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第四章
4-27.課せられた罰
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ピチョン、ピチョンとリズム良く奏でられる不思議な音に意識がゆっくりと浮上して行く。
「俺は……」
ぼんやりとした視界に写るのは数本の蝋燭が灯されただけの薄暗い部屋。
見覚えのない小さな扉を目にして自室に居たはずなのにと違和感を覚えれば、痺れてしまったかのように手が動かないことに気が付いた。
「どうしたというのだ……それにしても此処はいったい……」
視線を向ければ質素な椅子に座っているという現実。別段縛られているわけでもなければ、痺れているのとも違い感覚自体はある。しかし手も足も、動かそうと思いいくら力を入れようともピクリとも動かないのだ。焦らぬ方がどうかしている。
「ようやくお目覚めか。危うく我慢が限界を迎えるところであったわ」
タイミングを見透かしたかのように扉から入ってきたのは二人の男。よく見知った彼らは十年以上も美味い汁を垂れ流してくれたウィンブル家の当主マナジアスと二男レディオス。
だがその顔は平素とは異なり、獲物を見つけた悪党の如く黒い薄ら笑いを浮かべていた。
「マナジアス、殿……」
本能が告げる警鐘に身を固くしたアウギュストだが、手足が動かなければ気持ちとは裏腹に後退ることすらままならない。
「アウギュスト、其方ならコレが何か分かるよな?」
挨拶もないまま、おもむろに懐から取り出されたのは茶色の小瓶だった。マナジアスの手により軽く振られるとカラカラと軽い音を立てて注目を得ようとする。
「──っ!!」
音を出すのは当然のように小瓶の中身だ。
ソレは二日に一度の割合でフローラに飲ませていた錠剤。自我を奪い軽い催眠状態へと陥らせる魔の薬は、従順な性奴隷を作るのに欠かせないものだった。
何故その小瓶がマナジアスの手にあるのか理解出来なかったが、全てが悪い方向へと転がっている今、朗報であるとはとてもではないが思えるはずもない。
──バレている
そう考えれば先日まで悩み疲れた様子だった男が態度を一変し、力強く蔑むような目で見てくることと辻褄が合う……合ってしまうのだ。
逃げることの叶わぬこの状況。否応なしに高鳴る心臓は耳にうるさく、どう言い逃れをするかを考える邪魔をして煩わしささえ感じた。
「良い、答えずともその顔を見れば答えを聞いたも同然だ」
「ならば父上、あの者が言ったことも真実だということですね?この男が純真無垢なフローラの身体を良いように弄んだとぉっっ!!」
視界がブレ、頬が熱を帯びる。脳を揺さぶる衝撃は幾度も続くが、防ごうにも手足はピクリとも動かないため、必死に身を捩ってはみるものの、そんなことくらいで避けられるはずがなかった。
「こんな男にぃっ!俺達のフローラがっっ!!辱められるなどぉぉっ!!!!」
血走った目に溢れんばかりの怒気を湛えたレディオスの拳に容赦はない。
──恐怖
度重なる痛みに『止めてくれ!』と叫びたくなる。が、しかし、声を上げる前に強制的に口が歪められ漏れでる音が言葉とはならなかった。
右に振られた頭は直ぐに左へと飛ばされる。己の言うことを聞かなくなった身体は翻弄され、まるでレディオスの言うことを聞くようにでもなったかのように右に左にと叩きつけられる拳に従い向きを変え続ける。
「一先ずの気は済んだか?」
一方的な暴力は十分近くに渡った。今にも椅子からずり落ちそうなアウギュストの顔は見るも無惨に腫れ上がり、抗えない暴力に晒されることにより精神的にもかなり疲弊して項垂れている。
その一方、彼の目の前で両手を膝に当てて肩を上下させるレディオスもまた、全力で動き続けたために疲労がピークに達して動けないでいた。
「では、次は私の番だな」
──は!?
