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第四章
4-20.共同戦線
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見つけた戦場へと降下するミネルバ。その上部ハッチを開けたディアナは【エルキュール】を纏い、誰にも気付かれぬ上空から強襲を仕掛ける。
数は十五機と意外と多かったものの、森に生える木々を巧みに使いながら素早く動き回るディアナはただの一撃も受けることなく圧倒的な実力で帝国兵を蹴散らしてみせた。
「姐さんっ、ありがとうございました!達者で!」
「「「あざっっしたーーっ!!」」」
かつてディアナが身を置いた山賊団は富裕層しか狙わないというポリシーを持っている。それは魔攻機装を整備する代わりにとディアナと交わした約束なのだが、殺さず、ある程度の略奪で矛を収めるということは自らの存在を周囲に知らせる事となる。
だが逆に、ある程度の金さえ払えば無傷で解放する彼らの存在は黙認され、通行料さえ払えば迂回せずに済むと、山賊がいることを知りながらこの森を渡るのが当然のことだと認識されていた。
しかしこの不文律を破り、溜め込んだ山賊の財産を狙ったどこぞの貴族が帝国兵を動かした。
この事実は負けを認めた帝国兵が吐き出したことであり、自分達ももっと他に狩るべき凶悪な輩が多数いると主張したのに強引に押し切られただのと口々に愚痴をこぼしていたことからも彼らの主張が嘘ではないと判断できる。
その口から語られた帝国の内部情勢、それは貴族腐敗の兆し。帝国民のために在り、帝国のために民を統べるはずの貴族達は私利私欲のために好き放題を始めたという俄には信じられない話しであった。
「良いの?このまま腐り続ければいずれ……」
「るっせぇなぁ、んなこと知るかっ!」
「ビスマルクまでの運賃の代わりに……」
最初に欲望を解き放った貴族は軒並み第二皇子アシュカルの息のかかった者だと告げたのは諜報員であるユースケ。自領の税率を前触れなく引き上げ、不満を漏らす者は見せしめとして投獄。奴隷落ちまでさせられるケースもあったらしい。
その暴虐無人な行いが本国に伝わるもお咎めなしと知った他の領主や貴族も我先にと民を思わない身勝手な行動に出始めたのだと言う。
俺には関係ないと主張するかのように窓の外に顔を向けていたレーンではあったが、ユースケの話しが終わるまでどころか終わってからもしばらくの間、身動ぎすらしない様子から『レーンの進退はレーンが決めるべき事だから』との暗黙の了解がミネルバ車内に生まれることとなった。
▲▼▲▼
「こんにちわ、貴女がミズキちゃんね?」
首だけを動かした少女は「はい」と応えたものの突然の来客に戸惑いを見せた。しかしその隣に見知った兄を見つければ花が咲いたように明るい笑顔が溢れ出す。
「ほら、コレを見て。私はユースケに雇われてやってきた再生師なの。早速で悪いけど貴女の身体、診せてもらうわね」
「どうぞよろしくお願いします……」
差し出された右腕に白い石の嵌る腕輪を認めればディアナが再生師だと信じられたのだろう。それでなくとも兄の連れてきた人物であり、縋る先のない不安を抱え続けている少女の前に現れた希望。決意の篭った眼差しは垂れてきた蜘蛛の糸を力強く掴んだ証拠。
「手の感覚はある?」
「はい、触られれば分かります」
「じゃあ、本当に動かないだけなのね?」
「はい、その通りです。どれだけ動かそうとしても指先でさえ全く動きません」
うっすらとした白い光に包まれた右手で彼女が動かないと主張する両手両足をゆっくりと撫でていく。だが身体の損傷を訴える反応は得られず眉を顰めるディアナ。魔力により診察した手足は至って健常。それもそのはず、もう一人の患者には専属の再生師が付いていながら長年回復していないのだ。予想していたとはいえ不可解な現状には納得がいくはずもない。
「原因不明なのは気持ち悪いけど、取り敢えず再生魔法をかけてみるわね」
「はい、私をお救いください、先生。そしてフローラ様も……」
