上 下
326 / 405
Episode⑤ 女の勝ち組/女の負け組

第36章|砂見礼子の奮闘 <4>帰宅後のモヤモヤ

しおりを挟む
<4>


「ただいまァ・・・・・・・・・・・・」

すっかり夜も更けた22時半。営業報告書を作ったり貿易事務チームの仕事状況を確認したりしていたら、結局、帰宅はけっこう遅くなってしまった。


-------------------------------------------------------------------------------


AM 0時。

娘のみちるの寝息を確認してから、リビングでビールの缶を開けた。

ボーッとスマホを見ている佑介に話しかける。

「今日、みちるの塾のお迎え、ありがとう! すごく助かったよぉ」

『夫婦は日頃から感謝を伝えるのが大事』というどこかで聞いた必勝マニュアルを思い出して、すっぴんで冴えない顔だと思いつつも笑顔を作って夫を称える。

「・・・・・・・・・・・・」

私の感謝に、返事はなかった。

「どしたの? 」

佑介の不機嫌な顔を見て、心の中の警戒灯が点る。
ソファに座っている彼の隣に腰掛けた。

「佑介、何か仕事で嫌なことあった? 」
夫の首に手を回して、頬にチュッとキスをした。
「・・・・・・。あ、そういえば最近、してなかったよね? 今日あたり、久しぶりに軽くやっとく? 」

わざと明るく言った唇には目もくれず。
太ももに置いた私の手は、彼に静かに振り払われた。

「・・・・・・・・・ごめん。疲れてるからそういうの、無理」

「あ・・・・・・そ、そっか」

いつか、通勤電車の中で見たインターネットのニュース記事が頭をよぎる。確か、日本にはレス夫婦がすごく多い、って書いてあった。

(・・・・・・・・・あれ。私が課長になってから、夜の回数が、明らかに減ってない?? )


「礼子ちゃん、あのさ」佑介が重い口を開く。

「えっ・・・・・・何? 」

「俺、礼子ちゃんが課長になることは賛成したし、応援もしてるよ。でもこんなに毎日帰りが遅いっていうのは、ちょっと違うんじゃないの。課長になったって、礼子ちゃんはママだろ? それに俺、定時に帰るためには同僚や上司に頭下げないといけないの知ってるだろ。こっちもそろそろ会社で気まずくなってきてるんだよ。礼子ちゃんが働いてくれたら家計はすごく助かるけど、家庭もおろそかにはしないでほしい。今までみたいに夫婦で役割分担して、ちゃんと育児もやっていこうよ」

「え・・・・・・・・・・・・・・・」


――――――あなたの給料、私より少ないじゃない。家計が助かる、じゃなくて、、とは言わないの?

――――――ねぇ、『名もなき家事』って知ってる? 佑介は気付いてないかもしれないけど、お迎えをやったくらいじゃ、全然私から見たら半分じゃないし、満点じゃないんだよ。今日だって帰宅したあとみちるにずっとタブレット見せて時間稼いでたよね?

――――――ていうか、育児をまったくやる覚悟があるなら、そっちも週の半分は常に定時上がりしてくれてもいいはずなんだけど・・・・・・これまでは私ばっかり、お迎えの調整役やってきたんだよ? それに、この前、しばらく仕事で帰りが遅くなるって相談したら、協力OKって言ったよね? ギブアップが早くない?


浮かび上がった疑問と反論は、どの言葉も鋭く彼を傷つける要素が満載すぎて、口には出せず私はビールを飲んだ。ここで強く言っちゃダメだ。そう思った。


「う。うん・・・・・・ごめんね。実は私も最近、家庭のことが後回しになってて本当に申し訳なく思ってる。でも、もうちょっとで仕事も一段落するから、そしたら私も定時に上がれるように、会社に交渉するよ! だからあと1ヶ月、いや、2週間くらいだけ助けてほしいのよ。お願い! 」
私は顔の前で手を合わせた。

「・・・・・・わかったよ。もうちょっとだけなら、俺も頑張る」
良かった。佑介はとりあえず納得してくれたようだ。

「うん! 」

「・・・・・・・・・じゃあ、もう寝るわ。礼子ちゃんも早く寝なよ」

「うん! おやすみ~」


・・・・・・・・・・・・。彼が立ち去ったあとのリビングで、頭の中を色んなことがぐるぐる回った。

ビールのせいか、疲れのせいか、考えがまとまらない。

会社の神棚。思わぬ出世。中間管理職の悲哀。
高ストレス者。高ストレス職場。産業医との面談。
他の会社の人事の人と知り合って、ストレスチェック後の職場改革について話したこと。
私なりに頑張って、営業チームと貿易事務チームの壁を取り払おうと提案したこと。
みちるの進路。みちるの将来。日々の家事。
秋葉原で見た若い女の子の社長としもべのオタクたち。
灰原さんの言動。夫との夫婦関係。


「ハァァ~・・・・・・・・・いろいろ、ゴチャゴチャするわぁ」



またしても私は、かつてのつらかった不妊治療のことを思い出す。


――――――タイミングを見て、排卵日の二日前くらいから集中してご主人を誘ってみてください。


体外受精をする前に、タイミング法で子供を授かろうとしていた頃、主治医にそう言われた。


――――――ご主人をしてあげましょう。なので、が重要です。


実際、佑介は、排卵日が近づくと敏感にそれを感じ取ってしまい、ぎくしゃくしてうまくいかないことが多かった。

それを思い出すと、なんかムカついてくる。


オンナの人生は、前提条件がある日突然、変わるから難しい。
一本道じゃない。ゲームチェンジがやってくる。

女子高生くらいまでは、男は狼、身体を気軽に許すな、妊娠したら困るぞ。とか、男女は平等だ頑張れ、とか言われてきたのに。
20代にもなると、経済力と将来性のある男の人に結婚したら勝ち、のゲームが始まる。
そして適齢期に結婚したら、案外すぐに妊娠の限界年齢が近づいてくる。
そうなるとさも当然のように「繊細なご主人のプライドを傷つけずにうまく操縦コントロールして誘ってあげましょう」とか言われて、マインドチェンジさせられる。あれ、男さん、いつの間にそんなに繊細になったの? 唐突だ。

それで子供が生まれると今度は、「職場に迷惑をかけないで」「家庭をおろそかにしないように」とメッセージを送られる。ん? 私、出産と乳飲み子の世話で満身創痍なんだけど、男女平等の社会参加、どこいった? 

同時に『男は同じ女の身体にはいずれ飽きてしまう生き物でぇ~』『子供を産んだ妻を、もう女としては見れなくて~』とかいう、謎の言い訳も聞かされるようになる。オイオイ、ずいぶん都合のいい話だな?

教えられる『頑張れ』の方向性、『女ってこうあるべき』が、しょっちゅう変わる。
変わりすぎて時々、ついていけない気持ちになる。

というか、そもそもこの社会は最初から女に対して二枚舌なのだ。
古くは『処女懐胎』とか、ちょっと前は『昼は淑女で夜は娼婦』とか、最近だと『職場では男に負けず活躍して社会貢献、家庭では安定した精神で家族を支える、癒やしの良妻賢母』とか?

そういう、キメラの二重人格者みたいな、ケンタウロスみたいな生き物を演じるのは、よっぽど体力があって器用な女じゃないと務まらないので、できる限りは応えたいけど、無茶な期待はやめてほしい、と思っている。


(あ~・・・・・・もう、どうでもいいや。考えるのやめよう・・・・・・)


・・・・・・・・・・・・私の悪い癖で、また考えすぎてしまった。

どうせ私は、喧嘩しても佑介を愛しているし、娘のみちるのことだって自分の命より大切に思っているのだ。それに、典型的な女のジェンダーに従ってここまで生きてきて、平凡なりにそこそこ幸せに暮らしているのは間違いない。

だから佑介が耐えられないと言うのなら、会社のほうに譲歩してもらうしかないだろう。
いざとなったら課長職を降りて、また非管理職の一担当に戻らせてもらうとか。給料が少し下がっても、残業のないホワイトな会社に転職しちゃうとか・・・・・・。


(そうなったら、ますます節約かぁ・・・・・・。ヴァンクリのピアスなんて、夢のまた夢になっちゃうな)

(私がガッツリ働いたほうが、稼げる気がするけど。それは佑介のプライドが許さないんだろうな)


「惚れた弱みは、つらいねぇ~・・・・・・」


ソファに寝転がって、スマホの中にあるボーイズラブのマンガを開いた。

私は完全なる異性愛者だけれど、ボーイズラブ、通称BLのマンガをたまに読んでいる。

女の大半は男が好きで、でも事実としてゲイの恋愛を描いたBLものは、主に女性の読者によく売れている。

BLの世界には、恋愛対象となる女が登場しない。せいぜいいても、恋の当て馬役の女とか、サバサバした姉御系の女とかが多い。

もしここに主役級の女の登場人物が出てくると、リアルの自分と主人公の女の差分が雑音になって入ってくる。愛される女の条件ってやっぱりこういうのなんだ? みたいな邪念が生まれると、没頭して恋愛話を楽しめない。男しかいない世界のおとぎ話なら、女の苦しさや社会通念は、蚊帳の外に置いて読める。

それにBL作品の中の『攻め側男子』は、大抵、10代並みに精力旺盛だ。さかりまくっている。個人的にはエッチなシーンはそんなになくてもかまわないんだけど、『求められない恐怖』をすっかり忘れさせてくれるのはいい。