背後から首根っこを捕まれ強制的に元の姿勢に戻されたアウギュスト。耳から入った音は脳に認識され、ようやく収まったと思われた暴力が繰り返されるのだと認識した途端、床に落ちていた視線が言葉を発した主を探して慌てて動き出す。
その瞬間、再びブレた視界。
椅子から転げ落ちそうになるもそうはさせまいと何者かが肩を掴んで離さない。再び訪れるだろう恐怖に身を固くしたものの想像するような衝撃はただの一度きりで終わりを迎える。
「ぐぅっ……ぁぐ……」
荒い息を吐きながらも恐る恐る視線を向けようとすれば、今度はなけなしの髪を掴まれ元の姿勢へと戻された。
「当初、フローラを毒牙に掛けたと聞いたときには殺してやりたいと抑えきれないほどの強い衝動を覚えたものだ。しかし、時間を置かさせられたことにより少しだけ冷静になることができた。
お前は十年以上に渡りあの娘を苦しめたのだ、一瞬で終わる恐怖程度で済ましたとあらば後で後悔する。だから敢えてお前にはフローラと同じ状態になってもらったのだよ」
手足が動かない理由、それはヨンデルがフローラにしたことをそっくりそのままアウギュストに行った為だ。
施行者はもちろんヨンデルではない。
半ば強制的にフローラ快気の晩餐会に出席するよう言われたアウギュストは、準備が整うまでの間あてがわれている自室へと戻った。そこで待機していたヨンデルに状況の説明と枢機卿ゲムルギスへの連絡を指示したのだが、一度落ち着こうと用意させた紅茶を口にした後の記憶は彼には無い。
と、いうのも、その紅茶には先程マナジアスが見せた小瓶の中身である “くすり” が混ぜられており、命令に従い自らの足でこの地下室へとやってきたのだ。
その後、ヨンデルと似たような気功技術を習得しているディアナが再生魔法と組み合わせてフローラが患っていたとされた病を再現してみせたのだ。
「どうだ?少しはあの娘の気持ちが理解できたかね?」
「マ、マナジ……ぐふっ!」
動かぬ的を外すことなど、至近距離であればまずあり得ない。的確に鳩尾を捉えたマナジアスの拳は吐き出しかけたアウギュストの言葉を遮る。
不意の強打に身体をくの字に曲げるアウギュストであったが、そのままマナジアスへと倒れ込みそうになる彼の頭は、無けなしの髪を再び掴まれたことにより強制的に元の位置へと戻された。
「誰が喋って良いと言った?お前のようなクズはそんな単純なルールでさえ言われなければ理解できんのかね?」
一歩退がり距離を置くマナジアスは、咳き込み、苦しみを訴えるアウギュストを蔑むような眼差しで見下ろしながらも「まぁ、いい」と口にする。
「四肢の自由を奪われた苦しみは存分に味わってくれれば良い。だが、お前があの娘にしたのはそれだけではないよな?」
喋りながら動いたマナジアスの手。向かうその先にあったのは質素なこの部屋に不釣り合いなほどピカピカに磨き上げられた銀の台車。
それを、言いようのない悪い予感に襲われたアウギュストの視線が追い、これ見よがしに見せられたペンチに血の気が引いていく。
「あの娘は純粋無垢だった。それを、婚約者ですらないお前が良いように弄んでくれたらしいな」
「ま、待っ……ぐほっ!」
「喋る権利すらないことがまだ分からんか」
再び鳩尾に拳がめり込むが、髪を引っ張られたままのアウギュストには痛みで倒れ込む事すら許されない。
「あの娘と同様の苦痛をとは思うが、生憎、嫌悪すらするお前の尻穴を掘ってやる気など更々ない。そこで、どうしたらお前にあの娘の気持ちを分からせられるのかと一晩悩んでみたのさ」
目の前で音を立ててゆっくり開閉されるペンチ。カチッカチッと無機質な音が耳に入る度にアウギュストの全身に冷や汗が溢れ出す。コレから起こるだろうことが想像され、あまりの恐怖から脂汗までもが噴き出してくる。
「知っているかね?指先というのは神経が集まり敏感なのだそうだ」
動かない右手の人差し指、その先端に生える爪の先を静かに掴んだ銀色のペンチ。その一部始終を「止めろ、止めろ」と小さく呟きながらも、見開いた目でしっかりと追っていたアウギュストの手に何処からともなくやってきた細い手が添えられる。
