、その呪詛を変異させてしまうことについても度々報告されている。もちろん、初めから魔術特異症を考慮に入れた呪詛を作成した場合は変異などしないのだが、実際に呪詛を作成するときに魔術特異症のようなレアケースに対するエラーロジックが呪詛に組み込まれることがないのは、コスト的なことも含めて魔術師あるあるである。
 魔法により本来の肉体と魂の組み合わせ以外の結びつきは全て「魔術特異症」とされるので、「ゾンビー」と「ゴーレム」も含めて「魔術特異症」という表現を使うものは少なくない。

・ゾンビー
 肉体を失った魂のうち、寿命がまだ残存する者が、本来の肉体ではないものを仮の肉体として使用しているものを「ゾンビー」と呼ぶことを、かつてとある魔術師が提唱し、一般化した。
 仮の肉体は、有機物である必要はなく、魂が生命体のものでありさえすれば、「ゾンビー」という表現が使用される。
 ちなみに、肉体と結びついていない魂(とそれに付随した寿命の渦コスモスのワンセット)は「アニマ」と呼ばれる。

・ゴーレム
 魂の代わりに魔法を宿らせた肉体のものを「ゴーレム」と呼ぶことを、かつてとある魔術師が提唱し、一般化した。
 魔法を宿らせた肉体が有機物であろう無機物であろうとも、「ゴーレム」という表現が使用される。

・ワードナ
 「ゾンビー」「ゴーレム」という呼称を提唱した魔術師。
 ワードナもマヨラナも、転生者としての記録はないが、魔術特異症だったという記述は遺されている。
 そのため、魔術特異症は寿命の渦コスモスにかかる一種の病気で、それを克服した者は、独特で革新的な思考に到達できるという、考察をする者も少なくない。

・イミタティオ
 「ゾンビー」や「ゴーレム」といった呼称を受け入れている魔術師の中でも、「魔術特異症」という表現内に含むことに反対している者は少なくはない。
 彼らの主張としては、魂と身命とを有する生ある存在と、身命を失ったり元々持っていなかった存在とは、区別すべきというものだ。そんな彼らは「ゾンビー」と「ゴーレム」について、「魔術特異症」という表現内には含まず「イミタティオ」というカテゴリで呼ぶ。

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