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第一章 星が集いし町
15.地獄の鐘が鳴り響くとき
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タイムリミットであるシークァの完成が近いと聞かされたルイスは、出来るだけ多くの時間を共に過ごそうと連日、母親であるダニエメが仕事に出かける少し前に訪れていた。
ダニエメと入れ違いでミュリノアの面倒を見る。一日中思いっきり遊び、夜には彼女を寝かしつけてから帰るという毎日。
そんなありふれた日常で、ダニエメが仕事から戻る頃合いを見計らって夕食を買いに行き、如何にして彼女を驚かすのかが二人の楽しみの一つとなっていた。
だが今日は更なるサプライズの為、ルイスとミュリノアの合作である手料理が用意されていた。
「私とルイ兄ぃの二人で作ったんだよ! 驚いた?」
「ええ、とっても! 上手に出来てるわねっ」
「早く食べて!食べて!」
「はいはい、先に手を洗って来ますね」
自信に満ち溢れた満面の笑みでの報告は、一日の疲れを吹き飛ばすもの。
助けがあったとはいえ僅か六歳の娘が自分のために作ってくれた夕食は、申し訳ないとは思いつつも連日のように買ってきてくれていた贅沢な食事の何倍も嬉しい物であった。
「いつも娘がすみません。それに、こんな素敵な夕食まで……」
「あ、いえ、それくらい本当に大丈夫ですから」
まるで父親に向けるかのような愛娘の甘えっぷりにルイスの幼女趣味疑惑は晴れ、ダニエメ自身も容姿の良いルイスに惹かれつつある。
金も素養もあり、節度もある若い男。聞けば魔攻機装まで持っており、コロシアムでも何度か勝利していると言う。
そんなルイスはかなりお得な物件。穏やかな性格の彼には娘も懐いており、あと数日で手放すのは勿体ないとさえ感じていた。
──出来ればずっとこのまま……
そう思うのは、女としても、母親としても当然のことだったのかもしれない。
△▽
「はい、どなた……ああ」
夕食後、お茶を飲んでまったりしているところに訪ねて来たレーンとディアナ。
前回と違いルイスの知り合いだと知っているダニエメは彼らを家に招き入れると、用意してあった折りたたみの椅子を準備して二人を座らせた。
「ルイス、ちょっとお茶請を買いに行ってきます」
「え?それなら俺が……」
「いえ、お二人は貴方に会いに来られたのでしょう? すぐ戻るから大丈夫です」
寝るまでにはまだ時間があるからと家を出るダニエメ。
申し訳なく思いつつも気を遣ってもらった事に感謝しつつ、訪れた理由をディアナに尋ねるルイスだが、聞いた後には眉を顰める。
「ちょっと不味い状況になったわ。後二、三日と言ってたけど今夜、出るわよ」
またしてもディアナの持ってきたクッキーを頬張っていたミュリノアだったが、その言葉の意味を理解し、動きを止めた。
「ルイ兄ぃ、居なくなっちゃうの?」
美しい緑輝くつぶらな瞳いっぱいに涙を讃え、ルイスの上着の端をひしと握りしめたミュリノア。
その姿に心痛めるディアナではあるものの刻一刻と迫る悪魔達は当然のように待ってはくれない。
「ミュリノア、俺にはやる事があるんだ、それは何度も説明したよね?」
「やだっ!ルイ兄ぃ、行っちゃやだぁぁ」
こぼれ落ちる涙を拭き彼女を抱きしめたルイス。
別れの時になるべくショックを受けないようにと数日のうちにこの町を出ることは何度も告げていた。だが、そこはまだ六歳の幼き少女。それは遠い未来のように感じており、来たる時の想像などしてはいなかった。
「お願い、ルイ兄ぃ。ずっと一緒に居てよぉ……」
泣きじゃくるミュリノアを胸に抱き優しく頭を撫でるしか出来ないルイスは、自分にやらなくてはならぬ使命がある事を今ほど後悔したことはない。
「え? どうかしたんですか?」
