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【ほのぼの怪談】幽霊からのナンパ
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「あたし、幽霊にナンパされたことあるんだから」
ミヒロが自慢げにそう言ったのは、良く晴れた冬休みの昼過ぎのことだった。確かクリスマスよりも前だったはず。というのも、クリスマスをぼっちで過ごす予定のタニグチと、タニグチが密かに想いを寄せているマキとの仲を取り持ってあげようという目的が、その飲み会にはそもそもあった……はずだったからだ。
そんな学生時代の懐かしい思い出が頭に蘇ったのは、タニグチから一通の手紙が届いたから。
手紙。紙の手紙。封書なんて今時、企業とか公共機関からしか届かないよな。
とにかくタニグチがわざわざ寄越した手紙に対し、俺はそれなりの敬意を払おうと、破かずにハサミを探しつつタニグチとの記憶の数々を頭に……ダメだ。ミヒロの幽霊ナンパ事件の記憶が、他の記憶を駆逐する。
俺は諦め、その記憶を始めから思い出すことにした。
当時、俺は大学生。
徹夜麻雀の面子を集めるために手料理をふるまうということを繰り返していたため「料理上手」というイメージが定着しており、人が集まるとなぜか俺が料理番長だった。
あの日も結局一人で鍋の準備をしていたのはタニグチの1DKの狭い台所。
チラリと後ろを振り向くと、いつもは麻雀マットが敷かれっぱなしのコタツの上を片付けているタニグチと、BGM選びに余念がないマキ、そしてその二人に対しノーフォローでマンガを読みふけっているミヒロが見えた。
三人に会話はない。鍋の下ごしらえはもうちょっとかかる。この企画を立てた張本人であるミヒロをもう一度見る……が、読みふけっている。
俺の視線には気付かない。
まあ、そのマンガは面白いのは認める。そもそもそれをタニグチに貸したのは俺だったし、さっき「その作者ってさ、うちの大学の教授の息子なんだぜ」なんて興味を引くようなことを言ってしまったのも俺だからだ。でも。でもですよ。もうちょっと二人のケアをですね……仕方ない。これはもうダイレクトにうながすしかないか。
「何もしないでいる人がいますねぇ」
返事はない。君らはただの屍かっ!
「おーい……マンガ読んでる方?」
まったく返事はない。バカミヒロはともかく、他の二人までってのは……ああ。マキはがっつりごっついヘッドホンをつけている。というか両手でヘッドホンを耳に押さえつけたまま激しくヘッドバンキング。曲選んでいるんじゃないね、それ。聴き込んじゃってるね。ゴシック・ロック好きのマキはああなったら曲が終わるまでは火事が起きようとも戻ってこない。
それを見つめているタニグチの手は止まっている。口をだらしなく開けて……頼むからヨダレとかこぼすなよ。まあ、こいつらはいいんだ。ある意味二人の世界。問題は……。
俺は静かに近寄り、カセットコンロ用のボンベをミヒロの首の後ろにあてた。玄関近くに置いておいたからかなり冷えてるやつを。
「ひゃいっ?」
ミヒロは慌ててマンガを置き、俺の顔をバッと見た。驚いたときの猫の顔に似ている。ヒゲ描いてやろうか。
「ミヒロさん、自分のお仕事忘れてやしませんか?」
「え、だって台所狭いじゃーん」
そっちじゃない。いや、そっち手伝ってくれても嬉しいけれど……君は一応、今日の企画の発案者でしょうに。この気のきかなさはむしろ呆れるを通り越して清々しくもある。
「どうしたのさ?」
マキがヘッドホンを外して、ようやくこっちを見る。
「あのさ、せっかく集まったんだからもうちょっとさ……一人の世界に入るのは一人で居るときでいいだろ?」
そこでやめればいいのに、俺も若かった。
「そんなだから恋人居ない暦イコール年齢なんですよ」
ミヒロの口癖。何かにつけ自虐的に笑いを取るために口にするこれを……ミヒロに向かって言ったつもりだった。
ただね、飲み会の趣旨を考えれば場の雰囲気を悪くするようなことは言わない方がいいに決まっている。実は恋人居ない歴イコール年齢なのは、タニグチもマキも同じだったから。
まずマキが鼻をふんと鳴らす。
「オレは彼氏が出来ないんじゃなく条件に合う男が居ないだけだから」
マキはロングの髪の毛をガサっとかきあげる。
「オレより細くてオレより長髪でオレよりギター上手な男ならいつでも付き合うって言ってんじゃん」
