黒の皇子と七人の嫁

野良ねこ

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第九章 大森林に咲く一輪の花

34.星空の下で

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 雲の無い空を独占する満月に照らされた大森林。見渡す限り果てしなく拡がるその姿が切立つ崖の上からはよく見える。
 心地良い微風を肌に感じつつレッドドラゴン達の城パラシオの一番外の城壁に座り、森と二分された満天の星空を独り占めしていた。

「こんな所にお一人ですか?」

 誰が来たのかは振り向くまでも無かったのだが、返事の代わりに首を回せば、月夜に映える白い肌の女が同じ色の太い尻尾をくねらせゆったりとした足取りで近付いて来る。

「よっと」

 俺の座る城壁の外縁へと片手を突き、必要のない掛け声と共に軽い身のこなしで飛び乗る。
 危なげない様子であるにも関わらず両手を広げてバランスを取る素振りを見せながら俺の隣まで歩み寄り、機嫌良さげに腰を降ろした。

「お一人なんて珍しいですね。もしかして私を待っててくれたりしたんですか?ふふふっ」

 空を見上げる為に背後に突いていた俺の手に自分の手を重ねて身を乗り出せば、希望に満ちた光を携えた金の瞳が拳ひとつ分まで迫って来る。


──あぁ、これは不味い状況だな


 顔を見たからと言って逃げ出す訳にも行かず、彼女のしたいようにさせた受け身の結果がコレだ。いくら鈍感な俺でも流石にこの後の展開が読めないほどではない。

「モニカは寝かしつけたがティナとエレナは部屋に戻ったのか?随分と呑んでたようだけど、また二日酔いとか勘弁してくれよ?」

 わざわざ嫁の名前を出したのはせめてもの防御策。
 だがそんなのは些細な事だと気にも留めず、僅かばかりの抵抗虚しく俺の肩へと頭を預けて寄り掛かって来ると、赤茶色の髪からは仄かに石鹸の香りが漂ってくる。

「レイシュア様と出会ってからの三日は短過ぎました。二百年という時を生きて来ましたが、これほど時間が惜しいと感じたのは初めての事です」

 ガン無視される俺の言葉に『走り出した彼女は止まらないか』と心の中で苦笑いを浮かべてみるものの、胸に伸びた手がそっと添わされると加速して行く良くない状況に冷や汗が垂れる思いになる。

「レイシュア様がトパイアス様を打ち負かしたのを見た瞬間、雷を流したような衝撃が駆け抜けました。個の強さでは敵うはずがないと思っていた人間が、この世の中で最強種族と謳われるレッドドラゴン、それも一族の中で最強に程近い者に勝てるなどと誰が想像出来るでしょう。
 そしてクラウス様をねじ伏せた鮮やかな一太刀。その時まで男性に魅力を感じることの無かった私でしたが、レイシュア様に強い興味を惹かれたのは女としての本能だったのかも知れません」

 肩から向けられる艶やかな視線から逃れようとお星様へと顔を向けた。
 普通から考えたらセレステルほどの美人に迫られれば諸手を挙げて喜んでもいいのだろうが、男としての本能より チクチク と胸を刺す罪悪感の方が優っており、俺の心が悲鳴をあげている。

「セレステル、ちょっと待っ……」

「レイシュア様の周りには “妻” と呼ばれる生涯を共にする約束をした女性が何人もいるのは重々承知です。ですが、今この時を逃せば私の想いが満たされる事は永遠に来ない事でしょう。ですから……」

 穏やかな風の吹く二人きりの星空の下、自分の心の内を異性に告白するのにこれほど適した状況は他に無いだろう。肩に当たる彼女の顔が熱を帯び、これからの事に想いを馳せているのが伝わってくる。
 それ以上を聞いてしまうとなし崩しになってしまうと耳を塞ぎたくもなったが、今日はリリィと過ごす夜だと言うのに “会談” という名の飲み会から未だ帰らぬのをいい事に、良心とは裏腹に流されそうになっている自分がいた。

 しかし、彼女が最後の一歩を踏み出す為の足を上げた、そんな折りに窮地を脱する為の救いの手が差し伸べられる。


「ダーリン、待った?」


 気配すら無く突然沸いたかのように、そこに現れたのは俺が待ち望んでいた女神様。
 夜風に靡く金の髪を掻き上げれば左耳には俺と同じ月型のイヤリングが本物の月を写し出し、優しい光を放つ。首から吊り下がる布に包まれた豊かな胸を揺らして引き締まった腰へと片手を当てているのはセレステルへの挑発だろうか?

 しなやかな脚が交互に動く度に短いスカートが揺れ動き、地面に腰を下ろす俺からはその奥に秘められたモノが見えそうで見えずといった絶妙な状況に、極間近にいるはずのセレステルを忘れさせ視線が釘付けにされてしまう。

「あら、お邪魔だったかしら?」

 セレステルとは反対側に腰を降ろすと、腕を置いた俺の肩へと顎を乗せて頬へと手を伸ばし『コレは自分のモノだ』とアピールする。

「え、えぇ……なけなしの勇気を振り絞って一世一代の大勝負に出た所だったんですけど、台無しにされてしまいましたわ」

「それなら完璧なタイミングだったわね」

 片手で固定された俺の顔へと迫るララの顔、長いまつ毛の生える瞼が薔薇色の瞳を覆い隠すのが目に写った次の瞬間、柔らかな感触が唇に訪れる。

「なっ!?」

 リリィの身体を操るララとのキス、これも浮気にカウントされるのかとキスの最中に不謹慎な事が頭を過ぎるのだが、セレステルに迫られていた先程とは違い罪悪感は湧いてこない。

 唇が触れ合っただけの長い口付けは、驚きのあまり顔を離したセレステルを余所にララという存在を存分に感じさせる。

 リリィは俺の生まれた時からの幼馴染みであり、愛する妻だ。
 しかし今、リリィの身体を動かしているのは彼女の祖先であるララであり、俺の妻ではなく赤の他人。言わばセレステルより少し前に知り合ったというだけで彼女と同じ立場の筈なのに、ララには唇を許すクセにセレステルは拒絶しようとする。この違いは一体何なのだろうか?

 よくよく考えてみれば、虚無の魔力の影響も大きいだろうがセレステルも俺の事を真剣に考えてくれる女性だ。
 出逢った順番が違ったら彼女も俺の妻になっていたかもしれない。それならば “遅かったから” と単純に切り捨てるのは如何なものなのだろうと、自分の行動に疑問を感じ始めるが現状は変えられるはずもない。


「セレステル、ごめん。俺には勿体ないくらいの君の気持ちはとても嬉しい。けど、君も知るように俺には何人も妻がいる。その妻達から注がれる愛に応えるのに今は精一杯で、君からの想いには応えてあげられる自信がない。だから……せっかくの気持ちだけど、本当にごめん」

 面と向かっての初めて拒絶に無数の針が心へと突き刺さるような苦しい想いだったが、俺の胸の痛みよりもセレステルの方が遥かに大きな痛みを受けた事だろう。
 その証拠に期待に胸を膨らませていただろうご機嫌だった先程までとは打って変わり、視線は遥か下にある地面へと突き刺さっている。

「そう……ですよね。レッドドラゴンの掟でも同時に囲うのは三人までとされています。レイシュア様の “妻” はそれ以上ですものね……ちょっと、浮かれてました。やっぱり私は出来損ないですね。すみません、失礼します」

 視線を合わせる事なく立ち上がると、嫌なものから逃げるように足早に去って行く。小さくなって行く後ろ姿を見ながらチクチクと刺すような痛みで俺の罪を訴える心の中で『ごめん』と謝ってはみるものの、勢いを増すばかりの罪悪感は俺を許しはしないらしい。


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