そこに帰ってきたダニエメは改めて聞かされたルイスの実情に驚愕し、せっかく買ってきた物を床に落としてしまった。
「せめてもう少しだけでも……」
「すみませんダニエメさん、俺には俺の事情があるんです。ここに留まりたいのは山々ですが、行かなくては俺の成すべきことが果たせなくなる」
「それはミュリノアよりも大切なことなんですか?」
「もちろんミュリノアも大切です。ですが俺の目的は、大人になったミュリノアが幸せに暮らすためにはどうしても必要なことなんです」
確たる意志を持っているルイスにはどう足掻こうとも説得は不可能。それを悟ったダニエメはルイスに縋り付くミュリノアを抱きしめた。
「やだぁっ、やだよぉ、ルイ兄ぃ……」
「ミュリノア……」
ルイスが困惑し、どうして良いのか分からず、そんな三人を黙って見つめるディアナが成り行きを見守っていたレーンへと視線を向けた時、入り口のすぐ隣にある台所のガラス窓が光り輝いた。
⦅そこに隠れているのは分かっている。抵抗する事なく大人しく出てきてもらえますかねぇ、レイフィール・ウィル・メタリカン第一皇子⦆
拡声器により響いたのは帝国軍の警告。その声に聞き覚えのあったレーンは驚き、扉に取り付けられた覗き穴からそっと外を見渡す。
「マジか……アイツの情報はカビだらけだなっ」
目にしたのは周りを取り囲む帝国兵の群、ご丁寧にその半数は魔攻機装を装着済みだ。中心で拡声器を握っていたのは黄色を主体とする目立つカラーリングの機体、レーンの良く知る男だった。
⦅あーあー、どうせもう詰みなんしょ?面倒臭いからさっさと出てきてくんない?僕、早く帰りたいんだけどぉ?⦆
突然の事態に困惑したルイスは、うんざりとした顔で溜息を吐くレーンに事情を尋ねれば、今の声の主は【ヴォルナー】、宮廷十二機士第六位の男なのだという。
更に千五百もの帝国兵とそれを率いる五人の宮廷十二機士が待ち受けているらしいと言われれば、悠長に居座り続けたことを後悔する気持ちが湧いてくるが時既に遅し。
「中でも一際ヤベェのはジルダの野郎だ。 見た目はお淑やかそうな娘のクセに、化けの皮を剥がせば冷酷にして残忍。気に入らぬ者は問答無用で捻じ伏せるという極悪非道の侯爵令嬢だ。
無類の拷問好きは有名なことで、難癖付けては自宅の地下室に閉じ込め、そこから生きて帰った奴はいねぇって噂は公然の秘密だぜ?」
極悪非道、拷問……それを聞いたダニエメは血の気が引く思いで立っているのが困難になり倒れそうになった所を既でルイスが抱き留める。
「だ、大丈夫ですか?」
「え、えぇ……」
帝国兵が押しかけたのは自分の家、ここにレーンが居るということは彼を匿っていたと捉えられてもおかしくはない。
更に相手が貴族ともなれば、事実など簡単に捻じ曲がる。無実の訴えなど聞いてすらもらえず、難癖付けられてしょっ引かれるだろう。そしてそれがレーンの言うように狂気じみた性格をしているのなら、その後のことは考えるだけで悍ましかった。
「どうする?レーン」
「どうもこうもありゃしねー、邪魔をするなら蹴散らすのみだ」
「まぁ、そうだよね。それ以外に選択肢は考えられない」
「んじゃ、俺は正面から行くから、お前は裏の壁をぶち壊して逃げろ」
「え?それじゃあレーンが……」
言いかけたルイスの腕を掴んだダニエメはここぞとばかりに身を乗り出した。その顔は危機迫るものがあり、彼女の必死さをありありと映し出している。
「ルイス!私達を連れて逃げて!帝国兵の狙いはあの人なんでしょう?あの人が捕まれば無理には追ってこないはずよっ!お願い、貴方を慕うミュリノアを見捨てないで!!」
答えあぐねるルイスを他所に、わざと音を立てて椅子に腰掛けたレーンの目は冷たいモノ。狭い机に肘を突くと、祈るようにルイスを見つめ続けるダニエメを指差す。
「お前さぁ、千五百もの帝国兵を掻い潜ってどうやって逃げるつもりだ?しかも、ルイス一人ならまだしも自分と嬢ちゃんを連れて行け、だと?笑わせるな」
