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#4 寄らずの森

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「リテル、ごめんね。私のせいで」

 ケティが悪いわけじゃないのは理解している。
 ケティは巻き込まれただけで、俺が巻き込まれたのはケティを抱きしめた俺の、いやとしてるとリテルのせいだ。
 わかっているのに、それを言葉にしようとすると口が重くなる。俺の方こその申し訳なさで――としてるがリテルじゃないということへの。
 結果的に、俺はケティの声をまるで無視したかのように、矢筒の矢を確認する。この矢もマクミラ師匠の指導の下で弓同様にリテルが作ったもの。作り置きの矢の束からできの良いのを八本ほど選び、矢筒へと補充する。
 矢筒を背中へと背負うとき、手斧の出し入れの邪魔にならないよう位置を調整して――ここまでずっと無言。コミュ障かよ、俺。
 ケティの切なそうな瞳を見つめ、何か答えろよと自分に檄を飛ばす。

「……ケティが、悪いわけじゃない」

 なんとか声を、答えを、絞り出す。
 次は弓をと手を伸ばした先に、弓がない。

「私も一緒に行く」

 ケティがいつの間にか弓を持っていた。というより、まるでショルダーバッグのように弓を斜め掛けしていた。
 弓の握り部分を後ろ手に持っているせいで反り気味になったケティの胸元に、ピンと張った弦がしっかりと食い込んで、ただでさえ大きさを感じるケティの胸の谷間がやけに強調される。

 今朝、俺はこの胸に触れたんだよな。
 思い出しただけで完全に前かがみ案件なあの記憶は、いまでもしっかり思い出せる――のに、申し訳無さのせいか股間の冷静なことったら。

 俺は首を左右に振りながら、弓をつかんでケティの体から外す。
 村の外は危険だ。特に森は。背の高さがようやくケティに並んだ程度の今の俺にはまだ、ケティを守りながら森を歩ける自信はない。

「いってくるね、ケ」

 ケティの唇が俺の唇を塞ぐ。
 心持ち長めのキスの後、俺は家を出て監理官さんの家へと向かった。



 ドアノッカーを勢いよく鳴らす。この村で扉にドアノッカーがついているのは村長さんの家と監理官さんの家の二つだけ。
 そういえばこのドアノッカーはケティが鍛冶を手伝ったんだって自慢してたっけ。

「リテルか?」

 ドアを開けて領監さんであるザンダさんが出てきた。
 国中を回る王監さんと異なり、領内しか回らない領監さんは何年かすると再赴任してくることが少なくない。
 リテルが小さな頃を知っているザンダさんは、ストウ村への赴任は三回目。リテルからしたら領主配下の役人というよりも、親戚のおじさんに近い印象を持っている。柔和な笑顔の人だ。
 ちなみに王監さんであるアレッグさんはストウ村へは初めてで、先週から隣のゴド村の方に一時滞在している。

「この羊皮紙に報告を書いたから、寄らずの森の魔女様へ必ずお渡しするのだよ」

「はい!」

「魔女様が早く治してくださると良いな。リテルもせっかくケティと良い仲になったのに、元気がないままだと子作りもままならないだろう」

「はい?」

「呪詛の効果……少なくともその一つが先程判明したんだ。あのハグリーズが、まるで使い物にならないと言っていた。念のため呪詛にかかっていると思われる人たち何人かに聞いたが、皆同じ症状だったから間違いないだろう」

 粉挽き職人のハグリーズさんは、村一番の絶倫と口の悪さとで知られている。
 ああそうか。あの頭痛の直後、俺のが突然萎えてしまったのは呪詛のせいだったのか。だとしたら、呪詛には感謝しないといけないかな。そのおかげで踏みとどまれたのだから。
 リテルとケティの大切な初めてをこれ以上、としてるが勝手にもらうわけにはいかないもんな。



 村を囲う塀には出入り口が一つだけ。その傍らには見張り櫓が建っている。
 俺がその出入り口へ辿り着く前に、見張り櫓の上からテニール兄貴が手を振った。

「気をつけてけよ! お前に何かあったらケティが悲しむぞ!」

 この情報の早さったら……でも、元の世界で父方のじーちゃんばーちゃんが住んでいる田舎とはちょっと似ているかも。バスを降りてじーちゃん家に着くまでに、じーちゃんたちは俺の到着を誰かしらから聞いて知っているんだもんな。

 ふと響いたトンビのような鳴き声につられて空を見上げる。
 晴れた青空には太陽が眩しい。見張り櫓の影からすると、もう昼も近い。急がないと明るいうちには帰ってこれないかもしれない。
 魔女様への手紙をしまい込んだ革袋がちゃんと革ベルトに縛りつけてあることをもう一度確認して、俺は勢いよく歩き始める。

