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17.納得してもらえました

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 とうとうイルメラの滞在は明日まで。災厄が去るまであと少しなのだが……。

「ジークハルト様。今日は街を一緒にお出掛けしたいわ。帰国の日が近づいているのだもの。少しくらいいいでしょう? ぜひ案内して下さいな」

 彼女は諦めていなかった。とうとう業を煮やしたのかアンネリーゼの前でジークハルトを外出に誘った。アンネリーゼはイルメラ滞在中、毎日バルリング公爵邸に来ている。家でじっとなどしていられない。ヘルミーナには「このまま住めばいいのに」と言われたがそれはやっぱり結婚してからがいい。警戒してはいたがジークハルトへのお誘いを目の前で見ることになった。

「外出は致しかねますがお話があります。昨夜、あなたから頂いた手紙の返事をさせていただきたい」

 昨夜? 手紙? いつの間にそんなものを受け取っていたのか。動揺で瞳を揺らし呆然とジークハルトを見上げると視界の隅に優越感を浮かべ口角を上げたイルメラの顔が見えた。心が冷え恐怖に体が強張る。でもそれは一瞬のことだった。ジークハルトが柔らかい笑みでアンネリーゼに頷きそっと腕をポンポンと二回触れた。ああ、大丈夫。こんなことだけで動揺するなんて情けない。彼は私を裏切らない。だから気持ちをしっかりと持たなければ。

「ええ。ぜひお聞かせて下さいませ」

「では、応接室に」

「わ、私も同席させてくださいませ!」

 不安を抱えて待っていられない。立ち会う気満々だ。それにアンネリーゼもイルメラ対策の用意がある。準備に時間がかかってしまったが話の流れでは上手く使えるかもしれない。

「構いませんことよ」

 ふふふと笑みを浮かべたイルメラは自分の優位を確信している。確かに彼女はエーレルト王家の血筋を持つ公爵令嬢で美しい。普通に考えれば最高の縁談相手だ。だからどれだけアンネリーゼが阻んでも選ばれる自信があるのだ。

 ジークハルトとイルメラには先に応接室に行ってもらい、アンネリーゼは侍女にあるものを持ってくるように頼んだ。急ぎ部屋に向かうと目を見開いた。なぜかそこにヒルデカルトがいた。どうやら援護をしてもらうためにイルメラが呼んだらしい。アンネリーゼは動揺を隠し当然のようにジークハルトの隣に座る。この場所は私の場所。イルメラは一瞬顔を顰めたがすぐに笑みを浮かべた。

「それでは、ジークハルト様。お手紙のお返事を聞かせて下さいませ」

「縁談ですがお断りします。私にはアンネリーゼがいる。彼女以外を妻に迎えることはありえません」

「なっ! 嘘でしょう? 私は全てにおいて彼女より優れているわ。それなのになぜ私を選ばないの?!」

 イルメラはヒステリックな声を上げた。ヒルデカルトは微動だにせず無表情で感情が読み取れない。そして意外なことに一切口を出さずに見守っている。この流れはヒルデカルトの望むものではないはずだ。援護射撃をするつもりはないのか?

「ビュルス公爵令嬢。バルリング公爵家に嫁ぐには経営についての知識が必要です。あなたにはそれがありますか?」

「経営? そんなの使用人にさせればいいでしょう? 公爵家の妻の仕事は最先端のドレスを着て素晴らしい宝石を身につけることよ。広告塔として自国及び友好国の社交界に君臨することこそ重要なの。少なくとも私の家、いいえ私の国ではそうだわ」

 ん? 本当に? エーレルト王国はそれでいいのか……。知らなかった。バルリング公爵家の花嫁教育は多岐にわたる。万が一当主が病で倒れることもある。公爵夫人は代理が務められるだけの能力が必要だと教えられてきた。それに納得して励んできた。ジークハルトは次期当主としてアンネリーゼの足元にも及ばないほどのことを学んでいる。これが普通のことだと思っていた。確かに社交も重要なウエイトを占めるがまずは基本となる知識が必要だ。恥をかけば家名を汚してしまう。ちなみに我が国は友好国だけどイルメラは我が国の社交界で君臨などしていない。むしろ夜会では異質で浮いていた。

「エーレルト王国ならそれでいいのでしょう。ですが少なくとも我が家はそうではない。アンネリーゼは我が家に相応しくあるために幼い頃から学びあらゆる知識を身につけて来た。今からあなたに同じレベルの知識を身に着けることは難しいでしょう」

「そんなの……」

 馬鹿らしいわと呟き、悔しそうに唇を噛むとキッとアンネリーゼを睨みつける。それを遮るようにジークハルトは続ける。

「郷に入っては郷に従えと言います。少なくともあなたにはバルリング公爵家の妻は務まらない。それになぜあなたは私と結婚したいと思われるのですか?」

「それはもちろん、ジークハルト様をお慕いしているからです。あなたは私に相応しいわ。だからどうしてもあなたと結婚したいの」

 甘えるようなしっとりとした声でジークハルトを潤んだ瞳で見つめる。

「そんなはずはない。あなたは私のことなど何とも思っていない。本当の目的は結婚ではない。結婚は手段だ」

 ジークハルトの声は低く冷たい。彼はイルメラが結婚したいのはダイヤモンドが目的で自分に好意があるからではないと言っているのだ。その言葉には抵抗を許さない威圧感があった。アンネリーゼは彼がここまではっきりと言うとは思っていなかった。室内の空気は途端に重くなった。怯んだイルメラは言葉が出ない。口を開けては閉じるを数回繰り返したあと震えながらも口を開いた。