「ちょっ、レーン。そんな言い方しなくても」
「じゃあお前はこの状態をなんとか出来るってか?二人を連れて無事にこの町から出られるとでも?」
「いや、それは……」
「てめぇの計画に狂いが生じたからって、その尻拭いの全てをルイスに押し付ける……気に入らねぇなぁ、おいっ」
「レーン、何を言って……」
「大方、俺さえ捕まっちまえばルイスがこの町を出る理由がなくなるとでも踏んでたんだろ?だから俺がここに居ると密告に行った。
しかし帰ってみれば、ヤバい奴が来てると聞かされ自分達の身が危ういことに今さら気が付いたってことだ。
だが残念だったな、お前の計算には前提の時点で誤算がある。それは追われてるのが俺だけじゃないってことだ」
青い顔をして震え始めたダニエメは、レーンの推論通り警邏中の帝国兵に密告しに行っていた。
娘と自分の幸せのためにはルイスが必要。彼が旅をする理由がなくなればと思い、レーンを売ろうと少し前から決めていたのだ。
帝国兵が血眼になって探す逃亡者を見つけたともなれば、それなりの報奨金もアテに出来る。その為になけなしの金を叩いて用意した予備の椅子であり、それはレーンを家に留めておくための時間稼ぎには必要なモノだった。
「ダニエメさん、黙っていた事は謝ります。ですがレーンの言う事は事実。 あの時は向こうも殺す気で来ていたから正当防衛とは言えるのですが、そんな証拠はない上に帝国ではまかり通るはずもない。
俺は人を殺しました。それも宮廷十二機士の一人を。だから俺もレーンと同じく帝国に追われているんです」
与えられた情報が予想外過ぎて許容量を超えたダニエメは、俯いたままで視線を合わせる事すら出来ないでいる。
そんな彼女とは違い、会話の半分も理解できていないだろう少女は、分からないなりに何かを感じてルイスの頭に手を伸ばす。
「ルイ兄ぃ、悪いことしちゃメーよ?」
「ああ、そうだな。悪い事をしたらちゃんと謝らないといけない」
「くっくっくっ、悪い事をしたらダメ、か。良いこと言うじゃねーか、嬢ちゃん。それには俺も大賛成だ。
だったら俺は、俺に冤罪をなすりつけやがった奴らに謝らせないといけねーな。そうだろ、ルイス?」
「いや、そうかもしれないけど、何で今、俺に振ったの? それに、今外にいる奴らがレーンに罪を着せたかどうかなんて分からないよね?」
「ん? そんなのアイツらに決まってるだろ?」
「ちょっと、その悪い笑顔は何!? 八つ当たりは止めてあげて!」
「クククッ、そんなの知らねぇよっ」
「おいおいおいおいっ……」
「ルイス、もう一度言うがお前は裏からだ。あの野郎なら女子供の一人や二人は匿ってくれるだろう、コロシアムまで連れて行ってやれ。その後はジジィ共の工房に集合だ。遅れたら置いていくからな?」
⦅ちょっとー、無視ぃ? お前、自分が包囲されてるの分かってんのぉ?何様のつもりなのっ?⦆
痺れを切らしたヴォルナーの声に立ち上がったレーン。そのまま家の出入り口である扉の前まで行くと、取手に手を掛け動きを止めた。
「俺は自分が我儘な人間だと自覚している。当然周りを振り回していることも分かっているつもりだ。だとしても、仲間だと認めた奴の事は決して裏切らない、例え自分がどんな不利な状況に陥っても、だ。
もちろんこれは俺の思想であり、信念だ。誰かに押し付ける気もなければ理解しろと言うつもりもない」
「だがな……」と言葉を止めたレーンはゆっくり振り返り、相変わらずの青い顔で成り行きを見守っていたダニエメへと視線を向けた。
一見ボサボサにも見える癖のある金の髪。彼が動くのに合わせて軽やかに揺れる金糸の下には、知らず知らずのうちに魅了されてしまう碧い瞳が穏やかな光りを携えている。
──見られている
