黒の皇子と七人の嫁

野良ねこ

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序章 旅の始まりは波乱と共に

幕間──①車線変更

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 そこは私達の泊まる宿のすぐ近くにある小さな酒場。金持ちをターゲットにしている落ち着いた店内には静かに酒を飲む者が数人居るだけだ。

 そんな中、一人、カウンターの端に座る私。

 透明なガラスなど凄く高価なはず。そのガラスで造られたグラスには琥珀色の液体が入れられ、一緒に入る、これまた高価なはずの冷たい氷が抑えめに調節されたランプの灯りを受けて宝石のように輝いている。
 傾けるたびに変わる煌き。グラス内を動く氷の様子をぼんやりと眺めて待ちぼうけていれば、不意に置かれた腕へと視線が移る。

「悪い、待たせたな。マスター、俺にも同じものをくれ」

 隣の席に腰掛けカウンターを滑ってやってきたグラスを受け取ったのは、私に呼び出されたミカル。彼はグラスの液体を一口飲み込み、喉を通る強いアルコールの感触を楽しむようにフゥッとゆっくり一息吐いてから特徴的なダークブルーの瞳をこちらに向けた。

「んで?話ってなんだよ?とうとう俺に惚れたか?」
「はいはい、その通りねぇ。それは置いておいてさぁ……今回の魔族ぅ、どう思った?」

 私を見つめるおちゃらけた視線が真面目なものへと変わるのを感じる。私と同じく魔族に対して並々ならぬ思いを抱くミカルの率直な意見が欲しい。

「いきなりだな……奴ら、何が目的だったのかはさっぱりわからねぇ。だがあまりにもあっさりとした引き際、チェラーノじゃないにしても何処かの町にまた現れそうだな。
 それで……お前は何考えてんだ?」

 グラスを傾け琥珀を口に含むと、甘さを感じさせる香りと共に刺激のある辛味が口の中に広がる。それを楽しみ喉へと流し込めば、熱いモノが体の奥へ落ちていくのがはっきりと分かる。
 強いアルコールが喉を焼き、体内に拡がる心地よい感覚にホゥッと息を吐けば、最初に感じた甘い香りが舞い戻る。

「ケネスはレイを目の敵にしている。今回もぉ私が気が付かなかったら殺されていたところ、必ずまた狙ってくるわぁ。そのときぃ、守ってあげられる誰かが側にいるとは限らない。だからぁ、自分の身くらいは自分で守れるように強くならないと駄目なのよねぇ。ケネスは恐らくぅ、今の私と同じくらいの力を持ってるわぁ」

「守りながらでは倒せない……か。俺が一緒に居てやれればいいが、ずっと一緒というわけにもいかねぇしな。
 あいつは魔法が使えねぇ、それはお前も知ってるだろ?魔族とやりあえるくらい強くなるにはこれ以上ないハンデだ。どうやって強くするつもりだ?」

 優しさの中に感じる強い意志、恐らくミカルは私が言わんとしてる事を理解してる。
 それでも、それを含めて言おうと心に決めていた言葉を吐き出す為に……意を決した。


「レイを私に頂戴」


 呆気に取られたミカルの顔は見ていておかしなモノ。ポカンと口を開けた間抜けな姿は普段なら『してやったり!』と笑うところなのだが、生憎と今は真剣な思いを伝え始めたところ。

「おいおい、何言い出した?」
「私が誰に師事してるかは知ってるよねぇ?」
「……三国戦争の英雄、かつてこの国最強の男と言われたファビオラ・クロンヴァール」

 ミカルがグラスを煽り、強いアルコールを含んだ琥珀色の液体を一息で飲み干す。

 空のグラスを軽く挙げておかわりの合図を送ると数秒後には琥珀の満たされた新しいグラスがカウンターを滑って届き、何かを考えるように視線を逸らしてゆっくりと口を付ける。

「師匠の相方、魔導具の母と言われた偉大なる魔法使いルミア・ヘルコバーラもいるわぁ。彼女ならレイの魔法をなんとかしてくれるかもしれない。師匠に師事すれば剣技の心配は要らないわぁ」



 両手でグラスを包み込み、冷えた液体の感触を楽しむ。琥珀色の液体と共にグラスの中にある大きめの氷が私の体温でゆっくり溶けると カランッ と軽い音を立てて動く。

 その様子は自分自身の心のように思えた。

 幼い頃に体験した事件で閉じてしまった心の扉、それを封印するかのように覆い尽くしていた分厚い氷が “レイ” という熱に溶かされて行く。

 全ての氷が溶けて心の扉が開くとき、その奥にいる本当の私を彼は受け入れてくれるのだろうか? それとも、醜い私になど興味が持てずに他の扉へと行ってしまい、再び私は一人ぼっちになるのだろうか……

 考えれば考えるほど、言い知れぬ不安が胸の中をグルグルと渦巻く。


【逃げられないよう縛ってしまえばいい】 


 心に湧いた黒いモヤ、その中から聞こえてくるのは黒い声。


 【欲しいものは奪えばいい、そうすればお前は幸せになれるんだぞ?】


 急速に拡がり渦を巻き始める。その中心から発する悪魔の囁きは私の心を黒く染ていく。


【ぼやぼやしてるとあの魔族に盗られてしまうぞ?それで良いのか?いや、良いわけがない】


──魔族!!

 幼き頃から私の全てを何度も奪う憎き存在!そんな奴等にあの人を取られてなるものかっ!魔族など全て滅びてしまえば……いや、滅ぼしてしまえばいい!

 その為には力が、奴等を滅すだけの力が欲しい!!



「お、おぃっ!……大丈夫、か?」

 肩を掴まれたことで我に帰れば、握り締めたグラスを見つめたま固まっていたことを知る。その時には視界を埋め尽くしていた黒い渦は消え去っており、黒い声も聞こえてはこない。
 今のは……私?私の中にあんな悪魔がいるなんて知らなかった……気を付けないと。

 自分でも驚いたが助けてくれたミカルへと視線を戻す。何事もなかったかのように微笑むと、自分の中の悪魔に気を付けながらも再び欲望を口にした。


「レイを頂戴」


 この言葉には二つの意味が含まれている。一つはレイのため、もう一つは私自身のため。

 何故だか分からないけど一目見た時から気になって仕方がなくなり、これが恋だと気付いた時にはあの人と同じ時を過ごしたいと思うようになっていた。
 たとえこの想い叶わずとも、師匠の家で一緒に暮らすようになり側に居られる時間が増えれば、私の気が収まり悪魔も居なくなるだろう。


(お願いっ!)


 カウンターにあるミカルの手に自分の手を添えると、上目遣いに彼を見上げた。
 誰かと付き合った経験などはなかったが私は知っている、男という生き物がこういった仕草に弱いのだと。それをズルイと感じる人もいるだろうけど、ここはわたしの人生を左右する岐路。どうしても譲れない場面で形振りになどかまってはいられない。


(お願いっ!!)


 痛烈な想いを乗せて見るミカル、彼も真剣な眼差しでそれに応えてくれ、しばし見つめ合う。静かな店内には他の客がいなくなっており、グラスを磨く布の音だけが微かに聞こえていた。

 不意に視線を逸らし、溜息混じりに天井を仰ぐミカル。

「あいつは俺なんかより遥かに重い運命を背負った実の弟だ、なんとか手助けしてやりたかったんだが……俺じゃぁ役不足だよな。いずれ俺自身がアイツについて行けなくなる事くらい分かってるさ。
 英雄様なら適任……か。わかった、ユリアーネ。弟を頼む。俺はギンジと魔族を追うよ」

「ありがとぅ」

 嬉しさのあまり目頭が熱くなる。それを隠すようにミカルの肩に頭を預けるとゆっくり目を閉じた。

 レイは未だにこの国で最強の男であるだろう師匠の元で強く強く成長していくだろう。
 それに負けないように私も強くならなければ……魔族に打ち勝つために、自分の中の悪魔に負けないように…………好きな男を守れるように。





 チェラーノでの魔族事件は幕を降ろし、それぞれの思いを胸に彼等は動き出す。それが新たな波乱の幕開けだとは気付かぬままに……。

 そして物語は、レイ達が十五才になる時まで針を進める。


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