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Episode③ 魂の居場所
第13章|あなたはここにいる <9>鈴木先生の後悔
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<9>
「…………………」
『分身ロボットカフェ』を出て、鈴木先生と駅までの道を歩いた。
普段は速足の先生が、今日はゆっくりと、何かを考えるように歩き、私は隣に並んだ。
「今日はありがとうございました。ローストビーフ、とっても美味しかったですし、広瀬さんも楽しい人で…………」
ふと、鈴木先生が立ち止まった。
「足立さん」
鈴木先生が、私のほうに向きなおった。
「今日、広瀬さんのことをあなたに紹介したのは、僕の過去の失敗と後悔を、共有したかったらからです」
「失敗と後悔……ですか? どうしてですか? 広瀬さん、ああして新しい働き先を見つけて、前向きに過ごされていますし、今でも時々お店で会って、良好な関係でいらっしゃるんですよね? 何も問題ないと思いますが……」
「いいえ…………。広瀬さんは、退職後、自分の力で今の仕事を見つけました。でも、もしあのカフェとの出会いが無かったら、彼はおそらくもう、亡くなっています」
「えっ…………」
「『エイチアイ石鹸』を退職する前、広瀬さんは“延命を希望しないので、呼吸補助の処置は一切受けない”と言っていました………。もちろん、延命治療をするかどうかの決定自体は、患者自身に委ねられるべきこと。僕が口出しできることではありません………。
そして彼が『エイチアイ石鹸』を退職したあと、実際に、痰詰まりからの呼吸障害で、呼吸補助医療が必要になってしまった時期があったんです」
鈴木先生が続けた。
「主治医は広瀬さんに、非侵襲的陽圧換気の装着を勧めました。もしそれでも呼吸状態が改善しなければ、気管挿管、気管切開も必要だろう、とも………。
本来であれば広瀬さんは、その処置を断るつもりだった。
しかし痰詰まりを起こしてしまったその頃、ちょうど、あのカフェの存在を知って、採用試験を受けるタイミングだった……
悩んだ広瀬さんは、“まだやり残したことがある”と思い、土壇場でやはり、呼吸補助医療を受けることに決めたのです。結果、ああして回復し、ALSによる障害はありますが、今も生きて働けている」
「………でも、カフェの採用試験を受ける予定がなければ、治療を断って………そのまま亡くなっていたかもしれない………ってことですか……」
「ええ、おそらく。僕はかつて産業医として、彼に“復職不可”という判断を下し、結果的に広瀬さんの社会での居場所をひとつ奪ってしまいました。
しかしその判断が本当に正しかったのか。今でも悩むのです。
………ときに医師の判断は、患者の生命予後や人生まで大きく変えてしまう。
手術室でメスを振るい、患者の身体を切る外科医なら、医師の行為と結果の因果関係はわかりやすい。
しかしどの科であっても、結局のところ医師は、医師である限り、同じ業を背負って働いている……それは、産業医であっても同じことなんです」
「広瀬さん、“ALSに冒されても、出来る限り『エイチアイ石鹸株式会社』で働き続けたかった”って、さっき、おっしゃっていました………」
「ええ。ですが産業医として彼の就労可否判定に悩んでいた頃、僕は “彼がもうこの会社では働けない理由”を、探してばかりいたように思うのです」
先生が思いつめた顔をしているのを見て、私は言った。
「でも『エイチアイ石鹸株式会社』、バリアフリー環境じゃないですから。
転んだらひとりで立ち上がれないとか、外出ができないという状況では、広瀬さんがあの会社で働き続けるのは、やはり難しかったのではないでしょうか」
「確かに、会社側の環境がそのままなら、ALSになってしまった広瀬さんが働き続けるのは難しかったでしょう。しかし在宅勤務制度を拡充するよう強く働きかけるなど、模索できる道はほかにあったのかもしれない。
ーーー“現状に、彼が適応できるのか、できないのか”
ーーー“以前与えられていた仕事を、もとと同じようにできるのか、できないのか”
僕はあの頃、そればかりを考えて、結論を出そうとしてしまいました…………。
“彼が参加できるために、会社や、社会の現状をどう変えればいいのか”、という視点が抜けていた。
その後悔は、強く残っているのです」
「“参加できるために、会社や、社会の現状をどう変えればいいのか”…………」
「ALSでは、病が進行し、身体の運動機能が失われても、意識や認知機能、感覚はおおむねクリアに保たれますが、ALS患者のうち生命維持のために気管切開術を受ける選択をするのは、患者の約3割だけと言われています。
もし“絶望”や“諦め”よりも『参加できる居場所』や『明日への希望』のほうが大きく感じられれば、気管切開を受けて、出来る限り長く生き続けたいと考える患者の割合は、もっと増えるのかもしれません………」
