28 / 33
28.イヴリンの結婚式
しおりを挟む
イヴリンは今日、世界中の誰もが羨むような花嫁になるのだ。
特注で作らせた真っ白で豪華なウエディングドレスを纏い心躍らせて花嫁の控室にいる。自分の結婚する相手は公爵家の三男で見目麗しい素敵な男性だ。彼はイヴリンの夫となり入り婿になることが決まっていた。爵位も見た目も柔らかい物腰もイヴリンの好みでとても満足していた。
だが大きな問題がひとつあった。
彼には平民の恋人がいた。そのことを婚約が決まったその日に彼の両親から聞かされ容認するように要求された。高位貴族であればありがちなことなのだからと。ひどい侮辱だと思った。父も母も憤慨していたが公爵夫妻の手前黙っていた。公爵夫妻はイヴリンが平民として育ったことについて不満に思っているようだったが、血筋は間違いなくカーソン侯爵家の正当なものだ。なぜ見下されなければならないのか。
イヴリンは不満を胸の中に隠し公爵夫妻の前では悲し気に目を伏せ頷いた。物分かりのいい女であるとアピールするために承諾したが、心の中は怒りでマグマのようにグツグツ燃え滾っていた。
イヴリンは純愛に憧れている。生涯でたった一人の運命の人との結婚。一途に愛されたい。どれだけの困難があってもお互いだけを愛し抜くような夫婦になりたい。そう、まるで自分の両親のように。
イヴリンの父バナンは母エヴァと結婚するために反対する家を捨てて、平民になってまで添い遂げた。母はいつだって父を支えていたしイヴリンのこともすごく愛してくれた。そして母はよくイヴリンに言った。
「本当ならあなたは侯爵令嬢でもっと大きなお屋敷でみんなに愛されて育つはずだったのに、お母様のせいでごめんなさいね」
「違うわ。お母様のせいじゃない。お祖父様や叔父さんたちが悪いのよ!」
自分を責める母が可哀そうで幼いなりに慰めるようにそう言った。イヴリンたちが住む場所は平民街の中だ。今は本来の身分を回復し侯爵家を継いで大きな屋敷で暮らしているが、平民でいる間の家はこことは比べ物にならないほど狭かった。貧しいとは思わなかったが惨めだと感じていた。
本当なら自分は生まれた時から侯爵令嬢としてお姫様のように大切にされドレスや宝石も身につけていたはずだ。そして社交界に出ればきっと王子様に見初められたかもしれない。それなのに平民になってしまったせいで自分に近寄ってくるのは肉屋の息子や大工の息子だった。
(違う!! 自分に相応しいのは素敵な王子様のような貴公子だ)
イヴリンが十六歳の時に人生はようやく正された。本来の身分を取り戻し以前よりも贅沢な生活を手に入れた。貴族令嬢としての勉強は好きにはなれないが、母は厳しく教育を施した。イヴリンも母に褒められたくて頑張った。母が厳しい理由をイヴリンは理解している。なぜなら社交界はとても意地悪な世界だ。あんなに華やかな場所なのに人々の心は泥のように真っ黒だ。上げ足を取り悪口を面白おかしく話す。貴族がこんなに醜悪なものだとは知らなかった。
エヴァは元は伯爵令嬢で没落して平民となった。そのあとバナンと駆け落ちしたことは社交界では知れ渡っている。その娘のイヴリンのことは平民扱いし陰でひそひそと貶める。
エヴァは侯爵夫人となった今でも心無い人間に『元没落令嬢』と見下されている。イヴリンにとって母は立派な貴婦人だ。それなのに馬鹿にされるのは悔しかった。母は「イヴリンが怒ってくれたから悲しくないわ」と言っているが強がりに違いない。
でも、それも終わる。イヴリンが名門公爵家の三男を婿に迎えることで、公爵家と縁戚になり強力な後ろ盾を得られる。公爵家を敵に回してまで悪口を言う人間はいないはずだ。それでもこの幸せにはひとつの黒いシミがある。ヒューゴの恋人の存在だ。公爵夫妻の前では殊勝な態度を取ったが、ヒューゴが愛人を持つことを許すつもりは微塵もない。目障りなものは結婚前に排除するべきだ。イヴリンはエヴァに頼み密かに無頼漢を雇いその恋人を襲わせた。
