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第四章
4-23.渦巻く思惑は十人十色
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出入りの激しい宮殿にありながら来客の通らないこの場所は当然のように人気がなく、堅い皮が床を蹴りつける音だけが我が物顔で音色を奏でる。
(軍務大臣を手始めに、財務大臣や法務大臣はすでに落とした。今の情勢なら放っとけば向こうから寄ってきそうだが、あとは格下の官僚も落としておいた方が……)
「ん?」
誰もいない廊下で足を止めたのは彼のカンが危険を察知したからに他ならない。
しかしその時には既に手遅れであり、喉元に触れた冷たい物へと視線を落とせば、それが差し込む午後の陽を反射する刃物であることが容易に分かる。
「何のつもりだ?」
「逆に問おう。貴様、何を考えている?」
姿こそ見えないものの映えある宮廷十二機士第二位の自分の背後がこうも簡単に取れる者など限られている。また、声からして間違いないだろうと人物の特定が終わったラドルファスは相手の思惑を読みにかかる。
「今晩のデザートはどの娘を選ぶのか、についてだが?」
「茶化すな。このまま首を落としても構わんのだぞ?」
「ふむ……魔攻機装では敵わぬと悟り生身を狙って来るったぁ多少なりとも頭が回るようになったじゃないか」
「どのような口上を述べても退かぬ。何故帝国を乱す?何故アシュカルなどという小者に肩入れするのだ?答えよ」
「お前さぁ、仮にも主家の人間に対して小者とか、ないんじゃない?」
国の剣となるべき宮廷十二機士でありながら現皇帝サディアス個人の懐刀として諜報を行うアッティラは当然のように第二皇子アシュカルに与するラドルファスの動向も探っている。
「出来損ないに支配させれば、長年我らが守り続けた帝国は終わる。それが分からぬお前ではあるまい?愚者は排除すべきであって祭り上げる価値などない」
赦しを乞い、延命を必死に訴える。生殺与奪を奪われた者は震え上がって知っているコトを洗いざらい吐くのが殆どなのだ。
マイノリティーとしてあげられるとすればアッティラのような特殊な存在。覚悟の決まった者や特別な訓練を受けた忍びであれば、例えどのような屈辱や痛みを与えられたとて口を割ることなく最後の時を迎えるだろう。
だがラドルファスは宮廷十二機士という栄誉ある地位を手に入れただけの戦士。危機的状況に陥れば一般人のソレと何ら変わりがない。だというのに彼が浮かべた感情は恐怖ではなく愉悦。あからさまに分かるよう口の端を吊り上げたのだ。
更に拍車をかけるのはあまりにも普段通りが過ぎる行動。普通の人間ならば身動ぎすら厭う状態に置かれながらも慣れた様子で取り出したタバコに火を付けたのだ。喉元に当てられた刃が数センチも動けば己の生命の灯火が消えるかも知れないこの状況下で。
「お前、俺を殺れるとでも思ってんのか?第二位のこの俺を?」
紫煙を吐き出したラドルファスは耳を疑う言葉を口にする。
こちらの気分一つで殺される状況だと知りながら敢えて自分を煽る理由はいったい何なのだ?