そう言いながら笑顔を見せるマキは男前の美人だ。タニグチが髪を伸ばしているのも、こっそりギターの練習しているのも全てはマキのため。タニグチは嬉しそうに激しく頷いている。俺も慌てて頷く。この場はこれで流して……と思ったらここでミヒロ先生、まさかの乱入。
「あー、でも、あたしだって彼氏居ないだけでモテないわけじゃないもん」
これは場を和ませるためのフォロー……じゃなさそうだ。だって頬を膨らませている。ミヒロさん、確か成人していましたよね? 心の中でツッコミを入れる俺の耳に飛び込んできたのが冒頭のあのセリフだった。
「あたし、幽霊にナンパされたことあるんだから」
ごめんタニグチ。お前の恋路よりミヒロのそっちの話の方が聞きたい……そう思ってしまった俺を責めないでほしい。俺はミヒロに続きを要求し、語ってくれた話が以下である。
ミヒロは当時とあるファミレスでバイトしていた。
その夜は遅くから雨が降りだすという予報が出ていたことをミヒロはバイト先で知る。
人の話を聞かない派のミヒロは当然、天気予報は見ない主義。「ほら、予想していないことに出遭うってワクワクしない?」とか言い訳する派。
そんなミヒロは傘など持ってきておらず、早上がりを目論んでいた。
バイト終了は21時の予定だったが、空いていれば早上がりも可能らしく、そわそわしていたそうだ。
天気の悪さと客の入りは比例するとかで、けっこう暇だしこれは早上がりいけるなと時計を何度もチラ見していたミヒロの視界に、ひとりの客が入った。
「あれ? 誰がクローズに通したの?」
そのファミレスでは客が少ない時は店内の一部を閉鎖し、動線の効率化を図っていた。その閉鎖した場所をクローズと呼ぶ。
電気を消したりはしないものの、手前に「清掃中」の札を立てているので、間違えて入る客は滅多にないという。
だが、その客は、クローズエリアの奥のソファー席にいつの間にか座っていた。
テーブルの上に水もおしぼりも出ていなかったし、もしかしたら来店時に店員の反応が鈍かったため勝手に空いている席に座ってしまったのかもしれないと考えたミヒロは、水やらメニューやらを用意し、特に気にせずにその客のもとへと向かった。席を移ってくださいなどと頼むと、モタモタ移動とかで余計に時間かかって、早上がりに支障をきたすと考えたと言っていた。
「申し訳ありません、お客様」
紺色のワイシャツをジーンズにインしてる少し小太りの男。見た目は30代こえているくらい。外国の野球チームのロゴみたいなのが入ったキャップを目深にかぶってうつむいていたそうだ。声をかけても反応がなかったのは店員の態度が悪くて怒っているからかもしれない、と考えたミヒロは声に感情をこめてもう一度声をかけた。
「お客様、申し訳ありませんでした!」
すると男は相変わらずうつむいたままボソボソと何かをつぶやいた。ようやくしゃべったと思ったら、肝心のその声が聞き取れない。しかしミヒロは自称「プロフェッショナル」なので、あくまでも丁寧に対応したそうだ。
お客様の横の通路にすっとしゃがみ、低姿勢から「メニューはこちらになります」と。
怒っている客にはなるべく低い姿勢から攻めるというルールがあるにはあるとのこと。そして相手の目を見て誠心誠意対応をするというルールも……ミヒロは実際、その通りにやった。すると角度的にその客の、帽子のつばに隠れた顔が見えたそうだ。
顔がずいぶん黒いな、って思った……のは最初の数秒間だけ。
その男がゆっくりとミヒロの方へ顔を向けたとき、見てはいけないものを見てしまったと直感した。「背筋もガッチガチに凍った」らしい。
「白目がなかったの。黒目がちとかそういうレベルじゃなくて。あれチョー気持ち悪いよ」
そう言うミヒロの顔からは笑顔が消え、頬のあたりが強ばっている。その横では、いつもクールなマキですら、自分の肩を抱いている。おいタニグチ、マキに寄り添うのはいまだっ……って、お前が一番震えていてどーすんだよ。
「でもミヒロさ、今こうして無事だったってことは、うまく逃げられたんだよな?」
男前女子なマキの言葉に、ミヒロはうんうんとうなずきながら話を再開する。
「みつけてくれたんだね……そいつはそう言ったように聞こえたの」
ミヒロの声は震えている。その震えを止めようとしているのか両手をがっちり握り込んで……独り恋人握りってやつ。
ミヒロは「見つけてない」と答えようとしたが声が出ず、後ろへ下がろうとした。でも、足が震えて動かなかったという。男は座っている位置を、ソファー席の中央から手前の方へ少しずつ移動しはじめた。
スッ、トスン。
スッ、トスン。
スッ、トスン。
何センチかずつこちらに移動してくるその動きが、ミヒロにとっては死へのカウントダウンのように響いたという。