「!!!!」
あまりの驚きに首を回せば、自分を見つめてにっこりと微笑む見慣れた女。切長の目に整った顔立ち、貴族子女だと言われてもおかしくない容貌の彼女はこの屋敷のメイド長を務めるランザ。彼女がこの場に居たこと自体に驚くアウギュストだが、動かないと分かっている手をわざわざ押さえつける意味にまでは理解が追いつかなかった。
恐怖に怯える目が彼女を捉えた直後、現状を思い出せと言わんばかりにマナジアスの手が動きを見せる。
それに伴い急激に移動を開始した鉄の口。咥えられたままの半透明な硬い皮膚は勢いに耐えきれず、離れたくないとしがみ付く肉の一部を連れてアウギュストの元を離れる。
「ぎぃぃやあぁぁぁぁああああぁぁああぁぁぁぁああああぁぁぁぁっっ!!!!」
耳障りな声が上がるまで一瞬の間が空いたのは己の身に何が起こったのか理解が出来なかったから。
指先に熱と激しい痛みとを感じたアウギュストは赤い鮮血に目を見開くことでようやく現状を理解し、ぐちゃぐちゃに入り混じる感情の全てを腹の底から吐き出だした。
よもや枢機卿の息のかかる自分が拷問を受けることになるなどとは夢にも思ってなかったのだろう。これは何か言うことを聞かせる為の脅し、その程度の認識であり、ヨンデルが戻るまでの屈辱だと勝手に思い込んでいたのだ。しかし現実はアウギュストの想像など簡単に覆してみせた。
気が狂いそうになるほど激しい痛みのため集中することなど到底無理であり、得意とする再生魔法の行使など出来るはずもなかった。
「痛いか?クククッ。だが大丈夫だ、お前を死なせたりはしないさ……ランザ」
視線のみで返事をした女は動かぬようにと押さえていた右手から白い光を発する。
「ふふっ。久々でしたが腕は鈍っていないようですわ」
白光が集まったのはアウギュストの指先。見る見る間に血は収まり、気が付けば剥がされたはずの爪が何事もなかったかのように元に戻っている。
それに気が付いたアウギュストが荒い息をしながら直ぐ隣にある美人顔へと驚愕を向けたのは言うまでもない。
「それは何より。どうせ治らぬのなら最初からお前に主治役を任せるべきであった。あの娘が傷物になったのは私の落ち度でもあるな」
「いいえ、旦那様、それは違います。最高峰の再生師だとの教会の言葉に踊らされ、お嬢様の治療を任せっきりにした私にこそ責があります」
「馬鹿を申す……いや、よそう。全ては牙を剥いたこのクズのせいだ」
不毛な言い争いになると悟ったマナジアスは、手に持ったままのペンチを音を立てて開閉させると再びアウギュストの爪を掴んだ。
「っ!!や、やめ……」
「たとえばあの娘が『止めて』と懇願したならお前は止めたのか?事の直前になってこの汚らしい汚物を大人しく仕舞ったというのかっ!?」
「そっ、それは……」
レディオスの懐から取り出されたのは瓶詰めにされた男根。だが、如何に元々自分の持ち物であったとはいえ、そんなモノを目の前に突き出されれば目を逸らしてしまうのも頷ける。
しかし、瓶が床へと投げつけられ、解放された自分の男根がこれ見よがしに踏み躙られればそうも言ってはいられない。
「──っ!?止めっ……」
「立場が逆転しただけだよアウギュスト、お前の摂理は何も変わらない。よって、お前より強者たる私が自らの欲望に従い動くことをお前には止められないのだよ」
「ひぎゃあああああぁぁあああぁぁぁあああっっ!!!!」
赤を纏い再び剥がされた爪。それと同時に部屋にこだますのは耳障りな声だ。
だが先程とは違い剥がされた爪は直ぐに傷口へと押し当てられる。それを包み込むのは白い光。
「安心しろと言っただろう。なにも命を取ろうなどとは思っていやしない。例え傷を負ったとてランザの再生魔法が癒してくれるぞ?」
「ま、まっ……っ!!」
三度掴まれた爪先に視線が釘付けになる。
傷自体は綺麗さっぱり治っている。しかし、これから訪れる苦痛はまだ余韻として指に、腕に、脳に残っているのだ。もはや想像するまでもなく分かりきった直近の未来に恐怖し目を見開くが、そんなモノで未来が変わるほど緩い世界に置かれていない。