エヴァの調査でヒューゴが恋人と別れたことが確認できた。これでヒューゴはイヴリンだけのものになる。結婚式を晴れやかな気持ちで迎えられる。
ヒューゴは定期的にカーソン侯爵家に来てはイヴリンのご機嫌を取った。彼も恋人がいなくなりイヴリンの大切さを理解したに違いない。
イヴリンは結婚式の前日の晩、輝くような未来を手に入れたことを確信し、これ以上にないほど満たされて眠りについた。
それなのに――――――。
結婚式の二時間前になってもヒューゴは教会に来ない。参列者はすでに到着していると言うのに、まさか寝坊でもしたと言うのか。公爵夫妻に確認すれば昨晩は独身最後の夜だからと友人と飲みに出かけて行った。そしてそのまま戻ってこないと言われた。
一緒に過ごしたはずの友人に問いかければヒューゴとは会っていないと言う。関係者総出で彼の行きそうな心当たりを探してもらった。
イヴリンはイライラとしながらヒューゴを待ったが、次第に彼は来ないのではと想像し焦燥を滲ませる。
(花婿に逃げられた花嫁なんてみっともない。そんな目にどうして私があわなければならないの?)
もしかしたら酔って何かの事件に巻き込まれた可能性もあると公爵夫妻は心配したがその気配はない。公爵家の使用人が一旦屋敷に戻ってヒューゴの部屋を確認すると、彼の部屋は整理され金目のものは何もなかった。そして見知らぬ男が手紙を預かって来た。その男は金をやるから手紙を届けるように依頼されただけで、ヒューゴの居場所を知らなかった。手紙にはイヴリンと結婚したくないことと、出奔する謝罪の内容だった。
数日後に判明するが公爵家の調査の結果、ヒューゴはもう国を出てしまってそれ以降の足取りを追うことは出来なかった。
公爵家の親族は呆然としている。エヴァもバナンも頭を抱えている。イヴリンは屈辱で真っ白な百合で作られたブーケを床に叩きつけた。お金に糸目をつけずに作ったウエディングドレス……。祝福の言葉を一身に浴びるはずだったのに、すでに式場では耳聡くヒューゴの不在に気付いた人たちがイヴリンを嘲笑している。どうしてこんなことになったの?
唇を噛みしめ怒りで瞳が潤む。
(悪いのは私じゃない。逃げたヒューゴに全ての責任がある。私は被害者だから堂々としていればいい――――)
ヒューゴはこない。それならばこれ以上ウエディングドレスを着ていたくない。着替えるために部屋を移動している時に、参列者たちの会話を聞いてしまった。
「やっぱりヒューゴ様は元平民と結婚するのが嫌だったのよ」
「イヴリン様って可憐な振りをしているけどキツイ性格ですものね。こないだも夜会で給仕のボーイの態度が悪いとワインをかけ怒っていましたもの」
「まあ、そんなことくらいで目くじらを立てたの? 品がありませんわねぇ」
「でもさすがに結婚式の当日に花婿に逃げられるなんて可哀想。ふふふ」
「本当に。恥ずかしくて当分社交界には顔を出せないでしょうね」
彼女たちの言葉に悔しくて体が震えた。
当然、結婚式は中止になった。ウイルソン公爵夫妻はイヴリンがヒューゴを繋ぎとめることが出来なかったせいだと責めた。こんな理不尽な言い分があるだろうか。それでも家格が高い相手に黙るしかない。それでも多少は悪いと思ったのかイヴリンに対し慰謝料は支払われた。だからといってイヴリンの名誉は回復されない。
その後しばらくイヴリンは社交界に出ることが出来なくなった。出席すれば同情の振りをした蔑みを受けることになる。
その後、カーソン侯爵領で水害が起こった。バナンはその対応のために領地から王都に戻ってこれなくなった。二十数年前にも同じようなことが有り対策をしていたので思ったよりは被害は少ないらしいが、復興にはお金がかかる。エヴァは毎日金策に奔走している。イヴリンは屋敷に引きこもっているがエヴァと顔を合わせるのは夜くらいだ。
お金があまり借りれなかったらしくこのままでは宝石や家具、ドレスなども手放さなくてはならないとエヴァが項垂れていた。エヴァは使用人の給金を節約するために使用人を半分の人数にした。
