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Episode② 港区ラプソディ

第9章|弱肉強食の世界 <38>興信所の調査報告書(密森司の視点)

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<38>



ーーーーーー夜。


『ジュリー・マリー・キャピタル』のオフィスを出て、軽い運動がてら道を歩き、家に向かった。


今日は帰ったら、何を飲もうかな。
そんなことをのんきに考えていたら、ほどなく自宅に着いた。

居住者用のセキュリティキーをタッチして、エントランスに入るドアを開ける。


このマンションの、全体的に濃い茶色で統一されたエントランスホールは、天井が高く広々とした作りだ。
時間帯が遅いこともあり、いくつか置かれたソファには誰も座っていなかった。

隅の方に置かれたフロントデスクには、24時間常駐のコンシェルジュが立っている。
ちらと見ると、係の女性が深々と腰を曲げて挨拶したあと、こちらに駆け寄ってくるのが見えた。


「お帰りなさいませ、密森様。お荷物が届いておりました」


マンションのコンシェルジュが手渡してきたのは、封書だった。
以前に依頼していた、興信所の調査レポートだろう。
もちろん、外から見てもそれとわからないよう、差出人部分の記載は一般的な会社風にして書かれているが……。


「ありがとう、お疲れ様です」


受け取りサインをしたあとで、軽く笑って彼女に挨拶した。このマンションの管理会社スタッフはよく教育されている。対応が丁寧で、好感が持てる。


受け取ったものを片手に持ち、ピカピカに磨かれた格子模様の床の上を靴音を鳴らして歩いた。


生体認証でエレベーターホールに進み、セキュリティキーを再度タッチして、自室のある階のボタンを押す。


「……正直、別にここまで厳重なセキュリティにしてくれなくても、俺はいいんだけどなァ」


そうぼやきながら自室に戻ると、封を開けた。


(前に頼んでいた産業医の調査書だな。ま、もう、鈴木先生は契約終了にしちゃったんだけど)




――――産業医の鈴木風寿。



悪い人材ではないと思った。能力はありそうだと感じた。だが雇用コストが高い。

しかもアイツは多分、俺の言う通りには動かないだろう。


日本の人事は、いざとなると同僚の首を切ることを極端に恐れる。
だが、裁判を起こされて和解金を支払うことまで覚悟すれば、日本の会社でも正社員を解雇することは可能だ。

もし病気がらみの問題があると話は少々ややこしくなるが、労働者の権利だの、安全配慮義務だのと、人事-産業医-社員で三すくみの長期戦をやるくらいなら、アタマの軽い医者を必要に応じて連れて来て、さっさと会社の意図通りの診断書を書かせる方が、こちらはずっと楽で都合が良い。
俺の経験上、不慣れな産業医のほうが、ホイホイと言われた通りに対応してくれるものだ。



(ま、一応読むか……)


俺は、報告書を封筒から取り出した。


興信所のレポートは、きわめて古めかしい作りだ。

過去の遺物「ワープロ」で打ったのかと思うような、絶妙な字間で文字が綴られている。

レポートはB4用紙に片面印刷して印刷面を半折にし、数か所をホチキスで留めて本のような形にされている。きょうび、この方式で作られた冊子を見ることは滅多にない。

ただ、俺が懇意にしている興信所の調査員は、時代遅れの骨董品ながら、グレーな調査も四の五の言わず請け負ってくれるし、ウデが確かで口も堅い。

いまどきのチャラチャラしたコンプライアンス野郎のほうが、うっかり機密情報を入れたUSBを道に落としたり、飲み会で調子こいて自慢ついでに口を滑らせたりするので、まったく信用ならないというのが俺の持論である。


ページをめくった。


-----------------------------------------------------------------------
鈴木 風寿。 三十六歳。
本籍、神奈川県横浜市。
一九XX年X月X日 鈴木良介、絹子の長男として誕生。兄弟姉妹なし。
二〇XX年、有名進学校として知られる××高校に進学。
二〇XX年、九州医科大学医学部医学科に進学。
大学在学中、父親の経営していた建築関連会社が倒産し廃業。
二〇XX年、父親他界。
二〇XX年、大学卒業、医師免許を取得し医籍登録。
福島県×××総合病院にて初期研修医二年、その後も継続して勤務(内科)。
二〇XX年、東京に転居し、『株式会社E・M・A』に就職。

現住所は東京都台東区根津××-×-×××。
独居。婚姻歴なし。独身。
-----------------------------------------------------------------------


「へーえ。なかなか陰翳いんえいのある、人生履歴ですなぁ……」


人間の履歴書や、身元調査の経歴ページを見るのは大変面白い。
自然と何かしら、その人物の物語ストーリーの手触りが浮かび上がってくるからだ。


報告書には、調査日の行動履歴が添付されていた。
今回は簡易調査の依頼なので、行動履歴も簡単なものだ。


-----------------------------------------------------------------------
X月X日
昼:『エイチアイ石鹸株式会社』『××株式会社……』
同僚と思われる女性と会社訪問を繰り返す。

夜:港区六本木『鮨さいたふ』にて待ち合わせた女性と二人で会食。
女性を伴いホテル『ザ・プリッツ・カールトン東京』に数時間滞在の後、0時頃一人で自宅に戻った。
-----------------------------------------------------------------------



「『鮨さいたふ』かよ……おいおい、いいもん食ってんなぁ」



この店は、今では会員制となってしまった、日本有数の寿司の名店である。

一席の予算は、1人4-5万円。だが金がいくらあっても、一見いちげんでは予約が取れない。存在を知らせたところで、そもそもコネがないと予約が取れないとわかっているので、庶民向けのグルメ雑誌には載らなくなった、幻の名店。

食通の社長連中を接待で連れて行っても、十分に喜ばれる店だ。気軽に晩飯を食いに行くような店ではない。

こんな店に連れて行くということは、コイツが鈴木の彼女か? 記念日か何か?


報告書には、数枚のカラー写真が添付されていた。


「イイ女だわ」


鈴木と並んで歩いていたのは、女優かモデルか? と思うような、遠目の写真でも際立った美人だった。
ファッションセンスも、洗練されている。


鈴木も女も、リラックスしたような笑顔。
これは作り笑顔の類ではないな。


俺は前職に居た頃、周辺でおきた恋愛沙汰、不倫、セクハラ事案のほぼ全てを把握していたため、“事情通の密森”と呼ばれていた。

が、別に誰かがタレコミをしてきたわけではない。

男女の関係性など、そいつらの様子を注意深く見ていれば、すぐわかる。
というか、そんなもん、分からない方が不思議だろ? アホか。という感覚だ。

でも他のヤツらには判別がつかないらしい。つまり、男女の機微に関して、俺はどうやら、他の人間よりも特別に秀でた才能を持ち合わせている、ということらしい。


「……まー、写真だと確度はちぃと下がるけど、こりゃ……“お互い、すっかり馴染んでる”ってとこか。ケッ。うらやましーじゃねぇか」


もう一枚の写真を見る。


(…………………………ん。)

目を凝らしてみると、鈴木が連れていた女の、左手薬指に、結婚指輪が嵌まっていた。



報告書1ページ目の鈴木のプロフィールを見返す。


――――兄弟姉妹なし。独居。婚姻歴なし。独身。

「――――“ホテル『ザ・プリッツ・カールトン東京』に数時間滞在の後、0時頃。”……へえ…………」


俺の勘によれば、多分。




「昼はクソ真面目な顔してお医者さん。
……でも人妻に惚れて、不倫沼にハマってる……、ってところかな? 」



俺は、鈴木の澄ました眼鏡面を思い出し、思わず噴き出した。


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