ミヒロ曰く「おなら出そうになるくらい力を入れて」必死に体を動かそうとしたが、なおも全く動かない。金縛りだったのかもしれない、とも。そしてソファーの端、ミヒロのすぐ近くまで来た男は、またつぶやいた。
「ねぇ、一緒に……」
「あんたは客なんかじゃない。出ていきなさい!」
ミヒロの背後からその力強い声が聞こえ、男の声は掻き消えた。ミヒロは思わず振り返った。振り返った後で、自分の体が動くことに気付いたという。だが、そこには誰も居なかった。聞き覚えのある声だったのに。
「そこであたしはそのままクローズの入り口まで走ったの。でも、走っている途中で思い出したんだ。誰の声なのか」
ここでようやくタニグチが声をしぼり出す。
「……だれ、なの?」
「去年亡くなったバイト仲間のおばちゃん。あたしのこと、娘みたいに可愛がってくれてたんだ」
クローズの入り口まで来てようやくさっき客が居たあたりに向き直ることが出来たミヒロは、あの客も消えていることに気付いたという。ただ、テーブルの上に、ミヒロが置いた水とおしぼりとメニューだけが、ぽつんと置かれていたという。
「それ、ナンパか?」
マキが皆の思いを代弁する。
「美人薄命って言うでしょ。あれ、チョー薄命だったんだから」
ツッコミどころはいろいろあったが、その後の鍋はミョーに温かった。
その日は暗くなる前に解散したっけ。
年が明け、ミヒロがバイト先を辞めたというのをタニグチから聞かされる。仲の良かったおばちゃんが味方で居てくれたとしても、やはり怖くて続けられなかったのだという。タニグチがマキ以外の話をするなんて珍しいと思った俺は、ちょっとカマをかけてみた。
「もしかして相談しているうちに親身になってくれるミヒロの方を……ってパターン?」
タニグチは悪い奴じゃないのですぐ顔に出る。問い詰めるとやはり、いいところまで行きかけたのだという。大晦日の夜、ミヒロはタニグチの家に来たらしい。初詣をマキと三人で行く予定で、ミヒロが来たのは作戦会議という名目で、マキだけ翌朝集合だったとか。ふーんいつの間に……というか俺は声すらかけてもらってねぇ……まあ、いいか。
「で、オトコになったのか?」
ここはあえて下品な聞き方をする。
「……それが、まあ、いい雰囲気になったんですけれど……」
けれど?
タニグチとミヒロは二人で台所で焼きそばを作っていたとのこと。あの「一人しか入れない」台所で。大みそかに焼きそば。スルーして聞いてやるから早くその先を言いなさい。
「いい匂いするね。日本人はやっぱそばだよね」
ミヒロが火を止めたフライパンに顔を近付けて小ボケをかまして、そこへタニグチも顔を近づけて……。
「おお。それで?」
「ミヒロさん、可愛いですねって言っちゃったんですよ。思わず」
「おお、おお。それでそれで?」
「ミヒロさん、まんざらじゃない感じだったから……焼きそばを食べる前だけど思わず抱きしめちゃって」
「おおおおおおお」
「で、ミヒロさんがボクの背中に手を回してきたから、これはチャンスって思って台所から部屋の方へ移動して……電気を消してみたんです」
「おほー」
「そしたら、ミヒロさん、なんかいきなり挨拶とか始めるんですよ。お世話になります、とか」
「ガチ付き合う感じじゃねぇか!」
「……でもですね、なんか様子が変で……世間話とか初めたり、頑張ります、とか言い出したり……ボクがずっと黙っているのに、ですよ?」
「んんん?」
「ミヒロさんが後で言うには……なんかボクの死んだばーちゃんと話しをしているみたいなんですよ。孫をよろしく頼むみたいなこと言われて……頑張りますとか言ってたのは、それだったのかって」
で、タニグチは萎えて、結局、何もないまま朝が来て、初詣に行って改めてマキに惚れ直した、と。ミヒロの彼氏居ない暦はこうして更新されたという話……なんか久々に思い出したな。
だってさ、ミヒロとマキが卒業旅行で……俺も無意識のうちに思い出さないようにしてたんだな。タニグチはもっと大変だった。飯も喉通らねぇって泣きまくって……入社が決まってた会社辞めてインドに行っちゃったもんな。やっと日本に帰ってきたのか……お、ハサミ発見。
タニグチからの手紙をようやく開封する。タニグチの現住所は書いてないというか、よく見たら切手も増税前のやつじゃないか。よく届いたな。
中にはやけに白い便箋が一枚きり。そこにタニグチらしい汚い字でこう書いてあった。
『今夜あたり、また鍋パしませんか? 四人で』
今夜かよ……ん、ちょっと待て。四人って……四人か?