だがそのおかげで屋敷の中は荒れ始めた。掃除が行き届かないのだ。新しい料理長の作る食事はあまり美味しくない。以前と比べて使用人の質が悪くなった。気が利かない侍女にイヴリンは苛立たしい思いをしている。
「お母様。新しいドレスが欲しいの。公爵家からもらった慰謝料で作ってもいい?」
「イヴリン。あのお金はもう領地の復興のために使ったのよ。これからは贅沢は出来ないわ」
「そんな。あの慰謝料は私のものでしょう? それを勝手に使ってしまったの? 酷いわ!」
「イヴリン。そんなことを言っている場合じゃないわ。このままではカーソン侯爵家は没落してしまう。また……平民に戻ることになってしまうのよ」
「えっ?! 嫌よ! 私は貴族よ」
ヒューゴの件で公爵家からもらった慰謝料もすでに被害の補填で使ってしまったらしい。イヴリンは贅沢な暮らしを味わってしまった。これ以上暮らしの質を落とすなんて嫌だった。
あんなに幸せだったイヴリンの生活は一変し、家族はバラバラで屋敷の中に笑顔はない。イヴリンの未来は順風満帆で幸せなものになるはずだった。でも、現実は平民として過ごしていた時よりも貧しい暮らしになってきている。
この状況では再びイヴリンの婚約者探しは再開できそうにない。火の車になったカーソン侯爵家の娘への婚約の打診はまともな貴族からはまったくこなくなった。
あるのは援助を盾に婚姻による貴族との繋がりを求める貴族くらいだった。そんな相手はイヴリンのプライドが許さない。
イヴリンの人生はどこから狂ってしまったのだろう。溜息をつき自分の部屋を見渡せば高級な調度品は全て売り払ってしまい閑散として見える。クローゼットの中も寂しくなってしまった。宝石だって小さな石のものを少しだけ持っているだけ。
(ああ、でもジリアンよりはよほどマシなはずよ。最低最悪な男と結婚するくらいなら領地が安定するまで独身でいた方がいい。それから婚約者を探しても遅くはないはず)
ジリアンを思い出せば自分はまだ幸せだ。彼女はお金持ちだけどクズのような男のもとに嫁いでいった。それも行ったこともない国にたったひとりで。家族も友人もいない上に、夫は頼りにならない。きっと孤独な生活を送っているに違いない。
もう二度と会うことのないジリアン。イヴリンが生まれた時から受け取るはずだったものを十五年も搾取してきたのだからその報いを受けたのだ。
ジリアンに比べれば自分は不幸なんかじゃない、そう思わなければ現在の状況をとても受け入れられそうにない。
イヴリンの願い虚しくその後の生活も豊かになるどころか苦しいものになっていく。バナンは領地の復興を優先してイヴリンには夜会に出ないようにと言った。イヴリンはそろそろ不名誉な噂も下火になった気がするので出席したかった。だがドレスや宝石を買うお金がないのだ。エヴァは申し訳なさそうに我慢してという。夜会に出なければ婚約者探しも出来ない。今の自分たちは貴族として底辺の暮らしぶりだ。下手をすれば平民の方が豊かな生活をしている。
最近ではイヴリンに援助と引き換えの縁談が舞い込むようになった。そんな申し込みの中に結婚したいと思える男性は一人もいない。
イヴリンは先の見えない未来に悔し涙を流した……。
特注で作らせた真っ白で豪華なウエディングドレスを纏い心躍らせて花嫁の控室にいる。自分の結婚する相手は公爵家の三男で見目麗しい素敵な男性だ。彼はイヴリンの夫となり入り婿になることが決まっていた。爵位も見た目も柔らかい物腰もイヴリンの好みでとても満足していた。
だが大きな問題がひとつあった。
彼には平民の恋人がいた。そのことを婚約が決まったその日に彼の両親から聞かされ容認するように要求された。高位貴族であればありがちなことなのだからと。ひどい侮辱だと思った。父も母も憤慨していたが公爵夫妻の手前黙っていた。公爵夫妻はイヴリンが平民として育ったことについて不満に思っているようだったが、血筋は間違いなくカーソン侯爵家の正当なものだ。なぜ見下されなければならないのか。
イヴリンは不満を胸の中に隠し公爵夫妻の前では悲し気に目を伏せ頷いた。物分かりのいい女であるとアピールするために承諾したが、心の中は怒りでマグマのようにグツグツ燃え滾っていた。