原因が分からないのなら身体の全てを正常な状態に戻してしまえばいい。そう考えたディアナはミズキの全身を白い光で覆い尽くした。
数秒後、その光が消えたと感じたミズキがゆっくりと目を開く。
「……だめです、動きません」
固唾を飲んで見守っていたユースケは落胆の色を隠せない。諜報員としてあるまじき姿だが、この件に関しては自分を偽ることなど出来ないほどディアナに期待を寄せていたのだ。
少しばかり難があるとて教会のNo.2である枢機卿ガストリスがあっさりと聖女だと認めた女性。そのディアナの力を持ってしても治せないとあらばミズキが健康な身体に戻る道は閉ざされたも同然。彼が気落ちするのもしかたのないことだった。
「だと思うわ。でも、なんとなく原因は掴めた。今度はちょっと強く行くからしっかりと目を瞑りなさい」
喉を鳴らす音を立てたのはユースケだろう。その理由はディアナの胸元から現れた銀のペンダントを目にしたから。
それが何かを理解してはいないものの、ソレのおかげで瀕死の人間が生き返った現場を目撃している。
──今度こそ本気の治療が始まる
(コレでダメならミズキは……)
思わず両手を組み自らの額に押し当てる。普段なら絶対に祈らないはずの神にも今この瞬間だけは頼らずにはいられなかった。
「やるわよ」
短い呟きが聞こえた直後、目が眩むほどの光が灯る。白い光が輝くのは寝巻き姿で横たわるミズキの両肩と下腹部の三箇所。居合わせた誰しもが耐えきれず、目を瞑りながらも腕で顔を覆う。
そうまでしてもまだ眩しいと感じる強き光の中にありながら術者たるディアナは目を見開き、滝のように流れ出す魔力の喪失感に歯を食いしばる。
(まだ、治らない。原因は……コレよ!)
右手を翳しながらももう片方の手で取り出したのは一本の髪留め。棒状のソレを逆手に振りかぶり、こともあろうか光り輝くミズキの肩の付け根部分へと突き立てる。
「──っ!!」
何かに触られたと悟るミズキではあったが、違和感は感じたものの痛みがあったわけではない。
突然のことにビックリしながらもコレも治療なのだと身体を動かさずにいた彼女の反対側の肩にも同様の衝撃が走った次の瞬間、眩い光が若干和らいだかのように思えた。
それもそのはず。ディアナが髪留めを突き立てた場所からは眩いばかりが消えているのだから。
「ふぅぅ……治ってるはずだけど、どうなの?ミズキちゃん」
続けざまに突き立てたのは両足の付け根。右が終われば左にも同様に突き立てる。その作業が終わったとき、あれほど強かった光は何事もなかったかのように姿を消していた。
皆がこぞって目を開いた先には、額の汗を腕で拭う疲弊したディアナの姿。僅か二十秒そこそこの治療だというのに何時間も全力で戦闘した後のように疲れ切った顔色なのは、魔力干渉を行う桃色魔石によりブーストされた再生魔法の消費魔力がそれほど半端ないということだ。
「う、動きますっ先生!動きましたっ!!」
意識を集中した途端に動きを見せたのは指先。今の今まで数年にわたりピクリとも動くことのなかった細い指がゆっくりながらも折り畳まれてゆく。
自らの指だというのに信じられないと言いたげなミズキは目を見開き、兄と同じ青い瞳には感動のあまり滴が溢れ出してくる。
「ミズキ!!良かったっ!本当に良かった……」
駆け寄ったユースケは久方ぶりに動きを見せる彼女の手を取り顔を覗き込む。その目にはミズキ同様涙が溢れてきており「お兄様のおかげです」の一言に耐えきれず頬を濡らした雫。
思わず抱きしめたユースケに逆らうことなく身を預けるミズキの頬にもまた、光る雫が幾筋も流れ落ちていく。震えながらもゆっくりとした動きで彼の背中へと回される腕、その腕の動きがぎこちないのは長年使ってなかったことにより筋肉が衰えてしまったがための弊害である。つまり、感染されたというミズキの難病は完治したということに他ならない。
「感動の場面に水を差して悪いんだけど、貴女が発病したと言われているときの事を詳しく教えてくれないかしら?」