「ナンパ、しにきたよ?」
背後から、懐かしいミヒロの声が聞こえたんだ。
普通なら、ここでギャッなんて叫んでオチがついて話も終わりってとこなんだろうけれど、俺は「いいぜ」って答えてしまった。
なんでかな。生きてゆくことに疲れているわけじゃないけれど、毎日が楽しいってわけでもなくってさ。
タニグチがインドに行ってから、俺は友達を作ることに極端に臆病になっていたんだと思う。
ずっと一人で生きてきて、この先も誰かと人生を分かち合って生きてくなんて想像つかなくて。
日常的に閉塞感を感じてた。死にたいとは思ってない。でも、お前らの居ない人生が、全然楽しくなくってよ。
「泣くなよ」
マキの声が聞こえた。相変わらずクールだな。
「ボクには聞いてくれないんですか。いつ死んだんだとか、どうやってこの手紙届けたんだとか」
「あー、おっぱい押し付けてあげようと思ったのに、やっぱ触れないのかなぁ」
「マキは相変わらず男前だな。タニグチなんでだよ。ミヒロの胸はあんまり嬉しくない。なんだよお前ら好き勝手言いやがって。なんだよ。なんなんだよ……」
「ボクだけ扱い雑じゃないですか」
「あんまりってことはちょっとは嬉しいってことよね」
しゃべりたいことはたくさんあるのに、何からしゃべっていいのかわからない。ツッコミたいこともたくさんあるのに、なんだよとかバカとか語彙が幼稚園児。
その時ふわりと風のようなものが頬をなでる……マジか?
「今のはオレの髪な」
マキの声がさっきより小さい。タニグチの声に至ってはもうずいぶん遠くに響いている感じ。
「封筒、開いてね」
ミヒロの声がちっちゃく聞こえて、そのあとあいつらの声は全く聞こえなくなった。
「やかましい連中だな」
しばらくしてから、ようやく俺から出た声。
それから少し冷静になる。
俺は今、幽霊としゃべったのか?
あー。
なんか実感湧かない。これはあれだ、オヤジの葬式のときみたいだ。現実に俺の脳みそがみが追いついてないんだ。ネットでサーバーが混んでて読み込みが遅いときの感じ。あとからジワジワ来るやつだ。だんだん重くなってきてさ、時間差ですげー泣けてくんの。あ、でももう既にボロ泣きしちゃってるか。
タニグチからの封筒をもう一度眺める。
最後にミヒロが開けとか言ってたっけ……お。封筒の内側になんか書いてある。
俺は早速ハサミで封筒を開く。そこにはタニグチの汚い字でこう書いてあった。
『いまハーレムだからしばらくこっち来ないでくださいよ』
「なんだよタニグチ……お前……イイ男になったじゃねぇか」
久々に誰かと一緒に居たいって気持ちになったよ。
だけどさ、すぐには見つからないよ。お前らくらい楽しくやれる連中なんて。だからさ、今夜はやっぱり四人で鍋にしようぜ。
鍋に湯を沸かしている間に玉ねぎと生姜を薄めに刻む。本当はキャベツが欲しいとこだけど、昨日今日と買い物行ってないし。沸いたら刻んだ野菜と即席塩ラーメンとをぶち込んで、最後に生卵落として完成……だと、ミヒロが肉が足りないとか言いそうだな。あ、ギョニソで我慢な。
箸だけ四膳出して、あいつらの画像を見ながら、俺はラーメン鍋をすする。
うん。
今は、これで、いっぱいいっぱい。
<終>
ミヒロが自慢げにそう言ったのは、良く晴れた冬休みの昼過ぎのことだった。確かクリスマスよりも前だったはず。というのも、クリスマスをぼっちで過ごす予定のタニグチと、タニグチが密かに想いを寄せているマキとの仲を取り持ってあげようという目的が、その飲み会にはそもそもあった……はずだったからだ。
そんな学生時代の懐かしい思い出が頭に蘇ったのは、タニグチから一通の手紙が届いたから。
手紙。紙の手紙。封書なんて今時、企業とか公共機関からしか届かないよな。
とにかくタニグチがわざわざ寄越した手紙に対し、俺はそれなりの敬意を払おうと、破かずにハサミを探しつつタニグチとの記憶の数々を頭に……ダメだ。ミヒロの幽霊ナンパ事件の記憶が、他の記憶を駆逐する。
俺は諦め、その記憶を始めから思い出すことにした。
当時、俺は大学生。
徹夜麻雀の面子を集めるために手料理をふるまうということを繰り返していたため「料理上手」というイメージが定着しており、人が集まるとなぜか俺が料理番長だった。