イヴリンは純愛に憧れている。生涯でたった一人の運命の人との結婚。一途に愛されたい。どれだけの困難があってもお互いだけを愛し抜くような夫婦になりたい。そう、まるで自分の両親のように。
イヴリンの父バナンは母エヴァと結婚するために反対する家を捨てて、平民になってまで添い遂げた。母はいつだって父を支えていたしイヴリンのこともすごく愛してくれた。そして母はよくイヴリンに言った。
「本当ならあなたは侯爵令嬢でもっと大きなお屋敷でみんなに愛されて育つはずだったのに、お母様のせいでごめんなさいね」
「違うわ。お母様のせいじゃない。お祖父様や叔父さんたちが悪いのよ!」
自分を責める母が可哀そうで幼いなりに慰めるようにそう言った。イヴリンたちが住む場所は平民街の中だ。今は本来の身分を回復し侯爵家を継いで大きな屋敷で暮らしているが、平民でいる間の家はこことは比べ物にならないほど狭かった。貧しいとは思わなかったが惨めだと感じていた。
本当なら自分は生まれた時から侯爵令嬢としてお姫様のように大切にされドレスや宝石も身につけていたはずだ。そして社交界に出ればきっと王子様に見初められたかもしれない。それなのに平民になってしまったせいで自分に近寄ってくるのは肉屋の息子や大工の息子だった。
(違う!! 自分に相応しいのは素敵な王子様のような貴公子だ)
イヴリンが十六歳の時に人生はようやく正された。本来の身分を取り戻し以前よりも贅沢な生活を手に入れた。貴族令嬢としての勉強は好きにはなれないが、母は厳しく教育を施した。イヴリンも母に褒められたくて頑張った。母が厳しい理由をイヴリンは理解している。なぜなら社交界はとても意地悪な世界だ。あんなに華やかな場所なのに人々の心は泥のように真っ黒だ。上げ足を取り悪口を面白おかしく話す。貴族がこんなに醜悪なものだとは知らなかった。
エヴァは元は伯爵令嬢で没落して平民となった。そのあとバナンと駆け落ちしたことは社交界では知れ渡っている。その娘のイヴリンのことは平民扱いし陰でひそひそと貶める。
エヴァは侯爵夫人となった今でも心無い人間に『元没落令嬢』と見下されている。イヴリンにとって母は立派な貴婦人だ。それなのに馬鹿にされるのは悔しかった。母は「イヴリンが怒ってくれたから悲しくないわ」と言っているが強がりに違いない。
でも、それも終わる。イヴリンが名門公爵家の三男を婿に迎えることで、公爵家と縁戚になり強力な後ろ盾を得られる。公爵家を敵に回してまで悪口を言う人間はいないはずだ。それでもこの幸せにはひとつの黒いシミがある。ヒューゴの恋人の存在だ。公爵夫妻の前では殊勝な態度を取ったが、ヒューゴが愛人を持つことを許すつもりは微塵もない。目障りなものは結婚前に排除するべきだ。イヴリンはエヴァに頼み密かに無頼漢を雇いその恋人を襲わせた。
エヴァの調査でヒューゴが恋人と別れたことが確認できた。これでヒューゴはイヴリンだけのものになる。結婚式を晴れやかな気持ちで迎えられる。
ヒューゴは定期的にカーソン侯爵家に来てはイヴリンのご機嫌を取った。彼も恋人がいなくなりイヴリンの大切さを理解したに違いない。
イヴリンは結婚式の前日の晩、輝くような未来を手に入れたことを確信し、これ以上にないほど満たされて眠りについた。
それなのに――――――。
結婚式の二時間前になってもヒューゴは教会に来ない。参列者はすでに到着していると言うのに、まさか寝坊でもしたと言うのか。公爵夫妻に確認すれば昨晩は独身最後の夜だからと友人と飲みに出かけて行った。そしてそのまま戻ってこないと言われた。
一緒に過ごしたはずの友人に問いかければヒューゴとは会っていないと言う。関係者総出で彼の行きそうな心当たりを探してもらった。
イヴリンはイライラとしながらヒューゴを待ったが、次第に彼は来ないのではと想像し焦燥を滲ませる。
(花婿に逃げられた花嫁なんてみっともない。そんな目にどうして私があわなければならないの?)