「ジークハルト様は誤解をしていらっしゃるわ。もしかしてアンネリーゼ様が私に嫉妬して何か吹き込んだのでは――」

「やめろ!!」

「っ……」

 鋭く切り裂くようなそれでいて静かな声に部屋の空気が凍りつく。イルメラは息を呑み恐怖で顔を青ざめさせた。アンネリーゼですらジークハルトが感情を揺らし大きな声を出すのを見るのは初めてだ。でも恐れはない。彼はアンネリーゼを貶める言葉に対して怒っている。守ろうとしてくれているのだ。それなら今度はアンネリーゼの番だ。

「ねえ。イルメラ様。私、あなたにぜひ見て頂きたいものがあるの」

 空気を変えるために努めて明るい声で話しかける。アンネリーゼは侍女に頼んで用意したものをイルメラの前に出す。ベルベットのリングケースだ。イルメラは目を見開いてアンネリーゼを見つめ怪訝な表情を浮かべた。反撃されると思っているのかもしれない。安心させるように柔らかな笑みを浮かべるとリングケースを開くように勧める。

「どうぞ。手に取ってご覧になって下さい」

 イルメラはジークハルトに視線を移動したが彼が何も言わないので、素直にリングケースを手の取りパカリと開く。そして中を確認すると目を見開き震える唇で感嘆の声を上げる。

「まあ!! なんて大きな! つけてみてもいい? いいわよね?」

 イルメラは返事を待たずにケースから指輪を取り出すと指に嵌めた。そして瞳を潤ませる。

 イルメラの嵌めた指輪は素晴らしいものだし自信を持っているがそれほど感動するのかとびっくりした。イルメラはさっきまでの険悪な雰囲気を完全に忘れたかのように笑顔で浮かれ出した。変わり身が早い、早すぎる……。

「気に入って頂けましたか?」

 イルメラの指に嵌っているのは大きなダイヤモンドの指輪。ダイヤモンドは眩い輝きを放っている。リングの部分にもダイヤモンドがあしらわれている。リングのサイズはあらかじめ調べたイルメラの指のサイズに合わせておいた。カタリーナのお友達の留学生に頼んでイルメラが利用している宝石商と繋ぎを取りサイズを教えてもらったおかげだ。一応好みも聞いておいた。

「ええ。カットも美しくて素晴らしいわ。大きさも輝きも今まで見たどのダイヤモンドよりも素敵!!」

 イルメラは嵌めた指を掲げるとかざしてキラキラと輝くダイヤモンドをうっとりと眺めている。

「イルメラ様。私たちご縁があって出会えました。ですからお気に召したのならお友達価格でお譲りいたしましょう」

 もちろんお友達になった覚えはないのでただの建前である。

「いいの? 本当に? もちろん欲しいわ! でも……あなたにそんな権限があるの?」

 これだけのダイヤモンドであれば相当な金額になる。不審に思うのも当然だ。実際にこれほどの物を用意するのは大変だった。

「はい。公爵夫人の仕事の中で宝石商の管理がございます。すでにお義母様から引き継いでいますので私の采配が許されています」

 鉱山の採掘等は公爵家当主の権限だが、加工されたダイヤモンドについての販売等の取扱いの権限は夫人の仕事になる。ヘルミーナからの引継ぎはすでに終えている。
 イルメラの頬は赤く上気して興奮を隠せない。宝石が大好きだと聞いていたがこれほどだとは。きっと彼女にとっては婚約者を探すよりも宝石を探す方が重要なのだ。でもおかげでこの後の話が楽になりそうだ。

「まあ、そうなのね。この指輪を選んで下さったのはアンネリーゼ様?」

 猫撫で声……気持ち悪い。そう言えばイルメラがこの国に来てから初めて名前を呼ばれた気がする。何度も顔を合わせていたのに何だかんだと無視されていた。こんなことなら初日からダイヤモンドを見せた方がよかったのだろうか? でも最終兵器は最後に出すのがお約束だ。

「ええ。イルメラ様とお会いしてきっと似合うと思い用意させていただきました」

「そう、お礼を言うわ。実は他にも欲しいものがあるの。お祖父様にはネックレスを頼まれているのだけど、それとは別に私もネックレスと、あとそうね。イヤリングも欲しいわ」

 アンネリーゼはそれに言葉でなく意味深な笑みで応えた。目を細め「私の気持ちを察して下さい」アピールをする。その意味をイルメラはすぐに理解したようでジークハルトに顔を向けた。

「ジークハルト様。私がお渡しした手紙は処分して下さい。それと縁談のお話しですけど忘れてくれて結構です。私の存在の価値を理解できないような男性と結婚できませんから。これでよろしいかしら? アンネリーゼ様」

