黒の皇子と七人の嫁

野良ねこ

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第七章 母を訪ねて三千里

56.流石の義理母さま

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 ミアはもう居ない、そのことを正確に理解した時、途方も無い倦怠感に襲われた。

 何かをする気力の全てが消え失せ、見ているはずのヴィクララが何か言うのも耳に入ってこない。
 立っていた体にも力が入らず『ああ、不味いな』と他人事のように思いつつも視界が傾いて行く。

「レイさん!?大丈夫ですかっ!!」

 突然倒れ始めた俺を支えようとして一緒に倒れてしまったアリシアに抱き起こされ ペシペシ と頬を叩かれたが感覚がまるで無く、ただただ手が頬を打つ様子が視界に入っていた。
 慌てた様子のアリシアを視界に捉えたままでいると今度はヴィクララが覗き込んできて、溜息を一つ吐くと俺の額に指を当てる。

「手のかかる奴じゃな、そんな事で虚無の魔力ニヒリティ・シーラを操れるのか?少し心を閉じてやった、楽になったであろう?まさかそれほどミアに惚れ込んでおるとは驚きを通り越して呆れてしまうぞ。

 良いか?しかと聞くのじゃ。

 ミアはこの世に存在していない筈の娘、言わば幻じゃ。幻に恋するなど滑稽じゃぞ?つまり、うぬの心の痛みもまた幻なのじゃ。

 しかし、幻でも人を殺す事は出来る。

 あの時ミアの命が奪われなければ、ミアに出会った事でそれほどまでにうぬが心を痛める事も無かった。それに関しては妾に責があるとも言えよう。
 そこでじゃ。妾から一つ、うぬへ贈り物をしようかと思う」

 ヴィクララが差し出した手のひらに乗るのは直径五センチほどの銀色の毛玉だった。
 少しの黒を含んだ銀の毛色、それは見間違う筈もないミアの耳と尻尾に生えていた毛の集まりだ。

 ヴィクララの魔法のおかげか、チクチクと刺すような胸の痛みはあるものの、さっきまでの倦怠感が嘘のように無くなり自分で物が考えられるようになっている。

 だが、目の前に出された贈り物を取ろうと恐る恐る伸ばした手がソレを掴もうとした時を見計らい、ヴィクララの手が素早く引っ込むので ムッ として彼女を見上げた。

「クククッ、その様子なら大丈夫そうじゃのぉ。コレが欲しいか?うぬが理解した通り、コレはミアの銀毛。あの娘の置き土産であるコレが欲しいのか?
 どうしても欲しいというのならば赤児のようにアリシアに抱かれてなどおらずに、跪いて懇願してみせよ」

 両手を腰に当てて口角を吊り上げると愉しげに俺を見下す姿に更に イラッ として起き上がると、それを寄越せとばかりに飛び掛かってみたのだがいとも簡単に躱されてしまう。

「クククッ、そんな動きで妾からコレを奪おうとするなど笑止。諦めて跪くがよい。
 ほれほれっ、早ょぉせんか?」

「てめぇっ、贈り物って言ったじゃないか!贈り物なら贈り物らしく素直に寄越せよっ!」

「んん~? うぬは人の話をきちんと聞く事を覚えた方がよいな。妾は贈り物をしようかと思っただけで、贈り物をするとはまだ決めておらぬ。コレをどうするのかは妾が決めるぞ?
 それでも欲しいというのならば地べたに這い蹲り、額を擦り付けて懇願せいっ。ほれほれ、早ょぉっ、早ょぉっ」

 餌をチラつかせてウダウダとああ言えばこう言うヴィクララに怒りが湧き上がり、意地でも取ってやろうと飛び掛かるが、暴れるには狭い部屋の中を ヒラリヒラヒ と余裕で躱しやがる。

「くそっ!てめぇっ!さっきより条件多くなってるじゃねぇかっ!いいから寄越せって!!!」

 カエルのようにぴょこぴょこと飛び掛かる怒り心頭の俺と、ウサギのようにぴょんぴょん飛び跳ねる嬉々たる表情のヴィクララがアリシアの周りをグルグルと周り始めると、中心となったアリシアは大きな溜息を一つ吐き出し、おもむろに手を伸ばした。

「ぐぇっ!?アリシアっ、今良いところなのだ邪魔を……あぁっ!!」

 青筋を立てて イラッ とした顔をしたアリシアの手にヴィクララの顔面が捕らえられた。
 指先がプルプルするほどに力が込められて完全に決まったアイアンクローを物ともせず苦情を訴える彼女の手から念願のミアの毛玉を奪い去ると、それに驚いたような顔を見せて悔しがるので精一杯のドヤ顔を返してやった。

「くっ、邪魔さえ入らなければ……まぁ良い。それを額に当ててみよ、さすればミアが残した最後の言葉が聞こえようぞ」

 海の生物であるウニのように無数の細い毛が飛び出しているソレは手で触るとこそばゆかったのだが、球状になっている中心部は柔らかくも堅いという不思議な触感で肌触りがとても良い。
 一呼吸吐いて逸る気持ちを落ち着かせると、言われた通りにオデコに当てた。


『大好き……サヨナラ』


 言葉少なげなミアらしく単語のみのメッセージ。それでも彼女の言葉は俺の心を打ち、さっきまで忘れていたミアへの想いを呼び覚ます。
 いつの間にか膨らんでいたミアへの想いはノアへの想いにも匹敵するほどになっている事に驚くと共に、その想いが叶う事無く終わりを告げられたのだと知ると涙が頬を濡らしていく。



 頭に当たる柔らかな感触がして優しく抱きしめられた事を知れば、見上げた先には哀しそうな顔をしたアリシアがいた。頭を撫でる手が今は亡き母に抱かれているような錯覚に陥り、それに甘えてしまう。

「ミアの言葉は聞けたのじゃろう?その遺物は妾が持つより、うぬが持っていた方が良かろう。妾の魔法を超越するほどの想い、か。それはうぬの強さなのか、はたまた弱さなのか、判断は難しいのぉ。

 結末はどうであれ、うぬの質問には答えてやった。そこで改めて問おう、汝は闇竜である妾の力を求めるのか?これ以上ミアとアベラートのような悲劇を産まない為の戦いを挑む決意がうぬにはあるのか?」

 ヴィクララの言葉をアリシアに抱かれたままに聞き、少しの間考えてみた。
 いつの世にも悪い事をする奴は必ず現れるのだろう。ルミアの指示に従って女神を殺し、過激派の魔族を叩き潰したとしても違う悪が現れるだけのイタチごっこなのではないだろうか。

「俺は……本当のところ、何が正しくて何が間違っているのかよく分からない。今の世界でも幸せを感じ、平和に暮らす人達は大勢いる。だったらそれで良いんじゃないのか?

 でもそれを脅かそうとする過激派の魔族がいる事も知っている。

 俺は愛する人達を理不尽な魔族に奪われた。最愛の人も魔族の手にかかって亡くしてしまった。
 だから魔族というモノに対して嫌悪した時期もあったが、人間がそうであるように悪い奴もいれば良い奴もいる。全ての魔族が憎むべき相手ではないのは当たり前の事だと気付くことが出来た。


 今の世界は人間という種族だけが大きな顔をして暮らしている。そんな人間に紛れて、正体を隠して暮さねばならない魔族もいた。
 獣人達はただ獣人であるからといって虐げられ、ペットとして生活させられている事も知った。

 だがエルコジモ男爵の屋敷では獣人と人間とが共に助け合って生活しているのを見せられ、これが普通じゃないのかと考えさせられた。

 俺は今の世の中を壊したくはない。けど、人間と共に獣人も、そして魔族も、みんなが差別される事無く平和に暮らせる世の中になってくれたら良いなと考えるようになった。その理想を叶えるために、俺程度の人間に出来る事があるのならば努力を惜しむつもりは無い」

「漢が理想を語るのなら、赤子のように女の胸に抱かれて言うのではなく、精一杯カッコつけて言うた方が見栄えが良いぞ?
 うぬの想いは分かった、その気持ちに応えて妾も力を貸そうと思う。アリシア、その大きな赤子を寝室に連れて行くが良い」

 寝室と聞かされて慌てて顔を上げると、その理由に気付いたアリシアも顔を赤らめる。
 そんな俺達を目の当たりにしたヴィクララは呆れた顔で馬鹿にした様に見て来るのみ。

 彼女が言い出した事なのに……何故だっ!

「うぬはやはりルイスハイデの人間よのぉ、そんなにも妾とまぐわりたいのか?」

「まっ、まぐ……」

「待てよっ!寝室に連れて行くって、他に何する気だよ。普通に考えたらそう言うことじゃないのか?俺、今、ミアに置き去りにされて傷心なのっ!そういうのはちょっと遠慮したいんですけど!?」

 これ見よがしに大きな溜息を吐いてジト目になったヴィクララの視線が痛い。
 そりゃぁさっ、あんなこと言われたら誰でも想像する事は同じじゃね?俺だけ責められるとか可笑しいと思うんだよね。現にほら、アリシアだって同じこと想像してたじゃん?

「妾は力を貸そうと言うたのじゃ、そこから何故そういう想像に行き着く?人の話を聞いておるのか?大人しく寝ていれば妾が魔力をくれてやろうと言うのじゃ、全て任せるが良い」

「つっ、つまりぃ?ヴィクララが全部やってあげるって事なのね!?」

 悶々とした表情のアリシアが俺の服を キュッ と掴みながら身を乗り出さんばかりにヴィクララに問いかけるので、背中にアリシアの柔らかなモノが押し付けられ修正されかけた俺の妄想を再び良からぬ方向へと導いて行く。

「ん?そう言うておるぞ」
「つっ、つまり、レイさんは寝ているだけで気持ち良くなっちゃうと?」
「んんっ?気持ちよく? お主、まだそこから頭が離れぬのか……」
「つつつっ、つまりっ!まぐわるのね!?」
「アリシア……此奴に抱かれたいのか?」
「っ!!!!ヴィクララ……レイさんは娘の旦那様なのっ!その男性とだなんて……ダメよっ!絶対にダメ!エレナに合わせる顔が無くなるわっ!! せっかく久し振りに会える娘ですもの、まだ嫌われたくないっ!
 でも……黙ってればバレないかしら? そっ、そうよね、バレなければ良いかも知れないわ……」

 この人は……と恐らく同じ事を思ったヴィクララと二人してアリシアに白い目を向けるが、そんなことには気付く由もなく、口に拳を当てた可愛らしいポーズでよからぬ妄想が膨らみ始めて歯止めが効かなくなったようだ。
 ぶつぶつと一人芝居を始めた呼んでも返事の無いアリシアは置き去りにして、俺達二人はその部屋を後にした。


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