もしかしたら酔って何かの事件に巻き込まれた可能性もあると公爵夫妻は心配したがその気配はない。公爵家の使用人が一旦屋敷に戻ってヒューゴの部屋を確認すると、彼の部屋は整理され金目のものは何もなかった。そして見知らぬ男が手紙を預かって来た。その男は金をやるから手紙を届けるように依頼されただけで、ヒューゴの居場所を知らなかった。手紙にはイヴリンと結婚したくないことと、出奔する謝罪の内容だった。
数日後に判明するが公爵家の調査の結果、ヒューゴはもう国を出てしまってそれ以降の足取りを追うことは出来なかった。
公爵家の親族は呆然としている。エヴァもバナンも頭を抱えている。イヴリンは屈辱で真っ白な百合で作られたブーケを床に叩きつけた。お金に糸目をつけずに作ったウエディングドレス……。祝福の言葉を一身に浴びるはずだったのに、すでに式場では耳聡くヒューゴの不在に気付いた人たちがイヴリンを嘲笑している。どうしてこんなことになったの?
唇を噛みしめ怒りで瞳が潤む。
(悪いのは私じゃない。逃げたヒューゴに全ての責任がある。私は被害者だから堂々としていればいい――――)
ヒューゴはこない。それならばこれ以上ウエディングドレスを着ていたくない。着替えるために部屋を移動している時に、参列者たちの会話を聞いてしまった。
「やっぱりヒューゴ様は元平民と結婚するのが嫌だったのよ」
「イヴリン様って可憐な振りをしているけどキツイ性格ですものね。こないだも夜会で給仕のボーイの態度が悪いとワインをかけ怒っていましたもの」
「まあ、そんなことくらいで目くじらを立てたの? 品がありませんわねぇ」
「でもさすがに結婚式の当日に花婿に逃げられるなんて可哀想。ふふふ」
「本当に。恥ずかしくて当分社交界には顔を出せないでしょうね」
彼女たちの言葉に悔しくて体が震えた。
当然、結婚式は中止になった。ウイルソン公爵夫妻はイヴリンがヒューゴを繋ぎとめることが出来なかったせいだと責めた。こんな理不尽な言い分があるだろうか。それでも家格が高い相手に黙るしかない。それでも多少は悪いと思ったのかイヴリンに対し慰謝料は支払われた。だからといってイヴリンの名誉は回復されない。
その後しばらくイヴリンは社交界に出ることが出来なくなった。出席すれば同情の振りをした蔑みを受けることになる。
その後、カーソン侯爵領で水害が起こった。バナンはその対応のために領地から王都に戻ってこれなくなった。二十数年前にも同じようなことが有り対策をしていたので思ったよりは被害は少ないらしいが、復興にはお金がかかる。エヴァは毎日金策に奔走している。イヴリンは屋敷に引きこもっているがエヴァと顔を合わせるのは夜くらいだ。
お金があまり借りれなかったらしくこのままでは宝石や家具、ドレスなども手放さなくてはならないとエヴァが項垂れていた。エヴァは使用人の給金を節約するために使用人を半分の人数にした。
だがそのおかげで屋敷の中は荒れ始めた。掃除が行き届かないのだ。新しい料理長の作る食事はあまり美味しくない。以前と比べて使用人の質が悪くなった。気が利かない侍女にイヴリンは苛立たしい思いをしている。
「お母様。新しいドレスが欲しいの。公爵家からもらった慰謝料で作ってもいい?」
「イヴリン。あのお金はもう領地の復興のために使ったのよ。これからは贅沢は出来ないわ」
「そんな。あの慰謝料は私のものでしょう? それを勝手に使ってしまったの? 酷いわ!」
「イヴリン。そんなことを言っている場合じゃないわ。このままではカーソン侯爵家は没落してしまう。また……平民に戻ることになってしまうのよ」
「えっ?! 嫌よ! 私は貴族よ」
ヒューゴの件で公爵家からもらった慰謝料もすでに被害の補填で使ってしまったらしい。イヴリンは贅沢な暮らしを味わってしまった。これ以上暮らしの質を落とすなんて嫌だった。
あんなに幸せだったイヴリンの生活は一変し、家族はバラバラで屋敷の中に笑顔はない。イヴリンの未来は順風満帆で幸せなものになるはずだった。でも、現実は平民として過ごしていた時よりも貧しい暮らしになってきている。