 風が頬を撫で、緑の匂いが急に濃くなる。
 塀の外には柵で覆われた畑がいくつもあり、その向こうは少し開けた草原を抜けてすぐに森が始まる。
 「寄らずの森」という名前はダテじゃなく、村の人たちはほとんど森へは近寄らない。森には危険な獣ばかりか魔物も出るから。
 ただ魔物は魔女様がどうにかしているっぽくて、村人に被害が出た記憶はない。というか、それだけの力を持つ魔女様だからこそ魔物よりも恐れられている。
 ストウ村が領都フォーリーに近いにも関わらず訪れる者も少なく辺境と言われているのは、百年以上も寄らずの森に住む魔女様を恐れる人が多いからとも聞く。

 どこまで続いているかもかわからない広大な寄らずの森の端っこで、俺は利き手――右手の手のひらを心臓の上に重ね、静かに深呼吸する。
 森の中では紳士たれと事あるごと指導してくださるマクミラ師匠に教わった儀式。

「森の全てに敬意を払い、森の全てを必要以上に傷つけず、森を出るまで周囲への気遣いを決して忘れてはならない」

 紳士たる覚悟を口に出して儀式は終わる。
 心臓に重ねていた手のひらを、ふと見つめる。手斧を使い慣れ、弓の腕もそれなりの手は皮が厚く力強さを感じる。シャーペンやスマホやゲームのコントローラーくらいしか持たない利照の貧相な手とは違う、この世界で十五年いや十七年間しっかりと生き延びてきたリテルの手。
 そのリテルの体を奪ったみたいに使っているとしてる――今の俺という存在は、いったい何なのだろう――わからないながらも紳士であろうとし続ければ、間違いはおこなさいで済むような気もしている。
 自分が何者であるのか定められないままの俺にとって、例えそれが単なる教訓の類いであったとしても、何かであれと役割を与えられるのは救いだ。
 そうだな。俺は紳士でいよう。
 いつかリテルの自意識がこの体に戻ってきたとき悲しませないように、誇り高き紳士であり続けよう。



 森の中を歩くのはリテルの記憶に頼りっぱなしだ。
 最初のうちは木の根につまずきもしたが、記憶だけじゃなく体も歩き方を覚えていて、リテルの体で動くことに次第に慣れてきた。
 陽が落ちていなくとも森の中は薄暗い。あんまりのんびり歩いていたら帰り道は真っ暗になってしまう。少しペースを上げて森の奥へと進む。
 マクミラ師匠に教えていただいた「魔女様の家までの道」を辿りながら。

 道とはいっても舗装されていたりはせず、点々と目印があるだけ。
 目印というのは人が腰掛けられるくらいの大きなキノコ。マクミラ師匠いわく、この大キノコは魔物除けも兼ねているらしい。なので森の中で休憩するときはこの大キノコの傍らにせよと。

 大キノコへ近づくと、だいぶ先にまた別の大キノコが見える。それをずっと繰り返す。
 しかしいつ来ても枯れずに残っているな、この大キノコ。
 何度もこの道を行き来しているのは、マクミラ師匠が運搬役を引き受けているから。テイラさんが領都フォーリーから時折、魔女様のための日用品やら食料やら贈答品やらを預かってくる。量が多いときはリテルも荷物持ちを手伝う。
 そして荷物を――ああ、あった。あれだ。
 「魔女の家」という立て看板と、その横に平べったい大キノコ。普段はここに荷物を置いて帰るから、この先へはリテルも行ったことがない。

 ふいに赤髪の少女の記憶が浮かぶ。
 リテルの記憶では、たまにここで待っている魔女様のお使いの人。
 整った顔立ち。耳の形は猿種マンッっぽい。クールビューティーって感じ。この少女を初めて見たとき、綺麗な顔だなと見とれ、無表情で見つめ返され、不機嫌にさせてしまったと反省した記憶がリテルの中にあった。
 しかもその少女は、リテルとマクミラ師匠が二人がかりで持ってきた重たい荷物を、華奢な体ながら軽々と持ち上げて去っていった。その方角を見つめると、大キノコを見つける。
 あっちだな。

 そのとき、肩にかけていた弓を、左手が自然に外して握りしめた。リテルの体が、何かを感じた……というのがとしてるにも伝わった。
 さっきまで周囲にあふれていた小鳥の声が遠ざかっている気がする。
 魔女様への手紙を確認し、手斧の鞘の留具は外しておく。矢を一本取り出して弓に軽くつがえる。

 音の減った森の中で、一つだけこちらに近づいてくる音。
 こちらに向かって真っ直ぐ、ゆっくりと――歩いているというよりは、這いずっているような音。こんな音を出す這いずる動物――蛇かトカゲ。それもかなり大きな?