あの日も結局一人で鍋の準備をしていたのはタニグチの1DKの狭い台所。
チラリと後ろを振り向くと、いつもは麻雀マットが敷かれっぱなしのコタツの上を片付けているタニグチと、BGM選びに余念がないマキ、そしてその二人に対しノーフォローでマンガを読みふけっているミヒロが見えた。
三人に会話はない。鍋の下ごしらえはもうちょっとかかる。この企画を立てた張本人であるミヒロをもう一度見る……が、読みふけっている。
俺の視線には気付かない。
まあ、そのマンガは面白いのは認める。そもそもそれをタニグチに貸したのは俺だったし、さっき「その作者ってさ、うちの大学の教授の息子なんだぜ」なんて興味を引くようなことを言ってしまったのも俺だからだ。でも。でもですよ。もうちょっと二人のケアをですね……仕方ない。これはもうダイレクトにうながすしかないか。
「何もしないでいる人がいますねぇ」
返事はない。君らはただの屍かっ!
「おーい……マンガ読んでる方?」
まったく返事はない。バカミヒロはともかく、他の二人までってのは……ああ。マキはがっつりごっついヘッドホンをつけている。というか両手でヘッドホンを耳に押さえつけたまま激しくヘッドバンキング。曲選んでいるんじゃないね、それ。聴き込んじゃってるね。ゴシック・ロック好きのマキはああなったら曲が終わるまでは火事が起きようとも戻ってこない。
それを見つめているタニグチの手は止まっている。口をだらしなく開けて……頼むからヨダレとかこぼすなよ。まあ、こいつらはいいんだ。ある意味二人の世界。問題は……。
俺は静かに近寄り、カセットコンロ用のボンベをミヒロの首の後ろにあてた。玄関近くに置いておいたからかなり冷えてるやつを。
「ひゃいっ?」
ミヒロは慌ててマンガを置き、俺の顔をバッと見た。驚いたときの猫の顔に似ている。ヒゲ描いてやろうか。
「ミヒロさん、自分のお仕事忘れてやしませんか?」
「え、だって台所狭いじゃーん」
そっちじゃない。いや、そっち手伝ってくれても嬉しいけれど……君は一応、今日の企画の発案者でしょうに。この気のきかなさはむしろ呆れるを通り越して清々しくもある。
「どうしたのさ?」
マキがヘッドホンを外して、ようやくこっちを見る。
「あのさ、せっかく集まったんだからもうちょっとさ……一人の世界に入るのは一人で居るときでいいだろ?」
そこでやめればいいのに、俺も若かった。
「そんなだから恋人居ない暦イコール年齢なんですよ」
ミヒロの口癖。何かにつけ自虐的に笑いを取るために口にするこれを……ミヒロに向かって言ったつもりだった。
ただね、飲み会の趣旨を考えれば場の雰囲気を悪くするようなことは言わない方がいいに決まっている。実は恋人居ない歴イコール年齢なのは、タニグチもマキも同じだったから。
まずマキが鼻をふんと鳴らす。
「オレは彼氏が出来ないんじゃなく条件に合う男が居ないだけだから」
マキはロングの髪の毛をガサっとかきあげる。
「オレより細くてオレより長髪でオレよりギター上手な男ならいつでも付き合うって言ってんじゃん」
そう言いながら笑顔を見せるマキは男前の美人だ。タニグチが髪を伸ばしているのも、こっそりギターの練習しているのも全てはマキのため。タニグチは嬉しそうに激しく頷いている。俺も慌てて頷く。この場はこれで流して……と思ったらここでミヒロ先生、まさかの乱入。
「あー、でも、あたしだって彼氏居ないだけでモテないわけじゃないもん」
これは場を和ませるためのフォロー……じゃなさそうだ。だって頬を膨らませている。ミヒロさん、確か成人していましたよね? 心の中でツッコミを入れる俺の耳に飛び込んできたのが冒頭のあのセリフだった。
「あたし、幽霊にナンパされたことあるんだから」
ごめんタニグチ。お前の恋路よりミヒロのそっちの話の方が聞きたい……そう思ってしまった俺を責めないでほしい。俺はミヒロに続きを要求し、語ってくれた話が以下である。
ミヒロは当時とあるファミレスでバイトしていた。
その夜は遅くから雨が降りだすという予報が出ていたことをミヒロはバイト先で知る。