恋愛の一番楽しいときを過ごしているBLの王子様は、(そもそも恋愛対象が女じゃないけど)排卵日に迫られて怖じ気づいてしまったり、年老いたマンネリの妻に対して『妻だけED』を発症してしまったりすることがないし、夫より早く出世した妻に内心コンプレックスを抱いてしまうおそれもない。

私にとってBLは、韓流ドラマよりも恋愛リアリティショーよりもさらにお気楽で、自分を空っぽにして楽しめるポルノなんだと思っている。


(あーあ。『オタ・オタ商事』の女社長がセクハラっぽくからかわれてるのを聞けば不愉快だし、気乗りしないときに夫を立ててヤってこい、って言われてもムカつくんだけど、好いた夫に女として見られないのは、それはそれで嫌だ、っていう・・・・・・我ながら女心は複雑なんだわ・・・・・・)


明日もまた仕事だ。色んな面倒はさっさと忘れて寝よう。
ビールの缶を台所に置いて先に歯磨きしちゃおう、それから布団の中でBLマンガ読んですっきりしよう。

フーッ、と溜息をついて、ソファから立ち上がった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

実力を隠し「例え長男でも無能に家は継がせん。他家に養子に出す」と親父殿に言われたところまでは計算通りだったが、まさかハーレム生活になるとは

竹井ゴールド
ライト文芸
 日本国内トップ5に入る異能力者の名家、東条院。  その宗家本流の嫡子に生まれた東条院青夜は子供の頃に実母に「16歳までに東条院の家を出ないと命を落とす事になる」と予言され、無能を演じ続け、父親や後妻、異母弟や異母妹、親族や許嫁に馬鹿にされながらも、念願適って中学卒業の春休みに東条院家から田中家に養子に出された。  青夜は4月が誕生日なのでギリギリ16歳までに家を出た訳だが。  その後がよろしくない。  青夜を引き取った田中家の義父、一狼は53歳ながら若い妻を持ち、4人の娘の父親でもあったからだ。  妻、21歳、一狼の8人目の妻、愛。  長女、25歳、皇宮警察の異能力部隊所属、弥生。  次女、22歳、田中流空手道場の師範代、葉月。  三女、19歳、離婚したフランス系アメリカ人の3人目の妻が産んだハーフ、アンジェリカ。  四女、17歳、死別した4人目の妻が産んだ中国系ハーフ、シャンリー。  この5人とも青夜は家族となり、  ・・・何これ? 少し想定外なんだけど。  【2023/3/23、24hポイント26万4600pt突破】 【2023/7/11、累計ポイント550万pt突破】 【2023/6/5、お気に入り数2130突破】 【アルファポリスのみの投稿です】 【第6回ライト文芸大賞、22万7046pt、2位】 【2023/6/30、メールが来て出版申請、8/1、慰めメール】 【未完】

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

落ち込んでいたら綺麗なお姉さんにナンパされてお持ち帰りされた話

水無瀬雨音
恋愛
実家の花屋で働く璃子。落ち込んでいたら綺麗なお姉さんに花束をプレゼントされ……? 恋の始まりの話。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

幼馴染と話し合って恋人になってみた→夫婦になってみた

久野真一
青春
 最近の俺はちょっとした悩みを抱えている。クラスメート曰く、  幼馴染である百合(ゆり)と仲が良すぎるせいで付き合ってるか気になるらしい。  堀川百合(ほりかわゆり)。美人で成績優秀、運動完璧だけど朝が弱くてゲーム好きな天才肌の女の子。  猫みたいに気まぐれだけど優しい一面もあるそんな女の子。  百合とはゲームや面白いことが好きなところが馬が合って仲の良い関係を続けている。    そんな百合は今年は隣のクラス。俺と付き合ってるのかよく勘ぐられるらしい。  男女が仲良くしてるからすぐ付き合ってるだの何だの勘ぐってくるのは困る。  とはいえ。百合は異性としても魅力的なわけで付き合ってみたいという気持ちもある。  そんなことを悩んでいたある日の下校途中。百合から 「修二は私と恋人になりたい?」  なんて聞かれた。考えた末の言葉らしい。  百合としても満更じゃないのなら恋人になるのを躊躇する理由もない。 「なれたらいいと思ってる」    少し曖昧な返事とともに恋人になった俺たち。  食べさせあいをしたり、キスやその先もしてみたり。  恋人になった後は今までよりもっと楽しい毎日。  そんな俺達は大学に入る時に籍を入れて学生夫婦としての生活も開始。  夜一緒に寝たり、一緒に大学の講義を受けたり、新婚旅行に行ったりと  新婚生活も満喫中。  これは俺と百合が恋人としてイチャイチャしたり、  新婚生活を楽しんだりする、甘くてほのぼのとする日常のお話。

同僚に密室に連れ込まれてイケナイ状況です

暗黒神ゼブラ
BL
今日僕は同僚にごはんに誘われました

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

処理中です...