アッティラが答えを導き出せぬうちに次の言葉は投げかけられた。
「生まれながらにして必要とされない人物などいない。人は必ず、何かしらの役目を負って生命を授かるからだ」
「よもやお前が聖典を語るとは思ってもみなかったぞ」
「忍びのくせに洞察力が足りないんじゃないのぉ?俺の左耳には銀十字がぶら下がってるってぇ知らないのか?」
「ふんっ。そんなもの、ただの飾りであろう」
「さぁね。調べるのはキミの仕事だろう?」
「直接口を割らせるやり方もあると知らぬのか?」
僅かに動いた刃物がラドルファスに傷を付けた。喉元に引かれた赤い線はやがて小さな雫を認める。
しかし、まるでそのことに気付いていないかの如く、表情一つ変えないままに薄ら笑いを浮かべて煙を燻らせる男はアッティラの予想と違う答えを吐き出す。
「お前如きがこの俺の口を割らせられるとも思えないが、哀れな忍びに一つだけ答えてやろう」
「強がりはよせ。たとえ同じ宮廷十二機士だとて容赦する気など……」
「その宮廷十二機士の志しを俺は違えていない。ただ、お前と俺の行く道が違うというだけの話だ」
「全ては帝国の未来を想っての行動だ、と?」
「その通りだよ、愚かな忍びくん。俺の意図が読めないのなら黙って傍観していることだ」
アシュカル殿下は優秀だよ、と付け加えたラドルファスの思惑を読み解くことができない。それは時期尚早だと知りながら警告の意味を込めて接近したが故の弊害。忍びとて人間なのだ。自分の護るべきものが目の前で穢されていけば、いくら表面上は平穏を装おうとも内側たる心に波風が立たぬ筈もない。
「あらあらぁ~?昼間っからこぉんな公の場でイチャつくなんて、だっ・いっ・たっ・んっ♪ ラドってアタシと同じだったっけぇ?やだぁ、感激ぃぃぃ」
いつの間にか近くにいたのは宮廷十二機士第十位のグンデル・カスタネット。
ガン黒パンダメイクに膝上十五センチのプリーツスカート、そこから伸びる二本の足はしなやかさとはかけ離れた筋肉の塊である。ギャルのような仕草で大袈裟に巨体を揺らす様は殆どの者が見て『キモい』の一言に尽きる奇人だ。
しかし今は首輪のように掛けられたプラスチック製の三重ネックレスがカチャカチャと軽い音を立てているというのに、世界的強者たる二人共に気配を悟られぬままに忽然とそこに立っていた事実は彼が見かけ通りのふざけた男ではないことを示している。
「お前と同じにするな、糞かまマンバっ」
「あれあれぇ?じゃあ、アッちゃんの方が隠してた感じぃ?やっだぁ~、この太い腕ぇ、アタシ好みなんですけどぉ」
他人の首に刃物を当てているというのに、お構いなしにその腕を触ってくる非常識なグンデルからは拘束を解こうとする意思は感じられない。と、なれば、純粋に興味をそそられたから触っているのであり、このオカマは頭がおかしいと結論付けても不思議ではない。
ラドルファスの態度といい、この男の行動といい、己の常識が間違っているのかと少しばかり揺れ動くベテランの忍びは、もういいとばかりに刃を下ろした。
「俺は忙しい。用がないなら行くぜ?」
「あぁっ!ちょっとラドちゃん!?ポイ捨てはダメなんだからぁ!」
踏み潰されたタバコを拾い立ち去るラドルファスの後を追いかけるグンデル。曲げた両腕を豪快に振って走る様はオネエ走りそのものだが、冷めた目で見送るアッティラはもう何も思わない。
(……悪いな)
場を脱したラドルファスは、腕を絡ませてきたグンデルを気持ち悪く思いつつも礼のつもりで好きにさせる。アッティラを欺くほど平然を装いながらも、やはり危機的状況にどうしたものかと困り果てていたのだ。
何の思惑があってかは知らぬが助かった事実に変わりはない。作戦が中途半端過ぎる今はまだ、生命を失うわけにはいかないのだ。
(お礼は身体で払ってよねぇ?)
(ああ、満足するまでシバけばいいんだな?)
(やっだぁ、それも魅力てきぃ~)
(何でもありだな、お前)
(そんなに褒めると本気になっちゃうぅぅ)
(死ねっ!)
▲▼▲▼
「オレアナ~? オレアナ、何処にいるの?」
信頼する従者を探すのは金髪碧眼の少年。リヒテンベルグ帝国第三位帝位継承権をもつ七歳の男児ニズタントである。
自室の扉を開いた先は誰もいない廊下。宵闇の降り始めたその場所は薄暗く、物音一つ聞こえないがために彼の胸に不安という茨を巻き付けるに十分な効果があった。
「オレ、アナ……?」
部屋の中では元気いっぱいでも一歩外に出ればまるで別の世界。扉に縋り付き、心の拠り所となる存在を求めて紡がれた言葉は急速に尻すぼみしてしまい聞き取れないほどに掠れてしまう。
「殿下、暗くなってからの一人歩きはおすすめ致しません」
「グーチン!何処に行ってたの!?」
「申し訳ありません。小用が出来たものですからお側を離れました」
背後から声をかけたのは燕服の男。灰色の髪を油で寝かしつけ、小さなモノクルをかけた姿は誰もが思い描く執事そのもの。グーチン・ティンバレス、宮廷十二機士第四位にしてニズタント専属の従者でもある。
「仕事なら仕方がないよ、赦す。でもオレアナと二人して居なくなると僕が困る」
