闇鍋【一話完結短編集】

だんぞう

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【SF】こんぺいとう

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 妻が家を出て行った。
 私がそのことに気付いたのは、もうとっくに昼を過ぎてからだった。
 仕事疲れからか午前中はずっと寝ていた私だったが、さすがに空腹に耐えかねて起き、台所へと向かう途中にそれを見つけたのだ。
 リビングのテーブルの上に見覚えのあるクッキー缶。この缶は――私がクローゼットの奥に密かに隠していたはずのもの?
 おそるおそる箱を開け、中身を確かめる。
 やっぱり、こんぺいとうが入っている。
 だけど量がかなり減っているってことは――妻はこのこんぺいとうを食べたのか。私は大きなため息をつき、椅子に力なく座った。
 
 こんぺいとう。漢字で書くと「魂餅答」。何年か前にブームとなった不思議なお菓子。
 もともとは細長い餅のようなものなのだが、そこに付属の特殊なシロップをスプレーすると、その餅がくるくると巻き始める。
 餅が巻ききるまでおよそ三秒。その間に餅は周囲の音をも巻き込んでゆく。そして、見た目は少し大きめの金平糖のような形になって固まる。
 固まった魂餅答を口の中に入れると、ほのかな甘さと、そして巻き込まれた音が口の中に広がって飴のように溶けて消える。
 確か発売当初のキャッチコピーが「食べられる声を贈ろう」だったろうか。
 三秒はけっこう短いし、電話やメールで済む内容をわざわざ一回しか再生できないモノに、なんて批判する人も居たけれど、その刹那さが妙に受けて恋人たちを中心に大流行した。
 ただ私の場合、そういう世の中の使われ方とは全く逆の使い方をしていた。
 自分の中に溜まったストレスを声に出して魂餅答の中に棄てていたのだ。王様の耳はロバの耳ってやつ。しかもその内容の大部分は妻への愚痴だった。
 妻と面と向かった時の私は、理解ある夫だった。
 家庭内に不和を作り出さないよういつも笑顔で妻を受け入れた。だがそうやって我慢し続ければ、どうしてもどこかに歪みが生じる。それを妻にぶつけぬよう魂餅答の中に閉じ込めていたのだ。

「そうか……」

 妻に全て知られてしまったのか。
 妻への不満といっても本当に些細なことばかり。だけど、あれだけまとまって聞いてしまったら……しかも魂餅答は口の中で溶けて音を再生する分、耳の奥に、心に、じんわりと残るのだ。口の中の甘さが消えた後も音の余韻だけはずっと。
 どうしてこんなもの取っておいたんだろう。早く捨ててしまえばよかった。
 妻に聞かせる気なんてなかったんだ。

 私はしばらくぼんやりと魂餅答を見つめていた。
 悔やんでも悔やみきれない。おもむろにクッキー缶をつかんだ私は、台所の流しへと魂餅答をぶちまけ、じゃばじゃばとお湯をかける。ある程度の温度と湿度とが揃うと魂餅答は口の中でなくとも再生を開始する。
 さすがに自分の過去の愚痴を噛み締める気持ちにはなれなくて。こうやって過去の自分の失敗を水に流したところで妻は戻らないけれど……あれ?
 魂餅答がいっせいに再生しはじめたその音は、私の想像していたものと違っていた。
 魂餅答に録音されていたのは私の声じゃなく、妻の声だったのだ。
 慌てて拾い上げた魂餅答は私のてのひらの中で小さくはじけ、妻の声を残した。

「私を探して」

 そう聞こえた――ということは、まだやり直せるチャンスがあるということ?
 急いで身支度を整えると外へ出る。
 妻が行きそうな場所にはいくつか心当たりがあったけれど、私はその中の一つを迷わず選んだ。
 私が妻にプロポーズした山の上の展望台。
 妻が本当に待っていてくれるのならば――そこに居てほしいと思ったから。

「おーそーいー」

 展望台にたどりついた私に向かって妻が言った最初の言葉。
 妻の生の声だ。
 最後に聞く妻の声が魂餅答になってしまわなくて本当に良かった。

「これ……」

 私は一つの魂餅答を取り出した。来る途中に走りながら録音したやつだ。
 妻はそれを受け取り、口に入れて目を閉じた。
 そして笑った。

「もう! 息切らしながら録音したら、聞き取りにくいじゃない」

 妻が私の手をぎゅっと握る。

「だーかーらー。魂餅答じゃなく、ちゃんと自分の口で言って」

「あ、愛してる」

「私も、だよ」

 帰り道、私達は久しぶりに手をつないで歩いた。

「あなたのことだから、気がつかないんじゃないかなって思ってた。あなたは何でもうんうんって聞いてくれていたけれど、細かいところはけっこう気付いてくれてなくってね。でもそれを指摘したら、あなたのプライド傷つけちゃうかなって思ってたんだ。溜まっていたのは私も一緒。だから今までのことはお互いチャラにして、これからは本当の意味で溜め込まない夫婦になろうよ」

 妻にはいろいろとバレていたようだ。
 それでも私の元を去らないでくれた妻を私は――いや、これがダメなんだな。ちゃんと自分の口で伝えよう。
 私はその場で立ち止まり、手をつないでいた妻もひっぱられて立ち止まった。

「なに?」

「今回の件、惚れ直したよ」

 すると妻は照れて小さな声で「でしょー」と答える。
 その仕草がたまらなく愛おしかった。
 翌日、仕事に行く私へ妻がなにやら包みを渡してくれた。

「これ、お弁当。新婚の頃は毎日作っていたのにね。ごめんね」

 待ち遠しかった昼休みは、仕事がはかどったせいかすぐにやってきた。
 ニヤニヤする顔を見られたくなくて、私は弁当と一緒に会社の外へ出る。
 公園のベンチに座り弁当箱を開けると、可愛くラッピングされた魂餅答が弁当箱の片隅で妙に存在感を放っていた。
 私はドキドキしながらその魂餅答を口に入れ、目を閉じる。

「卵と牛乳、お願いね」

 妻の声が、耳の奥にいつまでも残った。



<終>
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