黒の皇子と七人の嫁

野良ねこ

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第九章 大森林に咲く一輪の花

46.寄り添えない二人

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 主人の手を離れた白刀は縦回転をしながら長い薄藤色の髪を揺らして通り過ぎると、大森林フェルニアを形作る一本の巨木に突き刺さって動きを止める。


「待って! お願いっっ!!」


 遠心力を載せた朔羅が身動きしないアゼルの首に触れる寸前、悲痛とも取れる叫び声に反応して緊急停止を試みれば、皮一枚を斬り裂き薄らと血が滲み出ただけに留まった。

「アゼル、勝敗は見えたでしょ?今ならまだ間に合うわ、帰って治療を……」
「今更!……兄貴の居ないこの世界で何の為に生きると?  仇であるコイツに兄弟そろって負けておいて生き恥を晒せと言うのかっ!?」

 負けを悟り、全ての表情が消え失せたアゼルの顔に “怒り” という花が咲く。

「違うわ、テレンスは貴方に死ぬ事を求めてなんかいない。二人が何故強さを求めるようになったのか思い出して!
 人間と比べて過酷な環境で生活する魔族の為だったのではなくって?孤児院に居た力無き者達の生活を良くしてやると言ったのは嘘だったのかしら?」

 急激に芽生えた衝動は鎮静化するのも早いものだ。アリサの言葉で渦巻いた感情は再び放たれた一言で霧散し、消えて無くなったよう。
 唇を噛みしめ視線を泳がせると、吐き捨てるように力無く呟く。

「……昔の事なんて、忘れたよ」

 だがそれを許さず、怒りの感情を孕んだ力強い言葉を打ち込んだのはアリサの方だった。

「自分から目を逸らすのは止めなさい。
テレンスが死んだのはわたくしにも責任がある、だから貴方の我儘にも付き合ってあげた。けどね、自ら死を選ぶ事までは認めてはあげられない。
 力のある貴方には力の無い者達を守る義務がある、それが分からない貴方ではないはずよ。死んで自分だけ苦しみから逃れようなんて甘ったれるんじゃないわよ」

 言葉はキツくなくとも込められた想いは強く、俺が怒られている訳でも無いのに罪悪感のようなモヤモヤとしたモノが湧いてきて、奴の首にあった朔羅をゆっくり降ろした。

「四元帥の称号を得て見る場所が変わっちまったと思ってたが……俺達の勘違いだったって事か?」

 奴の細い目がチラリと俺を見たが、反撃に出るでもなく、特に気に留める様子も無いままにアリサへと視線を戻す。

「生まれ出し時より二百余年、信念が変わった事など一度として無いわ。わたくしはわたくしのまま自分の信じる道を歩み続けて天へと還る、それだけよ」

 首だけを動かし、ゆったりとした動きで空を見上げ、暫くそのままでいた奴の体内に魔力が練られる気配が感じられる。
 だがそれは敵意のあるモノでは無かったので止める事もせず放っておけば、アゼルの右手の傷口を焼く紫の炎として顕現し、役目を果たすとすぐに姿を消した。

「俺を見逃して良いのか?傷が癒えたらまたお前の前に現れる。その時こそ兄貴の仇を討たせてもらうぞ?」

「二度も止めてくれる人が居るなんて思わない事だな。怪我人は大人しく田舎でゴロゴロしてろよ」

「人間の癖に生意気な野郎だぜ」

 人の肉を焼いた嫌な臭いが漂うが、そこは我慢すべき事。
 何を考えているのかは知らないが、空を見上げたまま横目で見てくるアゼルの目に敵意は感じられず、俺と同じくらいの普通の若者にしか見えない。

「……でも、まぁ、嫌いじゃあないぜ?」

 突然現れ自分を殺そうとした奴にそんな事を言われても少しも嬉しくないし、どうせなら可愛い女の子に言われたい。
 それはそれで問題があるだろうと、自分自身に突っ込みを入れつつ鼻で笑い飛ばしてやれば、奴の口角が少しだけ動きを見せた。

「じゃあ、ちぃとばかり不満は残るが、上官殿の命令通り、帰るとするかね。
 あばよ、クソ野郎。   俺が殺しに戻るまで死ぬんじゃねぇぞ」

 握った朱刀は離すこと無く、通り過ぎざまに無事な左の手の甲で俺の肩を叩いてくる。
 フラフラとした覚束ない足取りでアリサに近寄ると少し手前の離れた所で立ち止まり、真っ直ぐにその顔を見つめて小さく呟いた。

「達者でな、アリサ先生」

 消え入りそうなほど小さな声なのにハッキリと聞こえた言葉。別れの挨拶としか取れないその声に疑問を感じつつも成り行きを見守っていれば、何の反応も示さないアリサを前に一瞬で姿を消した。


▲▼▲▼


 残された形となるアリサはと言うと、溢れ出そうとする感情を飲み込もうとしているような感じで視線を落としたまま未だ動きを見せない。

「アリ……」
「ありがとう」

 俺の言葉に被せて沈黙を破れば、ようやくにして視線が戻って来る。

「あの子の我儘に付き合ってくれてありがとう。   でも、お陰でだいぶ疲弊してしまったわね。わたくしとの戦いはまた後日……」
「アリサ」

 今度は俺が言葉を被せれば、提案しておきながらも俺の答えなど分かりきっていたようで、続く言葉を飲み込むと小さな溜息を吐く。

「君は俺の事を運命の人だと言った」
「運命を感じただけよ、その運命も変わってしまったわ」

 彼女の言葉を聞いてしまえば言い包められてしまうだろう。それを考慮に入れ、仕方なしに聞こえないフリをする事にした。

「たぶん俺にとってもアリサは運命の人だったんだと思う。
 五年前、チェラーノの屋台で初めて君を目にした時、世の中にこんな綺麗な人が居るなんてってユリアーネやリリィを目の前に置きながら見惚れてしまったよ」