意識しただけで思わず居住まいを正してしまいたくなる形容し難い雰囲気。それは正に、数多の人間を統べる資格がある者だからこそ持ち得る王者の風格だった。
帝国兵の完全包囲という絶体絶命の窮地にありながら、焦るでも猛るでもなく至極穏やかな表情。それでいてその目には確かな力強さを感じ、己の悲運を嘆いて諦めてしまった風でもない。
──威風堂々
それは彼の為にあるようにさえ感じてしまう。
「自分の愛する者にくらい、後ろ指を指されることのない人生を歩んだ方が良いと、俺は思うぞ」
我を忘れて釘付けになっていたダニエメは、何を言われたのかを悟り再び俯いた。
そんな彼女へと優しげな視線を向けたディアナは背を向けたレーンの元に駆け寄り、背後からそっと抱きしめる。
「お前はルイスと一緒に……」
「地獄まで付いて行くって言ったの、忘れちゃったの?」
フッと笑顔を浮かべたレーンはディアナの腰に手を回し唇を重ねる。それは彼女の意志を尊重し、共に困難に挑むことへの許しだ。
相手は千五百もの帝国兵と六人の宮廷十二機士。例え実績の伴う相当な実力者だと知ってはいても、これから向かう場所は生半可なことでは切り抜けることの出来ぬ死地。そこに自分の気に入った女を同伴させるなどレーンとしては認めたくはなかった。
──だからこその長い長い口付け
それは彼女を護り、生きてエスクルサを脱出するのだという誓いの儀式。
「好きにしろ」
「ええ、そうさせてもらうわ」
「ったく、お前って奴は……」
「そういう私も、好きでしょう?」
もう一度唇を重ねたレーンは、今度こそ外に出るためにドアノブに手をかける。
「ルイス……また後で、な?」
柔らかな微笑みを残すと手を捻り、ゆっくりと扉を押し開けた。
その先に待つのは地獄にも等しき戦場、帝国最大戦力の半数が集まる処刑場である。
はたして彼ら三人は無事、生きて再会することができるのだろうか……。
ダニエメと入れ違いでミュリノアの面倒を見る。一日中思いっきり遊び、夜には彼女を寝かしつけてから帰るという毎日。
そんなありふれた日常で、ダニエメが仕事から戻る頃合いを見計らって夕食を買いに行き、如何にして彼女を驚かすのかが二人の楽しみの一つとなっていた。
だが今日は更なるサプライズの為、ルイスとミュリノアの合作である手料理が用意されていた。
「私とルイ兄ぃの二人で作ったんだよ! 驚いた?」
「ええ、とっても! 上手に出来てるわねっ」
「早く食べて!食べて!」
「はいはい、先に手を洗って来ますね」
自信に満ち溢れた満面の笑みでの報告は、一日の疲れを吹き飛ばすもの。
助けがあったとはいえ僅か六歳の娘が自分のために作ってくれた夕食は、申し訳ないとは思いつつも連日のように買ってきてくれていた贅沢な食事の何倍も嬉しい物であった。
「いつも娘がすみません。それに、こんな素敵な夕食まで……」
「あ、いえ、それくらい本当に大丈夫ですから」
まるで父親に向けるかのような愛娘の甘えっぷりにルイスの幼女趣味疑惑は晴れ、ダニエメ自身も容姿の良いルイスに惹かれつつある。
金も素養もあり、節度もある若い男。聞けば魔攻機装まで持っており、コロシアムでも何度か勝利していると言う。
そんなルイスはかなりお得な物件。穏やかな性格の彼には娘も懐いており、あと数日で手放すのは勿体ないとさえ感じていた。
──出来ればずっとこのまま……
そう思うのは、女としても、母親としても当然のことだったのかもしれない。
△▽
「はい、どなた……ああ」
夕食後、お茶を飲んでまったりしているところに訪ねて来たレーンとディアナ。
前回と違いルイスの知り合いだと知っているダニエメは彼らを家に招き入れると、用意してあった折りたたみの椅子を準備して二人を座らせた。
「ルイス、ちょっとお茶請を買いに行ってきます」
「え?それなら俺が……」
「いえ、お二人は貴方に会いに来られたのでしょう? すぐ戻るから大丈夫です」
寝るまでにはまだ時間があるからと家を出るダニエメ。
申し訳なく思いつつも気を遣ってもらった事に感謝しつつ、訪れた理由をディアナに尋ねるルイスだが、聞いた後には眉を顰める。
「ちょっと不味い状況になったわ。後二、三日と言ってたけど今夜、出るわよ」
またしてもディアナの持ってきたクッキーを頬張っていたミュリノアだったが、その言葉の意味を理解し、動きを止めた。
「ルイ兄ぃ、居なくなっちゃうの?」
美しい緑輝くつぶらな瞳いっぱいに涙を讃え、ルイスの上着の端をひしと握りしめたミュリノア。
その姿に心痛めるディアナではあるものの刻一刻と迫る悪魔達は当然のように待ってはくれない。
「ミュリノア、俺にはやる事があるんだ、それは何度も説明したよね?」
「やだっ!ルイ兄ぃ、行っちゃやだぁぁ」
こぼれ落ちる涙を拭き彼女を抱きしめたルイス。
別れの時になるべくショックを受けないようにと数日のうちにこの町を出ることは何度も告げていた。だが、そこはまだ六歳の幼き少女。それは遠い未来のように感じており、来たる時の想像などしてはいなかった。
「お願い、ルイ兄ぃ。ずっと一緒に居てよぉ……」
泣きじゃくるミュリノアを胸に抱き優しく頭を撫でるしか出来ないルイスは、自分にやらなくてはならぬ使命がある事を今ほど後悔したことはない。
「え? どうかしたんですか?」
そこに帰ってきたダニエメは改めて聞かされたルイスの実情に驚愕し、せっかく買ってきた物を床に落としてしまった。
「せめてもう少しだけでも……」
「すみませんダニエメさん、俺には俺の事情があるんです。ここに留まりたいのは山々ですが、行かなくては俺の成すべきことが果たせなくなる」
「それはミュリノアよりも大切なことなんですか?」
「もちろんミュリノアも大切です。ですが俺の目的は、大人になったミュリノアが幸せに暮らすためにはどうしても必要なことなんです」
確たる意志を持っているルイスにはどう足掻こうとも説得は不可能。それを悟ったダニエメはルイスに縋り付くミュリノアを抱きしめた。
「やだぁっ、やだよぉ、ルイ兄ぃ……」
「ミュリノア……」
ルイスが困惑し、どうして良いのか分からず、そんな三人を黙って見つめるディアナが成り行きを見守っていたレーンへと視線を向けた時、入り口のすぐ隣にある台所のガラス窓が光り輝いた。
⦅そこに隠れているのは分かっている。抵抗する事なく大人しく出てきてもらえますかねぇ、レイフィール・ウィル・メタリカン第一皇子⦆
拡声器により響いたのは帝国軍の警告。その声に聞き覚えのあったレーンは驚き、扉に取り付けられた覗き穴からそっと外を見渡す。
「マジか……アイツの情報はカビだらけだなっ」
目にしたのは周りを取り囲む帝国兵の群、ご丁寧にその半数は魔攻機装を装着済みだ。中心で拡声器を握っていたのは黄色を主体とする目立つカラーリングの機体、レーンの良く知る男だった。
⦅あーあー、どうせもう詰みなんしょ?面倒臭いからさっさと出てきてくんない?僕、早く帰りたいんだけどぉ?⦆
突然の事態に困惑したルイスは、うんざりとした顔で溜息を吐くレーンに事情を尋ねれば、今の声の主は【ヴォルナー】、宮廷十二機士第六位の男なのだという。
更に千五百もの帝国兵とそれを率いる五人の宮廷十二機士が待ち受けているらしいと言われれば、悠長に居座り続けたことを後悔する気持ちが湧いてくるが時既に遅し。
「中でも一際ヤベェのはジルダの野郎だ。 見た目はお淑やかそうな娘のクセに、化けの皮を剥がせば冷酷にして残忍。気に入らぬ者は問答無用で捻じ伏せるという極悪非道の侯爵令嬢だ。
無類の拷問好きは有名なことで、難癖付けては自宅の地下室に閉じ込め、そこから生きて帰った奴はいねぇって噂は公然の秘密だぜ?」
極悪非道、拷問……それを聞いたダニエメは血の気が引く思いで立っているのが困難になり倒れそうになった所を既でルイスが抱き留める。
「だ、大丈夫ですか?」