「鈴木先生…………」
「…………………」
『分身ロボットカフェ』を出て、鈴木先生と駅までの道を歩いた。
普段は速足の先生が、今日はゆっくりと、何かを考えるように歩き、私は隣に並んだ。
「今日はありがとうございました。ローストビーフ、とっても美味しかったですし、広瀬さんも楽しい人で…………」
ふと、鈴木先生が立ち止まった。
「足立さん」
鈴木先生が、私のほうに向きなおった。
「今日、広瀬さんのことをあなたに紹介したのは、僕の過去の失敗と後悔を、共有したかったらからです」
「失敗と後悔……ですか? どうしてですか? 広瀬さん、ああして新しい働き先を見つけて、前向きに過ごされていますし、今でも時々お店で会って、良好な関係でいらっしゃるんですよね? 何も問題ないと思いますが……」
「いいえ…………。広瀬さんは、退職後、自分の力で今の仕事を見つけました。でも、もしあのカフェとの出会いが無かったら、彼はおそらくもう、亡くなっています」
「えっ…………」
「『エイチアイ石鹸』を退職する前、広瀬さんは“延命を希望しないので、呼吸補助の処置は一切受けない”と言っていました………。もちろん、延命治療をするかどうかの決定自体は、患者自身に委ねられるべきこと。僕が口出しできることではありません………。
そして彼が『エイチアイ石鹸』を退職したあと、実際に、痰詰まりからの呼吸障害で、呼吸補助医療が必要になってしまった時期があったんです」
鈴木先生が続けた。
「主治医は広瀬さんに、非侵襲的陽圧換気の装着を勧めました。もしそれでも呼吸状態が改善しなければ、気管挿管、気管切開も必要だろう、とも………。
本来であれば広瀬さんは、その処置を断るつもりだった。
しかし痰詰まりを起こしてしまったその頃、ちょうど、あのカフェの存在を知って、採用試験を受けるタイミングだった……
悩んだ広瀬さんは、“まだやり残したことがある”と思い、土壇場でやはり、呼吸補助医療を受けることに決めたのです。結果、ああして回復し、ALSによる障害はありますが、今も生きて働けている」
「………でも、カフェの採用試験を受ける予定がなければ、治療を断って………そのまま亡くなっていたかもしれない………ってことですか……」
「ええ、おそらく。僕はかつて産業医として、彼に“復職不可”という判断を下し、結果的に広瀬さんの社会での居場所をひとつ奪ってしまいました。
しかしその判断が本当に正しかったのか。今でも悩むのです。
………ときに医師の判断は、患者の生命予後や人生まで大きく変えてしまう。
手術室でメスを振るい、患者の身体を切る外科医なら、医師の行為と結果の因果関係はわかりやすい。
しかしどの科であっても、結局のところ医師は、医師である限り、同じ業を背負って働いている……それは、産業医であっても同じことなんです」
「広瀬さん、“ALSに冒されても、出来る限り『エイチアイ石鹸株式会社』で働き続けたかった”って、さっき、おっしゃっていました………」
「ええ。ですが産業医として彼の就労可否判定に悩んでいた頃、僕は “彼がもうこの会社では働けない理由”を、探してばかりいたように思うのです」
先生が思いつめた顔をしているのを見て、私は言った。
「でも『エイチアイ石鹸株式会社』、バリアフリー環境じゃないですから。
転んだらひとりで立ち上がれないとか、外出ができないという状況では、広瀬さんがあの会社で働き続けるのは、やはり難しかったのではないでしょうか」
「確かに、会社側の環境がそのままなら、ALSになってしまった広瀬さんが働き続けるのは難しかったでしょう。しかし在宅勤務制度を拡充するよう強く働きかけるなど、模索できる道はほかにあったのかもしれない。
ーーー“現状に、彼が適応できるのか、できないのか”
ーーー“以前与えられていた仕事を、もとと同じようにできるのか、できないのか”
僕はあの頃、そればかりを考えて、結論を出そうとしてしまいました…………。
“彼が参加できるために、会社や、社会の現状をどう変えればいいのか”、という視点が抜けていた。
その後悔は、強く残っているのです」
「“参加できるために、会社や、社会の現状をどう変えればいいのか”…………」
「ALSでは、病が進行し、身体の運動機能が失われても、意識や認知機能、感覚はおおむねクリアに保たれますが、ALS患者のうち生命維持のために気管切開術を受ける選択をするのは、患者の約3割だけと言われています。
もし“絶望”や“諦め”よりも『参加できる居場所』や『明日への希望』のほうが大きく感じられれば、気管切開を受けて、出来る限り長く生き続けたいと考える患者の割合は、もっと増えるのかもしれません………」
「鈴木先生…………」
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