「お前はもたらされる痛みだけを存分に味わうが良かろう。それはお前があの娘に与えた痛みだからな、少なくともあの娘が苦しんだと同じ
年月は楽しませてやろうぞ」
再び引かれたマナジアスの手。それに応えるのは好き放題を貪った男の断末魔にも等しい悲痛な叫び声。しかし、いくら害されようともその度に傷は癒される。
罪人たるアウギュストに死という解放は与えられず、ただひたすら痛みを味わうだけの毎日が義務付けられたのだった。
「俺は……」
ぼんやりとした視界に写るのは数本の蝋燭が灯されただけの薄暗い部屋。
見覚えのない小さな扉を目にして自室に居たはずなのにと違和感を覚えれば、痺れてしまったかのように手が動かないことに気が付いた。
「どうしたというのだ……それにしても此処はいったい……」
視線を向ければ質素な椅子に座っているという現実。別段縛られているわけでもなければ、痺れているのとも違い感覚自体はある。しかし手も足も、動かそうと思いいくら力を入れようともピクリとも動かないのだ。焦らぬ方がどうかしている。
「ようやくお目覚めか。危うく我慢が限界を迎えるところであったわ」
タイミングを見透かしたかのように扉から入ってきたのは二人の男。よく見知った彼らは十年以上も美味い汁を垂れ流してくれたウィンブル家の当主マナジアスと二男レディオス。
だがその顔は平素とは異なり、獲物を見つけた悪党の如く黒い薄ら笑いを浮かべていた。
「マナジアス、殿……」
本能が告げる警鐘に身を固くしたアウギュストだが、手足が動かなければ気持ちとは裏腹に後退ることすらままならない。
「アウギュスト、其方ならコレが何か分かるよな?」
挨拶もないまま、おもむろに懐から取り出されたのは茶色の小瓶だった。マナジアスの手により軽く振られるとカラカラと軽い音を立てて注目を得ようとする。
「──っ!!」
音を出すのは当然のように小瓶の中身だ。
ソレは二日に一度の割合でフローラに飲ませていた錠剤。自我を奪い軽い催眠状態へと陥らせる魔の薬は、従順な性奴隷を作るのに欠かせないものだった。
何故その小瓶がマナジアスの手にあるのか理解出来なかったが、全てが悪い方向へと転がっている今、朗報であるとはとてもではないが思えるはずもない。
──バレている
そう考えれば先日まで悩み疲れた様子だった男が態度を一変し、力強く蔑むような目で見てくることと辻褄が合う……合ってしまうのだ。
逃げることの叶わぬこの状況。否応なしに高鳴る心臓は耳にうるさく、どう言い逃れをするかを考える邪魔をして煩わしささえ感じた。
「良い、答えずともその顔を見れば答えを聞いたも同然だ」
「ならば父上、あの者が言ったことも真実だということですね?この男が純真無垢なフローラの身体を良いように弄んだとぉっっ!!」
視界がブレ、頬が熱を帯びる。脳を揺さぶる衝撃は幾度も続くが、防ごうにも手足はピクリとも動かないため、必死に身を捩ってはみるものの、そんなことくらいで避けられるはずがなかった。
「こんな男にぃっ!俺達のフローラがっっ!!辱められるなどぉぉっ!!!!」
血走った目に溢れんばかりの怒気を湛えたレディオスの拳に容赦はない。
──恐怖
度重なる痛みに『止めてくれ!』と叫びたくなる。が、しかし、声を上げる前に強制的に口が歪められ漏れでる音が言葉とはならなかった。
右に振られた頭は直ぐに左へと飛ばされる。己の言うことを聞かなくなった身体は翻弄され、まるでレディオスの言うことを聞くようにでもなったかのように右に左にと叩きつけられる拳に従い向きを変え続ける。
「一先ずの気は済んだか?」
一方的な暴力は十分近くに渡った。今にも椅子からずり落ちそうなアウギュストの顔は見るも無惨に腫れ上がり、抗えない暴力に晒されることにより精神的にもかなり疲弊して項垂れている。
その一方、彼の目の前で両手を膝に当てて肩を上下させるレディオスもまた、全力で動き続けたために疲労がピークに達して動けないでいた。
「では、次は私の番だな」
──は!?
