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1.王太子とその妃
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豪華な王宮庭園にあるガゼボには美しい菓子と芳香な紅茶が用意されていた。
微かな風が薔薇を優雅に揺らす中、新婚間もない王太子殿下と妃殿下が甘く幸せなお茶の時間を過ごすために座っている…………と思われたが。
「アニー! いったい君はいつになったらまともな挨拶ができるようになるんだ。他国からの要人を前にカーテシーも満足に出来ない上に失言など、なんて無様な真似をしてくれたんだ。君の失態は夫である私の、いや、この国の失態でもあることを理解しているのか?」
怒鳴るだけでは収まらないのか机をドンと拳で強く叩く。この国の王太子であるアイザックの表情はひどく歪んでいる。
「王太子妃教育で1年間しっかりと学んだはずだ。それが……。こんなことならアニーを妃にするのではなかった」
椅子に座り青ざめた顔で俯いていた王太子妃であるアニーは顔を上げアイザックをキッと睨みつける。
「怒鳴らないでよ! 私だって精一杯頑張っているわ。ちょっとのミスくらい許してほしいわ。みんな和やかに笑っていたじゃないの!」
アイザックは前髪をかき上げるとふうっと息を吐き、怒りのまま皮肉気に片方の口角を上げた。
「アニー、君はつくづくおめでたいね。和やかだった? あれは失笑していたんだ。君は笑われていたんだよ。どこの国を探してもあれほど無様な振る舞いをする王太子妃などいないだろうね? 時間が戻せるものなら君を病気で欠席させたよ。いや、結婚前まで戻したいくらいだ。オリビアなら……教養も美しさも完璧だったのに」
アニーはオリビアという名に反応し立ち上がった。そしてヒステリックに怒鳴り返す。
「よく言うわ。あ・な・た・が彼女を断罪して国外追放したんでしょう? それもありもしない罪で!!」
アイザックは怪訝そうにアニーを見た。
「どういうことだ? ありもしない罪?」
「あははははは! あなたこそおめでたい人ね。私の嘘を未だに信じているの? 私がオリビア様から悪質な嫌がらせを受けているって言ったことを? あんなの全部嘘よ。それに公爵家が謀反を企てているという噂ももちろん出鱈目! あの時の私はどんなことをしてもあなたと結婚したかった。それだけあなたを愛していたからよ」
アニーはお腹を押さえ狂ったように笑い続ける。
アイザックはさっきまでの激昂が嘘のように呆然と顔を青ざめさせ肩を震わせている。
「嘘だ……。そんな、それではオリビアは……」
「アイザック。言っておくけどあれは私の責任じゃないわ。私が言ったことを鵜呑みにしておざなりな調査しかしなかったあなたの責任よ? まさか証拠もなく断罪するとは思わなかった。私はただ悪い噂を理由に彼女が婚約を辞退してくれればいいと考えていただけよ。だけどあなたはろくに確かめもせずに大ごとにしてしまったわ。公爵令嬢を平民に落として財産を没収して国外追放なんかして、今頃どうしているかしら? 賊に襲われ娼館に売られた? もしかしてもう生きていないかしら?」
アニーは再び座ると楽し気に菓子に手を伸ばし口に入れた。
「わ、私は何という過ちを……。オリビア……」
誰が見ても国中で語られている美しい恋物語の主人公たちには見えない。二人の間に本当に愛情が存在したのかと疑わしくなるような姿だ。
アイザックはアニーの事など忘れてしまったようにふらふらと庭園をあとにした。残されたアニーはすっかり冷めきった紅茶を飲み干すと苛立たし気にカップを床に叩きつけた。
「そこの、お前。片付けておきなさい!」
「畏まりました」
侍女は頭を下げアニーが退出するのを見送り割れたカップを拾い集める。すると一緒に作業していたもう一人の侍女に耳打ちをされた。
「ライラ。あなた新人だから一応言っておくけど、今見たことも聞いたことも決して口外しては駄目よ。それにしてもあんな話を使用人の前でするなんて信じられないわ。でも高貴な人たちにとって使用人はその辺の家具同然で存在しない扱いだから配慮がないのよ。だからと言って内容を漏らせば処分されるしやっていられないわ」
