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4.元公爵令嬢の回想

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 ライラのもとの名前はオリビアという。
 この国の公爵令嬢でありアイザックの婚約者でもあった。オリビアの家は公爵家とはいえ代々の当主はみな権力に関心を抱かず、研究に没頭していた。そしてオリビアも同じように研究に注力し技術を持つ国に留学していた。公爵領は豊かで栄えており研究資金も潤沢にあり国からも支援金を貰っていたのでそれが可能であった。

 オリビアが13歳の年に王命でアイザックの婚約者に指名された。アイザックの一目惚れだと聞かされていたが父もオリビアも納得できず、かといって断ることもできなかった。
 何度かの顔合わせをしてもオリビアはアイザックに恋心を抱くことは出来なかったし、彼からも恋情を感じることはなかった。彼は紳士的で優しいがどこかお芝居のように見えて現実味がなかった。それでも王太子として真面目に取り組み自分に真摯に接するアイザックに嫌悪感はなく歩み寄る努力をした。そうはいっても婚約してすぐにオリビアは留学してしまいその間は手紙のやり取りのみだった。手紙でもアイザックはオリビアを気遣い研究の報告をすれば誇らしいと言ってくれていた。努力を認められればオリビアも嬉しくなる。そうして積み重ねた信頼で二人はうまくやっていけるとオリビアは信じていた。
 
 留学から戻るとオリビアは社交界で孤立していた。近い将来の王太子妃として人脈を作らねばならないのに上手くできない。留学期間が長く、留学前も領地で研究ばかりしていて友人がいなかった。それに容姿の優れた王太子であるアイザックに恋心を抱く令嬢も多く敵視されてしまい話しかけても煙たがられた。

 そんなオリビアに侯爵令嬢であるローラが話しかけてくれた。そして留学中のアイザックのことや社交界の人間関係や流行などを教えてくれてオリビアを助けてくれた。初めて自分に歩み寄り親切にしてくれるローラにすぐに心を開き打ち解けた。ローラはオリビアを親友だと言ってくれてオリビアもそう思っていた。ローラの助力もあり社交界で友人を増やし着々と自分の居場所を築くことが出来た。結婚式の準備も順調に進み穏やかに過ごしていた。だが順調な日々は思わぬ形で突然終わりを告げる。

 ある夜会にアイザックが男爵令嬢のアニーをエスコートしてきた。オリビアは婚約者である自分を差し置いて何故と疑問に思いアイザックに問いかけた。何か理由があるのかもしれないと。彼は困った様に笑うだけで理由は教えてくれなかった。彼の態度に違和感を抱えたまま、その日をきっかけにオリビアの人生は坂道を転がり落ちるように変わってしまった。
 気付けばオリビアはアニーに嫌がらせをしたことになっており、父は王家への謀反を企んでいると疑われた。誤解を解くために話をしようとしてもアイザックは面会すらしてくれなかった。オリビアには心当たりがなく解決方法が見出せなかった。

 孤立する中でもローラは頻繁に家に来て慰めてくれたが今となってはあれには目的があったのだ。先程ローラがアイザックに渡していた孤児院の環境改善の草案はオリビアが書いたものだ。ローラがオリビアを訪ねてくるときは、改革案の話を聞きたがっていた。あれはオリビアの考えを後押ししてくれているものだと思っていたが、いずれローラ自身が有効活用するつもりだったようだ。彼女を親友だと本気で信じていたことがひどく滑稽だ。

 父は研究だけが大切な人で政治や権力に興味がないのだからすぐに疑いは晴れると楽観していた。
 ところが深夜に秘密裏に王宮の女官長から手紙が届いた。すぐに国外へ逃げるようにと。オリビアはいつも親切にしてくれる女官長のことは信じられると判断し、両親と3人で最低限の荷物とお金を持って国外に脱出した。

 もし逃げていなければ、冤罪で全員処刑されていただろう。騎士団が公爵邸に着いた時はもぬけの殻で、逃げられたと民衆に知られれば王家や騎士団の恥になるからと、国外追放の処分をしたことになっている。

 オリビアが逃げた先は以前留学していた国の尊敬する師のところだった。その師は権力があり信頼できる人だ。
 尊敬する師でありその国の第二王子であるジョシュアは事情を聴くとオリビアたちを信じた上で匿い客人として遇してくれた。身元が判明すると危険だと国籍と新しい名前、爵位まで用意してくれた。オリビアはライラという新しい名前と人生を得た。
 オリビアが留学していた時の友人たちは誰も素顔のオリビアとライラが同一人物とは気づかなかった。そのことは微妙に心に引っかかるが、そのお陰で新しい人生を手にすることが出来た。
 
 それから父は研究を再開し、オリビアはそれを手伝い、母は穏やかに過ごした。研究資料を置いてきてしまったので記憶を手繰りながらコツコツと進めることになった。そうやって過ごす日々は祖国の出来事などまるでなかったように落ち着いた毎日だった。