背後から首根っこを捕まれ強制的に元の姿勢に戻されたアウギュスト。耳から入った音は脳に認識され、ようやく収まったと思われた暴力が繰り返されるのだと認識した途端、床に落ちていた視線が言葉を発した主を探して慌てて動き出す。
その瞬間、再びブレた視界。
椅子から転げ落ちそうになるもそうはさせまいと何者かが肩を掴んで離さない。再び訪れるだろう恐怖に身を固くしたものの想像するような衝撃はただの一度きりで終わりを迎える。
「ぐぅっ……ぁぐ……」
荒い息を吐きながらも恐る恐る視線を向けようとすれば、今度はなけなしの髪を掴まれ元の姿勢へと戻された。
「当初、フローラを毒牙に掛けたと聞いたときには殺してやりたいと抑えきれないほどの強い衝動を覚えたものだ。しかし、時間を置かさせられたことにより少しだけ冷静になることができた。
お前は十年以上に渡りあの娘を苦しめたのだ、一瞬で終わる恐怖程度で済ましたとあらば後で後悔する。だから敢えてお前にはフローラと同じ状態になってもらったのだよ」
手足が動かない理由、それはヨンデルがフローラにしたことをそっくりそのままアウギュストに行った為だ。
施行者はもちろんヨンデルではない。
半ば強制的にフローラ快気の晩餐会に出席するよう言われたアウギュストは、準備が整うまでの間あてがわれている自室へと戻った。そこで待機していたヨンデルに状況の説明と枢機卿ゲムルギスへの連絡を指示したのだが、一度落ち着こうと用意させた紅茶を口にした後の記憶は彼には無い。
と、いうのも、その紅茶には先程マナジアスが見せた小瓶の中身である “くすり” が混ぜられており、命令に従い自らの足でこの地下室へとやってきたのだ。
その後、ヨンデルと似たような気功技術を習得しているディアナが再生魔法と組み合わせてフローラが患っていたとされた病を再現してみせたのだ。
「どうだ?少しはあの娘の気持ちが理解できたかね?」
「マ、マナジ……ぐふっ!」
動かぬ的を外すことなど、至近距離であればまずあり得ない。的確に鳩尾を捉えたマナジアスの拳は吐き出しかけたアウギュストの言葉を遮る。
不意の強打に身体をくの字に曲げるアウギュストであったが、そのままマナジアスへと倒れ込みそうになる彼の頭は、無けなしの髪を再び掴まれたことにより強制的に元の位置へと戻された。
「誰が喋って良いと言った?お前のようなクズはそんな単純なルールでさえ言われなければ理解できんのかね?」
一歩退がり距離を置くマナジアスは、咳き込み、苦しみを訴えるアウギュストを蔑むような眼差しで見下ろしながらも「まぁ、いい」と口にする。
「四肢の自由を奪われた苦しみは存分に味わってくれれば良い。だが、お前があの娘にしたのはそれだけではないよな?」
喋りながら動いたマナジアスの手。向かうその先にあったのは質素なこの部屋に不釣り合いなほどピカピカに磨き上げられた銀の台車。
それを、言いようのない悪い予感に襲われたアウギュストの視線が追い、これ見よがしに見せられたペンチに血の気が引いていく。
「あの娘は純粋無垢だった。それを、婚約者ですらないお前が良いように弄んでくれたらしいな」
「ま、待っ……ぐほっ!」
「喋る権利すらないことがまだ分からんか」
再び鳩尾に拳がめり込むが、髪を引っ張られたままのアウギュストには痛みで倒れ込む事すら許されない。
「あの娘と同様の苦痛をとは思うが、生憎、嫌悪すらするお前の尻穴を掘ってやる気など更々ない。そこで、どうしたらお前にあの娘の気持ちを分からせられるのかと一晩悩んでみたのさ」
目の前で音を立ててゆっくり開閉されるペンチ。カチッカチッと無機質な音が耳に入る度にアウギュストの全身に冷や汗が溢れ出す。コレから起こるだろうことが想像され、あまりの恐怖から脂汗までもが噴き出してくる。
「知っているかね?指先というのは神経が集まり敏感なのだそうだ」
動かない右手の人差し指、その先端に生える爪の先を静かに掴んだ銀色のペンチ。その一部始終を「止めろ、止めろ」と小さく呟きながらも、見開いた目でしっかりと追っていたアウギュストの手に何処からともなくやってきた細い手が添えられる。
「!!!!」
あまりの驚きに首を回せば、自分を見つめてにっこりと微笑む見慣れた女。切長の目に整った顔立ち、貴族子女だと言われてもおかしくない容貌の彼女はこの屋敷のメイド長を務めるランザ。彼女がこの場に居たこと自体に驚くアウギュストだが、動かないと分かっている手をわざわざ押さえつける意味にまでは理解が追いつかなかった。
恐怖に怯える目が彼女を捉えた直後、現状を思い出せと言わんばかりにマナジアスの手が動きを見せる。
それに伴い急激に移動を開始した鉄の口。咥えられたままの半透明な硬い皮膚は勢いに耐えきれず、離れたくないとしがみ付く肉の一部を連れてアウギュストの元を離れる。
「ぎぃぃやあぁぁぁぁああああぁぁああぁぁぁぁああああぁぁぁぁっっ!!!!」
耳障りな声が上がるまで一瞬の間が空いたのは己の身に何が起こったのか理解が出来なかったから。
指先に熱と激しい痛みとを感じたアウギュストは赤い鮮血に目を見開くことでようやく現状を理解し、ぐちゃぐちゃに入り混じる感情の全てを腹の底から吐き出だした。
よもや枢機卿の息のかかる自分が拷問を受けることになるなどとは夢にも思ってなかったのだろう。これは何か言うことを聞かせる為の脅し、その程度の認識であり、ヨンデルが戻るまでの屈辱だと勝手に思い込んでいたのだ。しかし現実はアウギュストの想像など簡単に覆してみせた。
気が狂いそうになるほど激しい痛みのため集中することなど到底無理であり、得意とする再生魔法の行使など出来るはずもなかった。
「痛いか?クククッ。だが大丈夫だ、お前を死なせたりはしないさ……ランザ」
視線のみで返事をした女は動かぬようにと押さえていた右手から白い光を発する。
「ふふっ。久々でしたが腕は鈍っていないようですわ」
白光が集まったのはアウギュストの指先。見る見る間に血は収まり、気が付けば剥がされたはずの爪が何事もなかったかのように元に戻っている。
それに気が付いたアウギュストが荒い息をしながら直ぐ隣にある美人顔へと驚愕を向けたのは言うまでもない。
「それは何より。どうせ治らぬのなら最初からお前に主治役を任せるべきであった。あの娘が傷物になったのは私の落ち度でもあるな」
「いいえ、旦那様、それは違います。最高峰の再生師だとの教会の言葉に踊らされ、お嬢様の治療を任せっきりにした私にこそ責があります」
「馬鹿を申す……いや、よそう。全ては牙を剥いたこのクズのせいだ」
不毛な言い争いになると悟ったマナジアスは、手に持ったままのペンチを音を立てて開閉させると再びアウギュストの爪を掴んだ。
「っ!!や、やめ……」
「たとえばあの娘が『止めて』と懇願したならお前は止めたのか?事の直前になってこの汚らしい汚物を大人しく仕舞ったというのかっ!?」
「そっ、それは……」
レディオスの懐から取り出されたのは瓶詰めにされた男根。だが、如何に元々自分の持ち物であったとはいえ、そんなモノを目の前に突き出されれば目を逸らしてしまうのも頷ける。
しかし、瓶が床へと投げつけられ、解放された自分の男根がこれ見よがしに踏み躙られればそうも言ってはいられない。
「──っ!?止めっ……」
「立場が逆転しただけだよアウギュスト、お前の摂理は何も変わらない。よって、お前より強者たる私が自らの欲望に従い動くことをお前には止められないのだよ」
「ひぎゃあああああぁぁあああぁぁぁあああっっ!!!!」
赤を纏い再び剥がされた爪。それと同時に部屋にこだますのは耳障りな声だ。
だが先程とは違い剥がされた爪は直ぐに傷口へと押し当てられる。それを包み込むのは白い光。
「安心しろと言っただろう。なにも命を取ろうなどとは思っていやしない。例え傷を負ったとてランザの再生魔法が癒してくれるぞ?」
「ま、まっ……っ!!」
三度掴まれた爪先に視線が釘付けになる。
傷自体は綺麗さっぱり治っている。しかし、これから訪れる苦痛はまだ余韻として指に、腕に、脳に残っているのだ。もはや想像するまでもなく分かりきった直近の未来に恐怖し目を見開くが、そんなモノで未来が変わるほど緩い世界に置かれていない。
「お前はもたらされる痛みだけを存分に味わうが良かろう。それはお前があの娘に与えた痛みだからな、少なくともあの娘が苦しんだと同じ
年月は楽しませてやろうぞ」
再び引かれたマナジアスの手。それに応えるのは好き放題を貪った男の断末魔にも等しい悲痛な叫び声。しかし、いくら害されようともその度に傷は癒される。
罪人たるアウギュストに死という解放は与えられず、ただひたすら痛みを味わうだけの毎日が義務付けられたのだった。
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