「え、えぇ……」
帝国兵が押しかけたのは自分の家、ここにレーンが居るということは彼を匿っていたと捉えられてもおかしくはない。
更に相手が貴族ともなれば、事実など簡単に捻じ曲がる。無実の訴えなど聞いてすらもらえず、難癖付けられてしょっ引かれるだろう。そしてそれがレーンの言うように狂気じみた性格をしているのなら、その後のことは考えるだけで悍ましかった。
「どうする?レーン」
「どうもこうもありゃしねー、邪魔をするなら蹴散らすのみだ」
「まぁ、そうだよね。それ以外に選択肢は考えられない」
「んじゃ、俺は正面から行くから、お前は裏の壁をぶち壊して逃げろ」
「え?それじゃあレーンが……」
言いかけたルイスの腕を掴んだダニエメはここぞとばかりに身を乗り出した。その顔は危機迫るものがあり、彼女の必死さをありありと映し出している。
「ルイス!私達を連れて逃げて!帝国兵の狙いはあの人なんでしょう?あの人が捕まれば無理には追ってこないはずよっ!お願い、貴方を慕うミュリノアを見捨てないで!!」
答えあぐねるルイスを他所に、わざと音を立てて椅子に腰掛けたレーンの目は冷たいモノ。狭い机に肘を突くと、祈るようにルイスを見つめ続けるダニエメを指差す。
「お前さぁ、千五百もの帝国兵を掻い潜ってどうやって逃げるつもりだ?しかも、ルイス一人ならまだしも自分と嬢ちゃんを連れて行け、だと?笑わせるな」
「ちょっ、レーン。そんな言い方しなくても」
「じゃあお前はこの状態をなんとか出来るってか?二人を連れて無事にこの町から出られるとでも?」
「いや、それは……」
「てめぇの計画に狂いが生じたからって、その尻拭いの全てをルイスに押し付ける……気に入らねぇなぁ、おいっ」
「レーン、何を言って……」
「大方、俺さえ捕まっちまえばルイスがこの町を出る理由がなくなるとでも踏んでたんだろ?だから俺がここに居ると密告に行った。
しかし帰ってみれば、ヤバい奴が来てると聞かされ自分達の身が危ういことに今さら気が付いたってことだ。
だが残念だったな、お前の計算には前提の時点で誤算がある。それは追われてるのが俺だけじゃないってことだ」
青い顔をして震え始めたダニエメは、レーンの推論通り警邏中の帝国兵に密告しに行っていた。
娘と自分の幸せのためにはルイスが必要。彼が旅をする理由がなくなればと思い、レーンを売ろうと少し前から決めていたのだ。
帝国兵が血眼になって探す逃亡者を見つけたともなれば、それなりの報奨金もアテに出来る。その為になけなしの金を叩いて用意した予備の椅子であり、それはレーンを家に留めておくための時間稼ぎには必要なモノだった。
「ダニエメさん、黙っていた事は謝ります。ですがレーンの言う事は事実。 あの時は向こうも殺す気で来ていたから正当防衛とは言えるのですが、そんな証拠はない上に帝国ではまかり通るはずもない。
俺は人を殺しました。それも宮廷十二機士の一人を。だから俺もレーンと同じく帝国に追われているんです」
与えられた情報が予想外過ぎて許容量を超えたダニエメは、俯いたままで視線を合わせる事すら出来ないでいる。
そんな彼女とは違い、会話の半分も理解できていないだろう少女は、分からないなりに何かを感じてルイスの頭に手を伸ばす。
「ルイ兄ぃ、悪いことしちゃメーよ?」
「ああ、そうだな。悪い事をしたらちゃんと謝らないといけない」
「くっくっくっ、悪い事をしたらダメ、か。良いこと言うじゃねーか、嬢ちゃん。それには俺も大賛成だ。
だったら俺は、俺に冤罪をなすりつけやがった奴らに謝らせないといけねーな。そうだろ、ルイス?」
「いや、そうかもしれないけど、何で今、俺に振ったの? それに、今外にいる奴らがレーンに罪を着せたかどうかなんて分からないよね?」
「ん? そんなのアイツらに決まってるだろ?」
「ちょっと、その悪い笑顔は何!? 八つ当たりは止めてあげて!」