 音に対して体を斜めに、だがいつでも射れる角度を保つ。もしもあの音が囮だったなら、逆方向から襲ってくる可能性もあるから。
 としてる自身には、本来そんな対応能力はない。だがこのリテルの体は、学んだことや訓練したことをしっかりと覚えていて、としてるがリテルの記憶へ意識を集中しなくとも、自然な流れで行動へと移してくれる。
 こうやってリテルの体を動かし続けていたら、リテルの自意識も自然な流れで目覚めてくれないかな……。

 音はさらに近づいてくる。矢を持つ手から余計な力を抜く。
 ――もうすぐ――来た!
 茂みが割れ、そこから何かが飛び出……しはしない。
 ゆっくりと、何かを探すように、少しずつ姿を表したそれは、手だった。それも人の。

 戸惑ったのはほんの少しだけ。
 俺は矢を矢筒へ戻し、弓を肩にかけ直すと、茂みから飛び出たその手の近くへダッシュする。
 もしも森へ迷い込んで何かに襲われた村の人だったら……茂みへ踏み込み、手の持ち主を引っ張り出す。

「うわ」

 その人の背中には大きな切り傷があった。しかも左手が肘の先からない。
 背中の傷はかさぶたができて、それがまた破れてという状態だし、左手も傷口が妙に盛り上がっているから、今さっき失ったわけではないだろうが――ハッととしてるは気付く。目の前のそいつが人じゃないということに。





● 主な登場者

有主ありす利照としてる/リテル
 猿種マンッ、十五歳。リテルの体と記憶、利照としてるの自意識と記憶とを持つ。
 リテルの想いをケティに伝えた後、盛り上がっている途中で呪詛に感染。寄らずの森の魔女様への報告役に志願した。

・ケティ
 リテルの幼馴染の女子。猿種マンッ、十六歳。黒い瞳に黒髪、肌は日焼けで薄い褐色の美人。胸も大きい。
 リテルとは両想い。熱を出したリテルを一晩中看病してくれていた。

・ザンダさん
 領主直属監理官。ストウ村への赴任は三回目で、幼い頃のリテルも知っている。
 爬虫種セベクッの男性。魔法や呪詛についての知識がある。

・ハグリーズさん
 村一番の絶倫と口の悪さを誇る粉挽き職人。犬種アヌビスッの男性。
 今回の呪詛のもたらす効果の一つが不能であることに気付くきっかけとなった。

・テニール兄貴
 ストウ村の門番。犬種アヌビスッの男性。傭兵経験があり、リテルにとって素手や武器での近接戦闘を教えてくれる兄貴分。

・マクミラ師匠。
 ストウ村の住人。リテルにとって狩人の師匠。猿種マンッの男性。

・寄らずの森の魔女様
 通常、魔物が出たら寄らずの森の魔女様に報告しに行く決まりだった。

・赤髪の少女
 整った顔立ちのクールビューティー。華奢な猿種マンッ。魔女様のお使いの人。
 リテルとマクミラ師匠が二人がかりで持ってきた重たい荷物を軽々と持ち上げた。

・謎の手の人
 背中に大きな切り傷があり、左手の肘から先もない。リテルの記憶によれば、人ではなさげ。



■ はみ出しコラム【狩り】
 人が住んでいない領域については、基本的に領主の持ち物であり、そこで狩りをするということは、領主の財産をいただくということに他ならない。
 そのため、狩りや漁に出かける前と、取れた獲物については監理官への報告が義務付けられている。
 狩猟や漁自体に対して免許は不要だが、出かけた日数や、取れた獲物の量に対して税金が発生する。領民が自分たちで消費するための狩猟については、ある程度までは税金がかからない。報告を怠った場合は、罰せられる。
 また、領主の意向により「禁猟/禁漁期間」が時折設けられる。
 領民が取った獲物の一定量を食料や加工品の材料とすること自体にも税金はかからないが、市場で販売する場合に納める出店料には税金が含まれている。

・特定申請動物
 鹿を含む一部の動物を狩る場合は事前申請が必要であり、許可が降りないと勝手に狩ってはならない。
 事故等により死亡したと思われる特定申請動物を発見した場合、速やかに監理官へと連絡すること。
 この動物の指定は領主により異なり、領主の大好物だからとか、領主の獣種のご先祖だからとか、理由は様々である。

・危険な動物、魔物
 熊など人に危害を与える動物や魔物については、自衛のため、事前申請なしでの狩りが認められている。ただし監理官への報告は必須。

・代理狩猟
 監理官より領主の求める獲物を告げられた者が、目的の獲物を狩った場合には、税金がかからない。告知より確保までの期間や、取れた獲物の質によっては報奨金も与えられる。

・旅人の狩り
 自衛のため、または飢えをしのぐために領外民が領内で狩りをした場合、最寄りの領民(を通して監理官)、または魔術師への報告が義務付けられている。基本的には事前申告が必要で、依頼された場合を除き狩り自体に対して税金がかかる。

・魔術師が監理する森
 領主の持ち物である土地においては領主の責任にて、そこに発生する凶悪な動物や魔物から領民を守る義務が発生する。
 魔物が出現しやすい場所については、領兵や国兵が滞在する砦や、魔術師が滞在する拠点が設置される。
 魔術師は、領主から任命される場合と、領主を束ねる国王から任命される場合とがある。魔術師の地位的には監理官より上。
 魔術師が滞在する拠点の周囲については、魔術師のある程度の管理が認められているのが通例で、魔術師がその管轄内で狩りをすることに関しては原則、税金がかからない。
 また拠点周辺から離れることのない魔術師のために物理的な荷物の運搬等を請け負う代わりに、一定量の狩猟を許容される契約が地域住民と結ばれることもある。
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