ディアナ自身も極度の疲労感から動きたくなかったのは本音。多少なりとも回復するまでの十分くらいの間、抱き合ったまま動こうとしない二人を見守り続けたのだ。もうそろそろと痺れを切らせても良い頃合いであった。
「詳しくと仰られても気が付いたときには手足が動かなくなっていたものですから……」
「じゃあその直前は何をしていたのかしら?」
「あの時はフローラ様とお茶をしていて、ぽかぽかとした日差しがあまりにも心地よくなってしまったので誘われるままにフローラ様のお部屋で二人してお昼寝をしました」
「ベッドに入って添い寝をしたの?」
「いいえ、とんでもない。優しいフローラ様は広いんだからとベッドに誘ってくださいましたが、卑しい子爵家の私などがお受けするわけにはまいりません。ですがあまりにもお寂しそうな顔をされるのでベッドの端を枕にすることを許可いただいてご一緒させていただきました」
「それで目が覚めたら動かなくなっていた、と?」
「はい、その通りです」
豊かな胸を腕に抱え、顎に手を当てて何かを考えるディアナ。だがそれも数秒。再び開かれたその口からは信じられない事実が紡がれる。
「まず初めに、貴女の手足の自由を奪っていたのは病なんかじゃない。あからさまな悪意により生み出された障害よ」
「……障害」
「手と足の付け根にある神経には極々小さな楔が打ち込まれていた。ご丁寧なことにそれを固定させるために魔力を付与して、ね」
「楔、ですか?」
「その楔により脳から発する『動きなさい』って命令が伝わらなかったから貴女の手足が動かなかったの。それを撤去したから動くようになったってわけ」
神経が絶たれてしまえばいくら再生魔法でも完全に治すのは難しい。しかし増幅されたディアナの再生魔法が効いている最中であればと、神経を圧迫していた楔に気功をぶつけて力技で体外に排出させたのだ。あとは勝手に治るだろうとの打算であったものの、成功している今、誰にも咎められることはない。
「誰がその楔を打ち込んだのかは分からないけど、貴女を診たっていう大公家のお抱え再生師はグルの可能性が高いわね」
「え?先生が、ですか?」
「局部的ならいざ知らず、全身に再生魔法を施したのならよっぽど腕が悪くなければ違和感に気がつくはずなのよ。お金持ちの大貴族が雇う再生師が見落とすはずがない。それを分かっていて取り除けないというのならまだしも、原因不明の難病なんて診断するなんて黒も黒、真っ黒としか解釈できないわ」
「そ、そんな……」
「じゃあ犯人は誰なのか。誰が大公令嬢にそのような状態を強いるのか。そんなことを調べるのは私の仕事ではないわよね?」
向けられた視線に力強く頷いたのは兄であるユースケ。健常な身体に戻ったとはいえ、数年ものあいだ愛する妹を苦しめ続けた黒幕を許せるはずがない。憎しみの炎宿る青色の瞳には必ず犯人を暴いてやるとの決意が秘められている。
「ノルンの仕事?」
「えぇっ!?ノルンちゃん、ここは俺が……」
「ユースケ、せんにゅーはノルンの仕事なの。取っちゃダメ」
「いやいや、これは俺の問題なんだから俺が行くべきであってね……」
何故かヤル気を見せるノルンにたじたじのユースケ。それもそのはず。先のアメイジアでの一件で自分では到底敵わない存在なのだと認識してしまったのだから、いくら自分の主張が正しかろうとも怖くて強く言えなくなってしまったのだ。哀れなユースケである。
「あら、それなら仲良く二人で行ってきたら?でも期限は五日だけよ?ノルン」
多少の寄り道があったとてモアザンピークの首都アメイジアからここまで二日かかっている。荷が到着するまでに戻るとなると滞在可能なのは六日しかない。決着をつける日にちを僅か一日まで絞れば許される調査期間は五日だけ。手がかりどころか勝手も分からないこの国では厳しい条件ではあるものの、人間の国にやってきて間もないノルンにとってはどこでも同じであった。
「良いよ、ノルン頑張る。ユースケ、行こう?」
すぐさま姿を消したノルンに続き「行ってくる」とミズキに告げたユースケは彼女の額に口付けをすると、首元で畳まれていた覆面を引っ張り上げてから姿を消す。
「お兄様、どうぞご無事で……」