「ありがとうございます。そのことは女官長からも気をつけるよう言われていますので大丈夫です」
「そう? ならいいけど。それじゃあ、ここの片づけの残り頼むわ。妃殿下は部屋に戻られたようだけどすぐに何か言いつけると思うから、あちらで待機しているわ」
「はい」
ライラは一人で残りの後片付けをしながら今の光景に表情を暗くした。
この国の王太子アイザックと妃アニーの恋のお話は有名だ。
寒い雪の日に男爵家の娘アニーが暴漢に襲われていたところをたまたま王都を視察中のアイザックが通りがかり助けたことから二人は惹かれ合い愛を育む。身分差のある二人はアイザックの婚約者である公爵令嬢や身分を理由に反対する貴族たちの妨害を乗り越え結ばれる、感動的な話で国中の女性が憧れるシンデレラストーリーだ。
本にも劇にもなり国内で知らない者はいないと言われている。
アイザックは公爵令嬢との婚約を破棄してアニーと1年間の婚約期間を経て1か月前に結婚したばかりだ。今頃二人は仲睦まじく過ごして幸せの絶頂でいるはずだと誰もが思うだろう。自分も侍女として王宮でその姿を見ることになると思っていたのに……。現実は国中が羨む二人とは思えないようなやりとりで、どんな下手な芝居よりも醜悪で見るに堪えないものだった。
アイザックの元婚約者だった公爵令嬢オリビアは悪役令嬢として国中から嫌われている。意図的に情報操作された結果だ。その公爵一家はアニー殺害未遂と王家への謀反の疑いで無一文で国外追放になったと言われている。証拠もなく裁判も行われないままに。一家は消息不明らしい。だが幸せな結末を前に誰もそのことに疑問を抱かなかった。そして真実は私欲のために捏造された冤罪だった。
国中で盛り上がっている二人の感動的な愛の行きつく先に幸せは存在しなかった。先程の光景を思い出せば胸の底に濁った真っ黒な何かが広がっていく。
首を振りすぐにライラは思考を止めた。自分には関係ないことだとガゼボの片づけに集中することにした。
微かな風が薔薇を優雅に揺らす中、新婚間もない王太子殿下と妃殿下が甘く幸せなお茶の時間を過ごすために座っている…………と思われたが。
「アニー! いったい君はいつになったらまともな挨拶ができるようになるんだ。他国からの要人を前にカーテシーも満足に出来ない上に失言など、なんて無様な真似をしてくれたんだ。君の失態は夫である私の、いや、この国の失態でもあることを理解しているのか?」
怒鳴るだけでは収まらないのか机をドンと拳で強く叩く。この国の王太子であるアイザックの表情はひどく歪んでいる。
「王太子妃教育で1年間しっかりと学んだはずだ。それが……。こんなことならアニーを妃にするのではなかった」
椅子に座り青ざめた顔で俯いていた王太子妃であるアニーは顔を上げアイザックをキッと睨みつける。
「怒鳴らないでよ! 私だって精一杯頑張っているわ。ちょっとのミスくらい許してほしいわ。みんな和やかに笑っていたじゃないの!」
アイザックは前髪をかき上げるとふうっと息を吐き、怒りのまま皮肉気に片方の口角を上げた。
「アニー、君はつくづくおめでたいね。和やかだった? あれは失笑していたんだ。君は笑われていたんだよ。どこの国を探してもあれほど無様な振る舞いをする王太子妃などいないだろうね? 時間が戻せるものなら君を病気で欠席させたよ。いや、結婚前まで戻したいくらいだ。オリビアなら……教養も美しさも完璧だったのに」
アニーはオリビアという名に反応し立ち上がった。そしてヒステリックに怒鳴り返す。
「よく言うわ。あ・な・た・が彼女を断罪して国外追放したんでしょう? それもありもしない罪で!!」
アイザックは怪訝そうにアニーを見た。
「どういうことだ? ありもしない罪?」
「あははははは! あなたこそおめでたい人ね。私の嘘を未だに信じているの? 私がオリビア様から悪質な嫌がらせを受けているって言ったことを? あんなの全部嘘よ。それに公爵家が謀反を企てているという噂ももちろん出鱈目! あの時の私はどんなことをしてもあなたと結婚したかった。それだけあなたを愛していたからよ」
