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16.予想外の甘さ

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 オディリアはカロリーナ様にブリューム公爵家の家政を少しずつ教えてほしいとお願いした。
 社交に関しては国内の貴族名鑑の暗記をして不足の情報はカロリーナ様が補ってくれる。ローデリカ王国のマナーなどは問題ないとお墨付きをもらうことができた。

「オディリア。勤勉なのはいいことだけどもう少しゆっくり過ごしてからでいいのよ? イデリーナもこのくらい勉強してくれるといいのだけど、どこか呑気なのよねぇ」

「リーナはそのままでいいと思います。私が少しせっかちなのかもしれません」

 オディリアはシュミット侯爵家で休みなく勉強をしていたのでのんびりすることに慣れていない。どう時間を使っていいのか困ってしまうのでやることがある方が落ち着くのだ。

「ブリューム公爵家の使用人はほとんど入れ替わっていないんですね?」

「そうね。若い侍女を数人入れたくらいかしら。今はまだ見習い中だからオディリア付きにはさせないわ。オディリアはまず自分がこの国に馴染むことを優先してね」

 使用人のリストを見れば四年前から知っている人達ばかりで安心した。働き口としては最高の環境であるブリューム公爵家を辞める者はほとんどいない。家族の病気や妊娠出産があっても長期休暇を認めて復帰後の仕事を約束してくれる家などめったにないだろう。

 リストの下段に若い侍女二人の名前がある。実家が裕福でない低位貴族の令嬢は高位貴族の侍女として働いたり結婚前の箔付などにする。今回は男爵家と子爵家からお預かりしているようだ。年齢はオディリアと同じ年だった。そのうち顔を合わせることもあるだろう。

「まず一番はティバルトに慣れる事だけど、大丈夫そう?」

 カロリーナ様の言葉は気遣っているが表情は完全に揶揄っているようにニマニマしていた。

「……ガンバッテマス……」

 ティバルトは宣言通り距離を縮めようと積極的だ。
 朝食前にはオディリアを部屋までわざわざ迎えに来て食堂までエスコートをしてくれる。

「おはよう。オディリア」

「おはようございます。ティバルト様」

 その時のティバルトは一分の隙もなく完璧なキラキラ紳士で現れる。今のオディリアは彼のだらけている姿など想像もできない。そうなるとオディリアも気合を入れてしまう。まるで何かと戦っている気分だ。

 そして仕事に出かけるときは玄関まで見送るのだが、ティバルトはオディリアを見つめながら屈む。これは合図だ。オディリアはティバルトの肩に手を乗せつま先立ちで彼の頬に口付けをする。艶やかな頬に自分の唇が触れると思うと緊張してしまうがティバルトは涼しい顔をしている。ちょっと悔しいと思っている。

 これを毎日使用人に囲まれながらするのは恥ずかしい。その後ティバルトはオディリアの額にそっと口付けてキラキラしい笑顔を向ける。気付けばここまでがいってらっしゃいの挨拶となってしまった。ティバルトは家を出てしまうがオディリアその場に残るので温かい目で使用人に見られ続ける。密かにこれは羞恥を与える拷問だと思っている。

 カロリーナ様に助けを求めようとしたら隣で同じ行為をディック様にしていたので何も言えなくなった。しかも二人は口付けだった……。カロリーナ様いわく毎日していれば慣れるしブリューム公爵家の使用人はいつものことなので誰も気にしていないそうだ。そう言われても人前ではハードルが高い。

 最初の頃に一度、恥ずかしくて拒否したらティバルトはオディリアが頬に口付けをするまでニコニコと待ち続け出発しなかった。使用人の早くして欲しいの圧に負けて諦めるしかなかった。 
 恥を忍んでイデリーナに相談したら不思議そうな顔をされた。恥ずかしがる意味が分からないとまで言われた。イデリーナも王太子殿下にいつもしているそうだ。

「普通の挨拶よ。恥ずかしがることないわ」

「この国では普通なの? みんな婚約者にこんなに甘い態度なの?」

 イデリーナは人差し指を口元に添えて首を傾げた。

「~ん? ブリューム公爵家では普通なの」

「……分かったわ。頑張ってみる……」

 オディリアは何かを察して弱弱しく返した。慣れるかしら? この国……の普通かは分からないが少なくともブリューム公爵家で当たり前ならば嫁入りするオディリアが受け入れるしかない。
 オディリアは家族の愛情に飢えていた。ブリューム公爵家のみんなはオディリアを大事にしてくれる。これほど幸せなことはないと分かっている。
 
 だがティバルトの態度は想像もしていなかった。突然濃厚な蜂蜜の池に落とされたように愛情をザブザブと浴びせてくる。溺れそうになり必死で蜂蜜の池から這い上がっても渡されるのはメイプルシロップと砂糖を混ぜた飲み物で持て成されてしまうので甘さ倍増なのだ。

 ティバルトは帰宅すると真っ先にオディリアを抱き寄せ頬に口付ける。しばらく抱きしめてくるので彼の腕の中に収まることになる。恥ずかしいのだが少しずつ慣れてきたのか帰宅した彼の顔を見てその腕の中にいるのはとても安心する。オディリアは彼の高い体温が好きだった。

 ブリューム公爵家では食事は毎回できるだけ家族全員で一緒に摂る。
 半年後には結婚してしまうイデリーナとの時間を大切にするという理由もあるがブリューム公爵家はとても家族愛が強いので一緒に過ごすのが当然なのだ。これは高位貴族には珍しいと思う。
 シュミット侯爵家では一人で食べていたのに今はみんなに囲まれ会話をしながら食べる。オディリアは食事がこれほど楽しくて美味しいものだったことを忘れていた。だから最初の頃はこの幸せに気を抜くと泣いてしまいそうだった。潤む瞳を気付かれたくなくて瞬きを我慢して乾かした。嬉しくて泣きたくなるのは初めてだった。

 ティバルトは三日置きに小さな花束をプレゼントしてくれる。今日は紫色のデルフィニウムの花束だった。いつも通り六本ある。

「可愛らしいお花を頂けるのは嬉しいのですがティバルト様のご負担にはなっていませんか? 私はお花を貰えるのは記念日だけだと思っていたのでびっくりしています」

 ティバルトは眉を下げると首を振った。

「私はあなたが好きだ。想い人に花を贈るのに理由は必要ないだろう? 記念日というならオディリアと一緒にいれる日はいつだって私にとって記念日だよ。だからこれからも贈らせてほしい」

「あ……ありがとうございます」

 顔を赤くしてか細い声でお礼を伝える。慣れない。そして恥ずかしい。
 その言葉にオディリアはバケツにたっぷり入った蜂蜜を頭からかぶった気分になる。この甘さがティバルトの平常運転なのだ。これって誰もが婚約者に言われたりするのかしら。恋愛小説だとよく書かれているけどあれは本の中だけだと思っていた。自分はまだまだ勉強不足で世間知らずだと痛感する。

 オディリアは受け取った花束を必ず自分で花瓶に移す。その時間も楽しい。花束は最初に受け取ったときから必ず六本ある。一本一本を丁寧にさしていく。そしてその花瓶はベッドサイドのテーブルに置く。ベッドに横になった時にちょうど視界に入るからだ。眠るときも目覚める時も。
 そしてオディリアは毎晩、眠りにつくまで花を眺め幸せな気持ちに浸りながら微睡んでいった。


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