「それは重ね重ね申し訳ありません。オレアナも特別な侍従、一報を入れなかったのは反省すべき点でございますが、きっと緊急の案件でも入ったのでしょう。今後はもう一人だけお側仕えを……」
第二皇子毒殺未遂の一件以来、帝位継承権を持つ皇子皇女の身の回りの世話を焼くメイドの人数は大幅に削減されている。これは皇帝サディアスが命じた対策であり、血を分けた兄妹同士で血で血を洗う骨肉の継承権争いの過去を再現させないよう考えた苦肉の策。
「それよりさ、頼んだ薬は手に入った?」
「殿下、流石にこの状況下で動くのは御身に関わります。先日も申しました通り手配はしておりますが、確実に足が付かないよう慎重を期するが故にお時間はかかります」
「それは理解してるけどこっちも時間がないんだ。早くしないとあの男が皇帝になっちゃうんだよ?」
第一皇女シャルティノアが画策したアシュカルへの薬剤投与。これを毒殺事件に変貌させたのはあろうことか、まだ七歳の第三皇子ニズタントの策略。
事前に仕入れたシャルの計画に賛同し、どうせなら殺してしまえばレーンが皇帝を継がざるを得ないだろうとの拙い目論み。
結果としてニズタントの思惑は脆くも崩れ去り、大っ嫌いなアシュカルが帝位に就任する手助けをすることとなったのはニズタント史上最大の失敗であった。
「しかし、事を急いて失敗しては元も子もありませぬ。もう第一皇子のような身代わりはおらぬのですよ?」
従者たるグーチンからしたら主人の思惑は外れたものの、最大の懸念たる真犯人の露呈は免れているので何も問題がない。
強いて言えば、混入された毒の入手経路が調べられる中、追加の毒の入手を命じられて四苦八苦させられていることが悩みの種。
「レーン兄上がお戻りになられぬのなら僕が皇帝になる。あの愚兄が国を支配するよりはまだマシでしょ?そのために必要な物を手に入れるのはグーチン、君の役目だよね?」
直接殺しに行けば話しは早いのだが、毒を盛るよりも遥かに高い確率で足が着く。そうなれば批難されるのは主人たるニズタントであり、それはグーチンの思うところではない。
しかし、ニズタントが帝位継承に意欲的なのは願ってもないこと。諸手を挙げて喜ぶべきことではあるが、これ見よがしに感情を見せるのは執事としての矜持に反する上に彼のやる気が削がれるのを恐れて神妙な顔つきのままに言葉を絞る。
「御意。ですが、今しばらくはお時間を……」
「僕だって危険な事をしている認識はある。慎重も大事だけど時間は限られているからね?」
(軍務大臣を手始めに、財務大臣や法務大臣はすでに落とした。今の情勢なら放っとけば向こうから寄ってきそうだが、あとは格下の官僚も落としておいた方が……)
「ん?」
誰もいない廊下で足を止めたのは彼のカンが危険を察知したからに他ならない。
しかしその時には既に手遅れであり、喉元に触れた冷たい物へと視線を落とせば、それが差し込む午後の陽を反射する刃物であることが容易に分かる。
「何のつもりだ?」
「逆に問おう。貴様、何を考えている?」
姿こそ見えないものの映えある宮廷十二機士第二位の自分の背後がこうも簡単に取れる者など限られている。また、声からして間違いないだろうと人物の特定が終わったラドルファスは相手の思惑を読みにかかる。
「今晩のデザートはどの娘を選ぶのか、についてだが?」
「茶化すな。このまま首を落としても構わんのだぞ?」
「ふむ……魔攻機装では敵わぬと悟り生身を狙って来るったぁ多少なりとも頭が回るようになったじゃないか」
「どのような口上を述べても退かぬ。何故帝国を乱す?何故アシュカルなどという小者に肩入れするのだ?答えよ」
「お前さぁ、仮にも主家の人間に対して小者とか、ないんじゃない?」
国の剣となるべき宮廷十二機士でありながら現皇帝サディアス個人の懐刀として諜報を行うアッティラは当然のように第二皇子アシュカルに与するラドルファスの動向も探っている。
「出来損ないに支配させれば、長年我らが守り続けた帝国は終わる。それが分からぬお前ではあるまい?愚者は排除すべきであって祭り上げる価値などない」
赦しを乞い、延命を必死に訴える。生殺与奪を奪われた者は震え上がって知っているコトを洗いざらい吐くのが殆どなのだ。
マイノリティーとしてあげられるとすればアッティラのような特殊な存在。覚悟の決まった者や特別な訓練を受けた忍びであれば、例えどのような屈辱や痛みを与えられたとて口を割ることなく最後の時を迎えるだろう。
だがラドルファスは宮廷十二機士という栄誉ある地位を手に入れただけの戦士。危機的状況に陥れば一般人のソレと何ら変わりがない。だというのに彼が浮かべた感情は恐怖ではなく愉悦。あからさまに分かるよう口の端を吊り上げたのだ。
更に拍車をかけるのはあまりにも普段通りが過ぎる行動。普通の人間ならば身動ぎすら厭う状態に置かれながらも慣れた様子で取り出したタバコに火を付けたのだ。喉元に当てられた刃が数センチも動けば己の生命の灯火が消えるかも知れないこの状況下で。
「お前、俺を殺れるとでも思ってんのか?第二位のこの俺を?」
紫煙を吐き出したラドルファスは耳を疑う言葉を口にする。
こちらの気分一つで殺される状況だと知りながら敢えて自分を煽る理由はいったい何なのだ?