人の話を聞かない派のミヒロは当然、天気予報は見ない主義。「ほら、予想していないことに出遭うってワクワクしない?」とか言い訳する派。
そんなミヒロは傘など持ってきておらず、早上がりを目論んでいた。
バイト終了は21時の予定だったが、空いていれば早上がりも可能らしく、そわそわしていたそうだ。
天気の悪さと客の入りは比例するとかで、けっこう暇だしこれは早上がりいけるなと時計を何度もチラ見していたミヒロの視界に、ひとりの客が入った。
「あれ? 誰がクローズに通したの?」
そのファミレスでは客が少ない時は店内の一部を閉鎖し、動線の効率化を図っていた。その閉鎖した場所をクローズと呼ぶ。
電気を消したりはしないものの、手前に「清掃中」の札を立てているので、間違えて入る客は滅多にないという。
だが、その客は、クローズエリアの奥のソファー席にいつの間にか座っていた。
テーブルの上に水もおしぼりも出ていなかったし、もしかしたら来店時に店員の反応が鈍かったため勝手に空いている席に座ってしまったのかもしれないと考えたミヒロは、水やらメニューやらを用意し、特に気にせずにその客のもとへと向かった。席を移ってくださいなどと頼むと、モタモタ移動とかで余計に時間かかって、早上がりに支障をきたすと考えたと言っていた。
「申し訳ありません、お客様」
紺色のワイシャツをジーンズにインしてる少し小太りの男。見た目は30代こえているくらい。外国の野球チームのロゴみたいなのが入ったキャップを目深にかぶってうつむいていたそうだ。声をかけても反応がなかったのは店員の態度が悪くて怒っているからかもしれない、と考えたミヒロは声に感情をこめてもう一度声をかけた。
「お客様、申し訳ありませんでした!」
すると男は相変わらずうつむいたままボソボソと何かをつぶやいた。ようやくしゃべったと思ったら、肝心のその声が聞き取れない。しかしミヒロは自称「プロフェッショナル」なので、あくまでも丁寧に対応したそうだ。
お客様の横の通路にすっとしゃがみ、低姿勢から「メニューはこちらになります」と。
怒っている客にはなるべく低い姿勢から攻めるというルールがあるにはあるとのこと。そして相手の目を見て誠心誠意対応をするというルールも……ミヒロは実際、その通りにやった。すると角度的にその客の、帽子のつばに隠れた顔が見えたそうだ。
顔がずいぶん黒いな、って思った……のは最初の数秒間だけ。
その男がゆっくりとミヒロの方へ顔を向けたとき、見てはいけないものを見てしまったと直感した。「背筋もガッチガチに凍った」らしい。
「白目がなかったの。黒目がちとかそういうレベルじゃなくて。あれチョー気持ち悪いよ」
そう言うミヒロの顔からは笑顔が消え、頬のあたりが強ばっている。その横では、いつもクールなマキですら、自分の肩を抱いている。おいタニグチ、マキに寄り添うのはいまだっ……って、お前が一番震えていてどーすんだよ。
「でもミヒロさ、今こうして無事だったってことは、うまく逃げられたんだよな?」
男前女子なマキの言葉に、ミヒロはうんうんとうなずきながら話を再開する。
「みつけてくれたんだね……そいつはそう言ったように聞こえたの」
ミヒロの声は震えている。その震えを止めようとしているのか両手をがっちり握り込んで……独り恋人握りってやつ。
ミヒロは「見つけてない」と答えようとしたが声が出ず、後ろへ下がろうとした。でも、足が震えて動かなかったという。男は座っている位置を、ソファー席の中央から手前の方へ少しずつ移動しはじめた。
スッ、トスン。
スッ、トスン。
スッ、トスン。
何センチかずつこちらに移動してくるその動きが、ミヒロにとっては死へのカウントダウンのように響いたという。
ミヒロ曰く「おなら出そうになるくらい力を入れて」必死に体を動かそうとしたが、なおも全く動かない。金縛りだったのかもしれない、とも。そしてソファーの端、ミヒロのすぐ近くまで来た男は、またつぶやいた。
「ねぇ、一緒に……」
「あんたは客なんかじゃない。出ていきなさい!」
