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Episode② 港区ラプソディ

第9章|弱肉強食の世界 <37>栗栖さんの退院

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<37>

 その後、栗栖さんから“退院日が決まった”という知らせがあって、当日、とくに予定がなかった私は、ご挨拶がてら港区の総合病院に行くことになった。


病室を訪ねると、栗栖さんはもうすっかり荷物をまとめて、身なりを整えベッドの上に座っていた。ヘアスタイルもメイクもバッチリ決まっている。


「あ、足立さん! 私、だいぶ元気になったわ。そろそろ充電期間も完了よっ」
栗栖さんの笑顔は、いつか雑誌の写真で見たように、自信にあふれたものに戻っていた。


「栗栖さん、ご退院おめでとうございます。今日は何かお手伝いすることがあればと思って、お伺いしたのですが………」言いながら私は、綺麗に片づけられた病室を見回した。


「ううん、そんなのないわよ。だってそれほど荷物も多くないし、手続きを終えたら病院玄関から自宅までタクシーで直行直帰するし。でもあなたに会いたかったから、来てくれて嬉しいわ。あ、そうだ、今日は足立さんに渡したいものがあるの」


そう笑って栗栖さんは、手元のボストンバッグを探った。

秋を迎えてもまだ暑い日が続く東京だけど、日によっては少し涼しくなってきた。
病室の窓の外には、秋晴れという感じの明るい空が広がっていた。



「これこれ。はいどうぞ、差し上げるわ」

栗栖さんが手渡してくれたのは、一冊の本だった。


「あ、ありがとうございます」
私は本の題名を読み上げた。
「『働く女性の服装・ゴールデンルール』………? 」


「それ、若い頃から何度も読み返してきた、私のバイブルのひとつなの。入院後半、元気になってくると今度は暇になっちゃって、インターネットショッピングで本を買って病室まで宅配してもらって読んでいたんだけど、色々と本を検索していたらレコメンド機能でこの本が画面に出てきて。探せば自宅にも古いのがあるんだけど、懐かしくてつい買ってしまったの。良かったらもらってちょうだい」


「栗栖さんのバイブル………ですか」


 
 作者名を見ると外国人の名前だった。最初は海外で出版され、日本語に訳された本らしい。

パラパラとページをめくると、働く女性の服装について、イラスト付きで詳しく書いてあった。新入社員、中間管理職、役員……それぞれのクラスごとにお勧めのスーツや、中途採用の面接を受けるとき、パーティ、仕事仲間とのプライベートな集まりなど場面ごとで選ぶべき服装の基準、カラーコーディネイト術などが書いてあった。


「この前、江鳩とじっくり話をしたわ。もちろん人間同士、個性があるし、完全に分かり合うことは難しい。けれど、足立さんのアドバイスを思い出しながらゆっくり彼と向き合ったら、前よりも結束が強くなったと思う。
密森から聞いていると思うけど、江鳩が抱えていた案件もおかげ様でうまくいったし、江鳩も元気になったから、問題解決済みということで『株式会社E・M・A』との産業医契約はいったん終了にさせて頂くことになったの。
でも足立さんや鈴木先生が来てくれたこと、本当にありがたかった」


「そう言って頂けて、私も嬉しいです」

「だけどね、足立さん」

「は、はいっ」

「あなたのあの服装はダメだと思うのよ。もったいない! せっかく能力があるのに、ド新人みたいなリクルートスーツに安っぽいインナーを合わせていたら、相手にあなたの存在価値を低く見積もられてしまうわ。社員の健康をサポートするプロとしてアピールできる、もっと適切な服装をするなの………あっ」


「?? 」


「あらやだ。私、また『』、って言っちゃったわ、ごめんなさい」



私達は、目を合わせてクスリと笑った。


「いえいえ、お気になさらないでください」
それは私の本心だった。自分の仕事服がダサいことは自覚している。


「海外では女性の社会進出が進んでいる、って言われるけれど、日本よりは進んでいるというだけで、まだまだ戸惑っている女性は多いのよ。この本の作者はアメリカ人だけれど、周囲の女性が、チャンスを与えられたのに、会社でどう振る舞っていいかわからずに失敗する例を沢山見て、この本を書き、世界中の女性達に支持された。私が若い頃から重版を繰り返している、隠れたベストセラーなの。
男性が作ってきた社会のルールは、組織で目的を達成するのには向いている面もある。男性は男性なりに、規律に従っていたりもする。そこにスムーズに入っていき、受け入れられて一緒に働くためには、外見も大切だから………。足立さんがもっと素敵に、自分らしく働けるようになってほしいと思って」


「ありがとうございます。参考にしてみます! 」
栗栖さんの言葉は、先輩女性からの力強い応援メッセージに思えた。


「そうそう。私って『企業占い』が得意なの。やってみる? 」
栗栖さんが、私の持っていた本の後ろの方を開いた。
「このページ、私、大好き。数えきれないくらい何回も読んだわ。クライアントのタイプに合わせて、どういう風に服装をアジャストすると好まれるかが書いてあるのよ。足立さんが担当している会社、差し支えなかったらいくつか教えてくれる? 」


「えーと……例えば…………」

私は、鈴木先生と企業訪問で回った会社の名前を挙げた。実際には私、2か月限定で鈴木先生とペアにしてもらっているだけだから、厳密にいうと“私が担当している会社”ではないんだけど。


「なるほどねェ。面白いわ。足立さんが担当している会社って、HOZUMA関連が多いのね。じゃあ、“保守的な風土”がありそうだわ」


「HOZUMA………って、あのHOZUMAですか? 」


「そうよ。たとえば足立さんが言っていた『エイチアイ石鹸株式会社』の『エイチ』は、HOZUMAの“H”。HOZUMAは歴史が古い大企業で子会社が沢山あるから、名前だけではわかりにくいものも多いけど、間違いないわよ。あ、そういえばおたくの会社が入っているビルも、HOZUMA関連の不動産会社の持ち物ね。自分の会社を立ち上げるときに区内のオフィス用ビル物件を色々見たから、覚えているわ」


「あの………、“保守的な風土”がある会社で働くときは、どんな服装がお勧めですか? 」


「あーその場合にはね。華美すぎず、ベーシックな色や形の服に、インナーや小物でアクセントをつけるといいわ。ブランド名がはっきり分かるような服やカバンはお勧めしない。そうか。あなたが一緒に行動している鈴木先生も、これ系統のファッションだものね…………」


「ありがとうございます。栗栖さんの占い結果をもとに、今度、服を買いに行ってみます! 」


「ふふ。次にいつかビジネスシーンでお会いできるのを、楽しみにしてるわ。
でも私、これからは『べき』と『ねばならない』のジャッジは控えめにするから、安心してね」


「あ、はい! 判定はお手柔らかにお願いします! 」


私たちは笑った。



…………栗栖さんを見ていると、思う。

『べき』とか『ねばならない』にも、きっと効用はあるんだ、って。


雑誌に載っていた栗栖さんの写真、いかにもキャリアウーマンって感じで、かっこよかった。

初対面の時も、栗栖さんのファッションセンスに思わず目を奪われた。


『べき』や、『ねばならない』が、過剰になりすぎたり、自分や他人を攻撃するのに使われたりすると、人の心を傷つけてしまう。

でも適度に使いこなせれば、役に立つこともあるはず…………。


私もこれから、自分なりの『べき』と『まぁいいか』のちょうどいいバランスを、見つけていけるといいなぁ。

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