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29.危機

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 咄嗟に判断がつかなかったが良くない事態だということだけは分かった。店主はたった一つの入口をその体で塞いでいる。店主の表情はさっきまでの物とは違い歪んだ笑みを浮かべていた。

「今日は二人も上等な商品が入った。これならお客様も満足するだろう」

 店主はそう言うと入り口のすぐそばの天井から下がっている紐を引っ張った。
 その瞬間オディリアの足元の床が消え浮遊感を感じたと思ったら下へ落下した。気付けば床に体を打ち付け痛みを感じたが下には分厚く柔らかいマットが敷かれてあったのでなんとか怪我はないようだった。その部屋を見渡せばろうそくが1本灯っているだけで薄暗く、空気はひんやりとしている。出口は鉄格子が嵌っており地下の牢屋のようでかび臭くも感じる。

「大丈夫ですか? オディリア様」

 顔を上げるとすでに起き上がっていたウルリカが手を差し伸べてくれている。

「はい。大丈夫です。ウルリカ様こそお怪我は?」

 ウルリカの手を借り起き上がったが足首に鋭い痛みが走る。捻ってしまったのかもしれない。

「うっ……」

 心配かけまいと歯を食いしばったが声が漏れてしまった。

「オディリア様?」

「足を少し痛めてしまったようです。でも大したことはないと思うので大丈夫です」

ウルリカは溜息を吐くと手を額に当てた。

「オディリア様が怪我をしたなんて聞いたらティバルト様は大丈夫じゃないでしょうね。夜会の時もものすごく周りを牽制してオディリア様に話しかけようとする人間をあからさまに選別していましたもの。魔王が降臨することになりそうですわ」

 魔王? 夜会で牽制? オディリアには心当たりはなかったが、こんなことになっていると知ればティバルトに心配をかけてしまうだろう。先程倒れていた護衛は無事だろうか。こんなことになるならば寄り道などしなければよかった。
 とにかく今はここから逃げることを考えよう。それにしてもウルリカはとても冷静でこの事態に動揺しているようには見えない。オディリアはもし自分一人だったらもっと取り乱していただろうがウルリカがいる事で何とか平常心を保っていられた。もしかしたらウルリカは何かを知っているのかと聞こうとしたら突然鉄格子越しに女性の声がした。

「最高に素敵な偶然だわ! なんて好都合なのかしら。邪魔な女が二人いっぺんに片付けられるなんて。ウルリカ様はともかくオディリア様を一人でブリューム公爵邸から外出させる手段がなくて困っていたのだけど、自分からここに来てくれるなんて神は私の味方だわ」

 大きな声で嬉しそうにヒールを鳴らし歩いてきたのはソフィーだった。横に従えている大男に鍵を渡して鉄格子を開けるように指示をしている。

「あなたの招待に応じてあげたのに随分な歓迎の仕方ね?」

「ウルリカ様は本当に可愛げがないわ。こういう時は泣いて助けを乞うのではなくて?」

 二人の話は理解できないがソフィーが仕組んだらしいことは察せられた。

「ソフィー様。どうしてこんなことを?」

 ソフィーは両腕を組みオディリアを馬鹿にするように眺めた。

「ファーナー伯爵家では他国と輸出入を行っているの。この国のお人形は砂漠のある異国でとても人気なのよ? あなたたち二人もきっと高く売れるわ」

 楽し気なソフィーの言葉に背筋が凍る。

「それは……人身売買? なんて恐ろしいことを! 大罪だわ」

 この国では人身売買は禁止され重罪として裁かれる。ソフィーは即座に否定した。

「違うわ。私たちが扱うのは人形よ。罪にはならないわ」

 肩を竦めるとソフィーはオディリアに笑いかける。人を人形として売る? そこに罪の意識は一欠けらも見えない。正気とは思えなかった。
 オディリアは思わず一歩下がった。歯を食いしばって恐怖に耐えようとするが体は小刻みに震えていた。

「オディリア様。私ね。小さな頃からティバルト様が好きだったの。イデリーナ様と仲良くなってお近づきになって、私の愛で彼の凍った心を溶かして差し上げようと思っていたの。でも父の指示でブリューム公爵家ではなくアメルン侯爵家に取り入るように言われて最悪だった。あげくにウルリカ様は王太子殿下の婚約者になれないしイデリーナ様に近づく事もできなかったし何一つ思い通りにいかなかったわ。それでもこれから挽回しようとしていたのに……それなのにあなたが突然現れてティバルト様を奪ったわ。オディリア様なんて自国から追い出されて何の力もないくせにあなたなんか彼に相応しくないのよ!」

 オディリアはソフィーの勝手な言い分に反論したかったが自分がティバルトに相応しいかと問われれば迷いがあった。オディリアは身一つでこの国に来てティバルトにもブリューム公爵家にも返せるものを持たないからだ。
 言葉を詰まらせていると横からウルリカがソフィーに向かって言い放った。

「大罪人であるあなたの方がよほど相応しくないわ。もしかしてオディリア様がいなければ自分がティバルト様に愛されていたはずだなんて本気で考えているのかしら? それこそ図々しい勘違いだわ。あなたこそ身の程知らずよ」

 ウルリカの容赦のない言葉にソフィーは怒りで酷く顔を歪ませた。もうそれは令嬢の仮面を捨てた悪鬼のような顔だった。

「せいぜい言っていればいいのよ。あなたたち二人は明日には海の上よ。そして残りの人生を砂漠に囲まれた国で過ごすことになるわ。ふふふ。二度とこの国に戻ることは出来ないのよ。いい気味だわ。出発まで二人を見張って置いて頂戴」

 ソフィーは大男に言い捨てると去って行った。
 大男は下卑た笑みを浮かべるとウルリカとオディリアをじっくりと眺める。
 鉄格子には今鍵が掛かっていない。その鍵は大男の腰のベルトにある。大男を自分に引きつけてウルリカを逃がせないかと思案した。本当はものすごく怖い。一刻も早くここから逃げだしたい。だが足を痛めた自分では大男を油断させても逃げ切れる自信がない。それならばウルリカを逃がして助けを呼んでもらう方がまだ助かる可能性がある気がした。どんなことをしてもティバルトのもとに帰るつもりでいる。諦めたりしない。
 大男はウルリカに手を伸ばしその腕を掴んだ。

「迎えが来るまでまずはあんたに暇つぶしの相手になってもらおうか」

 その瞬間、オディリアは条件反射のように大男に体当たりをした。ウルリカが驚きに目を丸くしている。

「ウルリカ様早く逃げて!」

 無我夢中で自分がどうなるかなんて考えていなかった。油断していた大男はウルリカを掴んだまま横に転がった。大男はすぐにウルリカから手を離し起き上がる。そしてオディリアに足早に近づいてきた。

「お前!よくも!」

 男は怒り満ちた表情で怒鳴るとオディリアを突き飛ばした。

 オディリアはその勢いで壁にぶつかり強かに頭を打ってしまった。そして床にずるずると崩れ落ちる。こめかみにはズキズキと痛みが走る。

「に……にげて……」
 
 体を起こして男を引き留めてウルリカを逃がしたいのに声は掠れ体は動かない。視界が暗くなり意識が途切れていく。脳裏に浮かんだのは出発前にオディリアを案じるティバルトの顔だった。ごめんなさい、ティバルト様……無意識にそう呟いていた。
 そして意識を失う寸前にオディリアの耳に聞こえたのは、何故か男の形容しがたい断末魔のような悲鳴だった。



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