ミヒロの背後からその力強い声が聞こえ、男の声は掻き消えた。ミヒロは思わず振り返った。振り返った後で、自分の体が動くことに気付いたという。だが、そこには誰も居なかった。聞き覚えのある声だったのに。
「そこであたしはそのままクローズの入り口まで走ったの。でも、走っている途中で思い出したんだ。誰の声なのか」
ここでようやくタニグチが声をしぼり出す。
「……だれ、なの?」
「去年亡くなったバイト仲間のおばちゃん。あたしのこと、娘みたいに可愛がってくれてたんだ」
クローズの入り口まで来てようやくさっき客が居たあたりに向き直ることが出来たミヒロは、あの客も消えていることに気付いたという。ただ、テーブルの上に、ミヒロが置いた水とおしぼりとメニューだけが、ぽつんと置かれていたという。
「それ、ナンパか?」
マキが皆の思いを代弁する。
「美人薄命って言うでしょ。あれ、チョー薄命だったんだから」
ツッコミどころはいろいろあったが、その後の鍋はミョーに温かった。
その日は暗くなる前に解散したっけ。
年が明け、ミヒロがバイト先を辞めたというのをタニグチから聞かされる。仲の良かったおばちゃんが味方で居てくれたとしても、やはり怖くて続けられなかったのだという。タニグチがマキ以外の話をするなんて珍しいと思った俺は、ちょっとカマをかけてみた。
「もしかして相談しているうちに親身になってくれるミヒロの方を……ってパターン?」
タニグチは悪い奴じゃないのですぐ顔に出る。問い詰めるとやはり、いいところまで行きかけたのだという。大晦日の夜、ミヒロはタニグチの家に来たらしい。初詣をマキと三人で行く予定で、ミヒロが来たのは作戦会議という名目で、マキだけ翌朝集合だったとか。ふーんいつの間に……というか俺は声すらかけてもらってねぇ……まあ、いいか。
「で、オトコになったのか?」
ここはあえて下品な聞き方をする。
「……それが、まあ、いい雰囲気になったんですけれど……」
けれど?
タニグチとミヒロは二人で台所で焼きそばを作っていたとのこと。あの「一人しか入れない」台所で。大みそかに焼きそば。スルーして聞いてやるから早くその先を言いなさい。
「いい匂いするね。日本人はやっぱそばだよね」
ミヒロが火を止めたフライパンに顔を近付けて小ボケをかまして、そこへタニグチも顔を近づけて……。
「おお。それで?」
「ミヒロさん、可愛いですねって言っちゃったんですよ。思わず」
「おお、おお。それでそれで?」
「ミヒロさん、まんざらじゃない感じだったから……焼きそばを食べる前だけど思わず抱きしめちゃって」
「おおおおおおお」
「で、ミヒロさんがボクの背中に手を回してきたから、これはチャンスって思って台所から部屋の方へ移動して……電気を消してみたんです」
「おほー」
「そしたら、ミヒロさん、なんかいきなり挨拶とか始めるんですよ。お世話になります、とか」
「ガチ付き合う感じじゃねぇか!」
「……でもですね、なんか様子が変で……世間話とか初めたり、頑張ります、とか言い出したり……ボクがずっと黙っているのに、ですよ?」
「んんん?」
「ミヒロさんが後で言うには……なんかボクの死んだばーちゃんと話しをしているみたいなんですよ。孫をよろしく頼むみたいなこと言われて……頑張りますとか言ってたのは、それだったのかって」
で、タニグチは萎えて、結局、何もないまま朝が来て、初詣に行って改めてマキに惚れ直した、と。ミヒロの彼氏居ない暦はこうして更新されたという話……なんか久々に思い出したな。
だってさ、ミヒロとマキが卒業旅行で……俺も無意識のうちに思い出さないようにしてたんだな。タニグチはもっと大変だった。飯も喉通らねぇって泣きまくって……入社が決まってた会社辞めてインドに行っちゃったもんな。やっと日本に帰ってきたのか……お、ハサミ発見。
タニグチからの手紙をようやく開封する。タニグチの現住所は書いてないというか、よく見たら切手も増税前のやつじゃないか。よく届いたな。
中にはやけに白い便箋が一枚きり。そこにタニグチらしい汚い字でこう書いてあった。
『今夜あたり、また鍋パしませんか? 四人で』
今夜かよ……ん、ちょっと待て。四人って……四人か?