かくして大公家の令嬢を巡る陰謀阻止のための捜査は、特出して優秀な諜報員ユースケと世界最強の忍びにも劣らないノルンとの共同作業にて速やかに行われることとなった。
数は十五機と意外と多かったものの、森に生える木々を巧みに使いながら素早く動き回るディアナはただの一撃も受けることなく圧倒的な実力で帝国兵を蹴散らしてみせた。
「姐さんっ、ありがとうございました!達者で!」
「「「あざっっしたーーっ!!」」」
かつてディアナが身を置いた山賊団は富裕層しか狙わないというポリシーを持っている。それは魔攻機装を整備する代わりにとディアナと交わした約束なのだが、殺さず、ある程度の略奪で矛を収めるということは自らの存在を周囲に知らせる事となる。
だが逆に、ある程度の金さえ払えば無傷で解放する彼らの存在は黙認され、通行料さえ払えば迂回せずに済むと、山賊がいることを知りながらこの森を渡るのが当然のことだと認識されていた。
しかしこの不文律を破り、溜め込んだ山賊の財産を狙ったどこぞの貴族が帝国兵を動かした。
この事実は負けを認めた帝国兵が吐き出したことであり、自分達ももっと他に狩るべき凶悪な輩が多数いると主張したのに強引に押し切られただのと口々に愚痴をこぼしていたことからも彼らの主張が嘘ではないと判断できる。
その口から語られた帝国の内部情勢、それは貴族腐敗の兆し。帝国民のために在り、帝国のために民を統べるはずの貴族達は私利私欲のために好き放題を始めたという俄には信じられない話しであった。
「良いの?このまま腐り続ければいずれ……」
「るっせぇなぁ、んなこと知るかっ!」
「ビスマルクまでの運賃の代わりに……」
最初に欲望を解き放った貴族は軒並み第二皇子アシュカルの息のかかった者だと告げたのは諜報員であるユースケ。自領の税率を前触れなく引き上げ、不満を漏らす者は見せしめとして投獄。奴隷落ちまでさせられるケースもあったらしい。
その暴虐無人な行いが本国に伝わるもお咎めなしと知った他の領主や貴族も我先にと民を思わない身勝手な行動に出始めたのだと言う。
俺には関係ないと主張するかのように窓の外に顔を向けていたレーンではあったが、ユースケの話しが終わるまでどころか終わってからもしばらくの間、身動ぎすらしない様子から『レーンの進退はレーンが決めるべき事だから』との暗黙の了解がミネルバ車内に生まれることとなった。
▲▼▲▼
「こんにちわ、貴女がミズキちゃんね?」
首だけを動かした少女は「はい」と応えたものの突然の来客に戸惑いを見せた。しかしその隣に見知った兄を見つければ花が咲いたように明るい笑顔が溢れ出す。
「ほら、コレを見て。私はユースケに雇われてやってきた再生師なの。早速で悪いけど貴女の身体、診せてもらうわね」
「どうぞよろしくお願いします……」
差し出された右腕に白い石の嵌る腕輪を認めればディアナが再生師だと信じられたのだろう。それでなくとも兄の連れてきた人物であり、縋る先のない不安を抱え続けている少女の前に現れた希望。決意の篭った眼差しは垂れてきた蜘蛛の糸を力強く掴んだ証拠。
「手の感覚はある?」
「はい、触られれば分かります」
「じゃあ、本当に動かないだけなのね?」
「はい、その通りです。どれだけ動かそうとしても指先でさえ全く動きません」
うっすらとした白い光に包まれた右手で彼女が動かないと主張する両手両足をゆっくりと撫でていく。だが身体の損傷を訴える反応は得られず眉を顰めるディアナ。魔力により診察した手足は至って健常。それもそのはず、もう一人の患者には専属の再生師が付いていながら長年回復していないのだ。予想していたとはいえ不可解な現状には納得がいくはずもない。
「原因不明なのは気持ち悪いけど、取り敢えず再生魔法をかけてみるわね」
「はい、私をお救いください、先生。そしてフローラ様も……」
原因が分からないのなら身体の全てを正常な状態に戻してしまえばいい。そう考えたディアナはミズキの全身を白い光で覆い尽くした。
数秒後、その光が消えたと感じたミズキがゆっくりと目を開く。
「……だめです、動きません」