アニーはお腹を押さえ狂ったように笑い続ける。
アイザックはさっきまでの激昂が嘘のように呆然と顔を青ざめさせ肩を震わせている。
「嘘だ……。そんな、それではオリビアは……」
「アイザック。言っておくけどあれは私の責任じゃないわ。私が言ったことを鵜呑みにしておざなりな調査しかしなかったあなたの責任よ? まさか証拠もなく断罪するとは思わなかった。私はただ悪い噂を理由に彼女が婚約を辞退してくれればいいと考えていただけよ。だけどあなたはろくに確かめもせずに大ごとにしてしまったわ。公爵令嬢を平民に落として財産を没収して国外追放なんかして、今頃どうしているかしら? 賊に襲われ娼館に売られた? もしかしてもう生きていないかしら?」
アニーは再び座ると楽し気に菓子に手を伸ばし口に入れた。
「わ、私は何という過ちを……。オリビア……」
誰が見ても国中で語られている美しい恋物語の主人公たちには見えない。二人の間に本当に愛情が存在したのかと疑わしくなるような姿だ。
アイザックはアニーの事など忘れてしまったようにふらふらと庭園をあとにした。残されたアニーはすっかり冷めきった紅茶を飲み干すと苛立たし気にカップを床に叩きつけた。
「そこの、お前。片付けておきなさい!」
「畏まりました」
侍女は頭を下げアニーが退出するのを見送り割れたカップを拾い集める。すると一緒に作業していたもう一人の侍女に耳打ちをされた。
「ライラ。あなた新人だから一応言っておくけど、今見たことも聞いたことも決して口外しては駄目よ。それにしてもあんな話を使用人の前でするなんて信じられないわ。でも高貴な人たちにとって使用人はその辺の家具同然で存在しない扱いだから配慮がないのよ。だからと言って内容を漏らせば処分されるしやっていられないわ」
「ありがとうございます。そのことは女官長からも気をつけるよう言われていますので大丈夫です」
「そう? ならいいけど。それじゃあ、ここの片づけの残り頼むわ。妃殿下は部屋に戻られたようだけどすぐに何か言いつけると思うから、あちらで待機しているわ」
「はい」
ライラは一人で残りの後片付けをしながら今の光景に表情を暗くした。
この国の王太子アイザックと妃アニーの恋のお話は有名だ。
寒い雪の日に男爵家の娘アニーが暴漢に襲われていたところをたまたま王都を視察中のアイザックが通りがかり助けたことから二人は惹かれ合い愛を育む。身分差のある二人はアイザックの婚約者である公爵令嬢や身分を理由に反対する貴族たちの妨害を乗り越え結ばれる、感動的な話で国中の女性が憧れるシンデレラストーリーだ。
本にも劇にもなり国内で知らない者はいないと言われている。
アイザックは公爵令嬢との婚約を破棄してアニーと1年間の婚約期間を経て1か月前に結婚したばかりだ。今頃二人は仲睦まじく過ごして幸せの絶頂でいるはずだと誰もが思うだろう。自分も侍女として王宮でその姿を見ることになると思っていたのに……。現実は国中が羨む二人とは思えないようなやりとりで、どんな下手な芝居よりも醜悪で見るに堪えないものだった。
アイザックの元婚約者だった公爵令嬢オリビアは悪役令嬢として国中から嫌われている。意図的に情報操作された結果だ。その公爵一家はアニー殺害未遂と王家への謀反の疑いで無一文で国外追放になったと言われている。証拠もなく裁判も行われないままに。一家は消息不明らしい。だが幸せな結末を前に誰もそのことに疑問を抱かなかった。そして真実は私欲のために捏造された冤罪だった。
国中で盛り上がっている二人の感動的な愛の行きつく先に幸せは存在しなかった。先程の光景を思い出せば胸の底に濁った真っ黒な何かが広がっていく。
首を振りすぐにライラは思考を止めた。自分には関係ないことだとガゼボの片づけに集中することにした。
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