黒の皇子と七人の嫁

野良ねこ

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第十章 嬉しい悲鳴をあげた大森林

25.行動開始

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──声を大にして言おう、前言を撤回する、と

「皆さん聞きましたよね? 約束ですよ?」

 虫唾が走るほどの苛立つ笑みを浮かべた族長を殴り飛ばさなかったのは、押し付けられた無理難題をモノともせず即応したエレナのおかげだ。
 もし仮にだ、隣に誰もおらず俺と奴の二人きりであったならば、二度も人の嫁をてごめにすると吐かした口を拳で塞ぎ、顔の原型を留めぬ程に怒りをぶちまけていた事だろう。

「イェレンツ、何か分かっている事があったら教えろ」

 彼は族長の息子らしいが、俺達を迎えに来た時は白ウサギの獣人であるエレナの事を身分の高い客として丁重に扱っただけ。
 俺の嫁だと知ってからは人並みに気を遣っているようで必要以上には近付いておらず、あの糞野郎よりはまともな奴のように思える。

「いや、情けない事に相手が単独だと言う事しか分かっていないんだ。この何ヶ月かかなりの注意を割いてきたつもりだが、手掛かりすら残さぬ相手を捕まえるのは無理があるのでは?
 諦めて帰るという選択肢も……」

「御生憎様。エレナがやると決めたんだ、夫の俺がハナから諦めるわけねぇだろ?」

 自分達の不甲斐なさを悔いているのか、それとも自分の父親の非常識さを申し訳なく思ったのか、なんだか複雑そうな顔で押し黙ったイェレンツは口を閉ざしたまま俺の顔を見つめてくる。

 彼には何の罪もない、それくらいのことは分かっている。

 また、彼の父親である族長も癪に障る事を口にしただけで実際に行動に移そうとしたわけでは無い事も事実なのだが、タイミング悪く募った苛々は止まる事を知らなかった。

「アリサ、モニカ、手伝ってくれ」

 何をするのか分からず不思議そうな顔で寄って来たモニカを引き寄せ背後から抱き締めるが、少々強引なやり口にも文句も言わずにされるがままになってくれている。
 目一杯モニカを補給して苛々に蓋をすると、そんな事はお見通しとばかりににこやかに微笑みキスをされてしまった。

「あら、わたくしには熱い抱擁はしてくださらないのかしら、ねぇ?」

「ごめん、アリサ。心が落ち着いているうちにやる事を済ませたい、終わってからでもいい?」

「拗ねて泣いて見せれば優しくしてもらえるのかしら?うふふっ、冗談よ。
 それで、わたくしは何をすれば良いのかしら?」

 魔族王家の息女として育ったアリサは重ねた年齢のせいもあるのか、とてもしっかりとして頼り甲斐があり、エレナのように大粒の涙をボロボロ流す姿など想像が……って、ついこの間見たばかりだったな。

「俺一人で出来れば二人の手を煩わせなくても良かったんだが、生憎不出来な男ですまんね。
 アリサは魔法陣詳しいだろ?単純に魔法の効果を増幅させるヤツをモニカに教えてやってほしい」

「そう、力技で行くのね。いいわ、時間も無い事だしさっさと描いてあげる」

 小さな紙とペンを取り出すと早速下書きを始めてくれる。
 俺のやろうとしてる事を的確に理解し、即座に行動に移してくれる彼女の優秀さには頭が下がる思いだ。

「私はお兄ちゃんに抱かれていればいいの?」

「それはそれで必要な事だけど、今は別の事を頼みたい。
 ララを介してサラが光の魔力を使って魔法陣を描いたろ?アレを今度はモニカがやってくれよ。モニカなら簡単だろ?」

「ん~、どうかな? やった事ないし、わかんない」

 察していたであろうモニカの役割を伝えれば、言葉とは裏腹にさして不安そうにするでもなく、そんな事よりと言いたげに俺を見上げて口付けを求めて来る。

「あっ、ズルいわね。これが欲しかったらわたくしにも口付けをなさい」

 指に挟んだ紙を ヒラヒラ と揺らして俺の意志を確認するとにこやかに近寄り、すぐ間近でモニカに見られながらアリサともキスをした。
 そんな二人の愛情のお陰で心のモヤモヤは吹き飛んだかのように思えたが、視界の端に諸悪の根源たる奴の姿が写れば『出番?』と “苛々君” が顔を覗かせるので困ったものだ。