固唾を飲んで見守っていたユースケは落胆の色を隠せない。諜報員としてあるまじき姿だが、この件に関しては自分を偽ることなど出来ないほどディアナに期待を寄せていたのだ。
少しばかり難があるとて教会のNo.2である枢機卿ガストリスがあっさりと聖女だと認めた女性。そのディアナの力を持ってしても治せないとあらばミズキが健康な身体に戻る道は閉ざされたも同然。彼が気落ちするのもしかたのないことだった。
「だと思うわ。でも、なんとなく原因は掴めた。今度はちょっと強く行くからしっかりと目を瞑りなさい」
喉を鳴らす音を立てたのはユースケだろう。その理由はディアナの胸元から現れた銀のペンダントを目にしたから。
それが何かを理解してはいないものの、ソレのおかげで瀕死の人間が生き返った現場を目撃している。
──今度こそ本気の治療が始まる
(コレでダメならミズキは……)
思わず両手を組み自らの額に押し当てる。普段なら絶対に祈らないはずの神にも今この瞬間だけは頼らずにはいられなかった。
「やるわよ」
短い呟きが聞こえた直後、目が眩むほどの光が灯る。白い光が輝くのは寝巻き姿で横たわるミズキの両肩と下腹部の三箇所。居合わせた誰しもが耐えきれず、目を瞑りながらも腕で顔を覆う。
そうまでしてもまだ眩しいと感じる強き光の中にありながら術者たるディアナは目を見開き、滝のように流れ出す魔力の喪失感に歯を食いしばる。
(まだ、治らない。原因は……コレよ!)
右手を翳しながらももう片方の手で取り出したのは一本の髪留め。棒状のソレを逆手に振りかぶり、こともあろうか光り輝くミズキの肩の付け根部分へと突き立てる。
「──っ!!」
何かに触られたと悟るミズキではあったが、違和感は感じたものの痛みがあったわけではない。
突然のことにビックリしながらもコレも治療なのだと身体を動かさずにいた彼女の反対側の肩にも同様の衝撃が走った次の瞬間、眩い光が若干和らいだかのように思えた。
それもそのはず。ディアナが髪留めを突き立てた場所からは眩いばかりが消えているのだから。
「ふぅぅ……治ってるはずだけど、どうなの?ミズキちゃん」
続けざまに突き立てたのは両足の付け根。右が終われば左にも同様に突き立てる。その作業が終わったとき、あれほど強かった光は何事もなかったかのように姿を消していた。
皆がこぞって目を開いた先には、額の汗を腕で拭う疲弊したディアナの姿。僅か二十秒そこそこの治療だというのに何時間も全力で戦闘した後のように疲れ切った顔色なのは、魔力干渉を行う桃色魔石によりブーストされた再生魔法の消費魔力がそれほど半端ないということだ。
「う、動きますっ先生!動きましたっ!!」
意識を集中した途端に動きを見せたのは指先。今の今まで数年にわたりピクリとも動くことのなかった細い指がゆっくりながらも折り畳まれてゆく。
自らの指だというのに信じられないと言いたげなミズキは目を見開き、兄と同じ青い瞳には感動のあまり滴が溢れ出してくる。
「ミズキ!!良かったっ!本当に良かった……」
駆け寄ったユースケは久方ぶりに動きを見せる彼女の手を取り顔を覗き込む。その目にはミズキ同様涙が溢れてきており「お兄様のおかげです」の一言に耐えきれず頬を濡らした雫。
思わず抱きしめたユースケに逆らうことなく身を預けるミズキの頬にもまた、光る雫が幾筋も流れ落ちていく。震えながらもゆっくりとした動きで彼の背中へと回される腕、その腕の動きがぎこちないのは長年使ってなかったことにより筋肉が衰えてしまったがための弊害である。つまり、感染されたというミズキの難病は完治したということに他ならない。
「感動の場面に水を差して悪いんだけど、貴女が発病したと言われているときの事を詳しく教えてくれないかしら?」
ディアナ自身も極度の疲労感から動きたくなかったのは本音。多少なりとも回復するまでの十分くらいの間、抱き合ったまま動こうとしない二人を見守り続けたのだ。もうそろそろと痺れを切らせても良い頃合いであった。
「詳しくと仰られても気が付いたときには手足が動かなくなっていたものですから……」
「じゃあその直前は何をしていたのかしら?」
「あの時はフローラ様とお茶をしていて、ぽかぽかとした日差しがあまりにも心地よくなってしまったので誘われるままにフローラ様のお部屋で二人してお昼寝をしました」
「ベッドに入って添い寝をしたの?」
「いいえ、とんでもない。優しいフローラ様は広いんだからとベッドに誘ってくださいましたが、卑しい子爵家の私などがお受けするわけにはまいりません。ですがあまりにもお寂しそうな顔をされるのでベッドの端を枕にすることを許可いただいてご一緒させていただきました」
「それで目が覚めたら動かなくなっていた、と?」
「はい、その通りです」
豊かな胸を腕に抱え、顎に手を当てて何かを考えるディアナ。だがそれも数秒。再び開かれたその口からは信じられない事実が紡がれる。
「まず初めに、貴女の手足の自由を奪っていたのは病なんかじゃない。あからさまな悪意により生み出された障害よ」
「……障害」
「手と足の付け根にある神経には極々小さな楔が打ち込まれていた。ご丁寧なことにそれを固定させるために魔力を付与して、ね」
「楔、ですか?」
「その楔により脳から発する『動きなさい』って命令が伝わらなかったから貴女の手足が動かなかったの。それを撤去したから動くようになったってわけ」
神経が絶たれてしまえばいくら再生魔法でも完全に治すのは難しい。しかし増幅されたディアナの再生魔法が効いている最中であればと、神経を圧迫していた楔に気功をぶつけて力技で体外に排出させたのだ。あとは勝手に治るだろうとの打算であったものの、成功している今、誰にも咎められることはない。
「誰がその楔を打ち込んだのかは分からないけど、貴女を診たっていう大公家のお抱え再生師はグルの可能性が高いわね」
「え?先生が、ですか?」
「局部的ならいざ知らず、全身に再生魔法を施したのならよっぽど腕が悪くなければ違和感に気がつくはずなのよ。お金持ちの大貴族が雇う再生師が見落とすはずがない。それを分かっていて取り除けないというのならまだしも、原因不明の難病なんて診断するなんて黒も黒、真っ黒としか解釈できないわ」
「そ、そんな……」
「じゃあ犯人は誰なのか。誰が大公令嬢にそのような状態を強いるのか。そんなことを調べるのは私の仕事ではないわよね?」
向けられた視線に力強く頷いたのは兄であるユースケ。健常な身体に戻ったとはいえ、数年ものあいだ愛する妹を苦しめ続けた黒幕を許せるはずがない。憎しみの炎宿る青色の瞳には必ず犯人を暴いてやるとの決意が秘められている。
「ノルンの仕事?」
「えぇっ!?ノルンちゃん、ここは俺が……」
「ユースケ、せんにゅーはノルンの仕事なの。取っちゃダメ」
「いやいや、これは俺の問題なんだから俺が行くべきであってね……」
何故かヤル気を見せるノルンにたじたじのユースケ。それもそのはず。先のアメイジアでの一件で自分では到底敵わない存在なのだと認識してしまったのだから、いくら自分の主張が正しかろうとも怖くて強く言えなくなってしまったのだ。哀れなユースケである。
「あら、それなら仲良く二人で行ってきたら?でも期限は五日だけよ?ノルン」
多少の寄り道があったとてモアザンピークの首都アメイジアからここまで二日かかっている。荷が到着するまでに戻るとなると滞在可能なのは六日しかない。決着をつける日にちを僅か一日まで絞れば許される調査期間は五日だけ。手がかりどころか勝手も分からないこの国では厳しい条件ではあるものの、人間の国にやってきて間もないノルンにとってはどこでも同じであった。
「良いよ、ノルン頑張る。ユースケ、行こう?」
すぐさま姿を消したノルンに続き「行ってくる」とミズキに告げたユースケは彼女の額に口付けをすると、首元で畳まれていた覆面を引っ張り上げてから姿を消す。
「お兄様、どうぞご無事で……」
かくして大公家の令嬢を巡る陰謀阻止のための捜査は、特出して優秀な諜報員ユースケと世界最強の忍びにも劣らないノルンとの共同作業にて速やかに行われることとなった。
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