この状況では再びイヴリンの婚約者探しは再開できそうにない。火の車になったカーソン侯爵家の娘への婚約の打診はまともな貴族からはまったくこなくなった。
あるのは援助を盾に婚姻による貴族との繋がりを求める貴族くらいだった。そんな相手はイヴリンのプライドが許さない。
イヴリンの人生はどこから狂ってしまったのだろう。溜息をつき自分の部屋を見渡せば高級な調度品は全て売り払ってしまい閑散として見える。クローゼットの中も寂しくなってしまった。宝石だって小さな石のものを少しだけ持っているだけ。
(ああ、でもジリアンよりはよほどマシなはずよ。最低最悪な男と結婚するくらいなら領地が安定するまで独身でいた方がいい。それから婚約者を探しても遅くはないはず)
ジリアンを思い出せば自分はまだ幸せだ。彼女はお金持ちだけどクズのような男のもとに嫁いでいった。それも行ったこともない国にたったひとりで。家族も友人もいない上に、夫は頼りにならない。きっと孤独な生活を送っているに違いない。
もう二度と会うことのないジリアン。イヴリンが生まれた時から受け取るはずだったものを十五年も搾取してきたのだからその報いを受けたのだ。
ジリアンに比べれば自分は不幸なんかじゃない、そう思わなければ現在の状況をとても受け入れられそうにない。
イヴリンの願い虚しくその後の生活も豊かになるどころか苦しいものになっていく。バナンは領地の復興を優先してイヴリンには夜会に出ないようにと言った。イヴリンはそろそろ不名誉な噂も下火になった気がするので出席したかった。だがドレスや宝石を買うお金がないのだ。エヴァは申し訳なさそうに我慢してという。夜会に出なければ婚約者探しも出来ない。今の自分たちは貴族として底辺の暮らしぶりだ。下手をすれば平民の方が豊かな生活をしている。
最近ではイヴリンに援助と引き換えの縁談が舞い込むようになった。そんな申し込みの中に結婚したいと思える男性は一人もいない。
イヴリンは先の見えない未来に悔し涙を流した……。
10
お気に入りに追加
493
あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
君は妾の子だから、次男がちょうどいい
月山 歩
恋愛
侯爵家のマリアは婚約中だが、彼は王都に住み、彼女は片田舎で遠いため会ったことはなかった。でもある時、マリアは妾の子であると知られる。そんな娘は大事な子息とは結婚させられないと、病気療養中の次男との婚約に一方的に変えさせられる。そして次の日には、迎えの馬車がやって来た。
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。
あなたの側にいられたら、それだけで
椎名さえら
恋愛
目を覚ましたとき、すべての記憶が失われていた。
私の名前は、どうやらアデルと言うらしい。
傍らにいた男性はエリオットと名乗り、甲斐甲斐しく面倒をみてくれる。
彼は一体誰?
そして私は……?
アデルの記憶が戻るとき、すべての真実がわかる。
_____________________________
私らしい作品になっているかと思います。
ご都合主義ですが、雰囲気を楽しんでいただければ嬉しいです。
※私の商業2周年記念にネップリで配布した短編小説になります
※表紙イラストは 由乃嶋 眞亊先生に有償依頼いたしました(投稿の許可を得ています)
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
いつか彼女を手に入れる日まで
月山 歩
恋愛
伯爵令嬢の私は、婚約者の邸に馬車で向かっている途中で、馬車が転倒する事故に遭い、治療院に運ばれる。医師に良くなったとしても、足を引きずるようになると言われてしまい、傷物になったからと、格下の私は一方的に婚約破棄される。私はこの先誰かと結婚できるのだろうか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる