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25.安心する場所

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 帰宅して湯浴みを済ませ落ち着いたところでティバルトがオディリアの部屋に来た。
 彼も湯浴みを済ませておりいつもきっちり撫で付けられている前髪を降ろしている。その姿が少しだけ幼く見えて可愛い。年上の男性に可愛いなんて失礼かもしれないが、他の令嬢が見ることのない姿を婚約者である自分だけが見ることが出来ると思うと浮かれてしまう。
 ソファーに並んで座るとマリーがお茶を出してくれる。ティーカップを手に取り紅茶の香りに心を落ち着かせながら一口飲む。マリーの入れる紅茶はいつも優しい味でホッとする。

「それで夜会の時の事ですがソフィー様がウルリカ様は私を恨んでいるので気を付けるようにと。あとティバルト様との婚約を望んでいたらしいともおっしゃっていました。今日の夜会にウルリカ様は参加されていませんでしたよね? お見かけしなかったような気がします」

 ティバルトは頷くとお茶を飲み干し話し始めた。

「今日は出席していなかったな。実のところ私はウルリカ嬢とはほとんど話をしたことがない。だいたい挨拶程度だ。彼女が社交に出てきたのは最近だ。婚約者を認知させるためだと思うが。彼女はアルの婚約者候補になって1年くらいは王都にいたがそれ以降は領地でずっと過ごしている。なんでも体が弱く静養のためだという話だ。そして16歳の時にこれでは王太子妃は無理だと婚約者候補を辞退した。他の候補者たちはもっと前に辞退していたからウルリカ嬢が辞退したことで候補者がイデリーナだけになり、結果イデリーナが正式な婚約者になったんだ」

 ウルリカ様に病弱というイメージがなかったので驚いた。幼い頃のウルリカ様は溌溂として気が強そうな少女だった。

「今はお元気になられたのかしら? あの、……ティバルト様はその……ウルリカ様に好意を寄せられていると感じたことがありますか?」

 オディリアは勇気を出して問いかけた。その声は固く不安を隠せない。
 ウルリカはこの国の侯爵令嬢で他国の侯爵令嬢である自分はこの国では後ろ盾を持たない。ブリューム公爵家に庇護してもらうばかりで力を持たない自分よりティバルトの相手として相応しい立場だ。王太子殿下の婚約者候補を降りた後にティバルトとの婚約を望むのは自然の流れだろう。今は婚約者と良好でもティバルトに心を寄せていた時期があったかもしれない。そう考えると気持ちが沈む。ソフィーの言葉が心に棘のように引っかかっているようだ。ティバルトほどの男性なら思いを寄せる令嬢がいるのは当たり前なのに、オディリアはそれが嫌だった。自分はなんて狭量なのだろう。情けなさに俯いた。
 その様子を見たティバルトは目を丸くするとくすりと笑う。

「もしかして心配している? だがウルリカ嬢が私に気があるという話は聞いたことがないし、それを匂わせる態度もなかった。それよりもファーナー伯爵令嬢からは以前見合いの打診があった。手紙も何度か送られてきていたな。それを思えば彼女こそ気を付けた方がよさそうだな」
 
 お見合いと言う言葉に心臓がきゅうとなる。

「えっ? お見合い……ですか?」

「もうだいぶ前のことだし、もちろん断っている。彼女とはダンスすら踊ったことがないよ」

 ティバルトは安心させるようにオディリアの手を握る。縋るようにその手を握り返した。ソフィーもティバルトに思いを寄せている可能性がある。だが……今は深く考える事を止めた。自分はこの手を信じればいいはずだ。

「ウルリカ嬢はイデリーナがアルの婚約者になったお披露目の場でイデリーナに対しても心からの祝いを言っているように見えたよ。その様子から彼女は王太子妃を望んでいなかったのではないのかと感じたほどだ。そもそもいくら療養の為とは言え領地にいて王太子妃の候補者としてのアピールは全くしていなかったしね。その時のウルリカ嬢は婚約者と出席していたが二人は仲睦まじそうだった。そう、私の事など眼中になかった。思い返しても彼女が私に懸想しているとは思えないよ」

 ティバルトは少しおどけるように笑った。オディリアもつられて笑ってしまった。ウルリカの事は心配しなくてもよさそうだ。

「婚約者の方はどのような方なのですか?」

「その婚約者は子爵家の三男で庶子だ。前アメルン侯爵が彼の剣の腕を見込んでウルリカ嬢の護衛にと引き取ったと聞いている。彼は爵位を持っていないので釣り合いを取るためにアメルン侯爵家の縁戚の伯爵家に養子に入りウルリカ嬢と婚約した。本来ならもっといい条件の婿が取れるはずなのに地位のない彼を選んだせいで口さがない者たちが好き勝手にウルリカ嬢の事を噂している。病弱でまともな婿が見つからなかったとか、我儘で手に負えないからそんな相手しか見つからなかったとか。王太子妃になれなかったと馬鹿にする者もいる。彼女は領地にいたのに悪い噂は絶えず流れていたな……」

 社交界とはそういうものだと知ってはいるが一方的に誹謗する噂など不愉快だ。思わずオディリアは眉根を寄せ呟いた。

「酷い……。わざわざ養子縁組をするくらいなのだから、きっとウルリカ様はその方をお慕いしているのでしょう」

「とにかくウルリカ嬢がオディリアに危害を加える理由がない。どちらかと言えばファーナー伯爵令嬢に注意して欲しい。私の方でも気にかけておく。何かあったら必ず相談して欲しい」

「はい。ありがとうございます。でも私、こんなにティバルト様に甘えてばかりいたら弱くなってしまいそうです」

 自分は彼の隣でブリューム公爵家を一緒に守っていかなければいけないのに、頼ってばかりいてはいざというときに彼を支えられなくなってしまいそうだ。しっかりしなければと気合を入れる。

「これくらい甘える内に入らないだろう? オディリアは自分に厳しすぎるな。そんなに強くならなくてもいいんだよ。それにオディリアを守るのは私の特権だ。それを奪わないで欲しい」

 その言葉に心が温かくなる。ルビーのような綺麗な紅い瞳が優しく愛おし気にオディリアを見つめている。ティバルトはオディリアを宝物のようにふんわりと抱き締めるとつむじに口付けた。

 何度そうされても慣れない。見た目より太く逞しい腕に安心すると同時に男性らしさを意識してしまい心臓がドキドキと早鐘を打つ。オディリアにとって彼の腕の中はどこよりも安心できる場所だ。自分を守ってくれる腕に包まれてオディリアは大きく暴れる心臓の音が彼に聞こえないように祈った。


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