 半年を過ぎた頃ジョシュアはオリビアに求婚してくれた。

「ライラ。愛している。どうか私と結婚して欲しい」

 澄んだ瞳と実直な言葉に揶揄いや偽りはなく、真心を感じた。僅かに緊張しているようにも見えた。10歳も年上の彼が自分に膝を突き震える手で指輪を差し出して愛を乞う。アイザックの上辺だけの言葉とは何もかもが違う。素直に嬉しかった。

 それでもはいと言うにはためらいがあった。自分は彼に助けられてばかりで何ひとつ返せない。といっても拒むことも出来そうになかった。自分はずっとジョシュアを慕っていたからだ。

 ジョシュアは10歳も年上で自分のことは幼過ぎて恋愛対象に見ることはないと思っていたが、オリビアは留学時から密かに彼に憧れていた。自分には婚約者がいるからとその気持ちには蓋をしていた。

 初めて会った時からジョシュアは自分を守り助けてくれていた。彼は博識で研究に行き詰ると適切な助言をし、落ち込めば励ましてくれた。周りの令嬢からはジョシュアに色目を使っていると絡まれたがその女性達を窘め守ってくれた。そんなジョシュアからの愛の言葉に心が揺れる。

 何よりジョシュアは素顔のオリビアを会った時から信じ受け入れてくれた。国を捨て彼を頼って会いに行った時は『美しい淑女になる化粧』をしていなかったので誰だか分からなかったはずだ。それでも自分はオリビアだと、助けて欲しいとの言葉を信じ応えてくれた。それは逃亡の旅で疲弊していたオリビアにとって全身が震えるほどの喜びだった。

「本当に私でいいのですか? 私は助けてもらうばかりで何の力もありません。あなたを幸せにできるかどうか分かりません……」

 ジョシュアは目を細め包み込むような優しい笑顔で言った。

「もう、幸せにしてもらっているよ。毎日あなたに会えるだけで力が湧く。あなたの笑顔を見る事が何よりの幸せだ。だからこれからも私を毎日幸せにしてほしい」

 自分を望んでくれるジョシュアの言葉が胸に滲み込み歓喜した。自分の想いを伝えずにはいられなかった。

「私も、ジョシュア様を愛しています」

 オリビアが求婚を受け入れると彼は王位継承権を放棄し大公位を賜った。そしてすぐに結婚式を挙げた。国王陛下も王妃様も王太子殿下も心から祝って下さった。これほどの幸せを手にすることができるなんて夢のようだった。
 ライラとして新しい人生を手に入れて幸せだったがふと自分を捨てた、そして自分が捨ててきた国が気になった。
 幸せ過ぎる日々の中で、突発的に心の傷がうずき出す。時々憂いた顔をしてしまうライラのために、今回ジョシュアは自分をこの国に連れて来てくれた。

 憂うきっかけはある日祖国の王太子夫妻の恋物語の小説を読んだからだ。祖国にいる時にその噂は聞いていたが詳細は知らなかった。正直に言えばショックだった。アイザックがアニーを愛しているからオリビアとの婚約を解消したいと言ってくれれば二つ返事でそうしただろう。それなのに悪者にされ罪を着せられ、結果全てを捨てて逃げざるを得なくなった。自分の存在は何だったのか、それをこの目で確かめたくなってしまった。

 再びこの国に来て女官長なら信頼できるとライラがオリビアであることを打ち明けた。そしてあの時の心からのお礼を伝えた。彼女がいなければ自分はもうこの世に存在していなかっただろう。
 図々しいとは思ったが自分の知らない真実を知るために協力を仰ぎ侍女として過ごさせてもらった。

 オリビアが祖国で見たものは世間で知られるような愛し合う二人ではなかった。自分を陥れてまで結婚した二人は幸せになっていなかった。
 自分を犠牲にしておきながら不幸であることが自分の犠牲を台無しにするようで許せなくもあったが、それ以上に別の感情も心の中にあった。心の醜い部分がオリビアに無実の罪を着せた二人が不幸でよかったと安堵する。自分から全てを奪った二人が幸せであることを許すこともできなかった。

 自分が国を捨てることになった理由はくだらないものだった。自分の犠牲の上に成り立った愛は粉々に壊れていた。ローラの真実の姿もまた、祖国への思いを吹っ切る後押しとなった。
 アイザックの呟いた言葉を考えると自分は真相を全て知ったわけではないのかもしれないと思う。でも、もういい。彼らと自分の人生は今後二度と交わることはないのだから。これ以上何かを知る必要はないだろう。

 これで自分はこの国と決別できる。許すことはできないがもういいと思うことができた。ようやくこの国への未練を完全に断ち切ることができた。
 だから虚しい真実を知ったとしてもここに来たことは無駄ではなかったはずだ。尤もそう思えるのは自分を愛し守ってくれるジョシュアの存在があってこそだが。
 自分はかつてのオリビアではなくこれからはライラとして新しい人生を幸せに生きていく。

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