アッティラが答えを導き出せぬうちに次の言葉は投げかけられた。
「生まれながらにして必要とされない人物などいない。人は必ず、何かしらの役目を負って生命を授かるからだ」
「よもやお前が聖典を語るとは思ってもみなかったぞ」
「忍びのくせに洞察力が足りないんじゃないのぉ?俺の左耳には銀十字がぶら下がってるってぇ知らないのか?」
「ふんっ。そんなもの、ただの飾りであろう」
「さぁね。調べるのはキミの仕事だろう?」
「直接口を割らせるやり方もあると知らぬのか?」
僅かに動いた刃物がラドルファスに傷を付けた。喉元に引かれた赤い線はやがて小さな雫を認める。
しかし、まるでそのことに気付いていないかの如く、表情一つ変えないままに薄ら笑いを浮かべて煙を燻らせる男はアッティラの予想と違う答えを吐き出す。
「お前如きがこの俺の口を割らせられるとも思えないが、哀れな忍びに一つだけ答えてやろう」
「強がりはよせ。たとえ同じ宮廷十二機士だとて容赦する気など……」
「その宮廷十二機士の志しを俺は違えていない。ただ、お前と俺の行く道が違うというだけの話だ」
「全ては帝国の未来を想っての行動だ、と?」
「その通りだよ、愚かな忍びくん。俺の意図が読めないのなら黙って傍観していることだ」
アシュカル殿下は優秀だよ、と付け加えたラドルファスの思惑を読み解くことができない。それは時期尚早だと知りながら警告の意味を込めて接近したが故の弊害。忍びとて人間なのだ。自分の護るべきものが目の前で穢されていけば、いくら表面上は平穏を装おうとも内側たる心に波風が立たぬ筈もない。
「あらあらぁ~?昼間っからこぉんな公の場でイチャつくなんて、だっ・いっ・たっ・んっ♪ ラドってアタシと同じだったっけぇ?やだぁ、感激ぃぃぃ」
いつの間にか近くにいたのは宮廷十二機士第十位のグンデル・カスタネット。
ガン黒パンダメイクに膝上十五センチのプリーツスカート、そこから伸びる二本の足はしなやかさとはかけ離れた筋肉の塊である。ギャルのような仕草で大袈裟に巨体を揺らす様は殆どの者が見て『キモい』の一言に尽きる奇人だ。
しかし今は首輪のように掛けられたプラスチック製の三重ネックレスがカチャカチャと軽い音を立てているというのに、世界的強者たる二人共に気配を悟られぬままに忽然とそこに立っていた事実は彼が見かけ通りのふざけた男ではないことを示している。
「お前と同じにするな、糞かまマンバっ」
「あれあれぇ?じゃあ、アッちゃんの方が隠してた感じぃ?やっだぁ~、この太い腕ぇ、アタシ好みなんですけどぉ」
他人の首に刃物を当てているというのに、お構いなしにその腕を触ってくる非常識なグンデルからは拘束を解こうとする意思は感じられない。と、なれば、純粋に興味をそそられたから触っているのであり、このオカマは頭がおかしいと結論付けても不思議ではない。
ラドルファスの態度といい、この男の行動といい、己の常識が間違っているのかと少しばかり揺れ動くベテランの忍びは、もういいとばかりに刃を下ろした。
「俺は忙しい。用がないなら行くぜ?」
「あぁっ!ちょっとラドちゃん!?ポイ捨てはダメなんだからぁ!」
踏み潰されたタバコを拾い立ち去るラドルファスの後を追いかけるグンデル。曲げた両腕を豪快に振って走る様はオネエ走りそのものだが、冷めた目で見送るアッティラはもう何も思わない。
(……悪いな)
場を脱したラドルファスは、腕を絡ませてきたグンデルを気持ち悪く思いつつも礼のつもりで好きにさせる。アッティラを欺くほど平然を装いながらも、やはり危機的状況にどうしたものかと困り果てていたのだ。
何の思惑があってかは知らぬが助かった事実に変わりはない。作戦が中途半端過ぎる今はまだ、生命を失うわけにはいかないのだ。
(お礼は身体で払ってよねぇ?)