「あの時の貴方、二人に頬を抓られていたわね」


「あの町で君が魔族だと知っても大した驚きが無かったのも、あの時既に俺の心は君に捕われていて、種族とかそんなのはどうでも良いくらいに君に惹かれていたからかもしれないね」

「それは勘違いよ。何者にも染まっていなかった貴方は、どの種族でも分け隔てなく対等だと認めてあげられる極めて稀な人だったというだけの事」


「半年前、ベルカイムの北にある森で抱っこされたときは居心地が良くて離れたくない思いで心が満たされたもんさ」

「そう……甘えん坊さんね。でも、その後すぐに運命の歯車は廻り方を変えた。
 本来無かった筈のケネスという歯車、魔族の未来をと考え百年を超える研究の末に産み出したあの子が、皮肉にもわたくし自身の未来を変えてしまった。
 それはつまりわたくしの業。
 人体の改造という神の領域に手を伸ばした罪への、天から送られし罰則」


「罪を犯したと言えば俺も同じだ、人の心を踏みにじるという許されざる罪。
 恨むべきは村を滅ぼしたケネス一人だったのに、スベリーズ鉱山に現れた君に “魔族だから” というでたらめな理由で八つ当たりしてしまった事、ずっと後悔し続けてきた」

「あれは貴方の罪なんかじゃない。掛け替えられた運命が引き寄せた通過儀礼の一つ、貴方はその波に乗せられただけで責任は全て歯車を狂わせたわたくしにある」


「いいやアリサ、それは違う。
あの時はユリアーネと結ばれていた。けど、だからといって君の手を振り払う理由など無かったと今なら言える」

「それこそ違うわ。あの時の貴方の言った通りわたくしは魔族で、貴方の家族を、大切なモノを奪い去った憎むべき種族なのよ」

「俺の母親を、村を……ユリアーネを奪ったのはケネスだ!憎むべきは奴一人で、魔族の全部じゃないっ!」

「彼が貴方の大切なモノを奪うきっかけを、力を与えたのは他ならぬわたくし。憎むべき相手が魔族そのものでなかっとしても、わたくしは憎むべき対象なのではなくって?」

「違うっ!やったのがケネス一人なら、憎むべきも奴一人なんだよ!!なんでそうまでして自分を巻き込みたがる!?」

「子供ね……罪とはなにも、実行した者だけが背負うモノではないわ。計画を指揮する者、下準備をする者、補助する者、その者達がいるからこそ実行者が事を成せる。それら全ての者が等しき罪を背負い、罰を受けるべきなのよ」


 目を瞑ったアリサの背後に全身が黒で塗り潰された一振りの剣が浮かび上がって来たかと思えば、いつの間に現れたのか、その数が十倍に増えていた。

 白く、細く、眺めていたくなるほど美しい脚が重力を無視して地面を離れれば十本の黒い剣も動きを合わせ、話しは終わりだと如実に告げて来る。

「わたくしが何を言おうと自分の考えを曲げる気がないのなら、それを押し通すだけの力を示しなさい」

 魔族王家が相伝する重力魔法を操り、ゆっくりと浮かび上がって行くアリサ。

 対話に応じてくれている時点で俺と共に来てくれると傲りがあったのだろう。駄目だと分かっていながらも意見が合わない事に苛立ちを感じてしまい、彼女に負けじと風の魔力を纏い地面を離れれば少しだけ驚いた表情を見せる。

「それだけ魔法を使いこなせているとは流石は先生の弟子ね。でもそんなボロボロの身体にしておいて、魔族の幹部であるわたくしと戦うと本気で言うのかしら?」

「待ち焦がれたせっかくの機会をみすみす逃す訳にはいかない。それに、この機会を逃しては駄目だと俺の奥底にある何かが告げている」

 握り直した朔羅と白結氣、戦う為の闘気は込めようとも殺気を篭めた訳ではない。
 だが、彼女から感じる圧迫感はどんどん膨らみ、生半可な戦いでは済まさないと煽りを入れられているようで気を引き締めざるを得ない。

「そんなにまでわたくしの事を欲してくれた事には感謝する。けど、運命の糸が切れてしまった貴方の想いには応えてあげられない」

「君の心を傷つけた以上、俺を受け入れろとは言えない。それでも君の事を想う人達から君の事を託された事には変わりがないっ。
 アリサっ、俺の元に来なくとも君は過激派の組織から離れるべきだ!」

 ふっ、と微かに微笑んだような気がした。
だが目を開けた彼女に感情の色はなく、無機質で無表情、見た事のない程に冷たい印象しかない。

「わたくしは魔族の平和を願う四元帥が一人、アリサ・エードルンド。
   一度は運命を共にしようと思った貴方への感謝の証として、レイシュア・ハーキースを殺してはならないという方針に背き、わたくしの手の中で死なせてあげるわ」


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