「ナンパ、しにきたよ?」
背後から、懐かしいミヒロの声が聞こえたんだ。
普通なら、ここでギャッなんて叫んでオチがついて話も終わりってとこなんだろうけれど、俺は「いいぜ」って答えてしまった。
なんでかな。生きてゆくことに疲れているわけじゃないけれど、毎日が楽しいってわけでもなくってさ。
タニグチがインドに行ってから、俺は友達を作ることに極端に臆病になっていたんだと思う。
ずっと一人で生きてきて、この先も誰かと人生を分かち合って生きてくなんて想像つかなくて。
日常的に閉塞感を感じてた。死にたいとは思ってない。でも、お前らの居ない人生が、全然楽しくなくってよ。
「泣くなよ」
マキの声が聞こえた。相変わらずクールだな。
「ボクには聞いてくれないんですか。いつ死んだんだとか、どうやってこの手紙届けたんだとか」
「あー、おっぱい押し付けてあげようと思ったのに、やっぱ触れないのかなぁ」
「マキは相変わらず男前だな。タニグチなんでだよ。ミヒロの胸はあんまり嬉しくない。なんだよお前ら好き勝手言いやがって。なんだよ。なんなんだよ……」
「ボクだけ扱い雑じゃないですか」
「あんまりってことはちょっとは嬉しいってことよね」
しゃべりたいことはたくさんあるのに、何からしゃべっていいのかわからない。ツッコミたいこともたくさんあるのに、なんだよとかバカとか語彙が幼稚園児。
その時ふわりと風のようなものが頬をなでる……マジか?
「今のはオレの髪な」
マキの声がさっきより小さい。タニグチの声に至ってはもうずいぶん遠くに響いている感じ。
「封筒、開いてね」
ミヒロの声がちっちゃく聞こえて、そのあとあいつらの声は全く聞こえなくなった。
「やかましい連中だな」
しばらくしてから、ようやく俺から出た声。
それから少し冷静になる。
俺は今、幽霊としゃべったのか?
あー。
なんか実感湧かない。これはあれだ、オヤジの葬式のときみたいだ。現実に俺の脳みそがみが追いついてないんだ。ネットでサーバーが混んでて読み込みが遅いときの感じ。あとからジワジワ来るやつだ。だんだん重くなってきてさ、時間差ですげー泣けてくんの。あ、でももう既にボロ泣きしちゃってるか。
タニグチからの封筒をもう一度眺める。
最後にミヒロが開けとか言ってたっけ……お。封筒の内側になんか書いてある。
俺は早速ハサミで封筒を開く。そこにはタニグチの汚い字でこう書いてあった。
『いまハーレムだからしばらくこっち来ないでくださいよ』
「なんだよタニグチ……お前……イイ男になったじゃねぇか」
久々に誰かと一緒に居たいって気持ちになったよ。
だけどさ、すぐには見つからないよ。お前らくらい楽しくやれる連中なんて。だからさ、今夜はやっぱり四人で鍋にしようぜ。
鍋に湯を沸かしている間に玉ねぎと生姜を薄めに刻む。本当はキャベツが欲しいとこだけど、昨日今日と買い物行ってないし。沸いたら刻んだ野菜と即席塩ラーメンとをぶち込んで、最後に生卵落として完成……だと、ミヒロが肉が足りないとか言いそうだな。あ、ギョニソで我慢な。
箸だけ四膳出して、あいつらの画像を見ながら、俺はラーメン鍋をすする。
うん。
今は、これで、いっぱいいっぱい。
<終>
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