(ああ、満足するまでシバけばいいんだな?)
(やっだぁ、それも魅力てきぃ~)
(何でもありだな、お前)
(そんなに褒めると本気になっちゃうぅぅ)
(死ねっ!)
▲▼▲▼
「オレアナ~? オレアナ、何処にいるの?」
信頼する従者を探すのは金髪碧眼の少年。リヒテンベルグ帝国第三位帝位継承権をもつ七歳の男児ニズタントである。
自室の扉を開いた先は誰もいない廊下。宵闇の降り始めたその場所は薄暗く、物音一つ聞こえないがために彼の胸に不安という茨を巻き付けるに十分な効果があった。
「オレ、アナ……?」
部屋の中では元気いっぱいでも一歩外に出ればまるで別の世界。扉に縋り付き、心の拠り所となる存在を求めて紡がれた言葉は急速に尻すぼみしてしまい聞き取れないほどに掠れてしまう。
「殿下、暗くなってからの一人歩きはおすすめ致しません」
「グーチン!何処に行ってたの!?」
「申し訳ありません。小用が出来たものですからお側を離れました」
背後から声をかけたのは燕服の男。灰色の髪を油で寝かしつけ、小さなモノクルをかけた姿は誰もが思い描く執事そのもの。グーチン・ティンバレス、宮廷十二機士第四位にしてニズタント専属の従者でもある。
「仕事なら仕方がないよ、赦す。でもオレアナと二人して居なくなると僕が困る」
「それは重ね重ね申し訳ありません。オレアナも特別な侍従、一報を入れなかったのは反省すべき点でございますが、きっと緊急の案件でも入ったのでしょう。今後はもう一人だけお側仕えを……」
第二皇子毒殺未遂の一件以来、帝位継承権を持つ皇子皇女の身の回りの世話を焼くメイドの人数は大幅に削減されている。これは皇帝サディアスが命じた対策であり、血を分けた兄妹同士で血で血を洗う骨肉の継承権争いの過去を再現させないよう考えた苦肉の策。
「それよりさ、頼んだ薬は手に入った?」
「殿下、流石にこの状況下で動くのは御身に関わります。先日も申しました通り手配はしておりますが、確実に足が付かないよう慎重を期するが故にお時間はかかります」
「それは理解してるけどこっちも時間がないんだ。早くしないとあの男が皇帝になっちゃうんだよ?」
第一皇女シャルティノアが画策したアシュカルへの薬剤投与。これを毒殺事件に変貌させたのはあろうことか、まだ七歳の第三皇子ニズタントの策略。
事前に仕入れたシャルの計画に賛同し、どうせなら殺してしまえばレーンが皇帝を継がざるを得ないだろうとの拙い目論み。
結果としてニズタントの思惑は脆くも崩れ去り、大っ嫌いなアシュカルが帝位に就任する手助けをすることとなったのはニズタント史上最大の失敗であった。
「しかし、事を急いて失敗しては元も子もありませぬ。もう第一皇子のような身代わりはおらぬのですよ?」
従者たるグーチンからしたら主人の思惑は外れたものの、最大の懸念たる真犯人の露呈は免れているので何も問題がない。
強いて言えば、混入された毒の入手経路が調べられる中、追加の毒の入手を命じられて四苦八苦させられていることが悩みの種。
「レーン兄上がお戻りになられぬのなら僕が皇帝になる。あの愚兄が国を支配するよりはまだマシでしょ?そのために必要な物を手に入れるのはグーチン、君の役目だよね?」
直接殺しに行けば話しは早いのだが、毒を盛るよりも遥かに高い確率で足が着く。そうなれば批難されるのは主人たるニズタントであり、それはグーチンの思うところではない。
しかし、ニズタントが帝位継承に意欲的なのは願ってもないこと。諸手を挙げて喜ぶべきことではあるが、これ見よがしに感情を見せるのは執事としての矜持に反する上に彼のやる気が削がれるのを恐れて神妙な顔つきのままに言葉を絞る。
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