 イルメラは顎を上げ不遜な態度で言った。彼女にもプライドがあるのでここで手打ちが無難だろう。ダイヤモンドを前にすればジークハルトへの未練は塵と消えた。こちらとしてはジークハルトから手を引いてくれれば何でもいい。アンネリーゼはにこりと笑みを浮かべた。商談は成立したと思ってよさそうだ。

「ご希望のネックレスはどのようなものでしょうか?」

「お祖父様がお祖母様に結婚記念のお祝いに送るものだから上品なものがいいわ。二人は今でもとても愛し合っていて、お祖父様はお祖母様を喜ばせたいとおっしゃっているの。お金はいくらかかってもいいと言っていたわ。バルリング公爵家の経営する宝石商の扱うダイヤモンドはどこよりも質がいいと評判だけど、伝手がないと手に入らないから困っていたのよ。ここのダイヤモンドのアクセサリーを付けるのはステータスになるから絶対に欲しかったの!」

 バルリング公爵家は近隣諸国の中でもダイヤモンド鉱山と凄腕の加工職人を抱えることで有名だ。それが友好国とは言え離れているエーレルト王国にまで届いていると思うとまだお嫁さんではないが鼻が高い。

「そう言って頂けて光栄ですわ。ありがとうございます。実はすでに別室に幾つかの宝石をご用意しております。今、ご覧になりますか?」

「まあ。気が利くわね。ええ、すぐに見たいわ」

「執事がご案内します。詳しい者が説明いたしますので。こちらにどうぞ」

 執事に笑顔で頷きイルメラを別室へ案内させる。残りは店主に任せる。
 アンネリーゼはホッと息を吐いた。上手くいった。イルメラはジークハルトの冷たい態度に不快感を持っていた。なぜ彼は自分をチヤホヤしないのかとご立腹だった。だけどダイヤモンドを手に入れるために我慢していたのだ。ローレンツに愚痴をこぼしていたと聞いている。言い寄られることになれている人間はご機嫌を取って言い寄るのが下手だからねとはローレンツ談だ。

 イルメラはこの国に来てからローレンツがチヤホヤしている分、ジークハルトの冷たい態度に苛立っていた。
 自分ほどの身分を持つ者が他国の公爵子息であるジークハルトの顔色をうかがうのは不本意だった。篭絡しようと努力するも実を結んでいない。もともとの目的はダイヤモンドのアクセサリーだ。そちらが手に入るならジークハルトのことはもうどうでもいいと判断した。彼女の実家の兄は結婚相手を見繕いたかったようだが本人は買い物に夢中で結婚は二の次だ。

 イルメラは今まで我儘放題で金額など気にせず買い物をしてきたから、値切るという概念もないようだし駆け引きにも興味がない。アンネリーゼはお友達価格と言ったが商品に相応しい適正な値段で売るつもりだ。品物の品質には自信があるのでどんな値段でも文句は言えないはず。彼の祖父はイルメラを可愛がるあまりに金を惜しまないらしいので問題ないだろう。

 いいお客様になってくれそうで有難し!
 とびっきり大粒で精巧なダイヤモンドのアクセサリーが数点ある。あの指輪のダイヤモンドはかなりのもので一点ものだが、それに準ずる素晴らしい商品が普段は客寄せのためにお店のディスプレイで置いてある。少々値段が高すぎて売るのが難しかったがイルメラなら欲しがりそうだ。新しく入荷したものと一緒にそれを別室に用意してある。
 ジークハルトから手を引くという言質ももらいイルメラは欲しがっていた宝石を手にし、お互いに満足のいく結果になったと思う。
 嬉しくなってジークハルトを見ると彼は目を丸くしている。イルメラが簡単に引き下がったことが予想外なのかもしれない。

 カタリーナからの情報でイルメラがダイヤモンドに夢中だと知っていた。色々な国を旅行しながら探し回っていた。アンネリーゼは宝飾品に執着がないのでそこまでして欲しい気持ちが理解できない。

 ホッとしているとヒルデカルトが静かに部屋を出て行った。最後まで何も言わなかった。
 イルメラの祖父、ヒルデカルトの初恋の公爵様が奥様と愛し合っていると聞いて傷ついたのかもしれないけど同情はしない。ヒルデカルトは王命による結婚で振り回された気の毒な一人ではあるけど、それはジークハルトにした仕打ちを正当化するものにはならない。ジークハルトは今のあなたよりももっと深く傷ついた。怒りはあるし許すことはない。だからといって恨むつもりはない。そんな気持ちを持つくらいならジークハルトへの愛に変換する。

「リーゼはすごいな……。私に出番はなかった。ありがとう」

「そんなことないわ」

 ジークハルトが柔らかい笑みを向けた。でも私が手を尽くし頑張れたのはあなたが私を大切にしてくれるからなのよと心の中で呟いた。今は何よりも彼に誉めてもらえたことが嬉しい。

「こちらこそ守ってくれてありがとう……」

 アンネリーゼの手にジークハルトの手が重ねられた。大きな手は小さな手を愛おしそうに包み込んだ。



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