「クククッ、そんなの知らねぇよっ」
「おいおいおいおいっ……」
「ルイス、もう一度言うがお前は裏からだ。あの野郎なら女子供の一人や二人は匿ってくれるだろう、コロシアムまで連れて行ってやれ。その後はジジィ共の工房に集合だ。遅れたら置いていくからな?」
⦅ちょっとー、無視ぃ? お前、自分が包囲されてるの分かってんのぉ?何様のつもりなのっ?⦆
痺れを切らしたヴォルナーの声に立ち上がったレーン。そのまま家の出入り口である扉の前まで行くと、取手に手を掛け動きを止めた。
「俺は自分が我儘な人間だと自覚している。当然周りを振り回していることも分かっているつもりだ。だとしても、仲間だと認めた奴の事は決して裏切らない、例え自分がどんな不利な状況に陥っても、だ。
もちろんこれは俺の思想であり、信念だ。誰かに押し付ける気もなければ理解しろと言うつもりもない」
「だがな……」と言葉を止めたレーンはゆっくり振り返り、相変わらずの青い顔で成り行きを見守っていたダニエメへと視線を向けた。
一見ボサボサにも見える癖のある金の髪。彼が動くのに合わせて軽やかに揺れる金糸の下には、知らず知らずのうちに魅了されてしまう碧い瞳が穏やかな光りを携えている。
──見られている
意識しただけで思わず居住まいを正してしまいたくなる形容し難い雰囲気。それは正に、数多の人間を統べる資格がある者だからこそ持ち得る王者の風格だった。
帝国兵の完全包囲という絶体絶命の窮地にありながら、焦るでも猛るでもなく至極穏やかな表情。それでいてその目には確かな力強さを感じ、己の悲運を嘆いて諦めてしまった風でもない。
──威風堂々
それは彼の為にあるようにさえ感じてしまう。
「自分の愛する者にくらい、後ろ指を指されることのない人生を歩んだ方が良いと、俺は思うぞ」
我を忘れて釘付けになっていたダニエメは、何を言われたのかを悟り再び俯いた。
そんな彼女へと優しげな視線を向けたディアナは背を向けたレーンの元に駆け寄り、背後からそっと抱きしめる。
「お前はルイスと一緒に……」
「地獄まで付いて行くって言ったの、忘れちゃったの?」
フッと笑顔を浮かべたレーンはディアナの腰に手を回し唇を重ねる。それは彼女の意志を尊重し、共に困難に挑むことへの許しだ。
相手は千五百もの帝国兵と六人の宮廷十二機士。例え実績の伴う相当な実力者だと知ってはいても、これから向かう場所は生半可なことでは切り抜けることの出来ぬ死地。そこに自分の気に入った女を同伴させるなどレーンとしては認めたくはなかった。
──だからこその長い長い口付け
それは彼女を護り、生きてエスクルサを脱出するのだという誓いの儀式。
「好きにしろ」
「ええ、そうさせてもらうわ」
「ったく、お前って奴は……」
「そういう私も、好きでしょう?」
もう一度唇を重ねたレーンは、今度こそ外に出るためにドアノブに手をかける。
「ルイス……また後で、な?」
柔らかな微笑みを残すと手を捻り、ゆっくりと扉を押し開けた。
その先に待つのは地獄にも等しき戦場、帝国最大戦力の半数が集まる処刑場である。
はたして彼ら三人は無事、生きて再会することができるのだろうか……。
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日本の田舎で平凡な会社員だった松田理奈は、不慮の事故で亡くなり10歳のマグダリーナに異世界転生した。転生先の子爵家は、どん底の貧乏。父は転生前の自分と同じ歳なのに仕事しない。二十五歳の青年におまるのお世話をされる最悪の日々。転生チートもないマグダリーナが、美しい魔法使いの少女に出会った時、失われた女神と幻の種族にふりまわされつつQOLが爆上がりすることになる――
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