「こんな簡単なのでいいの? この間のは小さな文字や記号みたいなのが沢山あったよね?」

「通常であれば魔法陣が魔法として発動する為の術式を描かなくてはいけないから複雑になるのよ。今回のは魔法の行使をするのではなく魔法を補助するのが目的だからこんな単純で良いの。
 その紙はあげるから良かったら覚えておくと何かの役立つかもよ?」

 じっくり眺めて頭に図面を叩き込むと、アリサの進言通りメモ紙を鞄にしまった。



 開かれた両手がゆっくりと上がれば、そこを介して光の魔力が流れ出す。

 何が起こるのかと物音一つ立てずに見守るエルフ達。
 陽が傾き暗くなりかけた地面の上を二つに分かれた光の玉が左右対象の動きでゆっくり突き進めば、ものの数分で六芒星魔法陣が完成する。

 片方だけのサイドテールを揺らして振り返り『終わったよ』と告げるサファイアの瞳に「ありがとう」と感謝のキスをして離れると、いつでも触れ合える間柄だと言うのに名残惜しそうな顔をするので後ろ髪を引かれてしまった。

 それでも今はと、やるべき事を見定め、心が流されぬ内に直径が四メートルもある光の魔法陣の中心へと歩いて腰を降ろした。

 魔力の多さにモノを言わせ、あらぬ限りの広範囲を魔力探知をするべく自分の魔力を練り上げれば、柔らかでありながらしっかりとした芯のあるモニカの魔力が纏わり付き、魔法の発動を待ちわびるように俺を覆い尽くす。

 ある程度纏まった量の魔力が出来上がると周りの空気に馴染ませるように放出する。
 堰を切ったように溢れ出した俺の魔力に合わせてモニカの魔力も動き出せば、二つの魔力が絡み、溶け合い、一つとなり、物凄い勢いで膨れ上がる。

「凄い……なんなんだ、これは」

 俺自身、ここまで凄い事になるとは思っていなかったが光の魔力で造られた魔法の効果を増幅する魔法陣の威力は絶大で、本来見える筈の無い魔力が キラキラ と光る湯気のように立ち昇る様子がその場に居合わせた全員の目に映る。

「綺麗ですね、コレット姐さま」
「ええ、本当に。レイ様といると飽きるという事がなくて楽しいですね」

 どういう意味だと問い正したくなる一言も、コレットさんに抱き上げられ、頬に手を当てた惚けた顔で暗くなりかけた空へと消える光の幻想を見つめる雪を見れば、今は場違いだとそそくさと鳴りを潜める。

 これが光の魔力の合わせ方かと体感しながらも全周囲へと雪崩行く魔力に集中すれば、いつもより遥かに感覚の鋭い魔力探知は自分の目が数千、数万個に膨れ上がった感覚に陥り若干目眩がするほどだ。

 巣穴から顔を覗かせる兎の親子、獲物を仕留めて夫婦で貪る虎、鳥型の魔物に追われて必死に逃げる猪など、夜を迎えようとするフェルニアの今の全てが手に取るように見える。

「いた……多分これだろう」

 実際には広大な大森林の一部しか見えていないのだろうが、酔っ払ったシドの酒瓶を奪い去るクララの姿なんて見えたりすると、獣人王国ラブリヴァですら見えていないのに “俺って凄い” という気分になってしまうから我ながら困ったものだ。

「何!?本当なのか?」

 少し走っては転移でもしたかのように百メートル以上離れた先に湧いて出る、そんな事を繰り返し何処かに向かう存在など普通とは言えやしない。

 一瞬にして気配の消える転移と違い、空気に溶け込むようにして消えては現れるそいつの移動は独特で、そんなことが出来る獣人もいるんだと感心してしまう。
 しかし、急いでいる様子の彼女が何処に向かうのかと気になるところでもあるが、その容姿には『マジかよ……』と見なかった事にしたくなる自分がいた。

「なぁ、エレナ。やっばり諦めて帰らね?」

「??? 何でですか?」

 対象を見つけ後は捕まえるだけだというのに、そんな事を言い出す意味が分からないと首を傾げるエレナの反応は至極当たり前のもの。「ですよねー」と自分の中で踏ん切りを付けると、魔法陣を消し去りテントの用意を始めた。

「ちょっと一走り行って来るわ。朝までには帰るつもりだから先に寝ててくれ」

「私も行きます!」

 二つ目のテントを出した所でエレナが勢い良く挙手をする。

 その顔は “自分の仕事だから自分がやる” との決意で固まり、拒否しても付いて来そうな勢いが感じられたので『どうするかな』と考えつつも何も言わずにテント二つと浴室の用意を済ませた。
 気は変わったかと淡い期待を胸に振り向いてみたのだが、俺の許可を待つエレナは真剣な眼差しで見つめたままでいる。


「テントなどで寝ずとも俺の……」


 暗闇を切り裂いた光の筋は、青い石のブレスレットが嵌る左手に握られた黒色の物体から発せられたもの。

 こいつの癖なのか性分なのか、再び卑しい笑みを浮かべた族長の尖った耳を掠めた光は数本の金の髪を風に散らせ、紡ぎ始めた言葉を奪い去った。

「アリシアさんにとって貴方は必要な存在なのかもしれないけど、私にはどうでもいいのよ。 お兄ちゃんが我慢したから私もそうするけど、貴方に苛々してるのはなにもお兄ちゃんだけじゃないわ。
 それ以上何か言えば跡形もなく消え去ると思った方がいいんじゃない?」

 身動ぎすら出来ない程に驚き固まる族長は少しばかり気の毒にも思えるが、身から出た錆だ『ざまぁみろ』と言ってやろう。

 珍しく苛ついているモニカの握る魔導銃に手を添えてそっと降ろし、ギュッ と抱きしめながら耳元に口を寄せた。

「大丈夫か?」

「何が? 度を越えた非常識が自分に向けられたから分らせてあげただけ、ただの自己防衛よ?」

 間違った事でもしたのかと首を傾げるモニカの頭を撫で、小さな六つの白い箱を取り出すと空いている左手の上に置いた。

「遅くとも明日には戻れると思う。何かあるといけないから戸締りはしっかりな。 使い方は分かるよな?」

「心配してくれるのは嬉しいけど、行き過ぎると信用してもらえてないのかと思っちゃうよ?
 私なら大丈夫、ここの人達に襲われても五分で全滅させる自信があるよ? 試してみる?」

 笑顔で吐き出した言葉に ギョッ とするエルフ達だったが、モニカの力を持ってすれば不可能な事ではない。 ただ、やるかやらないかでいけば “相応の理由” が無ければそんな事はしない……筈だ。

 俺が戻るまでこの村が存在する事を祈ろう。

「コレットさんと雪、モニカで一つのテント、アリサはサクラと寝てくれ。風呂もあるから使い方はコレットさんにでも聞いて順番に入るといいよ」

「なんだよ、僕はお留守番?」

 頬を膨らませるサクラの頭を撫で「アリサが寂しがるだろ?」と諭せば「むぅ」とむくれながらも渋々了承が得られた。
 朔羅をアリサに渡せば「気を遣わなくても大丈夫よ?」と微笑まれる。

「私が同行しても構わないだろうか?」

 エレナと二人なら魔法で空を飛べば良い。他のが来るとなると移動手段を考えなくてはならなくなるので『面倒臭いなぁ』と振り返れば、思わぬ所に顔がありビックリさせられる。


「ブルルルルッ」


 顔どころか上半身全部に白くて大きな顔を擦り付けてくるのはペガサスのヴィーニス。彼女も共に行くと言うのであればイェレンツの足の心配は無用なのだろう。

「はいはい、お好きにどうぞ。 ただ、付いて来れなくて逸れたら一人で帰ってくれよ?」

「ヴィーニスの速さについて来れないのは君の方だと思うが、同行を許されるのなら一人で帰るくらいわけはない。
 エレナ嬢はまた私と御一緒なさいますか?」

「コレットさん、みんなを頼む。エレナ、行くぞっ」

「え?あ、はいっ!」

 『いってらっしゃい』と手を振る雪に手を挙げ返して微笑むと、風魔法を纏い一気に上空へと上がる。
 ざわめくエルフ達と同様、唖然とするイェレンツの肩を叩き「置いてかれますよ?」と告げたエレナも俺に続いて空へと上がれば、更なるどよめきが生まれた。

 慌てて騎乗したイェレンツが空へと上がり始めたのを確認すると、夕日で赤く染まるテンダール山脈に向けて彼等が追って来れるだろうスピードで移動を開始した。


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